3
モンテクリスト侯爵であり、王国騎士団総長の任に就く父に呼ばれ当主執務室へ向かうと、父は重厚な椅子に深く腰を下ろし、腕を組んでため息をつき、言った。
「ローザリー、お前、ウェインと親しかったのか?」
「ウェイン?」
「ウェイン・デュスカーナだ」
このところよく聞く名だ。
「いいえ、お名前は存じておりますが」
「そうか……」
父はわたしに一通の書状を渡した。
「ウェインから……いや、デュスカーナ公爵家からの求婚状だ」
「誰に?」
「私にはお前以外に娘はいない」
「えぇっ!? 息子ならいるんですか!? お母様に言いますよ!?」
「ばばば、馬鹿なことを言うな!! 火のない所に煙を立てるな!!」
「アハハ。冗談ですよ、冗談。えーと、なになに……」
父から受け取った書状に目を通すと、そこには、ウェイン・デュスカーナと、ローザリー・モンテクリストと確かに記載されている。
「なにーーーーーーっ!?」
書状を握る手を震わせ、わたしは食い入るようにその文面を見つめた。
「ローザリー、少しは淑女らしく振る舞ったらどうだ? お前が以前にも増して粗野になっているように見えるのは、私の気のせいなのか?」
父の不満そうなつぶやきを無視して問い返した。
「お父様、これはいったいどういうことでしょう?」
「どうもこうも、ウェインがお前に求婚したんだ」
「なぜ?」
「本人に聞け」
父の執務室を後にし、広い廊下を歩きながら考え込んだ。ウェイン・デュスカーナの突然の求婚には、どんな意図があるのだろうか。
「ニーナ、ウェイン・デュスカーナから求婚されたわ。信じられる?」
自室に戻ると、ニーナがお茶の準備をしていた。
「それは驚きですね。でも、お嬢様が他のご令嬢方と比べても群を抜いて美しいのは事実ですし、ウェイン様が見初めたのも、まあ理解できます。ただ彼がお嬢様の、ええと、『ユニークな性格』を知った上での求婚かどうかは疑問ですわね」
ニーナの言葉に納得しつつも、どこか腑に落ちないでいた。確かにこの容姿がウェイン・デュスカーナの目に留まった可能性はある。けれど、占いの館を訪れた彼に心を寄せる令嬢たちの話によると、彼は、どんなに美しい令嬢にも興味を示さないということだ。
そんな彼が、なぜわたしに求婚? わたしの心に何かが引っかかった。
わたしはため息をつき、窓の外を見た。明後日、ウェイン・デュスカーナが我が家を訪れるという。
彼と直接対話し、彼の真意を探ってみよう。
それに、彼の運命の紐を見れば、わたしが彼の運命の相手かどうかわかるもの。
「お嬢様、もうお休みの時間です。今日は長い一日でしたし、明日もまたご多忙でしょうから、しっかりお休みになってくださいませ」
ベッドに入り、部屋の灯りを消した。月明かりが窓からそっと差し込み、わたしはその光を眺めながら目を閉じた。心地よい眠りはすぐに訪れる。
ウェイン・デュスカーナからの求婚は、また後日考えよう。今はただ静かな夜の中で休むだけ……。
***
午後の日差しが花々を照らし、その色彩を一層鮮やかに引き立てる。モンテクリスト侯爵家の美しい庭園のガゼボには、これまた息をのむような美しい貴公子が姿を現した。
「ごきげんよう、ローザリー嬢。この庭の美しさもさることながら、あなたの輝きには敵わないですね」
現れたウェイン・デュスカーナ様を目にして、わたしはその姿に目を見張った。
彼はまさに完璧だった。ミルクティーベージュの髪は柔らかな光を放ちながら肩に流れ落ち、碧い瞳は雲一つない澄み渡る空のような美しさだ。
高貴な立ち振る舞い、端正な顔立ち、そして彼の周りに漂う優雅なオーラは、王者の風格さえ感じさせる。
彼の衣装もまた、その完璧さを一層引き立てていた。豪華なブロケードのフロックコートは彼の肩幅を強調し、その筋肉の隆々とした腕を美しく包み込んでいた。細身のズボンは彼の長い脚を引き立て、その端には光沢のある黒革のブーツが揃えられていた。
確かに、彼に惹かれる令嬢たちが後を絶たないのも理解できる。
けれど、わたしが驚いたのはそれとはまた違った。わたしはそれを見て、衝撃に手が震えた。
彼の左手の小指には、漆黒の紐が結ばれていたのだ……! わたしは本能的にそれが何を意味するものなのか理解できた。
「ご、ごきげんよう、ウェイン様。お越しいただきありがとうございます。モンテクリスト侯爵家にとって、大変な光栄です」
わたしは心を落ち着けて、丁寧に挨拶を返した。
「ローザリー嬢、こちらこそお招きいただき、感謝しております」
「ええと……、ウェイン様、道中異常はありませんでしたか?」
「いえ、何も問題はありませんでした」
「馬車の車輪が外れたり、橋が壊れるなどの事故に巻き込まれたりはしませんでしたか?」
「いえ、そういった危険に遭遇することはありませんでした」
「襲撃者に襲われたりしませんでしたか?」
「いえ、私の護衛がしっかりと仕事をしてくれていますから」
「そうですか……」
「…………………」
わたしの言葉に、ウェイン様は微笑みを浮かべていたけれど、その目の奥には、わたしへの微かな疑念が見え隠れしていた。
会って早々にこんなこと言われたら、そりゃ不審がるわよね。けれど、尋ねずにはいられなかった。
漆黒の紐を持つ人、それは、運命の相手と結ばれることなく、不慮の死を迎えてしまう人だ。
「ウェイン様、こちらのお菓子はいかがですか?」
わたしは気を取り直して、スリーティアスタンドに並べられた様々な種類のお菓子を勧めた。
彼は微笑みを浮かべて頷き、パンプディングを手にした。
「美味しそうですね。しかし、わたしは熱い物が苦手で、冷めてからいただきますね」
ウェイン様に軽く頷き、わたしは上段のチョコレートケーキを選んだ。
そのケーキは、甘さと苦さが絶妙に調和したダークチョコレートでコーティングされており、その中には滑らかなクリームが詰まっていた。
元の世界に我が家の料理人がいたら、間違いなく行列必至のパティスリーだわ。
チョコレートケーキに向いていた意識をウェイン様に戻し、改まった。
「コホン。ウェイン様、なぜわたくしに求婚を?」
わたしは彼を直視し、単刀直入に尋ねた。彼は少しの間をおいて、魅惑的な微笑みを浮かべて言った。
「もちろんあなたに惹かれたからですよ」
「ウェイン様、わたくしとは、このようにお目にかかるのは初めてのことではございませんか?」
しれっと嘘を吐く彼に、わたしは真剣な表情をして言った。
「……実は、あなたと第二王子殿下の婚約破棄の現場に私も居合わせておりました。その際、あなたが落胆されている様子を見て、私が慰めたいと思ったのです」
あれを見て、わたしが落ち込んでいるように見えた……ねぇ……。
「他に何か意図はございませんの?」
「私はあなたの支えになりたいと思っております」
ふーん。彼はこの場で真意を明かすつもりはないようだ。その漆黒の紐も切ってあげたいし……。
「では、ひとまず婚約の件は保留にしていただけませんか?」
「保留……。わかりました」
わたしがそう提案すると、ウェイン様は眉を下げ、残念そうな笑顔でそれを了承した。
けれど、その笑顔が黒い笑顔に見えるのは気のせいではないわね……。
「ところでウェイン様、占いに興味はございませんか?」
「占い……ですか?」
「ええ、王都の街外れに占いの館があるんですのよ。よく当たると評判ですわ。わたくし伝手があるんですの。伝えておきますから、近いうちにお訪ねになってみて?」
運命の紐を切るはさみは占いの館に置いてあるのだ。ウェイン様の漆黒の紐を切るためには、彼をそこへ連れて行く必要がある。
ウェイン様は少し考え込んだ後、穏やかな声で言った。
「わかりました。では近日中にその占いの館を訪れてみます」
彼の不慮の死、それは事故か事件か、もしくは何かの陰謀か。現在の我が国は、周辺国との関係も良好だから、戦争での死とは考えられない。
いずれにせよ、何もせずに放っておくことはできない。彼が店に来たら、漆黒の紐を切って彼を不慮の死から解放してあげよう。