8.ホラーとミステリは紙一重?
ガツンッ!
「痛ったっ!」
頭を上げると後頭部を何かに強打した。目の前を星が飛びそうなほど痛い。慌てて後頭部に手をやろうとしたが、その手も何かにぶち当たった。
「痛いっ!」
なに? 何がどうなってるの?
ゆっくりと辺りを見回すと、何やら大きくて硬いものに囲まれていることに気付いた。
何これ?
「いたっ」
まただ。床に――本当に床なのかはともかくとして、床に相当する場所に手を置くと何かとがったモノが肌に食い込む感じがした。ガラス片のような透明な何かがある。
危ないわね。突き刺さるところだったじゃないの。
そこで気づいた。手が血まみれだ。今出血したわけじゃない。乾燥した血でおおわれている。
顔も体もあちこちカピカピになっている。
ということは……私、またやられちゃったわけ?
私を取り囲んでいる物体は入り組んでよじれたジャングルジムみたいになっていて、外に出る隙間を探すのに四苦八苦し、床には細かな破片が散乱しているので、余計に悪戦苦闘した。
くそっ! なんで死んだ上に、こんな思いまでしなきゃいけないわけ⁉
頑張って破片を遠くに弾き飛ばし、バカみたいに体をくねらせた挙句、やっとのことで私は物体を通り抜け、広い空間に這い出すことができた。
「やっと出られた。脱出マジックやってんじゃないんだけど!」
ストレスをぶつけるための一人ツッコミ。
改めて私を封じ込めていた物体を見やる。
照明だ。
劇場とかで使われるような大きな照明器具。黒い金属の骨組みに、電球がたくさんついているタイプの照明だった。
床はひび割れ。壊れた破片が飛び散っており、その間を放射線状に血しぶきが広がっていた。中々にインパクトのある地獄絵図ね。
上を見上げると同じような照明がいくつか取り付けられていた。
落ちてきたってことかしら?
位置関係的には間違いないような気がする。私の服もあちこちボロボロだし、あの照明に押しつぶされたんだとしたらこんな惨状になるのもわかる気がする。
辺りを見回せば、照明器具の種類から見ても当然なのか、劇場のような場所だった。朱色の椅子がずらりと並び、階段状に高くなっている。どうやら私は舞台のど真ん中で死んでいたらしい。
なぜ、こんなところに……?
と、とある記憶が蘇ってきた。
そうだ。私は『劇団ホラーワンド』とかいう劇団と一緒にここにやってきたんだった。
ホラーを主として上演している、さして有名ではない小さな劇団らしいが、まあ、そこはどうでもいいだろう。一体なぜ、探偵である私と弱小劇団がこんなところにきているのかと言えば、私は今回アドバイザーとしてここに居るのである。
もちろん私は演技やら劇団については間違いなく素人で、アドバイスも何もないのだが、今回、私はこの劇団に探偵についてアドバイスするために来ているのだ。
『劇団ホラーワンド』が探偵を主軸に据えたホラーを上演するということで、その探偵役のアドバイザーとして依頼を受けたのだ。
正直な話、小さな劇団が金を払ってまで、探偵についてリアリティを求めるのもどうかしていると思うし、こんなことに金を使うから弱小劇団じゃないのかという思いが頭をよぎるけど、それはそれ。
九猫探偵事務所として、依頼を受けたからには仕事はきっちりがモットーだ。
ぶっちゃけ、九猫探偵事務所も依頼が少なくて、どんな依頼でも飛びつく状態だったのだが、それは内緒の話にしておく。
ところで、弱小劇団ホラーワンドが結構立派なこの――思い出した――羽地義原記念劇場を使っているのには理由がある。この劇場は取り壊し予定になっているのだ。なんでもかなり昔に演劇が好きだった羽地義原とかいうお金持ちが道楽で山の真ん中に作った劇場らしい。建てられた当初はそこそこ盛況だったらしいが、時代とともに廃れてきているそうだ。
立地が悪いので、客入りが伸びない。老朽化が激しく、これ以上は倒壊の危険がある。無駄に大きいので固定資産税なども馬鹿にできない。などという切実な理由で取り壊しが決定しており、最後の記念として、格安で様々な劇団に貸し出しているらしい。ホラーワンドもその波に乗っかって、ここでオリジナルの探偵ホラー劇を上演する運びとなり、劇場を貸し切ってリハーサルを行っていたのだ。そしてこの私、九猫夜美が探偵役アドバイザーとして同伴しているのである。
ここに来たことは覚えている。音黒ちゃんが探偵助手アドバイザーとして半ば無理やりついてきたことも覚えている。何人かの劇団員の顔も覚えている。探偵とは何たるかについて語ったことも覚えている(音黒ちゃんが後ろで笑いをこらえていたのも覚えてるぞ!)。そしてリハが始まって、それを何となく眺めていたことも覚えているが……そこからどうなったっけ?
そのあたりから記憶に靄がかかっているかのように思い出せなくなった。どうやらここらから記憶が飛んでいるっぽいわね。
「とりえず音黒ちゃんに連絡……げっ!」
ポケットから取り出したスマホは血まみれの上に、バッキバキに壊れており、見るも無残な有様だった。
「ま、また壊れちゃった! もうー! 何回壊れりゃ気が済むのよ!」
まあ、あの照明に押しつぶされたのだから当然なのだが、だからと言って納得できるわけじゃない。仕事用の安っいやつだけど、それでも痛い出費には変わりない。
私用のスマホじゃないだけましよね……。
「……グダグダ言ってても意味ないし、音黒ちゃんを探さないと」
「あ、所長」
後ろから呑気な声が聞こえてきた。くるりと振り向くと舞台袖から音黒ちゃんが出現していた。何が楽しかったのか、にこにこ笑っている。
「そろそろ起きてくるんじゃないかと思って、見に来たんですよ」
「ナイス判断ね、音黒ちゃん」
そう褒めたのだが、どうだろう。音黒ちゃんは絶対定期的に来てたはずだ。いや、定期的どころか張り付いていてもおかしくない。しかし、例えトイレ休憩から帰ってきたところなのだとしてもタイミングが良かったことは間違いない。
「連絡手段がないからちょうどよかったわ」
あたしはゴミと化したスマホを持ち上げて見せる。
「うわ。バッキバキですね。でも、仕方ないですよ。所長、ぺっちゃんこでしたから!」
勢い込んで音黒ちゃんが距離を詰めてきた。
「床のシミみたいになってましたからね! 人間ってこんなバラバラのぺっちゃんこになるんだって思いましたよ。いやーあたしの多種多様な所長死体フォルダに新たな一枚が刻まれましたね! 形ある死体こそが至高だと思っていましたが、肉片になってしまった所長もなかなか味わい深いものでしたね! 惜しむらくはこの照明の残骸が邪魔で、全体像をはっきりと撮れなかったことぐらいです!」
「へーそう」
「反応うすくないですかぁ⁉」
「めっちゃくちゃどうでもいいもん」
「ええっ! 聞いてくださいよ! 所長以外に興味持って聞いてくれる人いないんですからぁ!」
「いつ私が興味持って聞いたのよ⁉」
「いつもですよ?」
にっこりと音黒ちゃんは笑う。
「…………」
この悪気のない純粋な顔! 殴りたい!
「ふう。まあ、いいわ。で、音黒ちゃん。今どういう状況なの?」
「おっと。そうでした。気を付けてくださいね、所長」
「何に?」
「見つからないようにです。今回は全員に宇宙の美と化した瞬間を見られちゃってるんで、見つかったら大ごとです」
「え。マジで?」
「はい。もうばっちりです。全員の脳に所長がぺっちゃんこになった瞬間が、焼き付いていることでしょう。一生もののカタルシスかと」
「なるほど。それは確かにまずいわね」
カタルシスじゃなくて、消えないトラウマを植え付けてしまったかもしれない。いや、私のせいじゃないんだけど。
それはそれとして、面倒なことになった。私はこの現場ではもう人前に姿を現すことができなくなってしまった。
頭を殴られて死んだときや、刺殺されたときなんかは、気絶してたとか、運よく当たりどころがよかったとかで、何とか誤魔化すことができる。死体を見られたときは死んでいると判断されても、復活した姿を見せれば、人は自分の感覚が間違いだったと思い込むものだ。しかし、この惨状と音黒ちゃんの話を合わせれば、私は誰が見ても、どうあがいても死んでいる。もう百パーセント死んでいる。勘違いの生まれる余地なく、誤魔化すことも不可能なぐらいに死んでいるわけだ。
こうなると人前に姿を現そうものなら大騒ぎは必死である。幽霊騒動になるかもしれないし、化け物扱いされるかもしれない。最悪、捕まってどこかの研究所に送られるかもしれない。
研究所というのは冗談にしても、そのぐらいの大ごとになりかねないのだ。
「参ったわね。これは久しぶりだわ。音黒ちゃん、私が隠れられるところある?」
「とりあえず、あたしたちに割り当てられた部屋に行きますか?」
「そうね。絶対見つからないようにね」
音黒ちゃんの先導で、泥棒のごとくコソコソ進み、なんとか無事に部屋にたどり着いた。おそらく劇場の楽屋として使われている部屋だ。
そう言えば、一応はゲスト扱いなので、一番いい楽屋をもらった気がする。
ばたん、と扉を閉める。
「ふう。あー緊張したわ」
「ひやひやモノですね~」
お互いに部屋に入って大きく息をついた。部屋には大きな鏡のついた化粧台とテーブル、ソファなどがあり、家具の配置は私のイメージする楽屋に近かった。予算の都合なのか、経年劣化によるものか壁の一部と天井はコンクリがむき出しで、天井に至っては何やら様々な配管が丸見えだった。
部屋の中には私と音黒ちゃんのキャリーバッグもある。
ああ、泊りだったっけ。交通の便が悪いので、練習も泊まり込みでやるって言ってたような気がする。
「あ! シャワーあったわよね! ちょっと浴びてくる!」
思い出した。いい楽屋にはシャワーが付いているのが当たり前らしく、この楽屋にも小さいが個室シャワーが付いている。アドバイザーの立場でよかった! アドバイザー万歳!
「えー血まみれになるじゃないですか」
「いいでしょ! ちゃんと洗い流すから! もう全身、血がカピカピで耐えらんないの!」
イヤそうな顔をする音黒ちゃんを尻目にシャワーへ直行する。ボロボロで血まみれの服はまとめて脱ぎ捨てる。
三十分以上の時間をかけて血を洗い落とし、殺人現場みたいになったシャワー室をきれいにすること二十分。私はようやく部屋に戻った。
「さっぱりしたわ!」
新しい服に着替えて生まれ変わった気分だ。さっきまで死んでいたので、生まれ変わったとうのは案外、的を得ているのかもしれない。……うまいこと言ってる場合じゃないけど。
音黒ちゃんはソファに座ってスマホを見ながら缶コーヒーを啜っていた。どうせ私のぺっちゃんこになった画像でも見てるんでしょう。
意外なことに音黒ちゃんは私が前に座ったことに気付いて、スマホから顔を上げた。それどころかテーブルに置いてあったもう一本の缶コーヒーを私に投げて寄こした。反射的に受け取ったが、少し驚いた。
「ああ、ありがと」
「いーえ」
いつもなら食い入るようにスマホを見て、物音にも気づかないことが多いのに。
プルタブを引いて、音黒ちゃんチョイスの甘いコーヒーを喉に流し込む。普段はブラック派だが、復活した直後のエネルギー不足状態なので、甘味が染みる。
一息ついてから訊ねる。
「で、今はどういう状況なの?」
「この劇場は孤立していますね。唯一の道が崩落に巻き込まれて封鎖中です」
「あ、そう。まあ、いつものことね。それから?」
「所長が死んでから、丸二日経ってます」
「えっ⁉ 二日⁉ そんなに⁉」
「いや、驚いてますけど、当たり前じゃないですか?」
音黒ちゃんが何言ってるんだ、みたいな表情でこちらを見ている。
「いや、だって、そんなに復活に時間かかることなんて、まぁないわよ? 二日なんて四肢首チョンパされた時以来……あ」
「あの時より、ダメージとしては大きいですからね。四肢首どころか全身バラバラです」
こんな風に、と音黒ちゃんはぺっちゃんこになった肉塊が映し出された画面を見せてきた。
「うげっ」
照明の残骸が邪魔でよく見えないが、それはひどい有様だ。あまり直視したくない。
「正直、もっとかかるんじゃないかって思ってたんですけど、二日で復活しましたね。もしかすると復活の最長時間は二日なのかもしれませんよ」
ふむ。あり得る話なのだろうか。私の復活時間はダメージ量に左右される傾向にあるが、上限は正確に掴んでいるわけじゃない。なんとなくの経験則から復活時間を推定しているに過ぎない。一定のダメージを越えると軒並み二日で固定されるのかもしれない。これは新しい発見だが……別に知らなくてもいいかも。
それにしても二日か。どうりで音黒ちゃんがスマホから顔を上げられるわけだ。この二日の間に散々見返していたんでしょう。
「封鎖は三、四日で解消される見込みらしいですよ。所長が死んだ直後ぐらいに封鎖されたっぽいので、最長であと二日ですね」
「タイミングとしてはいい感じだけど」
「いやー、みんな、封鎖があんまりなタイミングだったんで、所長の怨念が引き起こしたって思ってるっぽいですね。あはは」
「あはは、じゃないわよ」
笑い事じゃない。怨念かどうかはさておいて、私のせいな可能性は高い。死ぬのと現場の孤立化はセットみたいなものだし。
「ちょっと待って。みんなそんな風に思ってるの? 私の怨念だって? もしかして殺人事件なの? 事故かと思ってたんだけど」
「どうでしょ? あたしにはわかんないです」
「しっかりしてよ、助手じゃない」
音黒ちゃんは肩をすくめるばかりだが、これが事件だとするなら話は変わってくる。犯人がいるはずで、私はそいつをのこのこ帰すつもりはない。人様をぺっちゃんこにした報いを受けてもらう。
「私はそういう状況で死んだの?」
「その前に、どのぐらいまで覚えてるんですか?」
私は自分の思い出した記憶を語った。劇のリハーサルを見ていたところまでだ。
「ああ……ということは、一発目の練習までですね。所長が死んだのはそのあとです。クライマックス前のシーンですね」
音黒ちゃんはテーブルに放り出されていた台本をパラパラめくり、こちらに渡してきた。
『シザカの怨念』とタイトルの打たれた台本を受け取る。そう言えば、こんなタイトルだっけ。確か、古い劇場を舞台に、探偵が悪霊と化した被害者から他の人を守る物語だったか。被害者の悪霊は誰が加害者かわからないので、手あたり次第に殺そうとする。探偵はそれを防ぎつつ、真実を探り、犯人を見つけ出すことで悪霊の怒りを収めようとする、そんな話だったはずだ。
ぼんやりと劇の内容を思い出しながら音黒ちゃんから台本を受け取る。そこには探偵が推理に必要な最後のピースを見つけるシーンが書かれていた。一人芝居が続くシーンだ。
「……え。私ここで死んだの? このシーンで?」
「はい」
なんで? 現場は舞台の真ん中だった。そこは探偵役の役者が立ってるはずで、私はそれを舞台袖から見ていただけのはずなのだが。
「もしかして、このシーンで探偵の指導してた? 全然覚えてないけど」
「してません」
「そう? でも、それなら位置的には探偵役がぺっちゃんこになるはずでしょ?」
「そりゃ、所長が探偵役を突き飛ばしたからですよ」
「えっ⁉ なんで私そんなことしたの⁉ 役者が探偵のこと馬鹿にしたとか? いや、そんなことで人様を突き飛ばすほど怒りっぽくないんだけど!」
「いや、そうじゃなくて」
音黒ちゃんは苦笑いとも微笑ともいえない笑みを浮かべながら言った。
「所長は主演の探偵役をかばったんですよ。照明が落ちてきて、誰も声も上げられなかったのに、所長だけが『あぶない!』って叫んで、探偵役に駆け寄って突き飛ばしたんです」
「…………」
「あの時の所長は紛れもなくカッコいい探偵でしたよ」
音黒ちゃんの思わぬ賛辞がひどくこっぱずかしくて、私はちょっとだけ赤面していたと思う。
奇妙な沈黙が一瞬だけあった。私は慌てて口を開いた。
「な、なるほど。私は人命を救ったヒーローってわけね!」
「ま、まあ? その代わりに自分がぺっちゃんこになりましたけどねっ!」
「そ、それは言わなくてもいいでしょ!」
「あそこで、自分も避けられてたら完璧だったんですけどね~」
一瞬前まで私を賛辞していた口で小馬鹿にする音黒ちゃん。音黒ちゃんの頬も微かに赤い気がするが気のせいだろう。まさか、さっきのセリフで照れているわけでもあるまい。私の死にざまを思い出して興奮しているのだろう。きっと。
いや、そういうことにする。なんか恥ずかしいし! 何この感覚! 全身痒くなりそう!
「おっほん! というわけで、所長は演劇のリハの最中に衆人環視のなか圧死したわけです」
「ふーむ。ならやっぱり他の人に姿を見られるのはまずいわね」
ここはもう疑いようのない事実だろう。
「でもあれね。殺人かどうかは判断しにくいわね。正直、この施設は老朽化してるって言ってたし、不慮の事故の可能性もある。仮に殺人だとすると、狙われたのは主役の探偵で、要するに主演でしょ? 演劇の本番控えてるのに、わざわざ主演を殺すかしらね?」
「まーこの劇団で『一番殺されそうランキング』作ったら、ぶっちぎりのトップは主演女優だと思いますけど」
「……そういえばそうだったわね」
音黒ちゃんに言われて思い出した。この劇団のギスギスしたやーな雰囲気を。私のモットーが依頼はきっちりじゃなければ、すぐさまおさらばしたいぐらいには空気が悪かった。これを今まで思い出さなかったのは、たぶん思い出したくもなかったからだろう。
主演女優は確か、押森みの、という女だった。高慢ちきで、鼻持ちならないタイプ。内弁慶というか、仲間内にはかなりきつく当たっていたようで、仲間内では不満が溜まっているようだった。外面はよかったので、私たちには常識人としてふるまっていたが、あれは嫌われるタイプだろう。外野から見れば、こんな小さな劇団であんなにでかい態度を取れるなんて、と思うが、彼女にとっては大切なことなのだろう。
「なんかもうちょっと気持ちよく人を助けたって気分でいたかったな……」
「まあまあ、そんなこと言わずに。主張のやったことは間違いなく人道的に正しいことでしたよ。他の団員の心情的には『何してんだコノヤロー』だったかもしれませんが」
音黒ちゃんが今度こそ完璧に苦笑いで言った。
主演女優の人となりを思い出したところで、他の劇団員を思いさせるだけ思い出してみよう。
まずは監督兼役者一。棒田のびる。ちょび髭に丸眼鏡のうさん臭さが爆発している野郎だ。監督とは名ばかりで、さしたる権力は持っていないらしい。押森の元カレ。
脚本家兼役者二。拝島光。坊主みたいな短髪の女傑だ。全身に妖しい模様の刺青がある。脚本を書くとき調子が悪いと周囲に当たり散らすらしく、その癖は他の団員から辟易されている。棒田の現カノ。
演出家兼役者三。霧城美月。長い黒髪が特徴的で、演出に並々ならぬ拘りがあり、今回私たちを呼びつけた張本人でもある。演出にかかる金の計算を度外視するタイプなので、他の団員からの小言も多い。押森の元カノである。
衣装担当兼役者四。毒島サソリ。名前こそいかついが、小柄なメガネ女子だ。ただ口からは猛烈な毒のある言葉を吐く。一事が万事同じ調子なので、外向きの営業や交渉には絶望的に不向きだという。
小道具担当兼役者五。多田代真治。筋肉もりもり男で、快活そうに見えるだけの根暗で気弱なヘタレだ。前述の毒島と付き合っており、完全に尻に敷かれている。いつぞやの調査で出会った浮気カップルに似た雰囲気があった。
裏方担当。根来寺ゆうき。裏方にするにはもったいないぐらいに顔は整っているが、演技が絶望的に下手くそらしい。本人は役者をやりたがっているらしいが、他の団員からは止められているという。押森の元カレで、演技論で大ゲンカして、こっぴどく振られたという話だ。
最後にドライバー兼役者六。忍カエル。毒島と同じく芸名を名乗っている。けだるげな様子で煙草をふかし続けている金髪女だ。押森の次ぐ役者であり、今回は主演の次に重要な悪霊役を演じている。私が話した限り劇団一の常識者のように感じた。噂好きで、私が得た劇団員の情報は主にこの子から提供されたものだ。
以上、この個性豊かな八名が『劇団ホラーワンド』である。
…………。
爛れてない⁉ 何この相関図! 書くの面倒くさ過ぎるんだけど! これでよく一団としてまとまってるわね⁉ ギスギスじゃない!
忌憚のない正直な意見を言えば、社会不適合者多くない?
いや、まあ、それはウチの事務所も同じか……。ウチはギスついてないけどね⁉ 仲良くやってるはず!
「……むしろ今まで殺人事件が起きなかったのが不思議なぐらいの関係性よね」
「どっろどろでしたもんね。もう所長が起きるまでの二日間、あたしの肩身の狭さと言ったら!」
「いや、それはごめん」
「まあ、みんなして部屋にこもりっきりなうえに、あたしはほとんど所長の傍にいたんで誰とも会ってないんですけど」
「じゃあ、肩身狭くないでしょうが!」
あと、やっぱ現場にいたんだな、こいつ!
……そりゃいるわよね、音黒ちゃんだもんね。
「皆さん遠慮してたのか、全然所長を見に来ませんでしたねぇ。あたしの独占見放題でしたよ」
そりゃまともな感覚があれば、あれを独占見放題したい奴なんていないと思うけど、音黒ちゃんがそれに気づくことはないでしょう。
「さっきも言ったけど、本番控えてるのに、主演を殺すかって話よね。いくらギスギスのドロドロだったとしてもよ? 殺人スイッチってそんなに軽いかしら?」
「軽く殺されてる人間の発言とは思えませんけど……」
「そうなんだけど! 確かに私は軽く殺されているけど! めちゃくちゃ簡単に他人の殺人スイッチ入れちゃうタイプだけど!」
あんまり言いたくないけど、私はもう別枠でしょ?
「あと、わざわざ探偵を呼んでおいて殺人に踏み切るなんてすごい度胸だと思わない? 犯罪が暴かれたりするとか思わないのかしらね」
「でも、こういう本番前だからこそってってのもあるんじゃないですか? あとは探偵を呼んでおいて事故だったっていう証人にするとか。両方ともミステリだと定番な気がします」
「確かにね……ここは現実だけど」
ついでに、私を証人にするつもりだったなら、真実を見逃しそうなダメ探偵と言われているようで不愉快だけども。
「とりあえず、主演女優を殺害する計画だったとして考えてみましょうか」
「好きにすればいいのでは?」
「音黒ちゃんも一緒に考えるのよ!」
「えーあたしもですかぁ」
「劇団員の前に出られないから、音黒ちゃんの情報が頼りなの」
「しょうがないですねぇ。助手として一肌脱ぐとしましょう」
「照明を落として圧死させるという大胆な計画であることを考えると、最も怪しいのは小細工しやすい裏方の根来寺かしらね。動機的にも申し分ないし」
「んー……たぶん半分以上がグルですね」
「なんで⁉」
「だって、所長が死んだ後、全員ガクブルでしたもん。全員っていうか、カエルとマッチョ以外の全員ですけど。あの所長のヒーロー的行動の後、それはそれは大慌てでしたよ?」
「いや、それは慌てるでしょ。他人の圧死爆散死体なんて見せられた日には、慌てもすると思うけど」
「そういう慌て方っていうか、『やばいやばい』とか『こんなことになるなんて』とか言ってた気がします。ぶっちゃけ所長の死体見たさで気はそぞろでしたけど」
音黒ちゃんは照れたように頭に手をやってぺろっと舌を出した。
そんな可愛い仕草する場面とセリフじゃないと思うけど、音黒ちゃんなので仕方ない。そもそもそういう言葉を拾っていたり、その場の様子を覚えているだけでも大したものだ。死体とみれば一点集中な音黒ちゃんだし。
「とかく大慌てです。無事だった主演なんかほったらかしで、かといって所長に近づくこともできないって感じでオロオロしまくりです。所長に駆け寄りたいのに、めっちゃ邪魔でした。そのあと、正気に戻った誰かが救急車呼ぼうとしましたけど、無駄でしたよね! 即死でしたもん」
「いや、心情的には救急車呼びたい気持ちもわかるけど……確かに無駄ね。どっちかっていうと警察」
まあ、誰もかれも、音黒ちゃんもとい、我が事務所の助手たちみたいに死体に慣れているわけじゃない。
「それから確か、カエルが警察呼んだんだと思います。それで、警察から劇場に続く道が崩落してたどり着けないと連絡がありました」
「さっき言ってたやつね。開通にはあと二日ぐらいかかるってやつ」
「そうです。被害者は――所長ですけど――助かりようがないってことで、警察到着まで待機を命じられています。元々泊まり込みの予定でしたから、四日程度なら待機可能だってことみたいです」
「警察になんて説明したもんかしらね……まあ、適当に言いつくろうか」
たっつぁんに連絡してもいいけど、管轄外の地域になるだろうし、力にはなってもらえないだろう。この手の説明は初めてじゃないし、意外となんとかなるものだ。警察にだけ、こっそり生きてる姿を見せて、みんなはパニックになって、私が死んでしまったと勘違いした、とかなんとかで無理やり納得させられる、はずだ。
「とりあえずわかったわ。その八割方の団員が、計画殺人が狂ったという衝撃でオロオロしているように見えたってことね」
「ついでに、封鎖の連絡があったときに、所長の怨念がどうのこうの、みたいな話になりましたよ」
なるほど。さっき言ってた私の怨念がという言葉はここにつながるわけだ。
「んー……その怨念云々が間違って殺してしまったという罪悪感と恐怖から来るセリフと考えると、一応納得できなくもない……」
「これはあたしの私見ですが、この殺人計画に嚙んでいないのは、まず予定被害者であった主演、そして一番反応がフラットだったカエル。そして、殺人なんて計画する度胸もなさそうなマッチョだと思いますね。さっきはカエルとマッチョ以外がガクブルしてたって言いましたけど、マッチョは単純にビビり散らして、卒倒したので震えてなかっただけです」
「あ、そう」
「あたしが殺害計画を立てるなら、あのマッチョだけは外しますね。絶対、挙動不審になってバレちゃいますもん」
「だいぶ私見ね……まあ、間違ってないとは思うけど」
あの多田代って男はそんな感じだ。おぼろげな記憶に頼ってもあの男に重要な計画は話したくない。
「残りのメンバーが計画に加担していると判断するのは、単純にその方が成功率を上げられるからです。監督と演出家は主演を定位置に留め置く役割で、脚本家は主演が一人になるシーンを作り、裏方は照明に細工、衣装は逃げにくいように靴とかに細工を仕込む」
音黒ちゃんは指折り数えながら言った。確かに音黒ちゃんの言う通りだ。
「事実として、所長の死体のそばに靴底だけ落ちてましたし。ほら、これ見えます?」
音黒ちゃんはまたしても私の爆散死体が映った写真を見せてきた。嫌々目を向けると確かに靴底らしき黒い物体が血まみれで転がっていた。
「なるほど。音黒ちゃんにしては鋭い推理ね。見直したわ」
「え⁉ なんかあたしのこと馬鹿にしてません⁉」
「してないって。単純に感心してるだけよ」
「ほんとですかぁ? ……まあ、いいでしょう。ついでに、マッチョとカエルの補足もしておきましょうか?」
「要するにあれでしょ? 二人には役割がないって言いたいんでしょ。あのシーンに小道具は出てきていない。ドライバーという役目は演劇に噛まないってこと。だから計画に不必要な二人でもあった」
「あたしと同じ考えですね」
音黒ちゃんがドヤ顔で言った。
腹立つ顔してるわね。しかし、助手としては大活躍してるわけだし、文句は言いづらい。
「以上があたしの推理ってわけですよ。どうです?」
「状況的にも、関係的にも、計画性においても不備がないように聞こえる」
「ふっはっは。これは九猫探偵事務所が式咲探偵事務所に鞍替えする日も近いかもしれませんね」
音黒ちゃんは笑いながら缶コーヒーを啜った。
「で、どうするつもりなんですか?」
「うーん、どうしようかしらねぇ」
非常に悩ましい部分ではある。心情的には殺人計画に加担した団員を一発ずつぶん殴ってやりたいところだが、姿を現すわけにはいかない。なおかつ、殺人計画という結論は机上のものだ。間違いないように見えるけど、百パーじゃない。
犯人の自白を取ろうにも、私が直接対決できないから難しいだろうし……
「はあ、このモヤモヤはどこにぶつければいいのかしらね……」
甘ったるいコーヒーを啜りつつ嘆息する。
缶をテーブルに置いたとき、さっき広げていた劇の台本が目に入った。
『シザカの怨念』か。怨念ね……
あ、いいこと思いついたかも。
「……むっちゃ悪い顔してますよ」
「ふっふっふ。これからの方針が決まったわ。少し準備は必要だけどね」
「何企んでるんですか……?」
不思議そうな顔をした音黒ちゃんを指さして言った。
「まずは音黒ちゃん」
「はい」
「あなたには死んでもらうわ」
「はい?」
「きゃああああああああああっ‼」
絹を裂くような甲高い悲鳴が楽屋に響き渡る。廊下の扉が次々に空いて、不安げな様子の劇団員たちが顔を覗かせる。
「何、今の」
「悲鳴?」
「どこからだ?」
「奥じゃない? あの……式咲さんの部屋」
劇団員たちは無言で廊下の奥を見やり、顔を見合わせて迷った挙句、集団で移動を始めた。
「式咲さん? あの……大丈夫ですか? 何かありました?」
部屋の扉をノックする。しかし、返事はない。
「式咲さん?」
やはり返事はない。
「お、おい、光、開けてくれよ」
「は⁉ なんであたしが⁉ あんたが開けなよ!」
「女性の部屋の扉を俺が開けられるわけないだろ!」
「一人で来てるわけでもないのに? なんか言われたらあたしが説明してやるよ!」
「棒田くん、いいから開けて!」
「なんで押森に命令されないといけないんだよ!」
「早くして! 何かあったらどうするつもりなの⁉」
劇団員たちは言い争った後、押し切られる形で棒田がドアノブに手をかけた。
「鍵は……かかってない。し、式咲さん? 開けるね……」
ゆっくりと扉が押し開けられる。
「うわああああああああああっ!」
「きゃああああああああああっ!」
全員が悲鳴を上げて後ずさる。
部屋は荒れていた。ソファやテーブルが壁際近くでひっくり返り、キャリーバックも壁際に転がっている。
そして、広く空いた部屋の中央には音黒ちゃんがいた。
天井を走る配管に括りつけられた黒く長い髪の毛のようなもので、首つり状態になった音黒ちゃんがゆらゆら揺れている。
「うわ、うわ」
「なに? なんで?」
部屋に入ることもできずにみんなして、入り口でおろおろと戸惑っている。
「し、式咲さん……」
意を決したように押森と忍が部屋に足を踏み入れようとした瞬間、音黒ちゃんの体が電気ショックを受けたように痙攣し始めた。
「しきざ――」
「ごばっ」
痙攣が止まった次の瞬間、くぐもった水音とともに音黒ちゃんの口から大量の赤い液体が飛び出した。
「うわあああああああ!」
「いやああああああああ!」
二人とも飛び退る。
「なんなんだよ! なんなんだよ!」
バァン!
と何かを叩きつけるような音が廊下の先の方から聞こえた。
「次はなに! 何の音!」
「やばいやばい」
耐えられなくなったのか、根来寺が廊下の先にある自分の部屋に逃げ出した。しかし、彼は部屋に入る直前、盛大な悲鳴を上げてひっくり返った。
「うわっうわあ、やばいやばい! 助けてくれ! 助けて!」
「うるさい! なに⁉」
押森が怒鳴る。しかし、根来寺は要領を得ない言葉を叫びながら這いつくばっている。尋常でないその様子を見て、劇団員たちは根来寺の方へ近寄った。
その足が途中で止まる。根来寺の部屋の扉に視線が集中する。
そしてガタガタを震え始めた。
根来寺の部屋の扉には一面、真っ赤な手形がついてた。
「な、なに……?」
「う、嘘だろ……」
「な、なんで……?」
棒田と霧城が呆然と呟く。
「根来寺! ふざけた真似すんな! 何の冗談⁉ ほんっとうに馬鹿ね!」
毒島が毒を吐きながら這ったままの根来寺の掴みかかった。
「俺じゃない、俺じゃない! 俺がこんなことするわけないだろうが!」
悲痛な叫びが響き渡る。
「黙れ!」
「うるさい!」
誰かの怒号響き、一瞬だけ静寂が訪れた。その隙を狙ったかのようにするはずのない音がした。
彼らの背後から「ぱしゃん」という小さな水音がした。
全員が硬直する。そして、ゆっくりと示し合わせたかのように全員が振り返った。
彼らの背後の廊下はどこからか流れてきた赤い液体で染まっていて、その中に人の手らしきものがぽつんと置かれていた。
「うわあああああああ!」
「いやああああああああ!」
今度こそ、全員が絶叫して我先にと逃げ出した。
「え……マジなの? 夢見てる?」
「夢なわけあるか!」
「ははは……ほ、ホン通りじゃないか! 私が書いた脚本だってか⁉」
「美月! ふざけんな! そんなわけないでしょ! この脚本馬鹿が! あんたのあれはフィクション! これは現実なのよ!」
彼らは逃げだした後、何度か赤い液体に行く手を阻まれ、一番訪れたくなかったであろう劇場の舞台に追い詰められていた。彼らは舞台の奥で固まり、冷や汗をかき、涙でぐちゃぐちゃになりながら言い争っている。彼らが決して視線を向けない舞台の真ん中には赤黒い染みとひしゃげた照明の残骸が転がっている。
「現実だって⁉ お前こそ現実を見ろ! どう考えても異常なことが起きてる! まるでまるで……あの悪霊がいるみたいだろうが!」
「やめてってば! 探偵さんが悪霊になったって言いたいわけ⁉」
「冗談は刺青だけしなよ、光! そんなことはあり得ない!」
「あんただって逃げ出したくせに! ありえないってんなら今すぐ何とかしてよ!」
「あたしにどうしろっていうんだ!」
ほとんど全員が支離滅裂に言い争っている。
探偵が死んだあと、異常なことが起こっている。まるで彼らが演じるはずだった演劇のように。
「ああ、式咲さんがふざけてるんだ、きっとそうだ!」
「現実逃避しないで! しっかりしてよ、のびる!」
「うるさいっ! 式咲さんがふざけてるに決まってる。悪霊なんているわけない!」
「うるさいのはどっち⁉」
「無理だ。あの部屋見ただろ、棒田。あれは一人でできる芸当じゃない。どう考えても殺されている」
忍が震える手で煙草をふかす。
「どうして式咲さんが殺されなきゃならないわけ⁉」
押森が周囲を見回しながら叫んだ。
「それに探偵さんが悪霊になる理由なんてある⁉ 事故でしょ⁉ 万が一悪霊だとしてよ? 助手の彼女が殺される理由ないでしょ⁉ そもそもなんで悪霊前提なの⁉」
押森が恐怖に負けずに、至極まっとうな意見を出すが、周りの団員は目を合わせようとしない。
そんな中、根来寺がうずくまってひたすら手を合わせていた。
「ごめんなさいごめんなさい。俺じゃないんです、俺じゃないんです。俺を狙わないでください」
「おい、真治! お前だけ許してもらうつもりか!」
「……いや、なんかおかしくない? あんたたち、何か隠してるんじゃないでしょうね! このわたしを差し置いて何を隠してるの⁉ ふざけたことばっかり言って!」
押森がきつい言葉を吐くが、団員は口をつぐむ。
「あんたらアレが事故じゃないなんて言わないわよね? まさか、探偵さんを殺したんじゃないでしょうね……いや、ちょっと待って……あの状況……」
団員を詰めていた押森が黙り込み、目が見開かれる。
「ちょっと待って……まさか、わたしを殺すつもりだった?」
棒田、拝島、霧城、毒島が露骨に目をそらす。根来寺も急に黙り込んだ。多田代は呆然と宙を見つめ、忍が顔を上げて団員を見やった。誰も何も言わなかったが、あまりにも態度が雄弁に真実を語っていた。
「マジか、あんたら。本気でわたしを殺すつもりだったわけ? このわたしを⁉ この劇団を支えてるわたしを⁉」
「どこが支えてるんだ⁉ てめぇなんか、でかい態度で威張り散らしてるだけだろうがよ! 死んで当然だ‼」
「ちょっと美人だからって、いっつも調子に乗って!」
「むかつくんだよ!」
「あんたらっ……好き勝手言いやがって! 大根役者どものひがみでしかないじゃない! 劇団なのよ⁉ 一番演技がうまいやつが一番偉いに決まってるでしょうが!」
「そういうとこがむかつくんだよ!」
「ハッ! 実力ないから吠えるだけじゃない! ああ、そりゃ、あんたらあの探偵に殺されるわ! あんたらのクソみたいな計画に巻き込まれてとばっちりで死んだんだもんね! あんたらには恨み骨髄でしょうよ! なーるほど! どうりでビビり散らしてるわけね! 悪霊前提で話してる意味がわかったわ! クソ野郎ども!」
「お前も一緒だろうが! あの探偵さんはお前も恨んでるよ。お前だけが助かったんだから!」
「はあ⁉ それはあいつが勝手にやったことでしょ! 頼んでないわよ!」
「ほらみろ。助けてもらったのに感謝するどころか暴言吐く始末だもんな! 助ける価値のないやつだったって後悔してるだろうよ!」
突然、劇場の扉が『バン!』と叩かれた。全員がびくっと震えて黙り込む。音はそれ以上鳴らなかった。
「あの人はもう無差別に殺すつもりよ……助手から殺してるんだから」
誰かが震える声で言う。いつの間にか、探偵の悪霊が音黒ちゃんを殺したことが確定しているし、全員がターゲットなのだと思い込んでいるようだった。
「……だからやめようって言ったのに!」
「言ってねぇだろうが! 自分だけ逃れるつもりかよ!」
「クソどもが罪の擦り付け合いだなんてお笑いだわ!」
「もとはと言えばお前のせいで――!」
あまりにも醜い言い争いが繰り広げられる。
もうこの辺でいいでしょう。
私は、探偵の悪霊役を放棄して、こっそりと座席の中央に移動している音黒ちゃんに合図を送った。
「はい!」
ぱちん、と手を打つ音がして、音黒ちゃんが立ち上がった。舞台上で罵り合っている団員たちが呆けた顔で音黒ちゃんを見つめている。
「皆様! 自白ご苦労さまです! 残りの言い争いは警察でゆっくりどうぞ! これにて『式咲劇場、探偵の怨念』は上演終了です!」
状況を呑み込めていなさそうな団員を無視して、音黒ちゃんは優雅に腰を折った。
遠くからパトカーのサイレンが聞こえてきていた。
というわけで、ことの顛末だけ説明しておこう。
いかがだっただろうか。九猫夜美プロデュース『シザカの怨念――探偵バージョン』は。
要するに私は、彼らの演劇の内容を利用して恐怖による自白を目論んだわけだ。ついでに物理ではぶん殴れない代わりに、恐怖で精神的にぶん殴ってやろうという目論見もあった。結果としては大成功と言っていいだろう。彼らはあっさりと自白したし、泣き叫んでいたので十分な恐怖も与えたと思う。音黒ちゃんの推理はおおむね正しいと思っていたので、彼らが罪悪感や恐怖を感じているであろうことは容易に想像できた。なので、それを増幅する方向にもっていこうと考えたわけである。
準備には半日ほど費やした。といっても彼らが使う小道具がほったらかしになっていたので、血糊や人体のパーツなどの準備には困らなかった。自らが用意した小道具にあれだけビビっていたことになるが、それは彼らの罪悪感のなせる業だろう。
もちろん、音黒ちゃんの首つり死体は偽物である。
音黒ちゃんを被害者役に選んだ理由は単純。他の誰にも死体の振りなんて頼めなかっただけだ。被害者を無差別に選んでいるという意味付けもあるにはあったが、死体を演出するのは音黒ちゃんしかいなかった。
細かいところなんて見られないだろうと思ったので、音黒ちゃんの腰と両脇に輪っかしたロープを通して、背中の襟口からロープを出し、天井の配管に括りつけていた。ロープのカモフラにカツラの小道具を使った。自殺に見えないように家具を壁際に寄せて、私が足場を片付け、音黒ちゃんを宙ぶらりんにした後、部屋を出る。その後、音黒ちゃんが盛大な悲鳴を上げてあの状況になったのである。
音黒ちゃんは吐血の演出を嫌がったが、恐怖感を増すためにやってもらった。血糊を口に含むのが嫌というよりは、首吊りで頸部が絞められて、気管も食道も閉塞してるはずだ、血は吐けないはずだ、という死体マニアとしてのプライドで嫌がっていただけだったけど。
私は彼らが音黒ちゃんに釘付けになっている間に団員に気付かれないように扉に手形を付け、音を立てたりした。彼らが移動して、音黒ちゃんが自由になるので、次は彼女がこっそりと廊下に血糊を撒き、小道具の手首を放り投げる。
あとは適当に追い詰めて、十分にビビらせて自白を得た後、種明かし、というわけである。
あの時はタイミングよく警察も到着したので、寸劇は終了したってわけ。
まあ、警察が来てからも大変だったけど……押森がかつての仲間を殺人犯と吐き捨てて、警察の前で数悶着あった。乱闘騒ぎにまで発展しかけたので、劇団員は全員まとめて警察署に連行された。おかげで彼らの前に姿を現さずに済んだ。
手錠をかけられて、連れていかれる彼らを音黒ちゃんが見ていたらしいのだが、最後にこんな会話をしたという。
「……結局、悪霊騒ぎはあなたの仕業だったんですよね」
「はい。所長の無念を晴らそうと思ったので」
「俺らが怪しいって思ってたってことですか」
「一応、探偵助手なので」
「はは……探偵なんて呼ぶんじゃなかった。誰か部外者がいた方が事故ってことに説得力が出ると思ったけど……」
「探偵を甘く見ましたね」
「でも、ほっとしてる自分たちがいます」
「全部、式咲さんが仕掛けたことだってわかってホッとしました。方法は思いつきませんけど」
「まあ、そうですね。企業秘密ということにしておきましょう。首吊りのフリも、廊下の血糊も、手首も全部あたしの仕掛けです」
「……部屋の扉の手形は?」
「手形……? あたしはそんなことしてませんけど……(迫真の表情)」
連れて行かれながら見事に青ざめる劇団員は見ものだったらしい。
「いい性格してるわ……」
私がそう言うと音黒ちゃんはぺろっと舌を出して笑っていた。
「えーでも、嘘は言ってないんですよ? 手形は所長が付けたので、あたしはやってないですもん」
「そうだけど、最後にトドメさしたわね」
そんなこんなで、彼らの殺人計画の詳細な事実や動機は後ほど明らかになるだろう。それを詳しく知るすべはもうないけれど。
そして私の方は、警察の聴取が死ぬほど面倒だったけど、何とか乗り切った。もう詳しく語る気力もないぐらいに面倒だった。
警察は現場の血痕と元気ハツラツな私を見比べて、しきりに首を捻っていたが、軽傷だったで押し切った。劇団員たちは私を殺してしまったと思い込み、錯乱していたとして、姿を現せなかった、しかし、押森を狙っての殺人があったのではないかと推理したため、一芝居打った。と強引に納得させた。
まあ、納得していなさそうだったが、現に私はピンシャンしているので、それ以上、警察には疑いようがない。
最終的に警察がどんな判断を下すのかは知る由もないが、劇団員は殺人罪ではなく、殺人未遂で決着がつくのだろう。私が生きている以上、結果として誰も死んでおらず、残った罪は押森に対する未遂だけになるからね。
腹の底から納得できる結末ではないけれど、これも運命と思うしかない。この体質ではままあることだ。
「はーあ……面倒な仕事になったわね~」
「もう終わったじゃないですか」
長らく続いた事情聴取から解放され、音黒ちゃんの運転での帰宅途中である。
「まあね」
「しかし、あたしの演技も捨てたもんじゃないですね」
「確かに、いい死体役だったわよ」
「吐血の演出はまだ納得できませんが、確かに恐怖感にはつながると認めざる負えません」
「いい案だったでしょ? あれだけ盛大に血を吐けば、近寄られる心配もないってわけよ」
音黒ちゃんの死体役への気合の入りようは結構すごかった。流石は音黒ちゃんだ。と、一応、褒めておこう。
「でも、今回は依頼料が前払いだったのはラッキーでしたね。後払いだったら所長が死んだせいで、もらい損ねるとこでしたよ」
「死んだとこを見られてなきゃよかったんだけどね。なら治療費とかでもう少し分捕れたのに」
「あたしは所長の新たな死体を見られたんで大満足です!」
「あ、そう」
「また気のない返事を~。帰るまでに時間ありますし、ちょっと聞いてくださいよ」
「ぐーぐー」
「寝たふり下手くそ過ぎません⁉」
運転席で酔狂な助手が叫んでいるが、私は狸寝入りを続けた。
まったく。死ぬ瞬間を大勢に見られると、ほとんど今回の事件みたいになってしまう。これじゃミステリじゃなくてホラーだ。別にホラーも嫌いじゃないけど、自分がホラーな存在として扱われるのは、ちょっと納得いかない。こんな摩訶不思議体質を持っていてもだ。
私がなりたいのは名探偵であって、名ゾンビじゃないのである。
次こそ、死なずに事件を解決して見せるから!