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7.探偵には届かない事件もある

「あ痛ぁっ!」

 ばっと体を起こそうとすると、何故か目の前が真っ暗で、しかもうまく起き上がれずにもう一度後ろに倒れてしまった。そして後頭部を強打しての悲鳴である。

 なに、何がどうなってるの?

 状況がさっぱりわからない。

 一旦、落ち着こう。状況がよくわからないことなんて、悲しいがよくあることなのだから。

 そう自分に言い聞かせて深呼吸を一回。状況を整理しよう。

「ふう」

 ひとつ。私は死んでいた。

 ふたつ。何か袋のようなものにくるまれている。

 みっつ。たぶん、車に乗せられている。

 まず死んでいたことについて。

 これは間違いない。かなり血の臭いがするし、いつも通りこうなった記憶が全くない。この金臭さと記憶のぶっ飛び具合は絶対にいつものあれだ。

 袋にくるまれていることについて。

 かなり分厚い袋だ。光がほとんど入ってこないので、目の前が真っ暗だ。肌ざわりもよくないうえに、空間に余裕はなく、ほんの少し腕を広げられる程度。足先もあまり余裕はない。

 そして最後に車について。

 たぶん、この振動とエンジン音は車だろう。いや、これについてはあまり確証が持てないが、時折止まるのも信号に捕まっているからではないだろうか。

 はて、どういう状況だ?

 叫んでみる?

 ……微妙だ。脳裏をよぎる不吉な考えが的中していた場合、叫ぶのは得策ではない気がする。

 もう少し様子を見た方がいい。

 車だと思うが、これは九猫探偵事務所のワンボックスじゃない。血の臭いが充満していてもわかる、他人の車の臭いだ。

 仮に私の鼻がイカれていて、これが九猫号だったとするならば、ほぼ間違いなく音黒ちゃんか笑君が私をのぞき込んでいるはずだ。あの二人が私の死体を袋に包むわけがない。必ず見ている。凝視しているに決まってる。

 死体を乗せた、他人の車。

 それも袋詰めの死体を乗せた車。

 まともなはずがない。そもそも死体を袋に詰めて、車で運搬するなんて状況がそうはない。

 …………。

 これ、やっぱり、あれよね……。

 私、殺されて袋詰めにされて、どこかに捨てられる途中よね!

 やばっ‼



「なんか聞こえなかったか? 後ろから」

「勘弁してくださいよ。後ろにはアレしかないんですけど!」

 微かに声が聞こえる。知らない男の声が二人分。二人とも結構若そうだ。二つ目の声なんて少年みたいに甲高い気がする。

 うぐぐ。最悪のシナリオを補強する要素じゃない。

 なんでこんな目に?

 ちょっと待って。しっかり思い出すのよ、九猫(ここねこ)夜美(よみ)。死んだ影響で記憶が飛んだなんて言ってる場合じゃないから。何としてでもできる限り思い出すのよ。

 私の憶えている限り、十日ほど前に依頼を一つ受けた。息子が最近、夜な夜などこかで出かけることが増えた、という婦人からの依頼だった。

 いい年こいた大人の息子(三十代)だったので、好きにさせてやれ、と思ったが、仕事は仕事。他に調査を抱えていなかった私がその案件を担当することになった。

 結論から言えば、息子は何も後ろ暗いことはしていなかった。一週間ほどかけて尾行したが、犯罪がらみのことは何もない。違法なギャンブルや援助交際なんかも疑っていたわけだが、いたってクリーンな人間だった。夜な夜な出かける理由はしごくシンプル。どうやら夜釣りにはまっているらしく、単純に釣りをしていただけだった。

 どうして母親に言わなかったのかは推測するしかないが、どうにもあの母親は束縛が強いタイプで、毒親と吐き捨てる程でもないが、弱毒ぐらいの親っぽい感じだったから仕方ないのかもしれない。まあ、その辺はどうでもいい。

 そして、問題はここからだ。

 私はこの依頼を今日終わらせるつもりだった。周期的に息子が夜釣りに行くのは今晩のはずだったので、それを確認して最終報告をあげるつもりだった。

 夜釣りポイントは工業地帯の中にある埠頭の一つだった。釣りバカ息子はいつものように釣り糸を垂らしていたわけだが………。

 そうだ。変な三人組が居たんだ。徐々に増えてそれなりに大所帯になっていた。

 ちょっとずつ思い出してきた。

 いつものように結構な距離から釣りバカ息子を観察していたのだが、それとは全く関係ない一団がいた。なんか頭の悪そうな、ヤクザの下っ端にも成り切れないようなヤンキー崩れの集団が。それも同じような二グループが向かい合い、こそこそした、明らかになにかよからぬことを企んでいそうな動きを見せていた。私は仮にも尾行中だったので、物陰から辺りを観察していたので、アホ集団はこちらに気づいた様子はなかった。

 ……なんか、小袋を受け渡していたような記憶が微かにある。

 ああ……ダメだ。ここから先の記憶が完全にない。復活の記憶喪失がこの辺から始まっている。

 ……まあ、状況を推察するに、あのアホ集団の違法な取引をはからずも目撃してしまったせいで、こうなっているんだろう。

 あんなアホ集団に殺されたと思うと恥ずかしくて死にそうになるが、事実として(たぶん)殺されたのだから仕方ない。たぶん、見回りの人間でもいたんでしょう。

 で、後ろから殴られたかなにかして、殺された。

 後頭部が固まった血でごわごわしている感覚があるので、後頭部をガツンとやられている。袋詰めで暗いし、ちゃんと確認できないけど、この感覚はよく知っているから間違いない。

 はあ。

 まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。単純な素行調査のはずだったのに、突然死体になり果てるなんて。突発的に死ぬことが日常茶飯事とはいえ、これはあまりにも想定外だ。

 いつにも増して状況がわからない。

 というか、今何時かしら?

 ええい、推理するのよ! 私は探偵なんだから!

 確か、釣りバカ息子が釣りを始めたのが十九時頃。そこから一時間ぐらい観察したあとに半グレ集団に気づいたので、殺されたのが二十時前後なはず。

 頭部撲殺の復活時間はおおよそ四時間。最速で三時間、最長で六時間ほど――爆速なら二時間もあるが、レアケースなので一旦わきに置く――なので、二十三時から二時ぐらいになるわけだが……幅がありすぎる。

 二十三時なら尾行を継続していてもおかしい時間じゃないけど、二時なら流石に釣りも終えてるはずで、私も事務所に帰っているはずだ。それなら音黒(ねくろ)ちゃんが異常に気付いているかもしれない。

 ぐーすか寝てる可能性もあるけど。

 あ、そういえば腕時計してるわ。

 くそっ、起きたばっかりだと頭がうまく働かないわね。

 狭い袋のなかで、何とか腕を動かして腕時計を顔の前に持ってきたが、暗くて針がよく見えない。ぼんやりと零時か、一時ぐらいのような気がするが。

 と。そこで、お尻の下の異物感に気づいた。ケツポケットに何か入ってる。顔の前に時計を持ってこようと動いたおかげだ。

 四苦八苦しながらなんとか手に握ってみる。

 薄い板。

 スマホだ!

 手探り電源ボタンを押す。

 普通に電源が入った。釣りバカ息子を尾行するのに明かりがつかないように電源を落としていたのだが、壊れていないようだ。

 杜撰ね!

 改めて半グレ集団の歪さを実感した。

 普通、壊すでしょ? 少なくとも現代人の大半はこの電子機器を携帯しているわけで、これはやたら滅多に情報が詰まっているものだ。仮に私が誰かを殺して、その死体を処理するとなったら確実にスマホはバキバキに壊しておくが、あいつらはそうではないらしい。

 そこまで頭が回らなかったのか、単に気づかなかっただけか、はたまた死体に触りたくなかっただけか、その辺はよくわからないが、こちらとしてはめっけものだ。

 まあ、半グレ集団としては死体がスマホを触るなんて想定外もいいとこだろうけれど。本来なら死体と一緒に入れていたスマホが、使われることなんてあるわけないのだ。

 しかし、これで状況は変えられる。

 まずは画面の光量を限界まで落とす。外からこの袋を見たとき、光が漏れるかもしれない。そしてちゃんとサイレントになっているか確かめる。そしてGPS機能をオン。とりあえず位置情報を確認しよう。ついでに現在時刻もわかってしまった。一時十二分。予測の範囲内だ。

 よしよし、ちゃんと推理できてるぞ。

 連絡用のSNSを確認すると音黒ちゃんから連絡が入っていた。

『まだ仕事中ですか? 所長の決済ほしいやつあるんですけど』

『未読スルー』

『え? 本当に大丈夫ですか?』

 時間をおいて何度か連絡がある。一応、心配してくれているらしい。

『まさか、死んでるのでは⁉』

 うん。いつもの音黒ちゃんだ。少し心配していたのだが、どうやら無事っぽい。

『ちょっと面倒に巻き込まれた。通話はダメ。連絡は文字で』

 音黒ちゃんが夜更かししているなら起きているかもしれない時刻だ。残りの二人は寝ているかもしれないが、一応連絡は入れておこう。音黒ちゃんにもう一度連絡。

『グループの方に連絡して』

 見ているかどうかわからないが、グループの方へ状況を送っておこう。正直に言えば、誰かの助けがめちゃくちゃほしい。

『通話はなし。文字で。緊急事態』

『訳あって殺された。そんで、今起きた』

『アホ』

 影丸(かげまる)! 起きてたのね! 開口一番に憎まれ口とはいかにもだが、今はそれすら嬉しい気分だ!

『推定だけど、今、袋詰めにされて車で運ばれてる』

『何やってんだ』

『好きでやってんじゃないわよ』

『おやすみ』

『おい!』

『で、どこへ向かってる?』

 位置情報を再確認。現在は布目津市(ふめつし)だった。私が事務所を構える符師市(ふしし)の隣の市で、これと言って特徴のない地方自治体だ。ついさっき確認したのと合わせて、進行方向から目的地は獄卒山(ごくそつやま)だろう。布目津市と他県の境界となる山々の一つだ。あの埠頭からは北東に二十キロほど。死体が山ほど埋まってるとかいう地域限定のホラ話がついて回っている不吉な山でもある。

『方向的には獄卒山』

『死体処理か?』

『たぶん』

『ちょっと所長! なに勝手に死んじゃってるんですか‼ あたしの隣で死んでください‼』

 音黒ちゃんがルームに入ってきた。そして変わらぬ狂人ぶりを発揮している。しかし、今はそれを許そう。どうやらちゃんと無事みたいだし、正直、この半グレ集団に居場所がばれているんじゃないかと心配していたのだ。まあ、杜撰グループのようだし、八割方は大丈夫だと踏んでいたのだが。

『後で謝るから。今は押さえて。マジでふざけてる場合じゃないのよ』

 私はとりあえず、推察できる状況を長々とした文章で送り付けた。そして、一応、身の安全を確保するように注意を促す。特に事務所に住んでる音黒ちゃん当てに。

 ビビりすぎかもしれないが、用心するに越したことはない。私が探偵である証明書なんてないし、尾行時には名刺すらも持ち歩かないようにしている(こんなことがあるかもしれないからだ)ので、半グレ集団に私の職業はばれていないはず。財布ぐらいは見られて免許証とかで名前は確認されたかもしれないが、他は大丈夫なはずだ。スマホはパスワード解除だし(指紋認証だと死体になった直後なら開けられる恐れがある)メッセージの新着具合からも開けられた形跡はない。

 しかし、こんな場合は大丈夫だと思っていても最悪を想定するべきだと、私は考えている。音黒ちゃんたちが怪我をするのはダメだ。ましてや死んだりなんてもってのほか。

『はーい。一応注意しときます。事務所の警報器スイッチ入れますね』

『で、どうするつもりだ?』

 少し間をおいて二人から連絡があった。

 (しょう)君からは何の反応もない。まあ、彼は寝てるでしょう。早寝遅起きタイプだし。

『とりあえず、起きててもらえたらいい。時間外労働だけど』

『残業代は弾めよ』

『わかってるわよ』

『起きてるだけでいいんですか?』

『今のところはね』

『迎えに行きます?』

 ありがたい申し出だが、避けた方がいい。

『ダメ。危険すぎる。とりあえず、たっつぁんに一報入れといて』

(たつ)さん使う気か?』

『警察を頼った方がいいに決まってるでしょ』

 こんな状況だ。死体遺棄……ではなく誘拐になるのか。私が生き返ったから、傍から見れば誘拐後の殺人未遂になるだろう。いつもと違って私が生き返ったことにより、人道的にも警察が動きやすい状況だ。いつもは『殺人』が『軽微な傷害』になるわけだが、今回は『死体遺棄』から『誘拐』だ。流石に、人命第一で警察なら全力で助けてくれるだろう。

『仕方ない。龍さんに連絡しておく』

『所長のスマホ、こっちでもGPSで追跡できましたよ。今PCで見てます』

 音黒ちゃんが事務所のPCを立ち上げたようだ。こんなこともあろうかと、このへんの準備は万全だ。私は死なないように全力を尽くしているつもりだが、もはや死は復活とワンセットになった私の癖のようなものだ。なので、死んだ後の対策にも全力を尽くしている。

『監視しておいて。できたらたっつぁんにも情報共有して』

『了解です』

 ゾンビが敬礼をしているスタンプが飛んできた。そんな場合でもないが、こんなのってどこで売ってるの? という疑問が頭をよぎる。

『龍さんに連絡が取れた。向こうでも動いてくれるそうだ。あと、こっちからも110当番通報しろ、とさ。あと、俺も事務所へ向かう。どうせ警察が来るから事務所で話した方がやりやすいだろう』

『影丸先輩が来るなら、半グレ集団じゃないことをたしかめるために合言葉でも決めときますか? 私が死体って言うので、最高って言ってください』

『黙れって言うわ。あと、九猫』

『何?』

『お前は式咲(しきざき)にもう一度状況を書いて送っとけ。それを警察への情報として提出する』

 確かに110当番通報すれば、警察は状況を聞きに事務所に来るだろう。そして、私からのSOSを確かめるために会話を確認する。見せるための会話を作っておこうということだろう。流石に、このグループの会話を見せるわけにはいかない。死んで起きたとか言ってるし。

『わかった。じゃあ、影丸、そっちもお願いね。弾むから』

『はいはい。じゃあ、少し外すぞ』

 文句を言われる前に牽制すると、影丸は意外にも大人しく指示に従ってくれた。あいつの口車のうまさなら状況は正確に伝えられるだろう。

『じゃあ、音黒ちゃんも今から提出用のヤツ送るから適当に相槌打ってね』

『委細承知です♡』

 今度は骸骨が敬礼している。いつものことだが、毎回微妙に違う。なんでこんなに種類あるわけ?

 ……自作してるのかな?



 警察に提出する用の会話を音黒ちゃんとやり取りした後、一旦会話を終了し、状況の確認を再開した。

 とは言っても、せいぜい聞き耳を立てるぐらいしかないのだが。

 しかし、運転手たちの声は大して聞こえなかった。全然わからないが、お通夜みたいに沈んだ雰囲気を感じる。先ほど一瞬聞こえた会話のあとから垂れ流されているラジオだけが微かに聞こえてくるだけだ。まあ、彼らからすれば死体を運んでいる最中なのだから、楽しい雰囲気になれというのも酷な話だろうが。

 袋詰めなので状況がわかりにくいが、たぶん私が乗っているのは運転席および助手席と後部が仕切られたタイプ。背中にあたる固い感じからすると座席は全部外されて、完全に荷物だけを積み込むように改造されていると思う。

 固い床にしばらく寝転がっているせいで背中が痛くてしょうがない。袋に包まれていると判断出来ている今、体を起こしたり、寝返りを打つこともできるが、運転席との仕切りにのぞき窓ぐらいあるかもしれない。流石に死体袋が起き上がっているのが見られたら、目も当てられない騒ぎになるだろう。最悪事故るかもしれない。この前事故死したばっかりだ。それは勘弁してほしい。

 密かな作戦会議の最中も車はどんどん進んでいて、いつのまにかGPSを見れば獄卒山近くまで来ていた。

 ぐいん、と遠心力を感じ、あ、曲がったと思った次の瞬間、脛の辺りに何か落ちてきた。固い棒だ。

 ガツン! ガシャン!

「ぅぅン!」

 とっさのことで、何とか絶叫はかみ殺したが、うめき声が漏れた。動くな、叫ぶな、動くな。痛かろうが動いたらだめだ。

 だ、大丈夫だ。何か倒れた音もしたからうめき声はまぎれたはずだ。

「……何か聞こえなかったか?」

「だからやめてくださいよ! シャベルとか倒れた音でしょ⁉」

 久しぶりに犯人どもの声がした。なるほど、私の弁慶の泣き所を打ち据えたのはシャベルか。死体の穴掘り用かな? 人力で死体を隠せるほどの穴を掘るのは絶望的に難しいらしいが。

「はあ~もう、なんでこんなことに……」

「…………」

「なんで俺たちがこんなことしなくちゃいけないんですか」

「運がなかったな……」

「アレの処理をじゃんけんで決めるとかトチ狂ってますよ……」

 今までのだんまりが相当たまっていたのか、運転席に座っているであろう若い方の愚痴が止まらない。

「もう最悪ですよ。絶対やばいじゃないですか。絶対やばい」

「ちょっとは落ち着け!」

「無理でしょ! ばれたら終わりですよ! 薬だけじゃなくて殺人まであるとか終わりです!」

「うるせぇな。これだから新入りは……」

葉白(はじろ)さん、絶対安全だって言ってたのに、なんで取引現場に変な女がいるんですか」

「こっちに言われても知るか! ハイリターンな取引にはイレギュラーはつきものだろ」

 うーん、やはりというか、本物のやばい組織とかじゃなさそうな雰囲気ね。ハイリターンな取引うんぬん言ってる時点で、計画性を疑う。ハイリターンはハイリスクだ。それをちゃんと理解しないでぎゃいぎゃい喚いてる時点で三流だろう。

 まあ、本物のやばい組織なんてあったことないけど……。

 私が求めているのは本格ミステリであって、ハードボイルドやサスペンスではないのだ。かといって安っぽいホラーも勘弁願いたい。

 さてさて。ここからどうしたものだろう?

 推測が正しければ――十中八九、正しいだろうが、私はこれから山のどこかに埋められるだろう。人気のない場所に連れて行かれ、あの二人があくせく掘った墓穴に放り込まれる。

 どこで逃げ出すのがベストか。

 単純に考えれば穴を掘っている時だ。間違いなく二人がかりで掘るだろうし、その間、死体に見張りなどつけるはずもない。おそらく車の中に放置されるだろう。あのビビりようじゃ、あえて死体を横に置いて穴なんて掘らないだろうし。監視の目さえなくなれば何とか袋から出ることもできるはずだ。さっきスマホの灯りで袋のチャックらしきものが見えた。頑張れば内からでも開けられると思う。

 あいつらが穴を掘り始めたらこっそりと袋から脱出する。

 そして、この後、いくつか選択肢が存在する。

 1、全力で逃げ出す。

 1-A 自分の足で逃げる。

 1-B 車を強奪する。

 2、二人組をボコす。

 逃げる選択肢もなくはないが、かなりハードルは高い。車で入り込んだ山道を徒歩で逃げ切れるとは思えないし、夜の山に突撃して遭難なんてことになったら目も当てられない。車を強奪するのもリスキーだ。車の鍵が車内にあればいいが、たぶん持って出るだろうし、車からそこまで遠くへ行くとも思えない。

 ……今回は二番目がいいだろう。

 いや、恨みつらみでボコボコにするわけじゃない。確かにちょっとはその気持ちがないわけじゃないが、今後の安全を考えた上だ。

 ここで二人組を叩きのめし、お仲間をお縄につけなければ、安心できない。一定の暴力集団は一撃で壊滅させる必要がある。報復があったら面倒だし。

 警察が動いてくれているはずだし、あいつらを行動不能にして警察の迎えを待てばいい。

 運転席からは未だにぶつくさ文句が聞こえてくるが、声が小さくなって今一つ何を言ってるのかわからない。まあ、さしたる情報でもないだろうけど。

 ぶつぶつ呟く文句に我慢が限界に達したらしい助手席の男が怒鳴った。

「いい加減しつこいぞ、ヤス!」

「だってぇ……ケンさん怖くないんですかぁ」

「安心しろ。あの女が死んだのは誰も知らないし、俺たちがうまくやりゃ見つかることなんてない。葉白さんの計画は間違いない」

 なるほど。運転席の男は『ヤス』。助手席が『ケン』。そしてグループのボス格が『ハジロ』という奴らしい。さっきも同じ名前が出てきたし、上の人間なのは間違いないだろう。偽名かもしれないが、一応、情報として覚えておこう。

 それを最後に車内はまたラジオの音だけになった。暗い雰囲気の中で妙に明るい深夜ラジオが微かに聞こえて、居心地が悪いことこの上ない。

 まあ、居心地が悪いのは固い床に転がされているせいもあるが。

 なんてね。……はあ、ふざけたことでも考えないと、疲れてくるわね。

 車はどんどん進み、道は車酔いが恐ろしくなるぐらいに曲がりくねり始めた。さっきから振動もすごくて、体が跳ね回る。

 舗装された道路から外れ、オフロードという名の山道を進んでいるのだろう。

 しかし、ここへ来て疑問が一つ。

 車酔いを避けるためにも私は思考を深めた。

 果たして、こいつらに目的地があるのだろうか。

 私は死体を埋めると簡単に考えていたが、いざ、死体を山に埋めようとしたところで、そううまく場所を思いつけるのだろうか。普通ならそうはならない気がする。

 行き当たりばったりで山に来ているだけ?

 それにしては車の運転に迷いがない。私が起きてから、車内では行先の相談もされていない。ということは明確な目的地があると考える方が自然だが……。

 カーナビがあったとしても、死体を埋めるための場所に目星がついている? それか何度も行ったことがある場所があるのか。しかし、それにしては運転手にしろ助手席にしろ、ビビりすぎている。何度も処理を経験しているとは思えない。

 まあ、場所については、半グレ集団の共通認識なのだと考えればおかしくはない。

 だとすれば、この二人は死体の処理が初めてに近い状態なのだとしても、半グレ集団で考えた場合、死体処理を何度か経験していることになる。

 ……これはまずいかも。

 小馬鹿にしていたが、思った以上に危険な集団の可能性が出てきた。三流が故の無鉄砲さと、集団心理による猪突猛進さ。加えて暴力への抵抗のなさ。

 始末に負えないタイプの集団かもしれない。

 ここは本気で、徹底的に叩き潰すしかない。


 あまりの揺れに、もうだめだ、吐きそうと思った時、やっと車が止まった。

 続いてバタンと扉が開閉する音が聞こえる。

 ワンタップで送信できるようにしておいた『到着』という言葉をグループへ送っておく。

 素早くスマホをしまい込んでから一瞬遅れて、私が転がされているであろう荷台の後ろ扉が開く音がして、ため息が聞こえた。

「はあ~」

「早く降ろせ」

「……はい」

 ヤスの不満げな声が聞こえる。

 おっと、もう降ろされるの? 先に穴を掘るんだと思ってたけど……まさか、もう穴は用意されている感じか? ちょっとまずいぞ。

「ケンさん、反対側お願いします」

「……わかったよ」

 人が近づいてくる気配があり、頭と足を乱暴に持ち上げられた。

 痛みに呻きかけたが根性で言葉を飲み込む。そして、覚悟を決める。

 ふわっとした浮遊感のあと、体が地面に叩きつけられた。

 痛い! くそったれ!

 やっぱり車から投げられた。まあ、こいつらが死体を丁重に扱うなんて思ってないが、最悪の気分だ。息が詰まって苦しいが声は出せないし、身動きも取れない。

 シャベルと持ったのであろう音がして、ヤスとケンは私を引きずり始めた。

「とっとと捨てて帰るそ。埋めりゃしまいだ」

「はい。あぁ、これ以上、これに触りたくない……」

 はい、穴はあることが確定。

 くそ、マジでこの場はこの半グレ集団の死体処理場なわけ? 埋める用の穴があるなんて、そんなことある? 用意がいいな、畜生め!

 穴に放り込まれるのはまずい。圧倒的に不利になるうえに、深さによっては脱出できない可能性もあるし、下手したら穴の底で怪我してしまったり、最悪また死ぬかもしれない。

 ここで仕掛けるしかない。計画と随分違うが、やるしかない。

 大丈夫、私はハッタリと即興が得意だ!

 自分を鼓舞しながら小さく息を吸って、低めの小さな声を発する。

「……殺してやる」

「……今何か言ったか?」

「……やめてください。マジで」

 二人の足が止まった。

「お前、何も言ってないのか?」

「言うわけないでしょ!」

 二人が静かに耳をすましているのが袋の中でも分かった。夜中の真っ暗な森の沈黙を痛いほどに感じる。

「空耳か……」

「気のせいですよね!」

「……殺してやる」

 二人がしゃべり始めたのにかぶせるようにもう一度呟く。

 二人が掴んでいた袋から手を放して、飛び退くのがわかった。

「生きてんのか?」

「いやいやいや! ありえないでしょ! それはないですって! こいつは確実に死んでましたよ! 頭ぱっくりだったの見たでしょ⁉」

「じゃあ、何だ⁉ 幽霊だっていうのか⁉ 確実に声がしただろうが!」

「気のせいです! ありえないでしょ! それはない!」

「じゃあ、開けて確かめろ」

「はい? なんで俺が……」

「ありえないんだろ。幽霊なんていないんだから、そいつが死んでりゃ、空耳だ!」

「死んでます! 確かめるまでもなく死んでますから!」

「いいから開けろ‼」

 二人とも面白いぐらいに慌てふためいている。いい兆候だ。それに「開けろ」と来た。最高の展開だ。最悪のパターンは袋の上から殴られることだったが、あの二人はパニックになっており、そんなことは思いつかないらしい。

 まあ、怖いでしょうね。死体が傍にあって、真っ暗な森で、それを埋めようってところに声がしたんだから。

 ぶつくさ泣き言を言いながら、ヤスがこちらに寄ってくる。顔の辺りにライトが当たるのがわかった。

 ジッパーが開けられて、二人は飛びのき、しばらくしてから恐る恐る近寄ってきた。私は目を閉じて微動だにしない。

「……死んでるな」

「だから言ったじゃないですか……」

 顔にライトが当たって眩しいが我慢だ。

「血まみれで、変わった様子もないな」

「しゃべれるわけないでしょ?」

 二人が顔をのぞき込んでくるのが声の動きでわかった。ほっと息をつく音が微かに聞こえた。

 さあ、恐怖の幕開けだ‼

 私はカッと目を見開いた。

「うわああああああっ!」

「ぎゃああああああっ!」

 大の男二人が悲鳴を上げてひっくり返る。私はジッパーを引き下ろしながら袋から飛び出して、ケンだと思われる方へダッシュ。暗くてわかりにくいが、ライトの位置でおおよその位置を判定、飛び膝蹴りをかました。

 うまい具合に顔にめり込んだらしく、鼻が折れるような音が聞こえてきた。

「ぐんぅ」

 鼻血を吹きながら転がったであろうケンの股間を踏みつける。

「っ……‼」

 声にならない悲鳴で悶えているケン。これで一人は無力化だ。

「殺してやるぅ‼」

 大げさに髪を振り乱して、どすの利いた声を上げながらヤスの方を振り返った。

 哀れヤスは腰が抜けたらしく、地面を引っかきながら逃げようともがいているところだった。

 もうちょっとビビらせてもいいが、手早くいこう。

 ヤスは逃げられそうにはないので、ケンの方の顎を蹴り飛ばして完全に沈黙させる。

「ヤス! 殺してやるー! 呪い殺してやる! よくもやりやがったなぁ!」

 適当なことを叫びながらヤスに駆け寄る。

 ヤスは半狂乱になりながら、意味の分からない叫び声をあげ、誰かに助けを求め、涙と鼻水と土でぐちゃぐちゃになった顔を振り乱し、シャベルを振り回していた。

 ちょ、危ないな!

 シャベルが地面に刺さった瞬間に踏みつけて、ヤスの手を蹴り飛ばす。シャベルを奪い取って放り投げて武装解除。ヤスは後ずさりながら泣き叫んでいる。

「許じでくださいごめ――」

 渾身の回し蹴りを顔面に叩きこんだ。またも鼻が折れる鈍い音がして、ヤスは後ろにひっくり返った。

「ふう……」

 無力化成功。後は起きてもいいように何かでふん縛っておこう。

 おっと、その前にみんなに連絡しておこう。

『無事に制圧した。自由の身よ』

『おお。流石ですね~』

『暴力しか取り柄がないからな』

 すぐさま既読がついて、いつもの調子で言葉が返ってくる。普段ならイラつくとこだが、今日はなんてことないやり取りがホッとする。流石に緊張した。うまくいってよかった。

『龍さんには連絡済みだ。そっちに向かってるらしい。一応報告しておく』

『わかった。ありがとう』

 一旦、会話は終わりにして、完全に伸びてしまったケンとヤスを引きずって車のそばに戻った。一人ずつ結構乱暴に引っ張ったが起きる様子もない。さっきまで私が転がされていた車を漁ると結束バンドの束が出てきた。

「…………」

 こんな人を拘束するのに都合のいいものが出て来るなんて、本当にこいつらは人を攫いなれているのかもしれない。というか、慣れている。そういう集団だってことだ。

 二人を後ろ手にして、親指同士を結束バンドで固定する。あとついでに足首も。ダメ押しで汚い布切れを口に詰め込んでやる。

 これで絶対大丈夫。

 ついでに拾っておいたシャベルも車に放り込んでおく。相手が動けないとはいえ、武器になるものが散らばっているのは嫌だ。

 ヤスから取り上げたシャベルがあったはすなので、一応、それも回収しようと辺りを探した。懐中電灯の灯りだけが頼りだが、自分で放り投げたので、簡単に見つけることができた。

「さて、これで回収も終わったし、あとは警察が来るのを待って――」

「確保ぉー!」

 急に大声が聞こえ、強烈な灯りに目がくらんだ。ほぼ同時に茂みの中から警察の制服を着た人たちが飛び出してきた。

 びっくりしたわね! 驚かさないでよ!

「え?」

 ドタドタと駆け寄られて、何が何だか分からないうちに取り囲まれて、地面に押さえつけられた。

「シャベルで武装中!」

「ちょっと待って!」

 警官連中、とんでもない勘違いしてない⁉

「大人しくしろ!」

「待って待って! 犯人じゃないから!」

〇二四三(マルフタヨンサン)! 犯人確保!」

「犯人じゃないってってば! 私、被害者なんだけど‼」

 静かだった夜中の森が騒然とするなか、私の悲痛な叫び声が響いた。


 


 後日譚として事の顛末を語っておこう。

 警察に押さえつけられながら、冤罪だと喚いていた私だったが、集団の中にたっつぁんの姿を見つけ、やけくそで助けを求めた。あの不良警官は笑いを堪えていたが、私の身元を保証してくれた。あの壮絶な勘違いから解放された私はその場で軽い聴取を受け、病院に搬送され、精密検査を受けた。行きたくはなかったが、どうしようもない。

 しかし、頭は血だらけだったわけで、他人から見れば元気に動けるような状態には思えなかったのだろう。だがまあ、復活しているので、当然のようにすこぶる健康体だった。

 私の診察をした医者は頭についた血と傷のない頭を比べて、しきりに首をかしげていたが、私は「よく覚えていない」で乗り切った。

 それからすっかり日が昇った頃に病院から解放され、疲れ切った体を引きずって事務所に戻った。徹夜を強いることになった助手どもは、所長の帰りを待つことなく就寝しており、私は苦笑いを浮かべながら自室のベッドを目指した。

 まあ、歓待を期待していたわけじゃないけど、なんかもうちょっとあってもよくない?

 とはいえ、迷惑をかけて助けてもらったのだから、あまり文句も言いづらい。それに『所長が無事だったので寝ます』とか『寝る。残業代期待しているぞ』とか、『大冒険だったみたいですね。ちなみにどんな傷が――』とか三者三様の連絡はあったので、良しとしておこう。

 そして私は死んだように眠った。

 ……死んでないよ? 死んだように眠っただけ。

 その日の寝起きにたっつぁんと青白(あおじろ)に強襲を受けて事情聴取された。これがたっつぁんじゃなければ説明に四苦八苦したところだが、そこはもう阿吽の呼吸である。私は見聞きした半グレ集団の情報を洗いざらい伝えたし、たっつぁんは私が死んでいたことをうまくごまかすストーリーを考えていた。

 それからさらに数日後。

 私の伝えた情報から半グレ集団の主だったメンバーはすべて逮捕されたと、たっつぁんから聞いた。あのアホどもはオーバードーズのための薬剤のやり取りや恐喝、強盗まがいの行為を行うハタ迷惑な集団だったそうだ。振興組織で小規模だったため、警察の手が回っていなかったらしい。

 もちろん私の情報だけでなく、私がボコしたヤスとケンからの情報も大きかったようだ。特にヤスはずっと何かに怯えていて、捜査にとてつもなく協力的だったらしい。

 そして、私が捨てられ、埋められるはずだった場所から、二人の遺体が見つかったそうだ。遺体はどこの誰ともわからないが、やはりあの場所は半グレ集団の死体処理場だったようだ。

「……そう」

「気に病んでるのか?」

 疲れた表情のたっつぁんはそう言った。

「気に病むって程でもないけど、後味は悪いかな。……私がもうちょっと早く半グレ集団とあってれば、とか思わなくもない」

「別にお前のせいじゃない。むしろ、お前の活躍であいつらの悪事がわかったんだからな。殺された二人も浮かばれるだろう」

 そうだ。私に非はない。二人の遺体について、私にできることはなかった。本当にどうしようもなかった。たっつぁんの言う通り、私はこれからの犯罪を未然に防いだともいえる。

 しかし、同じ場所で死んだ人がいるかと思うと、ちょっとばかしへこみもする。

「あんまりへこむな。お前が無事……まあ、死んでたっぽいけど、一応、今現在は生きてるって意味で無事でよかったよ」

「無事って言うだけでよくない? 変な気の回し方。気遣い下手ね、たっつぁん」

「うるせーよ。なんかうまいもんでも食って気分変えろ。じゃあ、捜査へのご協力感謝する」

 そんなことを言って、たっつぁんはダルダルのふざけた敬礼をして事務所を去った。

 私は天井を仰いで息を吐く。

 探偵は事件が起きてからしか活躍できない。ミステリでは九五%がそうだ。残りは未然に防ぐタイプの名探偵。

 ミステリの名探偵たちは殺人事件をすべてとめることはできない。これはミステリの掟のようなものだ。そうしないと物語の盛り上がりがないから。特に過去の事件なんかは絶対に止められない。それは当たり前。

 それ故に、名探偵が圧倒的な推理力で事件を防いだ時、素晴らしいカタルシスがあるわけだ。

 私は名探偵じゃない。

 理論上は落ち込む必要のない事件でも、自分が関わればそれなりにショックは受けることもあるし、快刀乱麻の推理力からは程遠い頭脳しか持ってない。

 でも、これからの事件を防げた。

 ただ、救えない命もあった。

 それだけだ。

 私は名探偵じゃないけど、探偵だ。ささやかなプライドがある。

 私はミステリが大好きだ。名探偵に憧れる。事件は快刀乱麻で解決したい。

 最大の理想は五%の名探偵。

 現実は厳しいけれど、私は出来ることをやる。

 今回みたいな事件に出会うと、そういう思いを抱くこともある。

 まあ、とにかく。

 頑張るよ、私は。


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