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5.探偵は事故死に勝てない

 留守番をしていると事務所の電話が鳴り響いた。所長は仕事で、影丸(かげまる)先輩と(しょう)くんも別件で不在だ。事務所を守っているのは九猫探偵事務所の筆頭助手であるこのあたし、式咲音黒(しきざきねくろ)である。

「はい、こちら九猫(ここねこ)探偵事務所です」

「警察だ!」

「…………」

 所長が何かしでかしたのだろうか。食い逃げ、恐喝、暴行……などといった犯罪名が脳内で踊った。助手として、所長がそんなバカなことをするなんて信じたくないけど、なにぶん、所長は手が早いところがある。

 というか、この声は……

龍虎(たつどら)さん?」

 時々、お世話になる警察関係者の一人だ。三十路過ぎのくたびれたおじさんである。よれよれのスーツに無精ひげを生やしたザ・刑事みたいな人である。詳しいことは知らないけれど、たぶん刑事なのだろう。相棒もいるし。その相棒は所長と同い年の青白(あおじろ)という名前の女だ。柔い見た目のわりにきつい性格をしている。

 ちなみに『お世話になる』というのは、何らかの犯罪行為で捕まった経歴があるというわけじゃなくて、所長の死体がらみのお世話である。

 少なくとも、あたしに犯罪歴はない。……所長もたぶんない。影丸先輩はあっても発覚してなさそうで、笑くんはちょっとあやしいかも。

「お前んトコの所長がまた死んだぞ!」

 その言葉を聞いた瞬間、電話の相手が誰だろうがどうでもよくなった。気になることはたった一つだ。

「えっ⁉ どこで⁉ 早くいかないと!」

「……その声と反応は式咲だな。四辻はいないのか?」

「そんなことはどうでもいいので、早く現場教えてください」

 一刻も早く現場に馳せ参じ、所長の死体を嘗め回すように観賞、いや保護しなければ。

「いや、それには及ばねぇよ。心底めんどくさいが、死体はそっちに届けてやるから」

「パトランプ回して、最速で持ってきてくださいね!」

「こんなことで回せるわけねぇだろ」

 ぷつっと音を立てて通話が切れた。

 わーい! 所長の死体が届くぞー!


 最近、思い立って購入した一眼レフを準備しつつ、所長の到着を待った。

 テーブルとソファを端に寄せて、宇宙の美となりあそばされた所長をお迎えする準備をする。撮影会をするためにも場所は広く取っておきたい。それから臨時休業の看板を扉にかけて、準備万端。いつでも所長を受け入れられる。

 正直、所長に何があって死体になられたのか、どうして龍虎さんが現場に居合わせたのか、色々と疑問は尽きないが、所長の死体の前では些細な問題だ。

 詳しい話は聞いていないけれど、どんな死体なのだろうか。もうすぐ見られるとは言え、気になって仕方ない。

 刺殺だろうか。それとも撲殺? 絞殺や毒殺の可能性もある。本当に所長の可能性が無限大だ。

 楽しい想像を繰り広げながら事務所の窓から、階下を見下ろす。はやく来てくれればいいのに。いや、待てよ? こんな窓から眺めているよりも、入り口でスタンバっていた方がいいのでは?

 あたしはそんなことを思いつき、一眼レフを首から下げたまま、事務所の扉の前に移動した。

 ちなみに九猫探偵事務所は某有名推理漫画の某名探偵のおっちゃんの事務所と似通った構造をしている。あの事務所みたいに大通りには面しておらず、狭い通りにあるのだが、何の因果か一階は喫茶店で、二階が事務所、三階が所長とあたしの住居なのだ。この偶然の一致は、おそらく所長のミステリマニアな一面が、この建物を気に入ったからだと踏んでいる。

 まあ、そんなことはどうでもよくて。

「はぁ……早く会いたい」

 そんなため息をついていると、事務所の扉が乱暴にノックされた。

「はぁい‼」

 間髪入れずに扉を開け放つ。そこには疲れた表情を浮かべる三十路男と若い女の二人組がいて、レジャーシートにくるまれた人ぐらいの大きさの何かを持っていた。

「所長は⁉ 早く見せて下さい! 早く‼」

「いいから、早く入れろ! こんなとこで出せるか!」

「はやく! ここに!」

 あたしは片づけていたスペースを手で示した。

 警察の二人組はおおよそ、人の体を扱う様子ではなく、空いたスペースへ向かって乱暴に所長を放り投げた。

 ゴイン、という痛そうな音がして――まあ、所長は何も感じていないだろうが――レジャーシートにくるまれた所長が床に転がった。

 あたしはお上品に所長に駆け寄り、丁寧にレジャーシートをめくっていった。

「……飛び付きやがったぞ」

「……追い剥ぎババアか」

 後ろから二人の呆れたような声が聞こえてくるが、これを前にして我慢なんてできるだろうか? いや、できない!

「わぁ!」

 レジャーシートを広げきると、そこには目をカッと見開いて、頭と口と鼻の穴から血を流し、右腕と右脚は変な方向に折れ曲がって、左の指があらぬ方向に握られて、あちこちすり下ろされたように傷だらけの所長がいた。服も擦り切れ、血まみれだ。

 言うまでもなく、圧倒的に死んでいる。

 まぎれもない死体だ。

「わぁ~……すごっ! うひひ……」

 知らずの内にこぼれそうになるよだれを拭いながら、目に焼き付けるように、嘗め回すように所長を観察していく。

「ふふふ……血も固まってないし、当たり前だけど、死後硬直もない。死因は傷を考えると脳挫傷……いや、外傷性ショックかな? かなりの外的エネルギーが加わってるよね……事故か」

「ああ。交通事故だ」

「……ダーリン、この女聞いてませんよ。というか、聞こえていないのでは?」

「まあ、いつものことだな……あと、ダーリンと呼ぶな」

「あ、ついうっかり。う~ん……しかし、何というか、いつ見ても犯罪者スレスレというか、公序良俗に反しているというか、いや、モロに犯罪者なのでは?」

「失礼なこと言わないでください! 所長は犯罪者ではありません。純然たる被害者ですよ?」

「いや、お前のことだ!」

 相方の女刑事があたしを指さしている。

 なんてこった。あたしのことなの? しかしまあ、今は返事をするのも惜しいので、無視して一眼レフを構えた。そのままシャッターを切り続けていく。

「……鑑識も真っ青なぐらい写真撮ってんな」

「個人の趣味嗜好にケチをつけたくはありませんが、これは何かの病気ではありませんか、ダーリン?」

「ダーリンと呼ぶな」

「あ、すみません。つい本音が。愛がこぼれ出てしまったようですね。先輩」

「器が小さいんじゃないのか」

「は⁉ 私のダーリンへの愛の容器は海より広いですが⁉ それでもこぼれる程に愛にあふれているだけですが⁉」

「ダーリンと呼ぶな」

「あ、すいません。つい本音が。すみません、ダーリン」

「ニワトリか、お前は! 一歩も歩いてないのに、記憶なくしてんじゃねぇよ!」

「仕方ありません。愛がとめどなく流れており、こぼれ続けているので」

「こぼれた愛が腐ってるんじゃないのか」

「そんなことはありませんが⁉ 私の純愛には雑菌などいませんので‼ 滅菌された愛です!」

「…………」

 写真を撮り続けるあたしの後ろで、何か雑音がしていたような気がする。



「ふう……ちょっと休憩しようかな」

 気が付くとカメラを持つ手がだるくなっていたので、一旦、撮影会を中断した。時計を見るとあれから三時間も経っていた。

「え? もう四時半なの?」

 あっという間だったなぁ。さっきまでお昼だったのに、もう夕方だ。どうして所長の死体と一緒にいるときはこんなにも時間が経つのが早いのか。

「……まだやってのんかよ」

 扉が開く音がして、警察の二人組が勝手に事務所に入ってきた。

「いえ、いったん休憩中です。というか、龍虎さんこそ、何やってたんですか? 三時間もウチにいてよかったんですか? さぼり?」

「『ウチ』にいたわけないだろ! また来たんだよ!」

「え、何をしに?」

「事情聴取だよ。その死んだ探偵がそろそろ起きるんじゃないかと思ってな」

 疲れた表情の龍虎さんはアゴで所長を指し示した。

「やっぱり出がけに声をかけたのに、聞こえてなかったのか?」

「はあ、何を愚かなことを……青白さん。所長の死体に集中していたあたしに、あなたの声が聞こえるわけないでしょう」

「なぜ私が、さも当然のように批判されているんだ? ……どう思います? ひどくはありませんか、ダーリン」

「ダーリンと呼ぶな」

「ぐうう……呼ぶぐらいいいじゃないですかぁ」

「だめだ。あらぬ誤解を受けるからな」

「はあ、そのつまらない漫才なら余所でやってください。あたしは所長のお姿を目に焼き付けるので忙しいんです」

「何時間見るつもりだ……」

「いくらでも見れますから! それに龍虎さんが言ったように、おそらくもうあまり時間がないんです。寂しくはありますが、もうそろそろ所長は生き返ると思いますよ。時間的に」

 あたしはそう言って、神々しいまでの死に様を晒している所長に向き直った。少しでも目に焼き付けておかねば。

 と、思った瞬間、所長の皮膚が細かく波打ち始めた。

 何度見ても不思議な光景だ。何の力も働いていないのに、不自然になびく皮膚というのは奇妙極まりない。そもそも人間の皮膚はあんなアメーバみたいには動かないはずなのだ。

 そして、三十秒ほど蠢いていた皮膚は、突然『ギュルリ』という効果音が付きそうな動きで、あちこちの傷を塞いでいく。飛び出ていた骨は体に引っ込み、裂けていた筋肉と皮膚が猛烈な勢いで閉じていく。

 本来の傷が治る過程を1000倍速で見ているような感じ。

 あっという間に、傷だらけの死体だった所長は無傷の死体となった。ちなみに血は消えないので、無傷だが血まみれの死体の出来上がりである。

 こうなれば数分で意識を取り戻すだろう。いつもそうだ。

「しかし、何度見ても慣れないな。これはあまりにも自然に反してる」

「意味がわからない……まあ、生き返ること自体意味がわからないのですが」

「所長の神秘的たる所以ですね」

「神秘ねぇ……」

 龍虎さんが嘆息すると同時に所長が飛び起きた。



「はっ!」

 顔を上げると見慣れた事務所の壁が見えた。

「ん?」

 あれ? 私、何をしてたんだっけ?

 倒れていた体を起こして隣を見れば、ニコニコ顔の音黒ちゃんと目が合った。

「…………」

 この素敵な笑顔が意味するところはただ一つ。私は死んでいたようだ。

 しかし、死んでいたとして、事務所の中で死ぬような目に遭うだろうか?

 そんなことを考えていると、隣で死体狂がニコニコ笑顔を浮かべていたことを思い出した。

「……ついに音黒ちゃんの我慢がきかなくなった」

「頼れる助手のことを殺人犯扱いしないでください。まだやったことないですから」

 音黒ちゃんは唇を尖らせて抗議してくる。

「じゃあ、なんで事務所で死んでたわけ?」

「俺が運んできたんだよ」

 事務所では聞かない声が後ろからした。

「あれ、たっつぁん。何してんの、こんなとこで」

「だから、お前の死体を運んできたんだよ」

 『たっつぁん』こと龍虎武雀(たつどらたけさく)が苦虫を嚙み潰したような表情でこちらを見下ろしていた。

 時々、お世話になる刑事だ。くたびれた痩せぎすの三十路過ぎのオッサンである。シワシワのスーツに無精ひげのザ・刑事みたいな人である。ついでに影丸の大学の先輩でもある。その辺の伝手で、とある事件をきっかけに知り合うことになった。所員以外では珍しい私の体質を知っている部外者の一人だ。

 ちなみに『お世話になる』というのは、何らかの犯罪行為で捕まった経歴があるというわけじゃなくて、私の死体がらみのお世話である。

 少なくとも、私に犯罪歴はない。……音黒ちゃんはほとんど犯罪者スレスレだが、犯罪歴はないはず。影丸は九割九分犯罪者だが、発覚してなさそうなので犯罪歴はなく、笑君も真っ黒に近い灰色だが、犯罪歴はないと思われる。

「ああ、たっつぁんが第一発見者だったの?」

「まあ、そうなるか……」

「やい、九猫! お礼を言え、お礼を! ダーリンの善意だぞ!」

 たっつぁんの後ろで喚いているのは青白玄朱(あおじろくろか)という女である。たっつぁんの相棒を務める刑事で、ミディアムボブの黒髪をなびかせたキレイめの顔をした、ちょっと頭のおかしい女だ。たっつぁんにべた惚れしており、隙あらば婚姻届けにサインさせようとするようなストーカー気質の持ち主で、ダーリンと連呼してはたっつぁんにすげなく扱われている。

 ちなみに何の因果か、私の高校時代の同級生で、三年間クラスが同じだった。顔見知りではあるが、友達ではないクラスメートの一人という程度だったのに、大人になってこんな風に会う羽目になるとは思ってもいなかった。

「ダーリンと呼ぶな」

「相も変わらず隙がないですね! 先輩! ちょっとぐらい見逃してくれてもいいのでは?」

「一回でも許したらお前は果てしなく調子に乗るだろうが」

 たっつぁんは面倒くさそうにそう言って、事務所のソファに座り込んだ。

 ……やけにソファが壁際に寄ってる気がする。……ああ、私の死体置き場を作ったのか。音黒ちゃんの首から下がっている一眼レフを見ても、どうやら我が事務所は即席の死体撮影会場になっていたらしい。

 まったく。

「あー……迷惑かけたわね、たっつぁん」

「ホントにな」

「いや、そこは『そんなことない』って言ってくれるとこじゃないの?」

「厚かましいな」

「やいやい、厚かましいぞ、九猫! お礼を言え、お礼を!」

 刑事二人が輪唱するかのように文句を垂れる。しかしまあ、当然と言えば当然だろう。

「拾ってくれてありがと。で、私はどこの誰に殺されたの?」

「それはまだわからん」

「え⁉ 何やってんの⁉ 刑事でしょ! 調べてよ!」

「後で調べる。今は被害者に話を聞きに来たんだよ。記憶の方はどうだ?」

 たっつぁんは気だるげに手を振って、私に話を向けてきた。

「……役に立たないとこまでしか覚えてない。依頼人の家を出たあたり。十時すぎぐらいから記憶ないわね」

 考え込んでみるがそれ以降の記憶はきれいさっぱり抜けている。

「まあ、期待薄だったが、仕方ないな」

「まあ、こればっかりはどうしようもないから……っていうか、私はどうやって死んだわけ?」

「事故だ。交通事故」

「え、事故⁉」

「正確に言うとひき逃げだ」

「え⁉ ひき逃げ⁉ たっつぁん! 何やってんの⁉ 職務怠慢じゃない!」

「やかましいな。だから今、こうして捜査してんだろうがよ。畑違いの捜査をよ!」

 たっつぁんは天井を仰ぎながら嘆息した。

 まあ、思わず警察官からのひき逃げという単語に反応してしまったが、被害者が私である以上、普通の警察のお世話になるわけにはいかない。交通課でもないたっつぁんに余計な仕事を与えてしまっていることは大いに反省するべきなのかもしれない。

「うーん……それはほんとにごめん。でも、記憶が欠片もないから、何の役にも立たないわよ?」

「はあ。まあ、そうだろうと思ってたから、別にいい。確認したかっただけだ。正直なところ、お前が撥ねられたところは俺たちが目撃してたからな。流石にビビったぞ。俺らの車の前でいきなり人がはね飛ばされたからな」

 そりゃ慌てるでしょうね。いくら警察官とはいえ、ひき逃げを目撃する機会なんてないでしょうし。

「青白と大慌てて救護に走ったが、近づいた時点でどうにも見覚えのある顔だったからな……救護活動は不要だと察したよ。まあ、誰も死んでないのはよかったが」

「いや、私死んでたから」

「結果的には誰も死んでないからよかったが」

 たっつぁんは私の不満げな抗議に対して、セリフを微妙に修正した。

「しかし、お前の処理をどうするかという別方面の面倒ごとが降りかかってきたわけだ。仕方ないから無難にここへ運んできたんだよ」

 疲れた表情の刑事は長々とため息をついた。後ろで相棒もうんうん頷いている。

 まあ、たっつぁんが疲れた表情のなのはいつものことだし、基本的に幸せが逃げ出すことしかやらないタイプなので、通常運転ではある。

「お疲れ様。ついてないわね」

「お前が言うなよ」

「で、捜査はどうするの?」

「すぐに方はつく。信号無視なのはこっちが確認しているし、被疑者のナンバーも控えてある。照会かけりゃ一発だ。で、本題だが」

「こっちの対応?」

 流石に察する。要はひき逃げをどうやって着地させるか、という話だろう。

「ああ。本来なら危険運転致死かなにかでしょっぴけるんだろうが、被害者がピンシャンしているからな」

「……いつものことね」

 いつものように『殺人事件』が『傷害事件』にかわるような話だ。

 犯人をぶん殴ってやりたいのは山々だが、これ以上、たっつぁん達に迷惑をかけるのも悪いだろう。

「……警察に任せる。できる範囲で処理して。致死は無理だろうから、傷害か何かになるんじゃないの? 必要なら包帯ぐるぐる巻きで聴取に応じるわ」

「じゃあ、こっちで処理しておく。交通課が聴取するだろうから、その時は一報入れよう」

 たっつぁんは気だるげに立ち上がった。

「まぁ……人一人を轢いている奴だからな。ちゃんとやっとくよ」

 私を不憫に思ったのか、たっつぁんは苦い顔でそんなことを言った。

 まったく。根は真面目なんだから。

「じゃあ、正義の鉄槌よろしくね。ま、私にとってはよくあることだから、無理しなくてもいいわよ?」

「これがよくあるなんてのは、世界広しと言えど、お前ぐらいだろうな」

「でしょうね。なんにせよ、迷惑かけたわね。ありがとう。今度、何か奢る」

「はいはい」

 たっつぁんはジャケットを肩に引っ掛けて、片手をあげて事務所の扉に向かった。その後を青白が追いかける。

「じゃあね~」

「また所長が死んだときはぜひとも届けてくださいね!」

「九猫! もう簡単に死んだりするなよ! 次はないぞ」

 音黒ちゃんと青白の正反対の言葉が空中でぶつかって対消滅した。音黒ちゃんはニコニコ笑顔で、青白は呆れた表情で踵を返した。

「じゃあな! あ、待ってください! ダーリン!」

「ダーリンと呼ぶな」

 ばたん。

 事務所の扉が閉まる。

 最後までコントを繰り広げる刑事二人組はこうして事務所を去った。

「はぁ、疲れた」

 自分の椅子に座りこむ。

「仕方ないとはいえ、すっきりはしないわね」

 所長チェアをグルグルと回して嘆息した。

「事故は理不尽……いつにも増して理不尽だわ。因縁も何もないからどうしようもないのよね」

 事故死の場合、犯人と私の間に接点がまるでないのだ。どこの誰ともわからないし、私の事故の記憶もなくなってしまう。今回の場合は謎が入り込む余地もない。仮に犯人が特定できて怒鳴りこんだとしても、被害者が元気すぎるので、相手の中で事故の事実が霞む。

 そうなるとどうしようもないのだ。私の拳は犯人に届かない。

「まあ、龍虎さんがうまいことやってくれるでしょう」

「はぁ……」

 深いため息を不憫に思ったのか、音黒ちゃんがポンと優しく肩を叩いてくれた。

「そんなに落ち込まないでください、所長。ほら、今回の所長のお姿でも見て、元気出してください」

 慈愛の笑みで差し出されたのは、いつの間にかカメラから移されて、デスクトップいっぱいに映った私の死体だった。

 音黒ちゃんはどこまでいっても音黒ちゃんだった。

「……元気でない」

「ええっ! なんで⁉ どうしてですか⁉」

「どうしてもこうしてもないから! 自分の死体でテンションなんか上がらないから!」

「そんなバカな……!」

「絶句しないで。こんなので元気出るのは音黒ちゃんとか、笑君とかごく一部だけだからね⁉」

「ええ~……まあ、さっきよりは声出てますから」

「いや、それはそうだけど……」

「所長の死体効果は、所長にも一定の効果があると証明されたようなものですね」

「それについては頑固否定するけど? 声出たのは音黒ちゃんに呆れたからであって、死体とは何の関係もないから」

「大丈夫です! 照れ隠しは要りません!」

「照れ隠しじゃないんだけど⁉」

 音黒ちゃんはわかっていますよ、と言いたげに楽しそうな笑顔を浮かべている。それにつられた私は苦笑い。

 死体効果ではないが、音黒ちゃん効果はあったと言えるかもしれない。

「では、今回の所長のどこが、いかに素晴らしいかを解説しますね! まずは――」

「それ私が聞かないと駄目なヤツなの?」

「他に誰が聞くんですか!」

 大仰な調子で始まる音黒節を聞き流しながら頬杖をついた。

 事件が起きても、死体が出ても、謎がなければ探偵は手も足も出ないのだ。やるべきことが一つもない。

 謎があっても、私が太刀打ちできるのかはさておいて!

 死体になりたくはない。だが、死体になってしまうなら、せめて手の出せる謎が付いてきますように、と祈っておこう。


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