3.毒を盛るのは難しい?
ハッと気がつくと魔女みたいな顔がすぐ目の前にあった。訳が分からなかったが、あやしい女に抱きすくめられているらしいぞ……って!
「ぎゃああああ! ふんっ!」
「ぎゃぶ!」
眼前に現れた不気味な顔を反射的にぶん殴っていた。魔女は無様な悲鳴を上げながらゴロゴロと勢いよく転がった。
「ぶがががっ! むーうー!」
私は布団から身を起こし、畳の上でうずくまる魔女を見下ろし――
「音黒ちゃん?」
「ううっ……痛っ、イッタイ……」
魔女みたいな怪しい人物は音黒ちゃんだったらしい。彼女は赤くなった頬を押さえながら畳の上で呻いている。
こいつはいったい、私の布団で何をやってたんだ? なんで一つの布団で二人で寝てたんだ? 誰かに見られたらあらぬ誤解を受けそうな格好だったわよ。美女二人――私はもちろん、音黒ちゃんも見た目は合格だろう――で抱き合ってるって……ついに死体だけじゃなくて百合系にも走り始めたのだろうか。別に百合を否定するつもりはないが、音黒ちゃん相手はごめんなさいだ。私にだって相手を選ぶ権利はある。いや、そんなことはどうでもよくて。
「ちょっと音黒ちゃん、何やってるのよ。畳なんかで寝たら風邪ひくわよ」
「痛い……いや、ちょっと待って下さい。殴ったの忘れたふりしないでください。しれっと無かったことにしないでください」
音黒ちゃんは震えながら身をおこして涙目で訴えてくる。いやまあ、心苦しいのだけど、日々のうっぷんを込めてもう一発殴ったら記憶が飛んだりしないだろうか。ものすごい魅力的な思いつきだけど、やめとこう。
「ごめんごめん。でも仕方ないじゃない。目が覚めて目の前に不気味な笑顔をあったら思わず手が出るでしょ」
「女子を前に不気味な笑顔ってひどくないですか」
「いや、音黒ちゃん自分で見てないからそんな事言えるのよ。すごい嫌な顔だったからね? 目がイッてたし、口も三日月みたいないやらしい形だったし」
「でも女の子の顔を思いっきりぶん殴るってダメでしょ」
「思いっきりって言っても、寝ころんだ状態だからそんなに力入ってないわ。踏ん張りもきかないし、腰も入らないし」
「誰もそんな武術の極意の話をしてるんじゃないです。殴られたら痛いんですよ」
「だから悪かったって。ごめん」
言い争っていても意味がないので頭を下げる。でもやっぱり一言言いたい。殴ったのは悪かったけど、音黒ちゃんも音黒ちゃんだろう。
「でも、音黒ちゃんも人の布団にもぐりこむのも非常識でしょ」
「残念でした! それはあたしの布団です!」
びしっ、と指を突き付けてくる助手。なんだ、なんで私が犯人扱い?
「ちょ、ちょっと待って。ねえ、今ってどういう状況なの?」
寝覚めの音黒ちゃんに驚きすぎたせいで、うっかりしていたが今はどうなってる? なんだって私は音黒ちゃんの布団で、音黒ちゃんに抱きすくめられて、音黒ちゃんに見つめられながら寝てたんだ? そもそもなぜ布団なんだ? うちはベッドだったはずだが。
「っていうか、ここどこ? 今何時?」
見なれた事務所の寝室じゃない。純和風の旅館みたいな部屋だ。
「今は十時ですけど。やっぱり今回はだいぶ記憶がトんでるみたいですね」
その一言で大体の事情を察した。詳しいことはさっぱりだが、はっきりと理解出来ることが一つ。
どうやら例によっていつもの如く、私は誰かに殺されたらしい。
こうなればさっさと状況を理解して、犯人をブン殴らなければ。
「で、どうなってるの?」
勢いこんで助手に訊ねたが、彼女はのんびりとスマホを取り出した。
「ちょっと待って下さいね。いちおう所長が起きたことを影丸先輩に連絡しときます……あ、もしもし?」
『あの馬鹿は起きたか?』
音黒ちゃんのスマホはスピーカーになっていたらしく、電話の向こうから不愉快な声が聞こえて来た。音黒ちゃんだけじゃなくて、あいつもいるのね。
「誰が馬鹿だ」
『ああ。起きたらしいな。状況はどうだ?』
「悪いですね。今回はかなり記憶がなくなってます」
「ちょっと、無視すんな」
所長である私を差し置いて、かつ、かなり馬鹿にして助手二人の会話が続く。
「影丸先輩は今どこに?」
『ロビーだ。わーきゃーうるさいのに捕まってたところだったが、馬鹿が起きたんならそっちに戻る』
「そうですね。ではお待ちしてます。あ、笑くんは?」
『傷馬鹿もここにいる』
影丸の後ろから「ひどいですよー」という声が聞こえた。笑君もいるのか……九猫探偵事務所が全員集合してるじゃない。何事だ?
『とりあえず、こっちの馬鹿を連れてそっちに戻る。お前はそっちの馬鹿が死なないように見張ってろ』
「んー、できれば目を離してもう一回死体になってもらいたい……」
『やめろ。もうウンザリだ。馬鹿やるのは一回だけで十分だろ。ただでさえ馬鹿なんだから』
「ちょっと待て! 馬鹿馬鹿言いすぎだろ! 馬鹿にするのも大概しろよ!」
必死の抗議もむなしく、影丸は反応を見せず、何も言わずに通話を切りやがった。
「……あの馬鹿め!」
思わず文句が飛び出た。
「空しい争いですね」
あきれた声音の助手。放っておけ。気を取り直して行こう。
「で、音黒ちゃん。影丸が来るまでにちょっとは説明してよ。何にも把握してなかったら、またやいのやいの言われるに決まってるし」
「ですね。説明しないとあたしも馬鹿にされそうですし」
嫌そうに言って、彼女は座椅子を布団の前に持って来て、姿勢を正して座った。私も布団の上であぐらをかく。たぶん、真面目な話をしてくれるのだろうし……いや、例によって死体賛美を聞かされるのかもしれないが。
「えっと、所長、どこまで憶えてます?」
ふむ。憶えている限り思い出してみようじゃない。
「えっとね……その……あれ?」
頭を絞ったが全然なにも出て来ない。一体、いつから記憶がないのかもよく分からないぞ?
うんうん悩む私を見かねたのか、音黒ちゃんが助け舟を出してくれた。
「昨日の晩ごはんは?」
「幕の内弁当……だっけ? コンビニの」
「それ一昨日ですね」
「え? カレーパンだっけ? いや、ナポリタン?」
「カレーパンは一昨昨日ですよ。ナポリタンは一昨日のお昼じゃありませんでしたっけ?」
「あ、焼き肉だ!」
「ちょっと! 焼き肉なんていつ食べたんですか!」
やっべ! あれはみんなには内緒で食べたんだった! けっこう大きな仕事がうまくいったから一人で打ち上げたんだった。しかもよく考えたら四日ぐらい前だし!
「焼き肉は勘違いだったみたいね。私が一人でコソコソ焼き肉なんて食べるはずないでしょ。所長なんだし、豪勢に行くときはみんなも誘うわよ」
危うく余計なことがバレそうだったが、なんとか取り繕う。しかし、昨日の晩ごはんの記憶がすっぽり抜けているところを見ると、かなり長期間の記憶がなくなっているらしい。
「あれ……ということは、今回って毒殺?」
「正解だと思います。残念でしたね」
「ああ、畜生……」
布団の上で頭を抱えた。数ある殺害方法でも最悪の殺され方だ。
私の復活は傷の大きさに深い関係がある。四肢首チョンパは復活にまる二日かかり、心臓を一突きならば三時間というところだろう。痛いし、グロいし、腹立つことこの上ない。ただ、記憶喪失に関しては死亡直前から数分、長くても十時間程度。喪失時間は完全にランダムだが、最大時間は大きく外れない。
しかし、毒殺は違う。復活時間はおおよそ六時間から十二時間だが、記憶は必ず一日以上吹き飛ぶ。今までの最高記録は七十八時間だった。どうしてそんな違いが出るのか、理由はわからない。たぶん、毒物が脳に何らかの影響を与えているのだと思う。完全に推測だけど。
これはめちゃくちゃめんどくさい。記憶がまる一日飛ぶって、それはもう完全に記憶喪失だし、他の人と話を合わせるのがとても大変になる。犯人を追いつめようにも誰がいたのかすら把握できないことも多い。むしろ現場についてすぐに殺されたりしたら、どこにいるのかもわからなくなってしまう。今回みたいに。
「今はどこにいるの?」
「××県の山奥の旅館です」
「何しに来てるの? みんないるんでしょ?」
「……あの慰安旅行の計画も忘れてます?」
「え? ああ、そういやそうだったわね」
そう言えば大きな仕事を片付けて、焼き肉を食べた後、商店街の福引で一泊二日四名様旅行を引き当てたのだった。普段なら金券ショップに売っぱらうところだが、金銭的余裕があったので、所長らしく所員をねぎらってやろうと旅行を計画したんだった。
「急な計画だったからうっかりしてたわ。大体、福引で当てた旅行の期限がギリギリってのが悪いのよ……」
「まーポンポン商店街ってそんなとこありますからね」
音黒ちゃんはお世話になっている商店街をさらっとディスりつつ頷く。
「じゃ、今はその旅行の最中なのね?」
「はい。現在、二日目です。午前十時すぎ。天候は晴れ。昨日の夕方から降り出していた豪雨の影響で、街に出るたった一つの道は小規模ですが地滑りで封鎖中。ここは陸の孤島です」
「あっそ」
またか、と思う。神はどうしても閉ざされた空間で私を殺したいらしい。いや、警察が介入できず、司法解剖に回されないのはいいことなのだが。
「まあ、現在復旧作業中らしいので、午後にも開通予定らしいですけどね。しかし、所長って事件現場を封鎖する才能にかけては名探偵に匹敵しますよね」
「はいはい。どうせ私は封鎖するしか能がないですよ。いいから次の情報」
余計な一言を聞き流しつつ、話を促す。
「卑屈にならないでくださいよ。さて、んーどこから説明したものか……きれいさっぱり忘れちゃってる人に説明するのって難しいですよ。何回やっても慣れません」
「難しく考えないで一から説明してよ。どうせ私は何にも憶えてないし。旅行当日の朝から説明してちょうだい」
「めんどくさいです……写真見たいし」
「いや、助手でしょ! 働いて! 慰安旅行の最中だけど! 写真は後でじっくり見ればいいじゃない!」
「慰安旅行中だったはずですけど、仕方ないですねぇ……わかりました。まず、ここへは車で来ました。事務所のやつです」
九猫事務所の車は白いワンボックス。八人乗りの頼れる相棒だ。
「到着が昼すぎ……あ、ちなみに出発は十時すぎ。所長の運転で二時間ぐらいですかねー」
「なんで私が運転してるの? 影丸と音黒ちゃんも免許持ってるでしょ」
「じゃんけんです。押しつけたとかではないです。決して断じて」
「……おっけ。続けて」
「お昼に名産のそばを食べて、三時ぐらいに旅館に入りました。部屋は二人部屋が二つ。もちろん、あたしと所長、影丸先輩と笑くんのペアです。部屋に荷物を置いた後は各人自由に行動してましたね。とは言っても、この辺は名所らしい名所もありませんし、この鳳凰館は温泉宿ですから、みんな温泉に浸かってのんびりしてましたよ」
「いいな……」
「いや、ちゃんと所長もくつろいでましたって」
「それはそうなんでしょうけど、実感がないのよ! くつろいだ実感が! 今思い出したけど、私の記憶はね! 明日は旅行って気持ちで寝るまでなの!」
「それはどうしようもありません。残念ですけど。……所長、死ぬほど長風呂して、風呂の中で冷酒をあおりながら温泉卵食いまくってましたよ。私も食べましたけど、めちゃくちゃおいしい温泉卵でした」
「ちくしょー!」
最高じゃん! 最高じゃない! 温泉、お酒、おいしい料理……その記憶がぶっ飛んでるなんで最悪だー! 今回の犯人は必ずぶん殴ってやる!
「で、おいしい夕食を食べて」
「おいしい夕食って?」
「……あの、くわしく聞きます? また悔しい思いするだけな気が」
「犯人にぶつけるエネルギーにする」
「じゃ、岩魚の塩焼き、山菜煮びたし、和牛すき焼き、高野豆腐、山菜の天ぷら、山菜混ぜご飯、シジミのみそ汁、デザートにあんみつと夏ミカン」
「…………」
聞いてるだけでお腹が空いてきた。私は昨夜、確かにこれらを食ったはずなのだ……許すまじ犯人。
「ま、まぁ、それは置いといてですね。夕食の後、もう一回温泉に浸かってから卓球したんです」
「温泉だし、定番よね。で?」
「そこで隣の台を使ってた一団と仲良くなったんです。大学生の一団です。女子大生が七人」
「へえ。影丸と笑君に女子大生をナンパする根性があるなんて初耳」
「あ、影丸先輩と笑くんじゃなくて、所長です」
「はい? 何が?」
「女子大生に声かけたの、ですよ。所長はいい感じに酔っぱらってて女子大生たちと意気投合してました」
「そ、そんな! 私が女子大生をナンパしたっての?」
「だから飲み過ぎだって言ったんですよ~。憶えてないんですか?」
「いや違う! 私が憶えてないのはアルコールのせいじゃない!」
「あ、そうでした」
おっと、みたいな驚き顔を披露する助手。ブン殴ってやろうか。まあ、記憶云々に限って言えば、今回死ななかったとして、私の脳がアルコールに勝てたかどうかは怪しいのだけど。
「まー女子大生のお目当ては所長とのおしゃべりというより、影丸先輩と笑くんっぽかったですけどねぇ」
あの二人、見た目はアレですから、と音黒ちゃんは続ける。
確かに影丸はクールなインテリ系で、笑君はゆるい小動物系だ。二人とも内面は腐りきっているが、外面は女子受けする傾向にある。二人でワンセットになると、まあ刺激が強い。想像力たくましい女子のあられもない妄想に火を付けるコンビに早変わりだ。
ま、そんなのはクソどうでもいい情報なのだけど。
首をふりつつ野郎二人を憐れんでいる音黒ちゃんだが、音黒ちゃんは音黒ちゃんで男子受けする外見の持ち主である。むろん、内面は腐ってドロドロ。やはり九猫事務所で普通の人間は私だけか。へんてこな体質はあるけど。
「で、女子大生をナンパした九猫事務所の一団はどうなったの?」
「だからナンパしたのは所長ですってば……一緒に卓球しましたよ。それから女子大生の大部屋にお邪魔して宴会です。運命のいたずらか、私達の隣の部屋だったんですよ。角部屋で」
「なるほど」
私が頷いたところで、扉がノックされ、音黒ちゃんが鍵を開けに席を立った。
「やっと起きたか馬鹿め。まったく、珍しく気を使ったと思ったらこれだ。いつもの通り無様をさらしやがって」
部屋に入ってくるなり暴言を吐き散らす影丸。いちいち反応はしない。聞き流すのが一番。
「あ、九猫所長。お目覚めですね。体調はどうです?」
「特に問題ないわ。毒殺された人間にしては元気」
長身の影丸の後ろから小柄な男子がひょっこり顔を出す。クリクリ天パで、子犬みたいな雰
囲気を持つ、見た目可愛らしい九猫事務所第三の助手、火戸林笑である。九猫事務所の助手ズの例にもれず、外面と内面のギャップが著しい男だ。
自分と関係ない他人の傷や痛みが何より好きで、私の負ってきた数々の傷も大好き。笑君のスマホの中には音黒ちゃんにもひけをとらないぐらい私の写真がおさまっている。日々怪しいサイトをサーフィンし、世界のエグい画像の収集に執着する異常者である。
音黒ちゃんも笑君も重度すぎる私のファンだ。余計な部分を好きになられても困るだけで、はっきり言って迷惑でしかない。音黒ちゃんが言うには同じ人間の死にざまが数あることは宇宙の美であり、笑君に言わせると同じ人間の致命傷が数あることは世界の奇跡であるらしい。
ぶん殴ってやろうか。
不毛な考えが頭をよぎる。助手を見るたびに毎度そう思う。ホントに不毛なので考えたくないのだが、いつもこの考えが頭をよぎる。実行はしない……九猫探偵事務所はブラック会社ではないのだ。
「式咲、説明は終わったか?」
「半分ぐらいですかね。毒殺で記憶ぶっ飛んじゃっているので、いつもより時間がかかります」
「やれやれ、ぶっ飛んでるのは頭だけにしてほしいもんだぜ」
「オイこら。そういうことはせめて私のいない時に言ってよ」
「どうせ次に死んだ時に忘れるだろ」
「そんなわけないだろ! はい、もう次の説明に移れ!」
「どこまで話した?」
「宴会までです」
「あー……あの面倒な」
影丸の顔が露骨にゆがむ。たぶん、宴会の間は猫をかぶっていたのだろう。で、ストレスがたまっている。いい気味だ。
「わーきゃーうるさい女は好かないな」
「女子大生でしょ? わーきゃーするわよ」
「所長も同年代ですけどね」
「私より音黒ちゃんの方が近いでしょ。それに私にはオトナの落ち着きがある」
「フッ」
「おい、その嫌な笑顔はなんだ。影丸、おい」
「変な言葉が聞こえたもんでね」
「この……言わせておけば」
暴言で答えようと思ったが、今はそんな事をしている場合ではない。
「ふー……続き、説明して」
「式咲、説明してやれ」
「…………」
「スマホ見てますよ」
笑君が苦笑いで言う。
我らが死体狂は普段ははっきしない集中力でスマホを凝視していた。もちろん画面は私の死体。
「あ、さっきから見たい見たいって言ってたから……音黒ちゃん!」
「ふぁい?」
「説明」
「ああ、はいはい。えっと、宴会まででしたね」
音黒ちゃんは苦渋の表情で、しぶしぶスマホを降ろした。
「あーあの後はけっこう飲みましたね~。主に所長が。飲兵衛の女子大生相手にぐびぐびやってました。あたしはペースを守るタイプですし、笑くんは下戸ですから」
「影丸は酒豪じゃん。付き合ってくれなかったわけ?」
「俺がお前の酒乱パーティに付き合う義理はない。酒は静かに飲むもんだ」
「先輩はうわばみですけど、ああいう場じゃ自重するタイプですからねー」
「要領だけはいいからね、いつも」
「お前と違ってな」
「うるさい。音黒ちゃん、続き」
「で、女子大生がベロベロになり始めて、身の危険を感じた影丸先輩と笑くんが退散しようとし始めまして」
「あれ以上あの場にいたら殴っちまいそうだったからな。酔っぱらいのセクハラまがいの行為にはうんざりだ」
「酔った女性は怖いですから」
「笑くん、弄ばれてたもんね。次に女子大生が潰れはじめて、三人がその場でうっつらうっつらし始めた頃にお酒が切れました。んで、所長が買い出しに行って……」
「なんで私が買い出しに行ったの?」
「じゃんけんですよ。押しつけたとかではないです。決して断じて」
「じゃんけんだ。俺たちが押しつけるような奴だと思うのか?」
「じゃ、じゃんけんです……」
「……そう」
社員総出で「じゃんけんです」って言わないといけないのかしら? 邪推しそうなんだけど。
「所長が出て行ってる間にもう一人が潰れました。その隙に、薄情にも先輩と笑くんは逃げ出しまして、あたしはよく知らない女の子三人と取り残されたってわけです。確か、残ってたのは大塚、水際、大冴の三人です。所長はすぐに帰って来ると思ってたんですけど、全然帰ってこないんですよ。二十分ぐらい帰ってこなくて流石に心配しました」
全然、知らない名前が出てきた。まあ、女子大生の名前なのだろう。まったく記憶にないが。
「私どこに行ってたの?」
「旅館の売店ですよ」
「もしかして売店ってめちゃ遠い?」
「んなわけねーだろ、馬鹿か」
「十分あれば売店に行って帰ってこられるはずですが」
笑君が横からさらりと言う。
「僕売店に行きましたもん。四辻先輩にパシらされたので、部屋に戻って飲み直すからって」
「影丸、事務所内でパワハラとかやめてよ」
「パワハラじゃねーよ。正統な勝負さ。火戸林がじゃんけんで負けたからだ」
「あんた負けてもさ、何だかんだで丸めこんだでしょ」
「俺がそんなことする奴だと?」
「うん」
「これだから人を信じられない寂しい奴は困るぜ」
「人を信用できないのはお前みたいな奴が身近にいるからだ!」
「落ち着いて下さい、所長。続き説明しますから」
「うん。ええ、お願い」
「あたしは帰ってこない所長が心配になったので迎えに行くことにしました。どうせ、道すがら潰れてると思ったので。女子大生たちにおいとまするって伝えて、売店に向かったんです。女子大生たちも心配してましたが、身内のことですからね。流石に頼れませんでした」
「俺も付き合わされたんだぞ」
「仕方ないじゃないですか。あたし一人じゃ所長を運べませんもん」
「火戸林でいいだろ。無駄な力は使いたくない」
「笑くんは非力なので」
「ちょっと。私が重いみたいな言い方やめてよ。平均だし」
「っていうか、影丸先輩。結局所長を運ばなかったじゃないですか」
「ま、そうだな」
「え? どういうこと?」
「所長は女子大生の部屋から売店の間にいなかったんです。売店で合流した笑くんも見てないって言うし」
「どこで野垂れ死んでるのかと思ったんだがな」
「結局どこにいたの、私は?」
「結論から言うとあたしたちの部屋です。大量のビール缶とか地酒とかに囲まれてぶっ倒れてました。鍵なんて扉に差しっぱなしでしたよ」
「まーそれで俺と式咲はこう思ったわけだ。『ああ、このバカは酔っぱらったあげくに部屋を間違って爆睡してんだな。俺らの努力をあざ笑ってんな』と」
「言っときますけど、あたしはそこまでは思ってませんよ」
「そこまでってことは、微妙に思うとこはあったわけね……」
まあ、仕方ないか。音黒ちゃんを怒るわけにはいかないだろう。人に迷惑をかける酔っぱらいは等しく悪だ。影丸は言いすぎだと思うけど。
「で、無事に所長も発見して、あたしたちは安心して寝たわけです。あたしはそのまま部屋に布団を敷いて」
「俺は部屋に帰って寝た」
「僕もです」
三人は口をそろえてそう言う。揃いもそろって安眠したらしい。
「で、朝起きたときに所長は死んでました」
音黒ちゃんはさらっと言った。
……今までの話で死ぬ要素あった?
「……え? ちょっと待って。結局私はいつ死んだわけ?」
「よく分からないんですよねぇ。推測するに夜中にあたしと影丸先輩が爆睡してると思ったときには死んでたのではないか、というのが助手一同の見解です」
「犯人はおそらく女子大生の誰かだ。今回はそれ以外と関わりがない。部屋の状況からも物盗りだとは思えん。俺と式咲が売店まで行ってた数分の間に、仲間の目を盗んで、どうにかしてお前の居場所を把握し、または前もって仕込んでいた毒で犯行に及んだんだろう」
「ちなみに所長が死んだことは女子大生にはバレていません。犯人以外には、ですけど。朝食の席で会って、所長のこと心配してたんで一応説明しておきました。部屋で爆睡中だと説明してます。所長は復活するわけですし、まさか死んだとは言えませんからね」
「まあ、説明したのは俺だが」
「え? 音黒ちゃんは?」
「死体の番だ」
「……なるほど」
「ええ。所長が目覚めたときちゃんと説明する人材が必要ですし、犯人が所長を探しに来ないとも限りません、番人は必要でしょう。仮にも所長は女性ですから、影丸先輩と笑くんに任せるわけにはいきません! 所長の尊厳はあたしが死守します! 所長の死体が弄ばれていい訳がない! あんなに素敵な青白顔とか開ききった瞳孔、カチコチになった体が誰かに弄ばれるなんて許せない!」
音黒ちゃんは頬を紅潮させながら息巻く。私達三人はその熱意に引く。ドン引きだ。
「死体が男でもお前が立候補したのは間違いないがな……」
「式咲さんが一番尊厳うんぬんを軽く見てる気もするけど……」
「絶対弄んでたよね、音黒ちゃん。さっき起きたとき抱きすくめられてたし……」
死んでる間に音黒ちゃんと二人っきりだったのかと思うと寒気がする。一体なにをされてたのやら……知らぬが仏なのだと思う事にしよう。
「で、どうする九猫」
「へ?」
「今後の展開だ。道さえ開通してしまえばそのまま帰っても問題ないぞ。お前の死体を見たのは俺達だけだ。大手を振って、何の苦労もなく帰れることは確かだ。ここを出てしまえば、あの女子大生たちと出会うこともないだろう」
「嫌」
「でしょうね。言うと思いましたよ、所長」
「絶対に犯人を追いつめる。例え誰にも死んだことが気づかれていないとしても、このまますごすご帰れない。犯人は人一人を殺してる。それをわからせるまではこの場を離れられない」
「面倒な奴だ、相変わらず」
「うっさい」
「なら急げ。どうせ言っても聞かないんだろう。期限は道が開通するまでだ」
「わかってる。余分に泊まる金はないし、犯人もこの場を去るでしょうからね」
私は気合を入れるために、パンッと両手を打った。
「よし。とりあえず私が解き明かすべき謎の整理をしましょう。まず、犯人と犯行方法」
けっこう真面目な声を出したのに、助手の反応はよくない。
「ふーん」
「……あたしは説明したし、笑くんが話聞いてあげなよ。あたし、写真の整理に忙しいもん」
「え、僕ですか?」
反応がよくないどころか誰も聞いてない。
「いいわよ、別に! 私一人でやるし! そのかわり独り言を言いまくるから、それは勘弁してよ!」
「口に出さなけりゃ考えをまとめられない可哀想な頭脳だからな、お前は」
「沈思黙考の方が探偵っぽいですよ、所長」
「まあ、仕方ないですかね」
推理は聞かないくせに、余計なことは聞いてやがる。腹立たしい。
「無能助手どもは無視するとして、まず犯人は誰?」
「女子大生だって言ってんだろ」
「だからぁ! その女子大生がわかんないんだって! さっきからずっと女子大生、女子大生って聞いてたけど、全然思い出せないのよ。顔とか背格好とか、名前一文字もすら記憶にないの! 完全に毒にやられてさ! もうー最悪! 状況は又聞きでよくわかんないし、息抜きの記憶はぜんっぶ飛ぶし!」
「あー……だいぶキてますねぇ」
「元々、情緒不安定だが毒殺の後は毎回ひどいからな」
「まあまあ、落ち着いて下さい、九猫所長。女子大生について知りたければ、僕からちゃんと説明しますから」
「……うん。じゃ、して」
「えっとですね……まず膝頭に素敵な傷のある人が一人……中学生の時に部活中に転んでできた傷らしいんですよ。キレイなのに本人はちょっと気にしている風でしたね。次に左手の薬指に絆創膏を貼っている娘が」
「ちょっと待て! 誰がそんな説明してって言ったのよ! そろそろ本題始まるのかって我慢してたけど、全然始まらないじゃない! 私が必要としてるのは! 名前とか、性格、見た目とか! そういうやつ! 誰がどんな傷あったとか、そんなのどうでもいいから!」
「え? 重要なポイントじゃないですか?」
「ない!」
マジのキョトン顔がムカつく。お前の常識は世間の非常識だ!
「えっと……ああー……あの人達の名前ってなんでしたっけ?」
「音黒ちゃんか影丸! 交代!」
しばし音黒ちゃんと影丸の視線が交錯し、結局音黒ちゃんが根負けした。
「仕方ありません。先輩の顔を立てましょう……女子大生はミス研の一団です。だから所長を話があったんですね。所長もミステリ好きだから。ついでに女子大生は初めて見た生の探偵に興味津津だったからです」
「あ、そうだったんだ。私がどうして見知らぬ女子大生声に声をかけたか不思議だったのよ」
「で、名前ですけど、会長の大塚れん。ショートカットの宝塚男役系です。副会長の水際瞳。眼鏡の秀才系です。綺麗な黒髪で。次に幌似田まかり。パツキンのヤンキー系です。鰯野朱里。同じくヤンキー系。大冴紗奈江。ちょっと暗い感じの文学少女です。ここまでが三回生。残りが二回生二人です。押谷美乃。あっけらかんとした元気少女。小栗ソネ。小柄で目が大きいお嬢様系です」
音黒ちゃんの説明は一通り終わったのだろうが、女子大生については正直よくわからないまま。言葉だけで言われても人のことなんてさっぱりだ。彼女達に関して音黒ちゃんは記憶があるが、私にはない。会ったはずなのだけど、初対面の人を説明されてるのに等しい。
「キャラ的には濃い子ばっかりでしたけどね。ヤンキー二人以外はあんまりキャラかぶりしてませんでしたし。なんかガールズ系のアニメみたいな一団でした」
「まあ、ミス研なら十分題材になるでしょうね。私が知らないだけでもうあるかもしれないけど……って、どうでもいい! すっごい無駄な情報!」
「一晩きりのつき合いなんで、人間関係はわかんないんですけど、それなりに良好にみえました。まあ、女が七人いればドロドロのいがみ合いがないとは言えませんけどね。七人ぐらいなら、逆に仲良しこよしな可能性もありますけど」
「要はわかんないってことね」
「ですね」
「馬鹿か。一見してわかることもあんだろ。たぶん、その人間関係に巻き込まれた……というか、割って入ったせいで九猫は殺されたんだと思うぞ」
突然、影丸が鼻を鳴らしながら会話に入って来た。
「え? 影丸先輩、なんか気づいたんですか?」
「正確なとこはわからんが、当たりだけならつけられると思うぞ。俺の見たところ、一番殺人に絡みそうな人間関係は、大塚、大冴、水際の三角関係だろう」
「……え?」
「あの、先輩……マジですか?」
「気づいてなかったのか。割とはっきりしてたと思うが。まあ、厳密に言えば三角関係つーより、大塚に対する水際と大冴のさや当てってなとこだろう。お前はそれに巻き込まれた……割って入ったせいで水際か大冴のどちらかに殺されたんだと思うぜ」
「割って入ったって……私、まったく憶えてないんだけど。そもそも、そんなつもり全然ないんだけど! いや、記憶はないけどさ。私、そんなことするタイプじゃないもん」
「人様の色恋に土足で踏み込めば、手ひどい火傷もするだろ。仕方ないな、涙を飲んで後悔しながら家路につくか」
「いやだ! さりげなく諦めさせようとするな!」
影丸はハァ、と大げさにため息をついた。
「大塚はお前と好きな作家がかぶってたんだ。なんつったっけ? お前の好きな作家の……」
「小野木原照唯? 高良海人? それともマッチカネン・ロウダンバー?」
「あー確か、三人ともだ」
「え! ホントに? うっそ、その三人で盛り上がれる人がいるんだ! ぜひとも話し合いたい……あ、話し合ったんだっけ? 覚えてないけど……」
「で、意気投合して楽しくあれやこれやしゃべってたんだ。大塚に思いを寄せる水際と大冴の前で、二人仲良くな」
「あー……影丸先輩の読みが正しければ、そりゃ嫉妬に狂いますよね」
「ちょっと、やめてってば。そんなつもりないんだって。別に、その大塚さん? その誰だかよくわかんない大塚さんをモノにするつもりなんてないわけ。そっちの趣味はないし……ただ、あの三人の作家で盛り上がれるのってレアだからさ。ついついはしゃいじゃったんだと思うんだけど」
「だろうな。その作家どもはだいぶマイナーなんだろ?」
「有名じゃないわね。ぶっちゃけドマイナー」
「お前にとっては悪いことに、大塚がその作家陣を好きなことを二人は知らなかったようだ」
「ミス研だもんね。三人ともガチガチのミステリ作家ってわけじゃないし」
「大塚は乱読の気があるらしい。まあ、そこはどうでもいいんだが。何にせよ、水際と大冴は自分達の知らなかった大塚の一面をあっさり引き出したお前を妬んだ、ってなとこだろ」
「あんたの分析を聞いてると恨まれる要素があるような気がしてくる……いや、ちょっと待って」
「どうした?」
「変。変よ」
「何が」
「毒殺でしょ? 計画的犯行じゃない。だって突発的に毒殺なんて無理でしょ? 突発的に毒殺できるってことは、毒物を持ち歩いてるってことになる。そんな危ない奴いる?」
「そんな奴もいるだろうが、今回は計画的犯行だったんだろうぜ。水際か大冴か、どっちかがどっちかを殺すつもりだったのか、それは知らないけどな」
「……まあ、一理あるのかしら? やけにバチバチしてる予想ね……その水際さんと大冴さんって、殺し殺されるようなギスギスの間柄だったの? あんまり納得できないけど。計画的犯行っぽく見せて、ずさんよね」
「色恋にかまけた事件なんて、そんなもんさ」
「っていうか、色恋って影丸の想像だけどね。あんたの観察眼は鋭いけど、合ってるかどうか、わかんないんでしょ?」
「だったらもっと説得力ある仮説を立てて見せろ」
「だぁから! 情報が何もないのに、仮説もクソもあるか!」
「助手から話は聞いただろ? 探偵の推理力を見せてみろ」
「ぐぎぎぎ……」
見下した顔が腹立つ。しかし、悔しいことに言い返せない。
「で? 九猫、今後の計画は?」
「……思いつかない」
「ケッ。大口叩いてたのはどこのどいつだ?」
「ううっ……ちくしょう。いつもの方法で」
「無理だ」
「え? あ、そうか。死体見てないんだっけ? それに毒殺か……」
いつもの方法は犯人が死体を見て――すなわち、殺したという確信を得させてから復活し、焦らせて、もう一度襲ってきたところを返り討ちにする、というものだ。しかし、今回のケースはいつもと違う。
死体を見ていない+毒殺。実物を見ておらず、毒殺なので殺した実感に乏しい。実際に死んでいたのだが、こうして復活してぴんしゃん元気な以上、犯人は一度目の『殺した』感がない。せめて私が毒を飲んで苦しんでいる様を見ていてくれればいいのだが、今回のケースではそれも望み薄だろう。そもそも毒殺はセットしてしまえば、離れたところから殺せる、というメリットがでかいのだ。犯人が目の前でもがき苦しむ被害者を見ていたいという変態でなければ、毒殺を目撃してはいないだろう。だからこそ、ぴんしゃんしている奴がいたら、それは毒殺の失敗を意味してしまう。犯人は私が毒物を摂取しなかったと確信し、殺害が失敗に終わったと思うだろう。加えて、影丸達が一切騒がず、部屋で寝ていたと説明している以上、犯人にとってはそれが唯一絶対の真実なのだ。
「しかし、犯人はいつ私に毒を盛ったのかしら? まあ、普通に考えたら宴会の最中なんでしょうけど。どう? 昨日の宴会って、毒を盛るチャンスとかあった?」
「あったかなかったかで言われると、あったでしょうね~。机の上はお酒とおつまみが散らかり放題でしたし、さっきも言いましたけど、みなさん結構酔っぱらってましたからね。スキを突くのは比較的簡単だったと思いますよ」
「机を囲んでの飲みだ。決まった席順もない。そもそもほとんどの人間があっちこっちに移動しまくっていた」
「なんとなくその光景は思い浮かぶわね。女子大生の顔は思い浮かばないわけだけど」
自分の大学時代を思い返しながら言う。学生の飲みなんて、いつの時代もそんなもんだろう。
「宴会の最中に盛られたとしたらあれよね。『ゴクゴク。あービールうまい……うっ! ぐはっ!』みたいな即効性の毒物じゃなかったってことよね」
「所長は最後に買い出しに行かされて……買い出しに出てますからね!」
「え? 行かされてるって言った?」
「いえ。ぜんぜん」
まじめな顔でぶんぶんと首を振る音黒ちゃん。まあ、追及しないでおくとしよう。
「遅効性の毒よね……女子大生の部屋で盛られて、買い出しから間違って自分の部屋に帰ったところで、毒の効果が出たって考えが一番しっくりくるもんね。まさか買い出しの道中で死んで、犯人が私たちの部屋に運んだとか、ないわよね?」
「あるわけないだろう馬鹿め。お前が買い出しに出てから、部屋を出たやつはいない」
「あんたと笑君は逃げ出したんじゃなかったっけ?」
「俺が道中でお前の死体を見つけたとして、それを律儀に部屋に送り届けると思うのか?」
「そこは死体を隠せ! と言いたいところだけど、あんたに期待するのは無理ね」
皮肉を言ったら、皮肉で返される。まったくこいつは。
「ま、所長とあたしの部屋のカギは所長が管理してたので、犯人が道中で所長を殺して、部屋に放り込むことは一応できましたけどね」
音黒ちゃんはヘラヘラ笑う。
しかしどうだろう。我が社員三人が共謀すれば、道中で私を毒殺することが可能ではないのか。私が買い出しに出たタイミングで影丸と笑君が後をつける。私の帰りを待って、部屋の前で毒殺する。酔っ払いの口に毒物を放り込むぐらいできなくはないだろう。水ですとか言って飲ませることも簡単なはず。そして死んだ私が持っていた鍵でドアを開けて、部屋に放り込んでおく。音黒ちゃんは適当なタイミングで女子大生の部屋から戻り、影丸から鍵を回収し、何食わぬ顔で自分の部屋に戻ればいい。もちろんその部屋には私の死体が転がっているわけだが、音黒ちゃんなら喜びこそすれ、嫌だとは言わない。そしてあとは適当な理由をでっちあげ、女子大生に罪をなすりつける。私は記憶がないので、女子大生のせいだと言われればそう信じるしかない。
か、完全犯罪じゃないの。
「所長? 大丈夫です? なんかぼーっとしてますけど」
「へ⁉ ああ、大丈夫大丈夫」
まあ、妄想が大爆発してしまったが、さすがにそれはないだろう。グダグダ文句は言ってもこの三人に殺されるほど恨まれているとは思いたくない。今までだって殺されたことはないしね。音黒ちゃんが死体見たさにとか、笑君が傷見たさに思い余ってやってしまうことがないとは言い切れないけど、それはないと信じたい。二人の我慢が限界を迎える前に、私は定期的に殺されてるわけだし。
「仕方ないわね……外に出ましょう。女子大生たちに話でも聞いてみましょうか」
「また殺されるんじゃないだろうな」
心底冷ややかな目を向ける影丸。
さっきは大丈夫だと思ったけど、やっぱりこいつらなら私を殺すかもしれないと思わせるような眼だ。
「今回は大丈夫よ! 油断しないし、アルコールも抜けてるしね。それに……」
「それに?」
「お腹すいた。なんか食べたい。ちょうどお昼時だし、先にご飯にしましょう」
旅館の中のお蕎麦屋さんに入ることにした。
「昨日の昼も蕎麦だったんだぞ」
「違うとこにしません?」
「またですか」
影丸と音黒ちゃんと笑君がぶうたら文句を垂れる。
「うるさいな。私は蕎麦なんか食べた記憶ないのよ! この辺、蕎麦が有名なんでしょ? 一回ぐらい食べたいじゃない」
「だから昨日食ったって言ってんだろ」
座敷タイプの席に通され、わくわくでメニューを開く私に影丸が水を差す。うるさい奴だ。別のメニューでも食ってろ。
私は山菜の天ぷらそばを頼んだ。三人の表情を見ると「またそれかよ」みたいな顔をしていたので、私は昨日の昼も似たようなメニューを頼んだのだろう。記憶にないが。
蕎麦はとてもおいしかった。昨日の昼に似たような物を食べていたとしても、うまいものはうまいのだ。すっからかんだった胃に食べ物が入ることで、エネルギーが脳に送られているような気がしてくる。これは何かひらめくかもしれない。
「さて、腹ごしらえも終わったし、女子大生たちを探しましょうか」
「あ」
音黒ちゃんが入り口のほうを見て、一言つぶやいた。つられて振り向く。
幸運の女神かの仕業か、私に憑いている死神の仕業か、女子大生らしき一団が入店してきたところだった。
「所長、あれです」
「あ、九猫さん」
私を見て、うれしそうな声を上げたのは、ショートカットの男前女子だった。たぶん、この子が会長である大塚さんだろう。宝塚男役系とは言い得て妙だ。
「大塚さんよね?」
小声で確認。音黒ちゃんは頷いてくれた。
「おはよう。大塚さん。昨日は酔っぱらっちゃってごめんね」
初めて見る顔。記憶にないが知り合いなので適当に挨拶を交わす。
「いやあ、あたしらも同じようなもんでしたし。楽しかったですよ」
「ああ、そうね。楽しかったわね……」
大塚さんは朗らかに言ってくる。対して私の表情はやや引きつっていたと思われる。なぜなら、大塚さんの後ろから、はっきりとした敵愾心が向けられているからである。眼鏡の秀才系と暗めの文学少女系二人の、モヤモヤとした情念が明らかに私に向いている。
間違いなくこの二人が水際さんと大冴さんだろう。
いや、これもう明らかじゃん! 確実にそうじゃない! 完全に影丸の言う通りだわ! 酔っぱらってたとはいえ、これに気が付かないとは……。
これはうまいことやらないと、本気でまた死ぬ羽目になるかもしれない。
「でも、すごいですね。あんなに飲んでたのに、二日酔いとかならないタイプなんですか?」
大塚さんの様子は変わらない。たぶん、良くも悪くも鈍感な子なのだろう。
「まあね」
苦笑いで答える。正直、復活の体調リセット機能がなければ、今日は完全に二日酔いでダウンしていたのは間違いない。元々、二日酔いはひどいタイプだし。
「なんか、ぐっすり眠ったら、すっきり目覚められたわ。久々の旅行だったからか、楽しい宴会だったからか、めちゃくちゃぐっすり眠っちゃってね!」
質問をかわそうと適当に答える。しかし、その適当な答えに、微妙に反応した子がいた。
あれ? 今の反応はどういうこと?
その瞬間、スパークする私の脳。探偵的演出をするならば、ピンと細い光に貫かれたような感じ。
「みんなはお昼食べに来たんでしょう? 私たちもう終わったから今から店を出るとこだったのよ。このまま話すのも店の邪魔になるし、また後でね」
「ああ、そうですね。一緒に食べたかったですけど。帰るまでにもう一回ぐらいお話したいですね」
「んー、まあ、また部屋にお邪魔するわ。帰る前に絶対一声かけるわ」
「あ、約束ですよー」
大塚さんと笑顔で約束し、私たちは店を出た。
「どうした、九猫」
「えらく早めに会話を切り上げましたね」
店を出たとたん、影丸と音黒ちゃんが言う。
「いいのよ。あの接触だけでだいたい分かったから。影丸の言ってたさや当て関係も間違いないと思うし、犯人の目星も付いた」
「偉そうに言うな。容疑者はほぼ二人だろ?」
「だから、その二人から絞り込んだのよ! あとちょっと確かめたらわかるから。ここであの子を待ち伏せする」
私は店が見えるところにあった椅子に座った。
「みんなは部屋に戻っていいわよ」
助手たちはそろって不審げな顔になった。不審げというか、またやらかすんじゃねーの? みたいな顔だ。苦笑いで答える。
「大丈夫、死なないから」
「ただいまー」
部屋に戻ると三人全員が雁首そろえてくつろいでいた。
「お帰りなさい、所長。首尾はどうでした?」
スマホから一瞬だけ目を離した音黒ちゃんが言う。
「ん、まあ、大丈夫だった。解決したわ」
「解決したって割には浮かない顔ですね」
「え、そ、そうかしら? そ、そんなことないんじゃに」
「……めちゃ噛んでますけど」
音黒ちゃんは不審げな顔を向けてくる。くっ。いつも通りにしたつもりだったのに!
「なるほど。解決したはいいものの、想定した解決編とは違ったわけか」
影丸が面白そうな物を見つけた顔でにやりと笑った。
「で、真実はどうだったんだ?」
三人とも興味津々だ。いつもは全然聞かないくせに、こういうときだけ食いつきがいいんだから。
「……結論から言うと、これは殺人事件というより、事故の側面が強かった。犯人は――便宜上こう呼ばせてもらうけど――水際さんだった。彼女は宴会の終盤で私の酒に睡眠薬を仕込んだのよ」
水際さんは不眠に悩まされていたらしい。不眠の原因が大塚さんへの恋心なのかどうかは知らないが。彼女は私が店先で適当に言った「めちゃくちゃぐっすり寝た」という言葉に反応したのである。水際さんはこう思ったわけだ。
『自分が睡眠薬を盛ったから、この探偵はぐっすりと眠りこんだのだ』と。
「なんでまた睡眠薬を? 所長しこたま酔っぱらってましたし、放っておいても寝込んだと思いますけどね」
「はやくつぶれてほしかったんだって。私があんまりにも大塚さんと仲良くしゃべってたから」
簡単に言えば、思い人としゃべり続ける私が疎ましかったのだ。せっかくの旅行なのに大塚さんは私の相手しかしない。それが嫌だった。しかし、楽しそうな思い人に対して、話すのをやめてくれともいえない。邪魔したいけど、邪魔できないジレンマ。
「だから私を寝かせて、強制的に排除しようとした。そこに明確な目的はあったけど、殺意は全くなかった。だってそうよね。彼女からしたら、私が寝てしまえはそれでいいんだから。それで私は何も気づかないまま、睡眠薬入りのお酒を飲んで、買い出しに行き、勘違いで自分の部屋に戻って、畳に倒れこんだ。で、死んだ」
「しかし、頭を打って死んだとも思えませんよ。外傷ありませんでしたし。まあ、頭蓋内出血の可能性がありますが、記憶の飛び方から見て毒物であることは確かです」
音黒ちゃんは不思議そうに言う。彼女は確実に死体を検分しただろうし、その見立てにケチをつけるつもりはない。音黒ちゃんの検分は、それはもう徹底してるはずだから。
「毒物なら大量に摂取してたでしょ。ダメ押しの一撃がとどめになったんでしょうけど」
「ん?」
「はあ?」
「ああ、なるほど」
音黒ちゃんと笑君は不審顔だが、影丸は納得したようだ。私は言葉を続けた。
「大量のアルコールと睡眠薬。飲み合わせとしては最悪。自殺にも使われると噂だし、やっちゃいけない飲み方ナンバーワンでしょ」
「ああ、そういうことですか」
「なるほど」
そう。アルコールと睡眠薬のダブルパンチが毒物として作用した。突き詰めれば、アルコールは言うまでもなく、薬だって毒物の一種だ。
「水際さんは私が元気なのを見てほっとしたそうよ。昨日は酔っていたせいで、飲み合わせになんて考えがいたらなかったけど、今朝冷静になったら、まずいことをしたと焦ったみたい」
「正常な判断ができれば、やらないことではありますよね。いくら恋敵を排除したいからっていっても」
「水際さん、反省してたし、あんまり怒れなかったわ。お互い酔ってたのが原因だしね。私は大塚さんに気がないこともきちんと説明したし」
誤解は解けたと思う。さすがに私も大人げない酔い方をしてしまったと反省する。
「酔いと勢いは怖いわねって話よ」
私は首を振って話を締めた。
「ま、言うなれば九猫の自業自得か。アルコ―ルにやられた挙句、他人の恋心に土足で踏み入り怒りを買ったうえ、素人の仕込みに気づかず、勝手に死んだだけだもんな」
「うぐう」
私が思いつつも、決して言葉にしなかったことをさらりと言いやがった。いかんせん言う通りなので、言い返すに言い返せない。いや、本当に自業自得みたいなもんだし。これからはいくら気持ちよく酔っぱらったとしても、気をつけようと心に誓います。はい。
扉をノックする音が聞こえた。
「九猫さーん。もうすぐ復旧作業が終了するそうですよ。それまでお茶会でもどうですー?」
大塚さんの声だ。やれやれ、いたく気に入られてしまったようだ。
「帰るまでの時間つぶしに、三人もどう?」
「ま、あたしは構いませんよ」
「別に僕も。またあの子たちの傷見られるかもしれないし」
「俺はパスだと言いたいところだが、またお前に死なれたらかなわん。監視する人間は必要だろう」
影丸は相も変わらず一言多いが、まあ、許してやろう。少なくともこの旅が終わるまで迷惑をかけた義理は果たしてあげよう。私は扉に向かって返事をする。
「お茶会ね! アルコールはなしだよ!」
せめてもの自戒を込めて返事をした。
結局のところ、今回もミステリアスな謎なんてなく、偶然が重なって奇妙な事件が出来上がっただけだったわけだ。
ミステリは簡単に転がってないのである。