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2.服はどこに消えた?

 ハッと目が覚めると、下着姿で血の海に沈んでいた。赤黒く染まった絨毯の上、体も同じ色に染めながらあられもない格好で死んでいたらしい。

「へっぷし!」

 盛大なくしゃみを一つ。寒い……ちくしょう、こんな格好で死ぬもんじゃないわ。

 えっと……どうなったんだっけ? 何してたっけ?

 まず間違いないのはまたも誰かに殺されたってことだ。血の海で目覚めるという経験は殺されでもしなければ、なかなかお目にかかれやしないだろう。

「痛っ!」

 体を起こしたのだが、カピカピに乾燥した血液が肌に貼りついていて、無理にはがすとひりひりと痛んだ。

 くっそ……この出血量から見て、今回は刺殺かもしれない。復活して傷が治っているので、確証はないが、たぶんメッタ刺しだろう。今回は死んだ瞬間の記憶が完全にぶっ飛んでいるので、全く憶えていないがめちゃくちゃ痛かったに違いない。可哀想な私……この恨みはかならず晴らしてやる。それに妙齢の女を下着姿に剥いた変態には全力で鉄槌を下してやらねば。

「とりあえずシャワーね。こんな姿で外に出られない……血まみれの下着女ってどんな変態よ」

 確かこの部屋にはお風呂がついてたはず。

 浴室の扉の取っ手に手をかけたとき、ぼんやりと状況を思い出した。

 ……そうだ、私はこの屋敷に素行調査の報告に来たんだった。えっと、成金親父の娘の婚約者の素行調査だったかしらね。そう、それで、大雨が降って来て、土砂崩れかなにかで帰れなくなったんだっけ……激しく窓を叩く雨音を聞きながらぼんやりと思う。

 徐々に記憶が戻ってきている。このまましばらく考えればもう少し記憶が戻ってきそうだが、いい加減、体にこびりついた血液が気持ち悪い。シャワーを浴びてさっぱりすれば記憶ももっとはっきりするだろう。

 血液に染まった下着を脱ぎすて――もう着られない。というか着たくない――風呂場に入ってシャワーをひねった。

「つめたっ……まったくお湯ぐらいすぐ出しなさいよ」

 文句が効いたわけではあるまいが、シャワーはすぐにお湯に変わった。どのぐらい死んでいたのかわからないが、下着だけで冷え切った体に温かくお湯がしみわたっていく。

「ひゅう~」

 気持ちいい。強いて不愉快な点をあげるなら、溶けだした血が金臭い臭いを放つこと。白いタイルに血が飛び散ってえげつない雰囲気になっていることぐらいか。まあ、それも時間の問題だ。全部洗い流してやればいい。全身くまなくこすり洗いで血液を落とす。髪の毛が少し厄介だったが、悔しいかな、慣れたものである。私ほど血を洗い流すのがうまい女はなかなかいないと思う。

 三十分ほどシャワーを浴び、バスタオル一枚でお風呂から上がった。

 うん。さっきよりは爽快な気分だ。私をぶっ刺しやがった犯人に元気よく鉄槌を下せそう!意気揚々と着替えようと思った瞬間、ハタと気づいた。

 ……服がない。

 調査報告だけのつもりだったので、着替えなんて持って来ているはずもなく、着て来た服は見当たらない。犯人が持ち去ったのか――あったとしても血まみれだろうが――理由はよくわからないけれど、この場にないことは確かだ。

「…………」

 しまった。マジで失策だ。体が気持ち悪くてすぐさまお風呂に入ってしまったが……あ、違う。気持ち悪いままでも服がない事には変わりない。なら、さっぱりしただけマシか。

 無理やりポジティブに考えても気分は晴れない。

「えっと……確か影丸かげまると一緒に来たはずよね……連絡してみるか」

 そう思いついたのだが、スマホもない。

 バスタオルを巻いたままの姿で部屋中探したが、私のスマホがどこにも見当たらなかった。どうやら誰か――犯人に決まっている――が持ち去ったようだ。

 ちっくしょう! 替えたばっかりだったのに! この恨みも犯人にぶつけてやる!

 湧きあがる怒りはいったんわきに置いて、これからの対策を考えねば。

 スマホ探しのついでに着られるものを探し、いくつかの候補を見つけた。

 下着(血まみれ)。

 バスタオル二枚(一枚は濡れてるし、もう一枚は今体に巻いてる)。

 バスローブ(部屋の備えつけ)。

 ……ロクなもんがない。ホントに。血まみれの下着なんて洗ったところで着られたもんじゃないし、バスタオルやらバスローブで外をうろつくのは常識を疑われる。影丸に連絡したところで、あいつも予備の服なんて持っちゃいないだろう。それに影丸とは体格が違いすぎるし。そもそも連絡手段もないけど。

 いやで仕方ないが、背は腹に変えられない。手元にはこれらしかないのだ。

 部屋の中でじっとしておきたいけれど、流石にそうもいかない。捜査をするためにも影丸と合流しなければならないし、そのためには外へ出なければならない。

 うう、なぜ私がこんな屈辱を……ええい、仕方ないのだ! 涙を呑んで恥に耐えろ!

 とりあえず、バスタオルを巻いてバスローブを羽織ろう。これで体裁は整う。社会人として最低辺の、吹けばチリになるぐらいの体裁ではあるが。

 体裁が整ったところで(整ってない)問題が一つ(問題だらけだ)。

 バスタオルもバスローブも下がスカスカだということだ。体勢によっては見えてならない部分が丸見えである。流石にそんな屈辱には耐えられない。

 そんなこんなで、二度と着ないと思っていた下着を洗い、ドライヤーで乾かし、泣く泣く身につけるという工程をへて、外へ出る準備が整った(整ってない)。


 泥棒かと思うぐらい忍び足でゆっくりと進んだ。バスローブ姿の泥棒なんて世界広しと言えど、絶対いそうにないけど……。

 そう言えば、あまりの屈辱に部屋の様子を観察すること忘れていた。まあいい、後で調べればいいや。

みんながいそうな広間へと足を向け、廊下の陰から顔をのぞかせる。たが、そこには誰もいなかった。この姿を見られずにすんだという安堵があるが、誰もいない事のほうが気にかかる。もしかして私が死んだことに誰も気づいていないのかしら? じゃあ騒ぎが起きていないのも変じゃないけれど……。

 くそ、影丸はどこだ? とりあえず状況を知らなければならないのに。あいつだけはここにいるべきだろう。有事の際は広間、もしくは一番広い部屋。九猫探偵事務所の鉄則なのに。まさかと思うが、あいつも私が死んだことに気づいてないのかしら?

「やっと起きたか」

「ぎゃあ!」

 突然、後ろから声をかけられ飛び上がる。

「わめくな」

「じゃあ、驚かすな!」

 背後にいたのは使えない助手の一人、四辻影丸(しつじかげまる)だった。

 四辻影丸、二八歳、オールバックに銀縁眼鏡の秀才面、クール系の男前である。

 外見は。

 しかし、私の助手は社会的クズばかりなので、当然のようにこの男も腹の立つ性格をしているのである。

「フッ……馬鹿みたいな格好だな。旅行先で調子こいて部屋から閉め出された奴みたいだ」

「うるさいっ! 余計なお世話よ! 服がないのよ! 好きでこんな格好するか!」

「いや、お前みたいな馬鹿にはぴったりだと思うが」

 というように、このバカは口があきれるほど悪いのだ。それも毒舌というには皮肉の足りない、ただの悪口が多い。私は雇い主なのによくも暴言が吐けるもんだ。減給してやろうか。

「まあいいわ」

 こいつにいちいち付き合ってたらキリがないし、無視して前に進みましょう。

「で、状況は?」

「よくないな」

「そりゃ最悪ね。で、何がよくないわけ? 言葉足らずの大馬鹿め」

 いかん、影丸といると口が悪くなってしまう。落ち着け、私はクールな女探偵、九猫夜美だ。

「探偵なら言葉の端々から推理して見せろ、バスローブ探偵」

「やめろ! バスローブにふれるな。言葉の端々って『よくないな』から何をどう推理しろってのよ……しかし、廊下で突っ立ったままで話すのもあれね。部屋に移動しましょう」

「確かに。バスローブ女と一緒にいるところなんて見られたくないからな」

 無視だ無視。

「私の部屋は血生臭いから影丸の部屋ね」

「仕方ないな」

 私は使えない助手と共に来た廊下を歩いて行くことになった。影丸に与えられた部屋は私のとなりにある。あ、しまった。先にこいつの部屋を覗いておけばよかった。恥ずかしさで冷静さを失っていたようだ。

 ちょっぴり後悔している私を尻目に、部屋に入るなり暴言を吐く助手。

「よし、九猫、その辺の床にでも座るといい」

「ベッドか椅子をすすめろ。他人様の家でどんだけ威張るんだ」

 とりあえず影丸に文句を言いつつ、椅子に腰かける。影丸はといえばベッドに横になって肘をついて欠伸をしている。仮にも上司の前なのに。

「で、影丸。状況は?」

「さっきも言っただろ。聞こえてなかったのか。それとも理解が追いつかない?」

「詳しく説明しろ。所長命令」

「無能な所長を持つと部下は苦労するぜ。どこまで憶えてる?」

「あんまり。素行調査の依頼――成金親父の娘の婚約者の素行調査をして、ここには調査報告に来たのよね? それから雨が降って来て帰れなくなった。土砂崩れだっけ? それでご厄介になってる」

「ま、死んだ人間にしちゃあ憶えてる方か。経過はおおむねその通りだ」

「でも、あれ? 素行調査の報告したっけ?」

「いや、まだだ。お前の記憶がないのも当然だな。この雨のせいで依頼主が屋敷に帰って来られなくなったから、俺達は報告する前にここに缶詰だ。今も激しく降ってるから道路の開通のメドはたってないらしい。面倒なこって」

「ふーん。確かに面倒ね。まだ何にも仕事してないのか」

「普段通りのお前だな」

「いちいち小言をはさまないで。次の情報。この場にいるのは?」

「俺とお前」

「部屋じゃなくて! この屋敷にいるのはって意味よ! 読み取れ!」

「怠慢を怒鳴るなよ。言葉が足りんのは俺のせいじゃない。そうだな、たった五人だ。俺らを除けばの話だが」

「内訳は?」

「依頼者の娘、依頼対象の婚約者、娘の友人が二人、あとお手伝いだ。女が四人に野郎が一人。娘の餅岡楠美(もちおかくすみ)、婚約者の兼土直士(かねつちなおし) 友人の森林(もりばやし)めぐと沖之輪凛子(おきのわりんこ)、お手伝いの本庄(ほんじょう)トシ子な。どうだ、何か思い出さないか?」

「そういやそうだったわね。深窓の令嬢っぽい女の子がいた。ちょっとしゃべっただけだけど、いい子だった……ああ、思い出してきたわ。婚約者のことが本当に大好きみたいで、初対面の私にもすごい勢いでノロケられた。それからお茶会みたいなのに誘われたのよ。その様子が可愛らしくて、こんな妹がいればいいのにって思ったもん。その辺りから完全に記憶が飛んでるけど……。他の女性陣とはあんまり絡んでないかな……お嬢様の友人も軽く世間話しただけだし、お手伝いさんは挨拶した程度。で、問題は婚約者よ。端的に言うとチャラ男。素行よくなかったわよね?」

「ほめられたもんじゃないだろうな。経歴だけ見りゃ嫁にはやりたくなくなるだろうぜ。ま、実物を見れば若気の至りで調子こいてたヤンキーだったんだろうなって想像がつく。なんにせよ、最終判断は依頼者がするだろう」

「そういや、調査内容を収めたUSBと紙がなくなってた。私のスマホも」

「パクられたんだろ。ぼんやりしてっからだ」

「好きでぼんやりしてたわけじゃない。不可抗力で死んでたから……って、電子機器関係を犯人が持ち去ったんなら、婚約者の兼土が犯人ってこと?」

「濃厚だ。限りなくクロに近い。断定はできないが」

「まあね……んで、私の状況は?」

「お前がいつ死んで、何時間で蘇ったのかはよく分からん。俺は式咲とは違って死体の知識なんぞたかが知れてるからな。検死なんてできない。というわけで正確なところはわかってないが、俺が死体発見してから、さっき会うまで二時間ってなところだ。お前の生きてる姿を見たのが、死体発見の一時間ほど前。現在時刻は午後五時前」

「大幅に見積もって三時間で復活か。まあ、刃物系は意外と蘇るの早いしね。平均すれば三時間以内だし、妥当なとこでしょう」

「他人のアリバイは不明。調べてないからな」

「期待はしてないわよ。あんたがそんなに気の利く奴じゃないのはわかってるし」

「おお、お前もついに学習能力を手に入れたか……」

「私を猿だとでも思ってるのか」

「猿はちゃんと学習能力を持ってるさ。それは知ってる」

「たまには余計なこと言わないで報告できないの?」

 影丸は鼻で笑って説明を続けた。

「発見者は――理解しがたいことにお前を気に入っている、餅岡楠美と友人二人だった」

「理解しがたいことに、とかいらないから」

「そりゃひどい悲鳴だったぜ。絹を裂くような~とかガラスが割れそうな~とかいう悲鳴の三重奏だ。俺もお前が殺されるかも、とは警戒してはいたんだ。雨で足止めを食うっていうお前が死にそうなイベントが発生したわけだしな。でもまさか、トイレ行ってる間に死体が発見されるとは思いもしなかった。つーか、その前にすでに殺されてるとはな。ハハッ」

「ハハッじゃない。お前は私が殺されてるのに気付かず、トイレに行ってたのか」

「生理現象だから仕方あるまい。生理現象じゃないにも関わらず、あまりに簡単に死じまう自分を反省しろ」

 くっ……腹は立つが返す言葉がない。

「餅岡楠美はお前をお茶会に誘いに来たと言ってたぞ。それで部屋を訪れたら死体があったんだから笑えないぜ。時間的には三時すぎぐらいだったかな」

「楠美ちゃんには悪い事したわ……トラウマになってなきゃいいけど」

「安心しろ。登場は遅れたがフォローはしておいた」

「へぇ。影丸にしては上出来じゃない。どんなフォローしたの? ちゃんとしてくれた?」

「まあ、俺が現着したのが死体発見のあとだったからな。できる事には限りがあった。三人娘が部屋に入るのを止めて、俺だけお前に駆け寄った。下着姿で半端なく出血して、気色悪いぐらい青白い、無様な姿のお前にな」

「最後のやつ言う必要ある?」

「現場の描写は重要だということも分からんとは……」

「はいはい、悪かったから。続けて」

「探偵のくせに死顔をさらして、全部助手まかせにしたうえ、挙句の果てに説明にすら文句をつけてきやがる……」

「おいっ! 誰が悪口を続けろって言ったのよ!! 説明を続けろ!」

「あ、そっちか? ならそう言えよ、まったく。まあ、一目見た瞬間から死んでるとは思ったし、近づいてみりゃ確実に死んでたな。死体を見慣れてない一般人にはキツイ画だったと思うぜ。実際、三人娘は明らかに生きてる出血量じゃないわ、血生臭いわで、顔を真っ青にしてた。それで俺はお前のそばにひざまずいて、こう言ってやった。『九猫! また悪いクセを出しやがったな! 初対面の人間をリアル死んだふりで驚かすのはやめろと言ってるだろう! なんだこの血のり! 臭いまで追加しやがって! そんなにしてまでドッキリを成功させたいか! 返事しろ! ちっ……すいませんね、餅岡さん、森林さん、沖之輪さん。ウチの所長がバカな真似をしてしまって。後できつく言っとくんで、勘弁してやってください。さあ、もう出ましょう。ここでビビった顔を見せているとこいつが喜ぶだけなんでね。部屋に一人で閉じ込めとけば驚いてくれる人もいないし、飽きがきたら起き上がって反省もするでしょう』ってな」

「ジョークとしては悪くないけど……で、本当は?」

「『九猫! また悪いクセを出しやがったな! 初対面の人間をリアル死んだふりで驚かすのはやめろと言ってるだろう! なんだこの血のり! 臭いまで追加しやがって! そんなにしてまでドッキリを成功させたいか! 返事しろ! ちっ……すいませんね、餅岡さん、森林さん、沖之輪さん。ウチの所長がバカな真似をしてしまって。後できつく言っとくんで、勘弁してやってください。さあ、もう出ましょう。ここでビビった顔を見せているとこいつが喜ぶだけなんでね。部屋に一人で閉じ込めとけば驚いてくれる人もいないし、飽きがきたら起き上がって反省もするでしょう』」

「マジでそう言いやがったのか!」

 影丸は平然と――寝転がったまま、馬鹿みたいな説明をしやがった。

「うまく取り繕っただろうが。死んだ人間を生きてる風にあつかえてるだろ」

「いや……! あつかえてるっちゃあつかえてるけど! 私がとんでもないクズ人間になってるだろ!」

「問題ないさ。元々そうだ」

「やかましい! 死んだふりで驚かすのが好きな人間って何だ! しかも初対面の相手を! 血のりまで用意してるって死んだふりに気合入れすぎでしょ! 私、あの三人にどう思われると思ってんの⁉ つーか、あの三人そんなアホな説明信じたの?」

「餅岡楠美は『あんな人だとは思いませんでした……質が悪いと思います』って言ってた」

「信じてる! 楠美ちゃんがっつり信じてる!」

 頭を抱えたい気分だ。実際に抱えた。

 ただ、世間知らずっぽい楠美ちゃんが騙されてしまう可能性はあるのだ。影丸の口は悪いが、それは九猫探偵事務所のメンバーに対することが多く、依頼人などと喋るとき、普段からは想像できないほど丁寧にしゃべることができる。加えて詐欺師かと思うほど口がうまい。影丸自身はなんてことない、という体であの馬鹿なセリフを言ってるが、おそらくその場で聞いていたらかなりの説得力があったはず。ムカつく限りだが。

「ついでに餅岡楠美は『あんな怖ろしいこと、冗談じゃすまされません! 何考えてるんですか、あの人! 二度と信用できません!』と憤慨してたな」

「なんてことしてくれたんだ! 信用ゼロになってるじゃない!」

 影丸の声真似は無駄にうまい。それがさらに腹立たしい。

「仕方ないだろう。あれがあの場での最善の行動だった。お前は自分が蘇るという事を忘れるなよ。あんな見た目からして完全に死んでる状態で発見されて、そのまま放っておいて蘇ったら、それこそ目も当てられんだろう」

 あきれたように影丸は言う。それに対し、私はぐうの音も出ない。

 今まで数限りなく死んできた私は、完全に死んだと断定された後で蘇り、ひどい騒動を起こしたことも何度かある。恐慌にかられた依頼者たちにひどい目にあわされたことだってあった。今回も影丸の手酷いフォローがなければ、そういう事態を引き起こしていた可能性はある。

 まあ、フォローのダメージとそれがなかった場合のダメージはとんとんだという気もするが。

「ふー……ま、仕方ないわね。影丸の言うことも一理あるし」

「お前の言う事には一理もないがな」

「調子に乗んないで。さて、依頼人は通行止めで、まだ帰って来れないんでしょ? 素行調査の報告まで時間があるし、犯人を特定しようじゃない」

「面倒だな……お手上げだ」

「諦めが早い! やる気を出せ!」

「仕方ねぇな。たまには所長の酔狂に付き合ってやるか」

「ほう。影丸にしては聞き分けいいじゃない。じゃ、さっそく推理を始めましょ」

「兼土直士だ。間違いない」

「いきなり⁉ いや、あんたさっき断定できないって言ってたでしょ!」

「さっきは人道的にそう言ってやっただけで、本心を言えば兼土直士でまず間違いない。三人娘は死体発見時の様子から、犯人ではない。あの驚き方で犯人だったら大した演技力だと思うぜ。本庄トシ子にいたってはほぼ登場していない。関わってない。モブだ、犯人にはなりえん」

「あんた……人様をモブって。あと、そんな推理とも言えない暴言はやめなさい」

「それに兼土直士は三人娘が俺の嘘で落ち着いたあと、三人娘がお前に対する文句を言ってるとき、あきらかに挙動不審だった」

「ああ……そう。楠美ちゃん以下二名は婚約者に私の文句を言ったのね。知らないうちにどんどん評判が落ちていく……」

「元々奈落の底にあるような評判だ、気にするな」

「励ますセリフがおかしい」

「餅岡楠美は兼土直士に、お前のドッキリがひどいものだと文句をまくしたてた。それを聞く兼土直士の顔面蒼白、冷汗ダラダラ、何かに怯えるようにキョロキョロしていた。まるで自分がドッキリに加担しているかのようだった。無実の人間の反応だと思うか?」

「実際に見てないからなんとも言えないけど、話に聞く限りじゃ間違いなく犯人みたいに聞こえるわね」

「限りなく黒な兼土直士を犯人だと仮定すると、餅岡楠美の話は恐ろしく聞こえただろうぜ。なにせ、自分は明らかに刺殺したはずなのに、手ごたえも完璧に感じたはずなのに、死体を発見した婚約者はそれを演技だと言う。暗に責められていると感じてもおかしくないし、もしかして本当に演技でお前が復讐に来るかもしれないと思っているかもしれん」

「兼土は私を確認してないの?」

「ああ。やつはお前の死体を確認していない。確認したそうな雰囲気はあったが、婚約者の話が長いから抜け出せていなかった。そもそも俺が阻止するつもりだったがな」

「そこまで来ると本当に犯人っぽいわね」

「おそらくだが、お前がピンシャンしているところを急に見せればあっけなくゲロると思うぞ」

「ふむ……なら次に考察するべきは、なぜ私は下着にむかれていたのか、ってことね」

「そんなもん、どうでもいいだろ」

「どうでもよくないっ! 不可解な謎でしょうが!」

「犯人はほぼ確定してるんだから、犯人に聞けばいいだろう。わざわざ頭を悩ませるような問題じゃない。なあ、九猫。お前の推理趣味はなんとかならないのか。探偵だからって謎解きにこだわるなよ。どうせ大した推理なんてできないだろうが」

「うーるさい!」

 私の助手は揃いもそろって私の探偵行動を否定しやがる。推理趣味が混じってるのは否定できないが、私は殺されてるんだ。それに付いてくる謎を解きたいと思ってもバチは当たらないだろう!

「とにかく、行き詰まるまで推理はするから。発見時の写真とかある? 撮ってるわよね?」

 これが音黒ちゃんであれば間違いなく二百枚ぐらいの写真が出てくるのだが、影丸相手だとそうはいかない。こいつは口の悪さを除けば多少はまともだから。

「まー一応な。三人娘を落ち着かせたあとにこっそり撮っておいた。式咲にも頼まれてるし。お前が死んだ時は万難を排して写真に収めろ、と厳命されている。あのアホは死体がらみになると見境がないからな。下手すると俺が死体にされかねん。おとなしく従っとくのがいい」

「まったく、音黒ちゃんは……」

「死体の状態が見たいなら式咲に連絡しろ。画像はあいつに送ってある。俺は死体画像を保存しておきたいという奇矯な願望はない」

「せめて事件が終わるまでは保存しときなさいよ」

「いやだね。お前の死体は目にするだけで十分だ」

「じゃあ、ケータイ貸して。パクられてるから」

 影丸は露骨に嫌そうな顔をして、しぶしぶスマホを差し出してくれた。とりあえず音黒ちゃん――影丸のスマホには『死体』と登録されていた――をコール。

『もしもし? なんですか、影丸先輩。今忙しいんです』

「忙しいって私の死体画像を見るのに忙しいんでしょ。話ぐらい聞きなさい」

『あれ? その声は所長ですか。今回もステキでしたよ~! 最っ高です! 失血で青白くなった顔とか、傷口からにじみ出る赤とのコントラストもいいですし――』

「お黙んなさい。あのね、微細な説明はいいから、写真を送ってくれる?」

『え!? なんでですか! 聞いてくださいよ! この感動を分かち合いましょうよ!』

「感動してんの音黒ちゃんだけだからね? とりあえず写真送ってよ」

『なんでわかってくれないんですか~。っていうか、そこに影丸先輩います?』

「え? いや、いるけど? 写真――」

『代わってください!』

「……影丸、音黒ちゃんが代わってだって」

「何? 面倒くさそうだな……死んだとか言っとけ。お前の巻き添えで殺されたって」

 影丸はひらひらと手を振って電話を拒否した。

「音黒ちゃん、影丸は死んだわ。だから電話には出られないって」

『え! そうなんですか! じゃあ、ぜひ死体を写真に! いや、それより送ってください! 腐る前に宅急便で!』

 死体って宅急便で送れるのかしら? 死体遺棄っぽい罪に問われるような気がする。

『あ、腐ってるのがいやだってわけじゃないんですよ! 別に腐っててもいいんですけど、できるならちゃんとした鮮度のいい死体から見たいなって!』

 電話口の向こうで嬉しそうに叫んでいる音黒ちゃんの声を聞いて、影丸は苦い顔をしている。

「しまった……言い訳を間違えたぜ。あいつに死んでるは禁句だった」

「はいはい、なるだけ早く送るから。とりあえず音黒ちゃんは私の写真送ってくれる?」

『今回のやつでいいんですよね?』

「当たり前でしょ! 前のやつなんて要らないから!」

『はーい。でも、あれなんですよね。影丸先輩が送ってくれたのって、十二枚しかないんですよ。全然足りませんけど、それでもいいですか?』

「十二枚でしょ。十分すぎるわ」

『不十分すぎますよ。あーあ、影丸先輩もケチなんだから……独り占めしたいのはわかりますけど、所長は人類の宝ですし、ちゃんと分かち合いたいです……』

 聞いてるとこっちまで泣きたくなるような声音。だが、電話口の女が悲しんでいるのは私の死体が見足りないということだ、と考えるとぶん殴りたくなる。

『とりあえず送りますね。なんなら笑くんの考察も送りますよ』

「ああ……笑君も見てんのね」

『はい。刺創だってことでテンション上がってました。どん引きです』

「……そう」

『じゃ、送りますね。影丸先輩に送ればいいですか? それとも所長に送ります?』

「あ、私のスマホは諸事情でなくなったから、影丸にお願い」

『はーい。ちょっと待っててください』

 そう言って死体狂は電話を切った。まったく……写真を送ってもらうのに、どんだけ時間をかけるんだか。まあ、死体を前にした音黒ちゃん相手では仕方ないことではあるが。

 しばらくすると十二枚の写真と、目を通すのが面倒くさくなるぐらいの長文が送られてきた。

「さて……」

 気は乗らないが今回も写真を見てみよう。

 一枚目の写真は全体像を撮ったもの。写真の中の私は下着姿で大の字になって死んでいた。最近、大の字になって死にすぎだ。もう少し慎み深く死体になれないものか、というバカみたいな願望が頭をよぎった。何を想像してるんだ、私は。死体にならないのが一番に決まってるじゃないか。

 気持ちを切り替えて写真を見る。写真の中の私はうすいブルーの下着が真っ赤になるほどの出血をしており、痛々しいことこの上ない。傷が結構多く、上から左肩に一つ、胸の真ん中に一つ、腹部はメッタ刺しになっていてちょっとだけ腸がはみ出ている。

 ……グロい。あんまり傷のアップとか見たくないわね。

 出血のせいか肌はかなり青白くなっていて、赤黒い血液とのコントラストがはっきりしている。この不吉なコントラストにテンションを上げられる音黒ちゃんは馬鹿だ。

 気分が悪くなったので、写真から笑君の長文に目を移した。

『おそらく失血死です。致命傷は胸部の一突き。腹部の傷も危険なものですが。どちらかというと胸部の出血が多いので、まずは胸に正面から一撃、そこから腹部をメッタ刺しにされたのではないか、と推察できます。鋭利な刃物による刺し傷です。たぶん包丁か、細身のナイフですかね。ただ、左肩の傷は胸と腹の凶器とは別だと思います。切れ味の悪い刃物かのこぎりのような刃物の傷痕かと。刺し傷や切り傷ではなく、のこ引きみたいな傷だと思います。胸と腹の傷に比べて肉がえぐれているので間違いないかと。犯人がどうして二種類の刃物を用意していたのかはわかりませんが、もしかすると多くの傷痕を残したい、と思ったのかもしれません。その気持ちはよくわかります。なにせ傷とは人体に刻まれた芸じゅ――』

 そこからは先は相も変わらず趣味丸出しの駄文なので無視する。

「何か新しい発見はあったか?」

 暇そうな影丸にスマホを投げて返す。口の悪い助手は面倒くさそうに画面に目を落とした。

「ふん。お前が裸にむかれてた理由は火戸林の駄文を読みゃ一目了然だな」

「裸じゃないから。ぎりぎり守ってるから……って、理由はバラバラ死体ってこと?」

「妥当だろ? 肩口にのこぎりの傷があるんだぜ。下着にしたのも斬りやすいように、じゃないのか。服を着てるとバラしにくいしな」

「まあ、確かに」

「んで、いざバラバラ作業に入ったら思わぬ重労働だったから諦めたんだろ」

「いや、諦めんの早くない? 腕の一本も落としてないわよ? それどころか、のこぎりの傷めちゃくちゃ浅いけど」

「知るか。ビビったんじゃねーの」

「まあ、それはそれでもいいけど、じゃあ服を持ち去った理由は?」

「お前が考えろよ。探偵はお前だろ。俺は興味ないぜ」

 ふむ。確かに影丸頼みでは探偵の名がすたる。しっかり考えてみようじゃないか。

 まず、服を脱がされたのは間違いなく刺された後だ。刺される前に服を脱ぐ理由がない。一応は仕事の最中だし、時間的に風呂やらシャワーと浴びる前だったとは考えにくいし、私は意味なく下着姿になる性癖は持ち合わせていない。ついでに下着姿を見せるような関係の人間はこの場にいない。脅されて、という可能性があるにはあるが、私が反撃もせずに好き勝手に弄ばれるとは考えにくい。自慢ではないが真正面からの脅しであれば、逆にボコボコにできるぐらいの実力は持っているつもりだ。おそらく不意打ちみたいな感じでいきなり刺されて、その後に服を奪われたというセンが濃厚だろう。

 バラバラにしたかった理由というのはもちろん持ち運びやすい、証拠隠滅がしやすい、ということだと思う。完全にバラバラに出来ていたなら、もちろん服も持ち去ればいいだろう。ただ、今回は状況が違う。犯人は私をバラバラにすることを諦めている。なら脱がした服も置いて行けばいい。なぜ、わざわざ服だけを持ち去ったのだろう。それも血がかなり付着していたであろう服をだ。処分に困るだろうし、誰かに見られたら言い訳もしづらいだろうに。

 もしかしたら血まみれの服が好きで好きで仕方ない、変態嗜好の持ち主なのかもしれない。身震いしたくなるほどゾッとする考えだが、身近に変態が多いので、どうしても思考がそっちに傾いてしまう。ったく、部下が変態だといらん苦労をかけられるものね。

「おい、どうした。地蔵みたいな顔になってるぞ」

「誰がお地蔵様だ。推理の海で泳いでるのよ」

「溺れかけてるようにしか見えん」

「失礼すぎるだろ」

「浮輪でも投げてやろうか」

「どんな浮輪を投げてくれるのかしら? ちょっと気になるわね」

「じゃあ、投げてやる。直接対決しろ」

「は?」

「うだうだ考えるのはやめて、サシでやり合えばいいだろう。どうせ犯人は兼土直士だ。お前の姿を見せりゃすぐビビるだろ。仮に他の誰が犯人であっても兼土直士を含めて五回対決すりゃすむ。お前の貧弱な頭脳を振り絞るよりずっと時短だぜ」

「ぐぬぬ……」

 全力で言い返したいが、これまでの実績を考えるとうまく言い返せない。それに言い返したら十倍ぐらいの勢いと分量でガミガミ言われることになる。しかし、他にうまい手が思いつかない。正直、いつもの通りだが、すんなり認めるのはシャクだ。

「で、でも、兼土直士は私の死体を見てないからビビるかもしれないけど、他の相手は私の死体を演技だと思ってるんでしょ? 姿なんて見せたら驚くどころか、怒り狂うんじゃない?」

「だから、犯人は十中八九、兼土直士だって言ってるだろうが」

「違ったらどうするのよ」

「その時は新しく方法を考えろ。お前が」

「人任せか、この野郎」

「助手任せの探偵には言われたくないね。で、どうする名探偵?」

 影丸はニヤニヤ笑ってこっちを見てくる。ド畜生め。性悪の鬼畜野郎!

「……わかった。とりあえず、兼土直士と戦いましょう。セッティングはまかせるわよ、影丸」

「それぐらいならしてやろう。バスローブ姿で歩き回られたら俺まで良識を疑われるからな」

 ムカつく助手は嫌なことを思い出させてくれる。

 って、あれ? もしかして私、この格好で犯人と対決するの? いやだな……なんか締まらないじゃない。めちゃ恥ずかしいし。

 その後、影丸は私と兼土直士との対決の場を作るため、面倒くさそうに部屋から出て行った。どうやら対決に自分の部屋を使うつもりらしく、私は自分の部屋での待機を命じられた。外で待っていてもいい、と言われたがこの格好で待てるわけがなく――嫌がらせで言ったことは間違いない。外で待っていて兼土に見られでもしたら大問題だ――私は大人しく部屋に引っ込んだ。

 私は部屋で犯人との対決前の精神統一でもしようと思っていたのだが、どこから調達してきたのか、助手がバケツと大量の雑巾を持って来て「血液をできるだけ拭け」とのたまった。

「おいおい、人様の家で死んだふりして絨毯を汚したのは誰だ?」

「いや、ホントに死んでるから。フリじゃないから。犯人にやらせるべきでしょ」

「無理だって。お前が生き返った以上、あれは死んだフリになっちまったのさ。殺したと思っている犯人にしても、お前が死んだとは思わねぇよ」

「でもさあ、いっつも思うんだけど割に合わなくない?」

「知るか、バカ。それに汚したままだと無駄金を請求されるぞ。向こうはお前のいたずらだと思ってんだから。最悪、依頼すら破棄されかねん。じゃ、頑張れよ」

「ぐぎぎ……」

 誰のせいでいたずらになったと思ってるんだ……!

 しかし結局、私は歯ぎしりしながらバケツと雑巾を受け取った。

 バスローブもバスタオルも真っ白で、血液なんかを水拭きしようものなら、気がついた時には真っ赤に染まってしまう。そんなことになれば何のために血まみれの姿をやめたのか分からなくなる。私はやりきれない思いを感じながら下着姿になり、せっせと絨毯を拭いた。

 ……きっとシンデレラってこんな気分なんだろうな。いや、シンデレラより悪い。私には優しい魔法使いの代わりに口の悪い助手がいるだけ。美しいドレスどころかまともな服もなく、バスローブで勝負に出なければならない始末だ。

 しかし、この手の掃除も慣れたもので――慣れたくはないけど――私は頭の隅で色々と考えながら、てきぱきと掃除をし続けたのであった。

 血痕がだいぶ薄くなったころ、影丸がノックもせずに入ってきやがった。私はあられもない下着姿で掃除中。

「ぎゃあ! ノックぐらいしろ!」

「何を喚いてる。今さらだろうが。俺はお前に毛ほども興味ないし、お前の下着姿なんて見飽きてる。その姿で死んでんのを発見したのは俺だぞ」

「やかましい! 死んでる時は見られてる感覚ないんだよ!」

「はいはい。で、準備は整ったぞ。俺の部屋に呼んである。行って来い」

 乙女の恥じらいには頓着せずに、無神経な助手はそんなことを言うのだった。

 私は悲しい勝負服を泣く泣く着こみ、犯人らしき男との対決に向かう。


 

 私はノックもなしに扉を開け放った。

「遅かったじゃね――うっ!」

 部屋の中央に不安げな様子で突っ立っていた兼土直士はこちらを振り返って絶句した。おそらく影丸が入って来ると思っていたのだろう。

「よくもやってくれたわね」

「は、はあ? なんのことだよ? 俺なんも知らねぇし」

 兼土の目はバシャバシャ泳ぎ、こっちを見ようともしない。ひっきりなしに額を拭っているし、そわそわと落ち着きがない。

 兼土直士の挙動は明らかに不審。こりゃ影丸でなくても犯人だと思っちゃいそうだ。っていうか、間違いなく犯人だ。

「あんた、私のことぶっ刺しといてその言い草はないでしょ。なに、正面から刺しといてバレてないとでも思ってんの? すっとぼけんじゃないわよ」

「…………」

「だんまり? 別にいいけど、私の機嫌を損ねるなら全部ばらしちゃうかもしれないわよ」

「うお――――!!」

 青い顔で冷汗ダラダラだった兼土は突然、獣のような叫び声をあげ、包丁片手に突っ込んできた。得物は同じみたいね。

 まあ、想定内。

 突き出された包丁をかわして右手で相手の手首を掴む。体を回転させ、腕を引っ張りつつ、左手で肘関節を押す。体勢を崩させて手首をホールド。手首に関節技をかけて武装解除、引っ立てて腹に正拳を二発、とどめに蹴り飛ばしてやる。

 兼土は呻きながら無様に大の字で床に伸びる。

 襲いかかってくるのは想定内だったが、あまりにも短絡的な行動だ。現状把握能力が低いと判断せざるおえないわね。

「なんだって殺人未遂ですんだのに、わざわざもう一回殺そうとしてんのよ」

「お、お前がいると楠美と結婚できない……。俺の過去を暴きに来たんだろ! 楠美の親に知られたら絶対許してもらえない!」

「んで、やってきた探偵を殺してデータを奪おうとしたわけ? あのさ、殺された……じゃない、刺された身でこんなこと言うのもあれだけど、あんた馬鹿でしょ。短絡的すぎるし、その場しのぎすぎ」

「うるせぇ! とにかくお前がいなくなってデータがなくなればそれでよかったんだよ! 報告さえなきゃなんとかなったはずなんだ!」

「…………」

 なんかムカついたので肝臓を蹴っとばしてやる。

「ぎゃっ! うう……」

 予想してはいたことだが、こいつが犯人で確定。さて、どう料理したものか。

「ううっ……ごめん、楠美……失敗しちまった」

「え? 楠美ちゃんも噛んでるの?」

「んなわけねぇだろ! 楠美が人殺しの計画に加担するか! あいつはそんな奴じゃねえ! 全部俺の独断だ! そもそもあいつは俺の過去知ってるし、楠美自身は親にも受け入れてもらえるって思いこんでるんだから!」

「ああ。あの子箱入りっぽいしね……自分が好きになった人は親も認めてくれる、か」

「そうだ。でもそんなことありえねぇ」

「だから不利な情報が渡る前にデータを奪って、調べて来た本人を亡き者にしようってハラ?」

「ああ」

「ふざけんのも大概にしなさいよ。殺人犯になってまで楠美ちゃんと一緒にいられるとでも思ってんの? それこそ親が許さないでしょうし、楠美ちゃんだって幻滅するわよ。あんたが必死こいてやったことは全部裏目なのよ。殺してデータを奪うって、それって楠美ちゃんのためでもなんでもない、あんたの保身でしょうが!」

「黙れ! 俺の気持ちがわかってたまるか! 俺がどんな思いで!」

「甘ったれんな、ボケ! どんな思い? 知るか、アホ! 殺されかけたこっちの身にもなれ! だいたい、人を殺す覚悟なんて、くっだらない覚悟決めんなら他に決めるべき覚悟がいくらでもあんでしょうが! 過去を隠すのに頭をしぼるぐらいなら、今の自分を磨け! 過去のやんちゃなんてどうでもよくなるぐらい、今がよければそれで解決だろうが!」

 めそめそと戯言を吐き続ける兼土に無性に腹が立ち、私は馬鹿の胸倉をつかみ上げ、精一杯どなり散らしてやる。ビンタでもくらわせてやろうかと思ったが、兼土の顔があまりにも哀れな表情になってしまったので気がそがれた。

 どうやら、やっとこさ自分がしでかしたコトの大きさに気づいたらしい。こういう犯人はたまにいる。強情に認めない奴よりは扱いやすいが、なぜかこっちが悪者みたいな感じになって複雑な気分になる。

「す、すいません、すいませんでした。俺が悪かったんです。過去がばれたらもう終わりだと思って、これしかないって思いこんでやったけど、最悪だった……」

「やっとわかったか」

 さーて、どうしたもんかな。

 こいつを警察に突き出してもいいのだが、刺された本人である私がピンシャンしすぎているため、どうしても事件性は薄くなる。警察に傷を見せてとか言われたらもう大変なことになる。なにせ、刺された傷はどこにもないのだから。毎度くやしい思いをするポイントだ。この持て余した怒りを兼土に全力でぶつけてもいいけど、流石にうずくまって泣いている男をボコボコにする趣味はない。

 私には理解できないけど、楠美ちゃんはこいつにベタ惚れみたいだし、あの可愛らしい子を悲しませるのは忍びない。あの子には何ら罪はないしね。

 兼土と私で決着をつけよう。

「兼土直士」

「……はい」

「私は仕事を完璧にこなすつもり。あんたに奪われたデータのオリジナルは事務所にあるし、もう一度助手に送ってもらう。そして、それを餅岡氏に渡す。探偵として受けた依頼はきっちりこなす。その邪魔はさせない」

「はい……」

「ただし、あんたの傷害事件は誰にも言わないであげる」

「は……へ?」

「幸いというか、不幸中の幸い……不幸中の最悪というか、あんたが私を刺したことは誰にもバレてない。楠美ちゃん達には死体……じゃなくて気絶してる姿を見られたけど、助手のおふざけ……助手の……助手の機転で、私のドッキリということになってるから、私が口をつぐんでしまえば、もう表に出ることはない。永遠に闇に葬れるわ」

「え? え? なんで?」

「まあ、楠美ちゃんのためかしらね。あんたのことは嫌いだけど、彼女を悲しませる道理はない」

 楠美ちゃんにはめちゃくちゃ嫌われたけど。まあ、それは建前で、真面目な理由として、事件にするとこっちが面倒だっていうのがある。

「あ、ありがとう、ありが――」

「慌てるな。タダとは言ってないでしょ」

「え?」

「一つ、楠美ちゃんを悲しませないこと。二つ、それに付随して短絡的な行動を取るな。楠美ちゃんのことを第一に考えて行動しろ。三つ、楠美ちゃんの親に過去がばれることは自分で何とかしろ。人を刺すガッツをポジティブに変換してな」

「はい、それはもちろん。必ず約束します」

「だから慌てないでって。四つ、慰謝料。そうね……治療費として二十万。追い打ちをかけない。これっきりでこれっぽっきり……あ、もう一個、私のスマホはどうせ捨てたんでしょ。それは弁償してね。最新のだったから」

「はい。まあ、それぐらいなら、当然ですよね」

 兼土の言葉の端々に「めちゃ元気じゃん」みたいな空気が混じっていたが、そんなの知ったことか。二十万なんて安っすいもんだろう。こっちは死んでるんだ。もっとふっかけてもいいが、節度は守ろう。私は強請りではない、誇り高き探偵だ。

「以上の約束を守れるかしら」

「はい」

「ならこれで手打ち」

 形式上だが、私は兼土に手を差し出して引き起こしてやる。やーれやれ、これで完全に解決か……じゃなくて!

「えっと、確認なんだけど、あんたは部屋に入るなりいきなり私を刺して、その後、気絶した私の体をバラそうした」

「え、はい。そうです。不意を突かないと刺せないと思いましたし。まあ、気絶したっていうか、俺としては完全に死んだように感じましたけど……」

 まあ、その感覚は正しい。なぜなら死んでいたから。兼土は思いっきり不審げな顔をしているが、現にぴんしゃんしている私を見てしまっているので、納得せざる負えないようだ。

「気絶してたか死んでたかは些細な問題よ。私の死体……私の体を切断しようとした。それは証拠隠滅のためね? 死体はバラした方が運びやすいし、処分もしやすいように思える」

「はい。まあ、そうです」

「しかし、バラすのは思いのほか重労働だった。あんたはすぐに諦めた」

「はあ……まあ、そうですかね。あの腕から切り落とそうと……あ、すいません。失礼な話ですよね」

「別にいいから。続けて」

「はあ。腕を落とそうとしたはいいんですが、服が……」

「服が?」

「のこぎりに絡まっちゃって……」

「…………」

 ……ああ。なるほど。だから私は下着に剥かれていたのか。

「全然、外せなくなっちゃったんですよね。それで動転しちゃって、慌てて逃げなきゃと思って、それでものこぎりなんてもの置いとくわけにはいかないし、仕方なく服ごと持ち去りました」

「ああ、だと思ってたわ。予想通り」

「えっ? 流石探偵だ……」

「ま、まあね。当然でしょ」

 もちろん嘘だが。兼土にはわからない。

「じゃ、これでね。あんたは私との約束以外、すっかり全部忘れなさいな。もう二度と人なんか刺さないように。前向いて生きてけよ」

「はい。約束します、必ず」

 低く低く平頭する兼土直士を見送った。ばたん、と扉が閉まる。

 今回も犯人との対決は終わった。

はあ……。犯人が服を持ち去ったのに深遠な理由なんてなかった。ただ、慌てたバカがむちゃくちゃにやっただけだった。のこぎりが絡まったから服ごとって。まあ、見方によっては正しいっちゃ正しいけど。もうちょっと何かこう……何かあるだろ。何か他に、もっとびっくり仰天な理由が!

 そもそもバラバラ死体をつくりたいなら、服は最初に脱がしておけよ! 邪魔になることぐらいわかるでしょ⁉

「おい、どうした。普段通りのシケた面だが」

「やかましい」

 兼土と入れ替わるように部屋に滑り込んできた影丸が相も変わらず暴言を吐く。そういや、こいつの部屋だった。

「で、首尾は? お前の貧乏神みたいな雰囲気から察するにしくじったか」

「しくじるわけないでしょ。万事うまくいったわよ。二十万の追加報酬もゲットしたし」

「ほう。一応仕事はしたわけか。成長したな、馬鹿のくせに」

「一言多いっ! そもそも私は仕事のできる女だ!」

「ま、言うだけなら誰にでもできる」

「うっさい」

「俺の方も諸問題を片付けておいた。死体女と傷男に連絡して、バスローブ探偵の落ち度でパクられたUSBの代わりを取り寄せておいた。今頃、バイク便でこっちに向かっているだろう。データでもよかったんだが、保存できて依頼者に渡せるデバイスはないし、印刷するにも、この家のヤツを借りるのも格好がつかないしな」

「まあ、手際がいいのは認めるけど――余計な一言が多すぎるのも認めろ――ここへ至る道は土砂崩れで通行止めなんでしょ? 大丈夫なの?」

「だから都合がいいんだ。依頼者が土砂崩れで足止めを食ってる間に、バイク便が追いつくだろう。開通の見通しはまだらしいからな、そして、通行止めが解除されたあかつきには、そろってこの屋敷に辿り着くわけだ。俺達は依頼者を待たせずに済み、データを紛失したというお前の失態もカバーできる」

「なるほど。相変わらず小賢しいわね」

「お前も相変わらず探偵のくせに、貧相な発想だ。これぐらい言われなくても推理して見せろ」

 仕返しのつもりで一言文句を言ったら、私の探偵としてのプライドをズタズタにして来やがった。ムカつく。

 まあ、通行止めを知らないであろうバイク便の人には申し訳ないことをしている。ま、この性格のねじ曲がった男の依頼を受けた自分の不運を呪ってもらおう。私は関知していないし。

「そう言えば、バイク便でデータだけじゃなくて、私の服も頼んでくれた?」

「思いつきもしなかったな……」

「……でしょうね」

 期待してはいなかったが、案の定だ。この馬鹿に人間的心遣いができるはずもない。

 帰りの服、どうしよう。事件を解決した今、最大の心配事はそこだけね……。最悪、影丸の上着を羽織って帰らなければならないだろう。下着にジャケットという実に変態な格好になってしまうけれど、もう仕方あるまい。少なくともどこかで下は買うつもりだ。もちろん影丸はめちゃくちゃ嫌がるだろうし、「下着で帰れ」とか「下着で一人で帰れ」とか言うだろうけど、そこは所長命令でも何でも使って、上着だけでも強奪してやる。してやらねば、店にも入れないし、事務所に帰れない。

「はぁー。それにしても、今回もつまんない真相だった。どっかにいないのかしらね、とんでもないトリックを考える犯人って」

「その名探偵チックなセリフは名探偵になってから言え。そもそもとんでもないトリックなんか手に負えないだろ。敗北が目に見えてるのに、哀れな奴だ」

「うるさいっての!」

「ま、無事に終わって何よりだ」

「いきなり綺麗にまとめようとすんな」

「知るか。バスローブを着た変態は出てけ。俺の部屋だ。俺は働いたから休む」

「私だって働いたから! お前より全っ然働いてるから!」

「お前はまだ仕事が残ってる」

「はあ? 何の話?」

「お前の部屋の血痕掃除だよ。あれじゃダメだ。まだまだバレる。もうちょっときれいに掃除しないとな」

「……忘れてた」

「思い出せたんなら何よりだ。じゃ、頑張れよ」

「て、てつだ――」

「自分のケツは自分で拭け」

 あれよあれよという間に、ニタニタ笑う影丸に部屋から押し出され、鼻先で扉を閉められる。

「…………」

 部屋の中から高笑いが聞こえてくる。降りしきっていた雨がやみ、廊下の窓から一筋の光が私を照らす。天気は晴れたが私の心は晴れない。助手に対する怒りで真っ暗だ!

 ド畜生め!

 扉に向かって声なき文句をぶちまけたが、当然反応はない。

 どっと疲れた。犯人と対決した疲労も相まって、体中の毛穴からドロドロした疲れが吹き出しそうな気分だ。私はすごすごと自分の部屋へ向かった。

 犯人を追いつめた探偵の後ろ姿じゃないよ、これ。なんでこんな疲れきって敗北者みたいな姿をさらしてるのかしら? バスローブ姿だし、これから掃除が待ってるし……。

 はあ……。頑張ろう、私。

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