1.これは密室殺人と呼べるのか?
連作短編の予定です
ゆったりと黒い水の中を漂っている――ような感覚だった。目を開いても見えるのは暗黒だけだ。何も聞こえないし、匂いもない。ただただ静寂で無臭な世界だ。肌にまとわりつく水は――本当に水なのか確証はない――ねっとりとして、心地よいのか、気色悪いのか、判断に迷うところだった。
しかし、私はこの感覚をよく知っている。憶えていないけれど、よく知っている。そう、私はこの奇妙な世界を経験したことがある。それも何度もだ。ここがいかなる世界なのか、またどんな意味を持つのかは理解できていないが、少なくとも何もわからないことがわかる程度には経験している。
だめだ。思考がまとまらない。いつものことだ、と頭の片隅で考える。ここに来る前、何かをしていたはずなのだけれど、それが何かはさっぱり思い出せなかった。
そんなことをつらつらと考えていると何の前触れもなく、目の前に光が散った。
それで分かった。
時間だ。
ぱっちりと目が覚めた。格子模様の天井が見える。どうやら薄暗い部屋にいるようだ。
えーと、どこだったかな……? 意識がちょっとぼんやりしてるわね……。
そんな事を考えながら腹筋の要領でゆっくりと上体を起こす。見まわしてみれば中々に広くて上品な部屋だった。クローゼットやらベッドやらの調度品も高そうだし、おそらく部屋自体の質もいいのだろう。惜しい点をあげるなら、強烈に鼻を突く金臭さぐらいだ。私はさっきまで頭を置いていた絨毯を見やる。
そこにあるのはクリーム色の毛の長い絨毯に絡みつくように咲く、ラフレシアのような赤黒い染みだった。
どうやらまたやってしまったらしい。まぁ、やってしまったというか、正確を期するなら『やられてしまった』だけど。
さて、目覚めてしまった以上、素敵だとは言え、この金臭い部屋にとどまる理由はない。いや、そんな消極的な理由じゃなくて。私は一刻も早くこの部屋を出て、ぶん殴らなければいけない相手がいるのだ。それがどこの誰なのか、今のところわからないが必ずぶん殴ってやる。部屋の現状を見る限り、それが最もふさわしい報復であることは間違いない。
とにもかくにも部屋を出る前にざっと点検はしておくべきだろう。部屋の様子は当然として、まずは身なりだ。私は備えつけの洗面所で自分の状態を確認した。額やら鼻やら髪の毛やらに血がこびりついていたのでさっと洗い流し、モジャモジャになっていた髪を手櫛ですく。これで一応は見られる格好になっただろう。
次に行こう。
部屋の様子。手始めに鍵の有無だ。窓、掛かってる。観音開きの窓で鍵は下方に落とし錠が二つと腰の高さの辺りにあるスライド錠の二種類。どちらもしっかり閉まっている。テラス付きの大きな窓だったが、ガラスも無傷だし不審な部分はない。壁やベッドの下も確認したが特にめぼしい物はなかった。
「……後で確認しに来た方がいいかしらね」
いまいち記憶がはっきりしていないし、もう少しこの状況に対する情報を持ってからの方が新しい発見があるかもしれない。
部屋の外へと足を向けた。チラリと確認すれば、部屋の扉は鍵の辺りが盛大に破壊されていた。うん、この原因は簡単に推測できる。
部屋の外に出る。廊下にも毛の長い絨毯が敷かれていた。部屋のものはクリーム色だったのに対し、廊下は禍々しい深紅だった。
ふむ。そう言えばそうだった。しかし、この手の絨毯は足音をかき消してしまう。これじゃ背後から寄ってくる危険に気づきにくい……ちっ。警戒していたのに。
頭の方の記憶はぼんやりしているが、体が応接広間の位置を憶えていた。自然に足をそちらに向ける。おそらく――経験から言えば――大多数の人間が一か所に集まっているはずだ。
廊下を歩き、シンデレラ城かよ、思わせるような階段に出てシャンデリアが吊り下げられた広間に辿り着く。高級そうな木張りの床に上品な茶色のラグが敷かれ、ふかふかのソファに重厚なテーブル、彫刻やら置物など調度品も完璧。おとぎ話にでてくるような広間である。
シンデレラ階段の上から広間を見れば、ソファとテーブル周囲に数人の人間がたむろしているのがわかる。
「あ。……所長!」
音黒ちゃんがスマホから顔をあげ、こちらを見て声を上げた。
その途端。広間すべての視線が階段上の私をとらえた。どの顔も一様に驚きを浮かべ、信じられないようなものを見る目をしている。
失礼な感じもするが、当然と言えば当然だ。
私はその視線をつとめて気にしないようにしながら、階段を降りて音黒ちゃんに近づいた。彼女はにこやかな笑みを浮かべてスマホをジーンズにしまい込み、さっと立ち上がる。私達はたがいに近づき、ひしっと抱き合った。
「無事だったんですね! あたし、所長の無事を信じてました!」
「ええ。問題ないわ!」
私達は決まりきったルーチンのごとく、うすら寒い演技をする。ポカンとした間抜け顔をさらす他人に見せるためだけの演技だ。
「で、音黒ちゃん。感動の再開もいいんだけど、さっそく動くわよ。捜査推理を始めましょう」
「了解です」
私達はさっさと広間から退出しようと歩き出した。が、そこで我に返った奴がいた。
「ちょっと待て! ちょっと待ってくれ!」
「何か?」
慌てて私に声をかけて来たのは禿頭にひげ面の初老の男性だった。確か、石谷とかいう医者だったかしら? まだ記憶が不安定だ。この辺りはおいおい思い出せるだろう。
「いや……あの、何と言えばいいのか……その……君は……」
「私がどうかしましたか?」
「その……馬鹿みたいに聞こえるだろうが……君は死んでいた……はず」
「石谷先生。一体何をおっしゃっているんです? 医師ともあろう人がそんな馬鹿げたことを」
「確かに馬鹿げた話に聞こえるだろうし、実際、言ってみて何を言ってるんだと自分でも思うけれど……君は死んでいた気がするんだ。確かに。なにせ、一応だが私自身が検死したのでね……その際に見た後頭部の裂傷――というのはマイルドな表現になるが――はかなりひどいものだった。それはもう生きていられないぐらいに、脳はぐちゃぐちゃだったと記憶しているんだが」
不審げな顔の石谷医師にとっておきの営業スマイルを向ける。
「気のせいですよ。現に私はピンシャンしてますし。気が動転されていたのでは? あまりないことですから」
「いや、しかし……」
「では、私は自らの本分に戻ります。皆様はここにいて下さい。できるだけ動かないように」
私達はあっけにとられている石谷医師以下数名を広間に残し、逃げるようにその場を立ち去った。
とりあえず私達は割り当てられている部屋に戻って一息ついた。さっきまで私がいた部屋とよく似た部屋だ。金臭さはないし、二人部屋だけれど。
「ふぃー……毎度のことですけど、取り繕うのって緊張しますよね。逃げてるみたいだし」
「逃げてるみたいなのは仕方ないでしょ。衝撃から立ち直る前に立ち去らないと面倒なことになるもの。石谷医師が冷静になって傷を見せてくれ、なんて言い出したら目も当てられないじゃない」
「ですよねー。毎度ハラハラです」
音黒ちゃんはそんな事を言いながら、ベッドに腰掛けて芝居がかった仕草で額を拭った。
腹の立つ仕種だ。
「ま、何にせよ、本当に取り繕えているのかは微妙なとこですけど」
「別にいいのよ」
私は髪を手櫛ですきながら音黒ちゃんの隣に腰かけた。ぽろぽろと血の塊が取れた。ちくしょう。まだ残ってやがる。
音黒ちゃんは私には見向きもせず、熱心にスマホに見入っている。
「あんなのは形だけでも見せとけばいいの。確かに数時間前の私が死んでいたとしても、今現在はちゃんと生きているんだから。彼らの過去の正しかった記憶より、今の認識が重要なのよ。生きてる姿を見せつけるのが大事」
「さすが探偵ですね。パッと聞いた感じ正しそうな理論をこねくり回すのがうまいです、とか影丸先輩なら言うとこでしょうね」
「あの馬鹿の話はいいから。いない時ぐらいチクチクした皮肉なんて聞きたかないわ」
ニタニタ笑いが止まらない音黒ちゃんの肩にパンチを入れる。今の彼女はご機嫌なので多少手荒に扱っても文句は言わない。
さて、この辺りで自己紹介を。私の名前は九猫夜美。二五歳。艶やかなロングヘアが自慢で黒いスーツがよく似合うクールビューティである。
職業は探偵。
そして非常に説明しづらい奇怪な体質を持っている。その体質のせいでこれまで何度もひどい目に遭ってきたし、これからも遭うのだろうし、今の厄介な状況もこの体質に起因している。
その体質とは、すなわち『蘇る』。
死なない。黄泉の国から舞い戻る。不死身。人生やり直し可。
どう言ったって構わないけれど、究極的にはっきり言ってしまえば、私は『死んでも復活する』のだ。与えられたダメージによって復活時間は長短あるが、だいたい二時間から二十四時間ぐらい――最大四十八時間――で復活することができる。
私は首を絞められても、水に沈められても、心臓を刺されても、頭を割られても、数時間で何事もなかったかのように起き上がる。今までで一番ヤバかった死に方は四肢と首をチョンパされたことだが、その時にもバラバラになった腕脚首を胴の近くに置いておくと、勝手にくっついて、結局復活してしまった。
最初に殺されたとき、何が起こったのかさっぱりだった。が、とにかく誰かに殺されたことだけは理解でき、私はその怒りにまかせて犯人を追い詰めた。その縁というか、成り行きで探偵業に就いている私である。
実際のところ、私はことあるごとに殺されている。仕事で外へ出れば高確率で殺される。世間では探偵と言えばカッコイイ職業の一つ、少なくとも小説、漫画、ドラマ、映画といったエンターテイメントにおいては間違いなくイケてる仕事で、みんなに好かれてるということは賛成してもらえるだろう。
だがしかし、現実世界では探偵のお世話になる人の周りにいる人々は、総じて探偵が大嫌いらしく、痛い腹を探られるぐらいならその前に殺してしまえ! という極端な思考回路を持っている。そんな極端すぎる人々のおかげで私は何度も何度も死に姿をさらしているのだ。
生き返るとは言っても傷を受ければ死ぬほど痛い。死ぬほどというか、その一瞬後には死んでしまうわけだけど、痛いものは痛いのだ。で、痛いものは嫌だ。痛いことをしてくる犯人がムカつくし、到底許せない。報復としてブン殴りたくなる気持ちもわかってもらえるでしょ?
いや、そんなことを言っても殺された本人が蘇るのだから、犯人はすぐに絞り込める。
と、普通なら思うだろう。
しかし、そうは問屋がおろさない。私は死ぬと、その瞬間から数時間ほど前の記憶の大部分を失ってしまうのだ。それがどういった理由で起こるのかはわからないが、そもそも生き返るメカニズムすら意味不明なのだから、その後のことを解明しようなんて夢のまた夢なのだろう。ちなみにさっき言った「痛いのは嫌だ」という話だが、もちろん痛みの記憶もなくなる。ただ、痛みの記憶がなくなるからといって、痛くなかったわけではないのだ。腹立たしいことに時たま、痛みの記憶を保持したまま復活することもある。そんなもんを持つぐらいなら殺しに来た相手の顔を憶えておきたいものだが、記憶ってのは中々思い通りにいかないのである。
なんにせよ、肝心なのは記憶を無くしてしまうことだ。故に私は推理もしくは謀略で犯人を追いつめなければならない。
「さて、音黒ちゃん。私はどのぐらい死んでたの?」
「四時間半ってなところですかね」
音黒ちゃんは腕時計に目を落としながら言った。
この女は私が所長を務める九猫探偵事務所の助手その一で、名前を式咲音黒。二四歳。茶髪の癖っ毛ショートヘアがよく似合う、えくぼが素敵なゆるふわ女子である。
外見は。
しかし、この女の内面は腐ってる。常識を持つ人間からは間違いなく眉をひそめられる特殊な性癖を持っている。
音黒ちゃんは重度の死体愛好家なのだ。それはもうひどいありさまで、なんの死体であれ、死体と見れば写真を撮らずにはいられないし、できれば冷凍保存したいと願っているし、むしゃぶりついて舐め回したいとも思っているかもしれない。そっち系の危ないサイトばっかりサーフィンしているし、恐竜博物館ってレプリカとはいえ死体だらけで素敵ですよねとか、ゾンビと付き合いたいんですとか、三度の飯より死体です、とか言うアホであり、とにかく死体が好きすぎてぶっ飛んじゃってる女の子なのだ。
そんな彼女は私にぞっこん。こんなのにモテても嬉しくないけど、とある事件で体質を見抜かれてから、たちの悪いストーカーのごとく付きまとわれてしまい、気がついたら私の事務所に住み着いていた。
「どんな生き物であれ、本来なら死体は一回限りの美でしかありません。ある人が絞殺されたのならその人の完成型は絞殺死体でしかなく、寿命で死んだのならそれは老衰の美でしかない。いえ、それはそれで類を見ないほど美しいものなんですけれど! でもあなたは違う。あなたには百万通りの美が待っている! 同じ存在が別の死体になることができる! これが興奮せずにいられますか!! あなたは人類の夢です! 宝です! 最高です!!」
と、音黒ちゃんはまくしたてたことがある。
意味が分からん。
意味が分からんどころかブチ切れてぶん殴ってもいいぐらいだったけれど、あまりにも堂々たる主張だったので反論できなかった。死体を語る彼女の爛々とした瞳に気押されたというのもあるけれど。
で、音黒ちゃんは宣言通り、私のあられもない死体を眺めまくり、写真に収めて収めて収めまくり、彼女にしかわからない世界を心から堪能している。絞殺死体も撲殺死体も刺殺死体も毒殺死体も音黒ちゃんにとっては垂涎の対象でしかなく、彼女のスマホには警察に見つかったら任意同行を求められるぐらいの死体画像が数々収められている(九九パーセント私の死体だ)。探偵の助手として所長が死んでしまったら、現場検証という名目で写真が撮れる。おそらく嬉々とした表情で撮影会をやっているに違いない。むろん、私はそのとき死んでいるのでその様子を見たことはないのだが、間違ってもしおらしい表情ではあるまい。
ちなみに私の助手はあと二人いる。しかしまあ、これも音黒ちゃんと似たり寄ったりの大バカ野郎どもで、社会通念上、当たり前のように忌避される性格の持ち主たちだ。
変なのは体質だけにしてほしい。何が悲しくて部下まで奇人変人でないといけないのかしら。
「で、所長、今回のお姿も見ます? 相変わらず完璧ですよ!」
頬を上気させたしまりのないヘラヘラ笑顔で音黒ちゃんがスマホを差し出してくる。画面いっぱいに映し出されているのは、当然のごとく私の死体である。
「いや、嬉々として差し出さないで。何度も言うけど、私は自分の死体を見て楽しむ趣味はないの」
「えーっ! あたしなら絶対喜んで見ますけどねー」
「音黒ちゃんの感覚がおかしいんだからね? こっちの反応が正常」
「って言っても、正常な人は自分の死体を見ることなんかできませんよ」
彼女の至極まっとうな意見を聞いたところで、私はしぶしぶスマホを受け取った。何にせよ、この情報は推理に必要になるので仕方がない。はあ……。
一枚目に映し出されていたのは全体像を撮ったものだ。写真の中の死体は――まあ、私は、と言うべきなのだろう――ほぼ大の字に近い形で仰向けに倒れていた。後頭部の周りに赤黒い染みが広がっているのがはっきりとわかる。
額には血がこびりついていて、自慢の髪は放射線状に広がって血で汚れている。鼻血も出てるし、両眼なんて白眼のお手本のようだ。はっきり言って気持ち悪いぐらいブサイクな死体だった。
誰だ、こいつ。
いや、もちろん私なんだけれど。
「はぁああ~……今回も最っ高ですねぇ……」
私の横からスマホをのぞきこんで来るバカな女が艶っぽいため息とともにそんな事を言った。自分の死体を見てヘコんでる人間の横でふざけたことを言うのはやめてほしい。
ブン殴ってやろうか。
じっとりした視線で音黒ちゃんをにらむが、彼女の方はどこ吹く風でスマホの画面に見入っている。見つめすぎてスマホに穴が開くかもしれない。むしろ開けばいいのに。
このやろ……私が復活するまでの間ずっと見てたくせに、まだ見足りないのか。
ブン殴って……いや、不毛だ。音黒ちゃんの奇行は今に始まったことじゃないし、もう矯正には手遅れだ。それよりも続きを見るとしよう。
画像をスワイプする。二枚目は顔のアップだった。私の無様な死顔がでかでかと画面を支配する。もう見ていたくない。次だ。三枚目は別角度の顔面アップである。
次。
別角度の顔アップだった。その次も次も次も微妙に角度を変えた顔面が延々と現れ続ける。
「どんだけ撮ってんのよ!」
「足りないぐらいです!」
しばしのにらみ合い。私は視線を逸らしてぶつくさ言いながらスワイプを続ける。七十枚ぐらいの顔を見て、やっと新しい写真に出会えた。
「うげぇ!」
新しい写真は後頭部の致命傷のアップだった。赤黒い肉と割れた頭蓋骨の黄みがかった白、潰れた灰色の脳のコントラストが気持ち悪い。見慣れていると言えば見慣れた光景だが、いきなり見せられると心臓によろしくない。やれやれ……。
それから私は趣味丸出しの死体画像も見続けたが、特段めずらしいところのない撲殺死体だった。目新しい発見はない。
「ふむ。普通ね」
「そうですねぇ。いい死体ではありますけど、推理につながるかどうかはよくわかりませんね」
音黒ちゃんは私の手から奪い返したスマホを飽きもせずに眺めながら言う。
「じゃ、音黒ちゃん。私の死体が発見される経緯を教えてもらおうかしら」
「了解です。えっと……所長、どのぐらい覚えてます? 今の状況について」
「馬鹿みたいにお金持ちの高賀天作っていう爺さんの後妻――高賀麗美、三二歳が浮気しているのではないか、という疑惑があり、天作爺さんの依頼で私達はここに来た。ここっていうのは――アホみたいな話だけど――天界島なる高賀家所有の島で、絶海の孤島よ。その島に建つ天光館にて天作爺さんの八八歳の誕生日パーティがあるってことで、近しい人間が招かれている。で、その招かれた人間の中に麗美の浮気相手がいるらしいので、私達は天作爺さんを助けた恩人という体でパーティに参加し、浮気相手を突き止めるって作戦だった」
「そうです。お金持ちに対するひがみが強いですけど、説明としては正解です」
「うるさい。……で、一日目は人が集まってくるだけだったから、私達も情報収集に徹していた――金持ちだらけで、成金全開のコレクションが山ほどある天光館でね! 二日目の夜に本格的なパーティが行われる予定で、その夜が逢瀬の本番だろうからって話だった。私は二日目の朝ごはんを食べて、人に話を聞いて、お昼を食べて……記憶がない」
「ま、そんなとこでしょう」
「えっと、聞くのを忘れてたんだけど、今いつ?」
「二日目の午後七時前です。ちなみに今現在、ゲリラ嵐が天界島を襲ってます。警察に連絡はしましたが到着には時間がかかるでしょう。要するに嵐の孤島ですね」
「はいはい。ありがちな展開ね……警察が来ても死体はないわけだけど」
「どうして所長が殺されるとミステリな展開になるんでしょうね? たいてい警察が来られない事件になりますよね……まあ、司法解剖中に復活するとか、笑えない話ですけど。もしかして所長、推理小説の神にでも愛されてるんじゃないですか」
「その話は置いといて、ということは……えっと、私は四時間半ぐらい死んでたのよね?」
「はい。所長の死体発見時刻は午後三時頃です。所長とあたしは昼食後、別行動を取り、麗美さんの調査を行っていました」
「そういえばそうだった気がするわ。あんまり憶えてないけど」
「で、所長が三時のおやつに現れなかったので、これはおかしいと思い、皆さんに連絡し屋敷を捜索するに至りました」
「私を大食いキャラにしたいのが気になるけど、まあいいわ。その結果、あの部屋で私の無残な死体を発見したわけね」
「はい。あの部屋で宇宙の美となっていた所長を発見しました」
三光年ぐらい見解の相違があったが気にするまい。こいつと分かり合える日はこないのだ。
「そうね……扉に鍵はかかってたのよね? 見たところ鍵の辺りが壊れてたけど……ぶち破ったんでしょ?」
「ええ。男性方にぶち破ってもらいました。所長の姿は見えないし、所長の出入りが許可されていて、鍵がかかって返事のない部屋はあの部屋だけでしたしね。経験則から言っても所長が究極の美への昇華を果たしていることは間違いなさそうでしたので。乱暴な手段を取りました」
「究極の美とかなんとかは無視するとして……死亡推定時刻は?」
「午後二時頃です。所長は二時に死んで、生き返ったのがさっきなんで六時半頃。で、復活までに要した時間が四時間半ですね」
「頭部撲殺だから平均的っちゃ平均的ね。その死亡推定時刻の根拠は?」
「さっきも言ったように死体発見が三時。その時の血液の凝固具合、死斑もあり、顎に死後硬直が始まってましたので、発見時は死後一時間程度であったと推測できます。無論、解剖はしてませんので、参考程度に。一応言っておくと、石谷医師も同じ見解でした」
ま、ご覧のとおり音黒ちゃんの死体に対する知識は深い。確認のつもりで根拠を聞いただけだ。彼女が死体に関して披露する学術的知識の大半は正しい。そこらの検視官やら考古学者が舌を巻くほどの深い知識を持っている。専門は肉のついた死体らしいのだが、骨だけの死体もいけるクチらしい(そんなこと知らないし、知りたくもないが)。好きこそものの上手なれ、と先人は言ったそうだが、それを地でいくわけだ。
「死因は後頭部への殴打。撲殺ですね。それから笑くんに傷の写メを送ってアドバイスをもら
っときました」
私は仏頂面になった。確かに傷についての情報は凶器の特定につながるので、とても大切なものだ。それはわかっているのだが、相談する相手がウザい奴で困る。
その笑君というのは先ほど言った人間性の破綻した助手の一人で、なよなよした外見のくせに、他人の苦痛が大好物という社会のゴミである。自分では一切他人を傷つけず、自分と無関係なところで傷つく様子を見るのが大好き。私の死体の目も当てられない数々の傷もニタニタしながらコレクションする奴だ。
「……それで笑君はなんて?」
音黒ちゃんはスマホに目を落とし、笑君からの連絡を読み上げ始めた。
「『生で見ていないので正確には言えませんが、画像から判断するに即死級です。完全に後頭部の骨が陥没してますし、後頭葉半壊で脳自体へのダメージも深刻。さらに砕けた頭蓋骨が散弾のように脳に食い込んでます。凶器として考えられるのは細長い何かです。バットより細い、長さは同じぐらいの棒状の何かだと考えられます。傷から判断するにかなりの力で殴りつけられてますね。これはもうかなり痛かったんじゃないでしょうか。想像しただけで悶絶――』」
「あ、もういいわ」
「え? でも、ここからかなりの大長編が始まってますけど」
「いや、それあいつの趣味全開の駄文でしょ。要らない要らない」
「そうですね。それにしても他人の苦痛が三度の飯より好きとか、どんな変態だって話ですよ」
音黒ちゃんは理解できない、というように首をふった。
確かにその通りなんだけど、音黒ちゃんにその台詞を言う資格があるのかは大いに疑問だ。
「あ、笑くんがもっと傷の写真欲しいって言ってたんで送っときましたけど、別にいいですよね?」
「……うん。好きにすれば」
音黒ちゃんは素敵な笑顔。たぶん写真を受け取った笑君も笑顔だろう……腹立たしいわ。
変態どもめ! 私の死体で好き勝手に遊びやがって!
私はやり場のない怒りを脇へ押しやって、音黒ちゃんに向き合う。
「私の状況をまとめましょう。十一時半に昼食、その後仕事の最中に何者かに殺害される。時間は二時。発見が三時。復活が六時半。こんなところかしら」
「そうですね。じゃ、いよいよ犯人絞りに入りますか?」
「毎度のことですけど、この工程が一番厄介ですよね。犯人を特定するなんて難しいですよ。所長はホームズでもないですし」
死体好きは仮にも探偵である私のプライドをナチュラルに傷つけながら、そんな事をのたまう。確かに私は名探偵ではないけれど。
「あたしだってただの助手ですから」
「あのさ、音黒ちゃん。今回の件で私の死体を発見した時とかに、挙動の不審な奴とかいなかったの? そういうのを観察するのが助手の仕事だとも思うんだけど。私はどうあがいても観察できないし」
「へ?」
音黒ちゃんは「何を言ってるんだ」と言いたげな怒りの表情を見せた。
「何言ってるんですか!」
言いやがった。
「所長の死体発見時は忙しいんですよ。死体を眼に収めるのに必死で、他の物なんて目に入りっこないですって。みんなそうですよね?」
「…………」
そうだった。ついうっかりしてた。こいつに聞いた私が馬鹿だった。
「だとすればあれなの? 音黒ちゃん的には犯行動機は死体が見たかったから、とか?」
「大いにあり得ますね」
「あるわけないだろ!」
私はニコニコ顔のまったく使えない助手に、ドロップキックを叩きこむ想像をしてうっぷんを晴らした。
「さて、そろそろ真面目に犯人候補を絞りましょう。えっと確か、私達を除いて……」
「十三人ですね。館の主、高賀天作、その妻、麗美。前妻との息子と娘、天太と博美。招かれた客、堂島信、峠太郎、帝国美佳、道長信長、若丘エリック、市嶋みみ、石谷啓二医師。執事とお手伝い――もとい天光館の管理人、綿野夫妻。源治と文子」
「……多い。不吉な数字だし。なんとかならないの?」
「いや、そう言われましても。っていうか、人数の記憶ないんですか?」
「あるけど、ちょっとぼんやりしてる。なんか頭がまだ本調子じゃないわ……死んだ後遺症ってのはやっぱり面倒ね」
「うーん……そもそも前提として、どうして所長は殺されたんでしょう?」
「……麗美の浮気がらみかしら? 正直言って初対面の人間ばっかりだし、恨まれてたってことはないと思うんだけどね」
「一日調べ回ってたときに、何か失礼なことしたんじゃないですか?」
「あのね。私は仮にも探偵業をやってそれなりの経験があるのよ。調査は細心の注意を払うわよ」
「ふむ。それでも無意識のうちに何かやらかしたって可能性ありますよね。記憶の方も曖昧だって言ってますし」
音黒ちゃんはしつこく私のせいにしようとしてくるが、確かにそれは否定できない。というか反射的に否定はしたものの、これまでも些細なことが原因で殺されてきた私だ。知らない内にとんでもない恨みを買っていることはあるだろう。ただ、知らない内に買ってしまった恨みを探り出すのは難しい。自覚もなけりゃ前兆もないのだから。
「そう言えば……現場って密室だった? まあ、扉に鍵がかかってたんだから、たぶんそうなんでしょうけど」
「……そう言えばそうですね。あたしは所長の死体に夢中で部屋の中をよく確認できていないんですが……人が出入りできそうなのって、入口とテラス付きの窓だけですよね。部屋の扉は鍵がかかってたっぽいですし、あの部屋の窓の外は断崖絶壁ですよ。隣の部屋のテラスに飛び移るという可能性が残りますが、幅が三メートルぐらいあるうえに、けっこうな高さの手すりがありますからねぇ。それに欄干は細いし、飛び移るにもかなりの度胸が必要かな、と」
音黒ちゃんは窓の外を見ながらそう言った。私達の部屋は私が死んでいた部屋の逆方向に位置するが、造り自体はほぼ一緒である。
「飛び移れるか試してみたらいいのでは? 所長なら墜落死しても問題ないでしょう」
「問題しかない。問題しかないわ、音黒ちゃん。あなた、私のことなんだと思ってんの?」
「きっと墜落死体もステキですよ……」
夢見る少女のような顔でイカれた殺人鬼みたいなことを言う女。なんでこんなのが助手なのかしら。虚しくなってくる……。
そんな思いを抱く私には気づかず、音黒ちゃんは朗らかに言う。
「あの部屋の窓の鍵って調べました?」
「チェックしたわ。掛かってた。ま、犯人がトリックを使うか、事後工作として締めるかしたら話は別だけど」
「トリックはともかく、犯行後の工作――例えば発見後、部屋になだれ込んだときにさっと掛けるとか――の可能性は低いですかねぇ。いの一番に飛び込んだのはあたしですよ。扉を破った堂島と峠よりも早く所長の死体にむしゃぶりつきたかった……じゃない、所長が心配で心配でしかたなく、自然と足が動いてしまいまして。それにあたしは死体を発見してすぐにほかの人を部屋の外に追い出して、石谷医師と検死を行いました。正直、石谷医師も追い出したかったんですけど、医者の仕事だって言って聞かなくて……まったく」
音黒ちゃんは歯噛みしながら悔しがる。感情を向けるベクトルが変な気がするが、この子は元々変なのだ。
「残りの人には廊下で待ってもらっていました。どこかに行くのは危険だと言って、廊下で一か所に集まってもらいましたよ。検死を見てる人もいれば、顔を真っ青にして震えてる人もいましたね。何を恐れていたのかよく分かりませんけど。あの時なんか変なモノあったかなぁ? もしかしたらそれが事件のヒント……」
間違いなく私の死体は変なモノだ。真っ青で震える人が正解。首を傾げるお前が間違い。
「検死の後は広間に集まってました。ほんとは所長のそばにいたかったんですけど、流石に一人で抜け出すわけにもいかず……苦渋の決断でした」
「へーそう。で、不審な行動はなかったのね?」
「何人かはトイレに行きましたけど、あからさまに不審な人はいなかったと思います」
なんだ、やることやってるじゃない。それが死体を独り占めしたいっていう浮世離れした理解不明の動機であったとしても。
「まーもしかしたらトリック云々は一切なくて、合鍵ってオチとかじゃないんですかね。あたし達の出会う事件ってそんなの多くないですか?」
「仮にも探偵の助手でしょ。犯人に期待しててよ。そんなチープなの嫌じゃない」
「んー……あたしは死体さえ作ってくれればトリックとかどうでもいいです」
ステキな笑顔でアホ丸出しの音黒ちゃん。ホンットどうにかならないのかしら。
「今の意見はばっさり脇に置くとして、ほかに報告することある?」
「特にないと思うんですけどねぇ……事件のあらましは説明した通りですし。さっきも言いましたけど、事件の後は誰も不審な動きはなかったかと。基本、全員広間にいましたし」
事件の後はスマホに見入ってただろ! と叫びたいところだが、言っても無駄だし、事件後にこそこそする犯人ってのも考えにくい。もちろん事後処理に追われる犯人がいないとは言わないが、基本的に犯人の事後処理が忙しいのは死体発見の前で、死体発見後に工作する奴はあんまりいないのが実情だ。たぶん。少なくともミステリではそうだ。
「で、所長。有能助手の報告を聞いて、何か思いついたことはありますか?」
「……ない」
「ですよね」
私はため息をつき、音黒ちゃんは苦笑い。
悲しいがこれが現実。私の推理力はたかが知れてるし、音黒ちゃんはただの死体好きだ。そして私の体質であるところの『蘇り』にしたって、実際のところ推理の役には立たない。死ぬ前の記憶を失うのはデメリットでしかなく、死んでる間に起こっている事を伝聞でしか知れないのは致命的と言っていい。死体の様子も観察できず、観察点も注意点も見ることは叶わず、怪しい人物の発見も叶わない。他人からすれば死んだはずの人間がぴんしゃんしていることも不気味がられ、ろくに話が聞けないことも多い。せめて死ぬ前の記憶さえはっきりしていれば、犯人はわからずとも何かしらのヒントは得ることができるだろうに。
「で、どうします、所長」
「仕方ないわね……いつもの方法でいきましょう」
「おや、助手さん。調査の方はどうなりました?」
広間に戻ったあたしはさっそく石谷医師に声をかけられた。
「いったん休止です。所長が疲れたと言っているので」
「そうですか……」
「仕方ないですね。あやうく殺されかけたわけですし……」
「まあ、確かに……それで所長さんはどちらに?」
「自室で休んでいます。でも安心して下さい。所長は卑劣な犯罪者に負けませんから! あたしも詳細は聞いてないんですが、大体のところはわかっているそうです。おそらく休むのは頭を整理する意味もあるのでしょう。所長の推理はいつもそうです」
あたしはいつものように説明した。広間には大体の人間が揃っている。主である高賀天作、その妻、麗美、娘の博美、お手伝いの源治をのぞき、天太、招かれた客の堂島信、峠太郎、帝国美佳、道長信長、若丘エリック、市嶋みみ、石谷啓二医師が勢ぞろい、お手伝いの文子もちょうど飲み物を運んで来ているところだった。あたしは石谷医師と話している体を装い、広間にいる全員に話を聞かせるのが目的だ。
これだけの数に聞かせれば、まあまあ作戦もうまくいくと思う。
要するに『いつもの方法』とは所長を襲った犯人をあぶり出そうというもの。犯人からしてみれば、確かに殺したはずの所長が事件を解決しかけている――すなわち、犯人自身が追い詰められかけている、と思わせること。これが作戦の要。実際には何もわかっていないに等しいけれど、犯人にはそんなことはわからないしね。
追い詰められていると勘違いした犯人は、すぐさま所長を殺そうとする。一度殺しているし――もちろん、所長は蘇るので、犯人の実感としては殺していない(事実は殺している)のだが――タガが外れやすいのである。一度自分を守るために人を殺す決心を決めた犯人は、もう一度自分を守るため、所長を殺しに行く。
そこを返り討ちにするのが所長の作戦の全貌である。
結果論にしかならないけど、この方法は意外とうまくいく。
そりゃ何回かは失敗して所長が殺されるっていう、やっちゃいけない失敗もあったけど、おおむねうまくいく。仮に殺されたとしてももう一度復活して挑めばいい……んだけど、流石に何度も繰り返すと不信感が大きくなりすぎて捜査はおろか、話を聞いてもらうことも難しくなる。まあ、所長は油断さえしてなければ割合できる女だし、今回もどうにかしてくれるだろう。
「あ、そうだ。文子さん。天作さんにも伝えておいて下さい。この屋敷を騒がせた犯人はもうじき所長が捕まえると。必ずその罪を白日の下にさらすと!」
広間全体に聞こえるように声を張る。全力で犯人を追い詰める寸前であるとアピールする。ここでしくじるわけにはいかない。
広間にいる人達の表情は様々だ。感心してるっぽい人やどうでもよさげな感じの人もいる。
反応は色々だけど、あたしの仕事はここまで。
あとは所長がうまくやってくれることを祈るしかできませんよ。頑張ってくださいね、所長。
もし失敗したら……そのときは面倒なことになる……でも……うへへへへへへ。もう一回楽しめるなんて……
最っ高!
ぶるっと身震いしてしまった。
なぜが背筋に悪寒が走る。誰かが不吉なうわさをしてるに違いない。きっと犯人が私を再度殺す計画でも練っているのだ。
毎度のことだが、この時間は緊張する。殺されるかもしれない――何度も言うけれど蘇るとはいえ殺される感覚には慣れない――時間帯だし、犯人が本当に来るかどうかもわからない。ひどくストレスのかかる待ち時間だ。でも、私も音黒ちゃんもこれ以上うまい方法を思いつかない。それに私から振っておかないと色々と面倒なのだ。私達がわざわざアピールしなくても、犯人は殺し損ねた私を虎視眈々と狙っているかもしれない。となると、犯人側の都合で急に襲いかかってくる可能性があり、そうなるとかなり対処がしにくい。ずっと警戒するのはイライラして仕方ないし、精神衛生上よろしくない……。
それに私は蘇るがダメージが普通に受ける。それが肉体的であれ、精神的なものであれ、だ。特に、死ぬにはいたらないけれど、動けない重症などがかなり厄介である。生きている間の傷は普通の速度、範囲でしか治癒しないので、例えば腕なんかをぶっつりやられても生えてこない。私の体質はそんなトカゲみたいな能力ではないのだ。ただ、完全に死んでしまえばどんな怪我であっても万全な状態で復活できる。もちろんぶっつりやられた腕も生えてくる。
それはそれとして、音黒ちゃんうまくやってくれたかしら?
少し心配もあるけれど、この手のアピールは彼女もこなれたものであるはずなので、派手な失敗はしないはずだ。まあ、音黒ちゃんは死体狂という致命的欠陥をのぞけばそこそこできる女だし……。
カタン、という音がした。かぎりなく小さな音だったが、全身を耳にしていた私にはよく聞こえた。音源、扉――鍵だ。解錠音。犯人を迎え撃つ一環として、何度も音を確かめたから間違いない。続いてキキキ、という扉が開く音。音を殺してはいるが、流石に全ては消しきれないらしい。これも実験通りだ。絨毯の毛が長いのでそのままでは足音が聞こえない。苦肉の対策として持ってきた荷物を不自然にならない、だけど細かいものを使って全部は避けられない程度に散らかしておいた。何度も同じ事をやっているせいか、こんなどうでもいい技術だけが磨かれていく。
時々、カチッと微かな音がする。よしよし、犯人は順調に近づいて来てるようだ。
これからは特に音が鳴り始めるだろう。ベッド周りの最終防御ラインは特に荷物を敷き詰めておいたからね。
ここからが勝負どころだ。
犯人に飛びかかるタイミングを誤ってはならない。位置もできる限り把握しなければ。
音が聞こえなくなった。微かに息づかいは聞こえる。犯人が寝ているはずの私の様子をうかがい、おそらくベッド上部にいる。犯人としては一撃で仕留めたいだろう。だから即死、即死級の攻撃をかけてくるはずだ。ここで躊躇するような犯人はいるまい。
得物が何かはわからないが、おそらくさっき私の頭を砕いた鈍器か、新しい刃物。どちらかと言えば軍配は刃物……鈍器で殺せなかったと思ってる――ホントは殺せてるけど――はずなので、もっと直接的にぐっさり来るはず。これまでの経験から犯人は殺せなかった相手に対し、凶器を変える傾向にある。強迫的な思い込みを持っている奴じゃなければ。
まあ、凶器がなんであれ、捕縛してしまえばいい。こっちには不意打ちという策略がある。
犯人の息づかいすらも止まった。
来る。
バスッという音とともに羽毛が舞い散る。私はそれを目の端でとらえながらクローゼットを飛び出し、一直線に犯人に詰め寄った。
右手に三十センチほどの刺身包丁を確認、まずはあれだ。右手首を狙ってキック。吹っ飛ぶ包丁。犯人は驚きで大きくのけ反る。すかさず追撃、蹴り出した足を軸に回し蹴りを腹に、浮き上がった背に肘鉄、頭を抱えて顔面に膝を叩きこみ、鼻血を吹きつつ浮き上がった体に正拳、がら空きになった胴にもぐりこんで一本背負い、とどめに飛び上がって膝を落としてやった。
フッ……今日も流れるように華麗に決まった。
私は布団の中に枕を入れて寝ている風を装うという古典的方法をとっていた。そして私自身はクローゼットにひそむ。犯人は私を刺したつもりだったのだろうが、実際は枕だ。おそらくその手ごたえのなさは犯人を一瞬、呆然とさせただろう。私にはその一瞬で十分。ボコボコにしてやったわ。
私は床でのびている犯人に目を向けた。
「おお……あなただったの」
えっと、確か綿野源治。管理人の旦那の方だ! 源治は白眼をむき、鼻血をドクドク流している。ふ、ふふ……ちょっとやりすぎたか。ただまあ、私は殺されたわけだし、これぐらいは因果応報だろう。
恨むんなら人殺しの自分を恨むんだな。
「さて……」
絶賛気絶中の源治のそばにしゃがみこみ、ペシペシと頬を叩く。
「う……」
「こんばんは、綿野源治さん」
「ここは……うっ!」
「自分が何をしたかは憶えていますね?」
「いや、あの……はい」
この期におよんですっとぼけようとした源治だが、私が無言で拳を振り上げるとすぐに従順になった。顔に恐怖が浮かびすぎている気がしないでもないが、まあいいか。今はそれどころじゃないし。
「あなたは私を殺そうとした」
「……はい」
「一回目は棒状で、細身の鈍器を使って撲殺しようとした」
「そうです……旦那さまのコレクションの、模造刀を使いました」
「部屋は密室でしたが……」
「はい、合鍵で閉めました」
「でしょうね。管理人も兼ねているあなたならそうして当然でしょう」
全っ然分かっていなかったが、看破していましたよ、感で乗りきる。悲しいかな、いつもこんなことばっかりやってるから、こすい演技はうまくなっていく。
「殺したと思い込み、非常に動転していたあなたは無意識のうちに日常の行為を繰り返してしまった。開けた扉の鍵を閉めるという行為を」
「流石は探偵さんだ、おそらくその通りです。うまくやったと思ったのですが……甘かったですね。皆様が探偵さんの姿が見えないと騒ぎ始めたときは、やはり犯行は誰にも見られていなかった、と安心したものです。私はただ死体発見を待てばよい、と思っていました。あれです、『部屋が開かないぞ、合鍵を持ってこい』ということになるだろうと思い、慌てて合鍵を取りに行く演技の練習する心の余裕すらありましたよ」
おお……なかなか図太い爺さんだな。
「しかし、助手さんの行動は予想外でした。返事がなく鍵がかかっていると分かるや否や、すぐさま扉をぶち破るように皆様に指示を出し始めましたから。合鍵を持ってこいとは一言も言わず。きっと助手さんなりに何か不吉なものを感じ取ったのでしょうな……私に合鍵を頼まなかったのは、何か私に不審を感じ取ったのかもしれません」
いや、そんなことないよ、源治さん。音黒ちゃんが合鍵を待つ時間を惜しんだのは、死んでいるであろう私を一刻も早く見たかったからだ。間違いない。断言できる。
「そして、私の助手から私が犯人を追いつめる寸前であること、その前に休んでいることを知ったあなたは、これが罠だとも知らずにこの部屋にやってきた」
源治は頷く。
「妻を介してですが……あれが慌てた様子で伝えに来たときは焦りました」
「やはり奥様も共犯でしたか」
そんなこと思いもしてなかったけど。そもそもこいつが犯人だってことも驚きだし。でも、顔には出さない。うんうん頷くだけだ。
「最後のチャンスだと思ったのですが、探偵さんの作戦だったのですね」
「ええ。殺し損ねたあなたなら、必ずもう一度やってくると思いましたよ」
源治はこの言葉を聞いてがっくりをうなだれた。
「あなたが私を殺したかった理由とは……」
「はい。もちろん、それも探偵さんならお見通しでしょうが……旦那さまのコレクションの密売です。探偵さんはそれを調査しに来たのでしょう?」
「え、ええ……まあ、依頼内容の詳細は明かせませんが」
え? 何、密売って。
「ここは別荘です。普段旦那さまはいらっしゃらない。でも金目のものは山ほどある。旦那さまは目端の効くかたではありませんから、同じ形のものがあれば疑わないと思って、何年も真物を売り払っては贋作を飾っていました。しかし、やりすぎたのですね。旦那さまは密売に感づいて探偵さんをよこしたのでしょう?」
「先程も言いましたが、依頼内容はあなたにも明かせません。ご想像にお任せしますよ」
驚き桃の木だ。そんなこと夢にも思ってなかった。天作爺さんもそんなことが起きているなんて毛ほども思っちゃいなかっただろう。
しかし、源治は周りが気づいていないなんて、気づいていない。簡単に自分の罪をぶちまけてがっくりと消沈している。もう反撃する元気はなさそうだ。
やれやれ、今回も犯人の勝手な思い込みで殺されたのか、私は。事件にしてもトリックの入る余地もない、チャンスだけを狙った事件だったらしい。密室も合鍵だったし、悔しいが音黒ちゃんの予想が当たったわけだ。トリックによる事件なんてそうはないんだな、と再確認させられる。
しかし、とりあえず事件は解決したと言えるだろう。ことのあらましを天作爺さんに報告し、あとはこいつをどうするか、天作爺さんが決めればいい。私は撲殺された恨みを十分晴らしたし、これでとんとんにしといてやろう。
「さて綿野源治さん。私と一緒に来ていただけますね?」
うなだれたままの源治は抵抗なく立ち上がって私について来た。
オッケイオッケイ、事件は解決、一件落着。
「――と、いうわけで、綿野源治さんは常習的にあなたのコレクションの密売を行っていたようです。夫妻は私が密売に感づいたと気づき、私を亡き者にしようと襲いかかってきたようですね」
私と音黒ちゃんは一緒に天光館の主、天作の前で事件の詳細を報告した。
「ふむ。成程……あの二人がそのようなことに手を染めていたとは、驚きですな。信頼しとったのはわしだけというわけか」
どうでもいいが天作爺さんはちょっぴり悲しそうだった。まあ、信頼していた部下が裏切りをはたらいていたのだから当然か。
「文子さんの方はだんまりですが、関与していることは間違いないかと。至らない助手の探りなので所長ほどうまくいったかは保障できませんが」
私の隣で音黒ちゃんも報告する。私が源治と対決していたころ、彼女は彼女で文子があやしいと探りを入れていたらしい。どうも音黒ちゃんが嘘の情報を流したときの態度が怪しかったのだとか。
「何にせよ、感謝しますよ、探偵さん方。わしの想像以上の働きをしてくれたこと。これについては別途、料金を支払わせていただきます」
「いえ。探偵として不正は見逃せませんから。しかし、高賀さんがそう言われるならありがたく頂戴します」
思わぬ収穫だ。もちろん天作爺さんが言い出さなければ、それとなく誘導するつもりではあったので、言い出してくれて余計な手間が省けた。くくく、この金持ち爺さんなんらそれなりの額を包んでくれるだろう。金額を想像すると笑みがこぼれそうになるが、ここでニヤニヤしては探偵の信頼にかかわる。気を引き締めねば。
隣の音黒ちゃんだけに向けてウィンク。彼女もニッと笑って、体の陰で親指を立てる。私達は仕事を片付けた満足と共に、天作爺さんが書いてくれるであろう小切手を待った。
「さて、探偵さん。本依頼の方はどうなりました? 麗美は誰と浮気を?」
「…………」
「…………」
あ。忘れてた。
殺された怒りに身を任せすぎてた。私が殺される事件は、当事者である私や音黒ちゃんと赤の他人の認識の違いに雲泥の差が生じてしまう。すなわち、私達にとってはまぎれもなく殺人事件だが、他人からすれば傷害事件でしかない。それも被害者がぴんしゃんしている些細な事件だと認識してしまうのだ。悔しいけど、どうしようもない。説明しても信じてはもらえないだろうし、仮に信じてもらえても面倒事が増えることは目に見えている。
「う、えっと、そうですね。それについては依然調査中です。私のさつ……じゃなくて傷害事件でこの館が騒然としましたので、逢瀬には不向きな雰囲気になりました。犯人が野放しになっている状態で、館全体の空気が緊張していましたので。おそらく事件が解決した今――これから私がみなさまに解決を伝えた直後から空気が弛緩し、一息つける安心感から、麗美さんは浮気を行う、というのが私の推察するところです。仮に麗美さんが浮気をしていたらの話ですが。むろん、それらの詳細についても調べ上げ、納得できる形で報告しようと思っています」
私は忘れていたことなどおくびにも出さず、これからの計画をでっち上げた。
「うむ。流石ですな。よろしくお願いします。密売を見抜いたあなたら必ず証拠掴んでくれると信じていますよ」
「無論です。お任せください。行くわよ、式咲」
重鎮っぽい仕草で頷く天作爺さんに一礼し、音黒ちゃんを促して部屋を辞去した。依頼を片付けるにはもう少し時間がかかりそうだ。
廊下に出て音黒ちゃんと苦笑いを交わす。苦笑いしかできない。
「……じゃ、本筋に戻りましょうか、所長」
「……そうね」
やれやれ、現実はこんなものだ。ミステリみたいな一刀両断、快刀乱麻の解決なんて存在しない。殺人事件――傷害事件だが――を解決したところで、誰も感心なんてしてくれない。当たり前だ、依頼人にとっては頼んだ仕事とは別なのだから。別枠で突発的に起きた事件なんて誰も気にしない。いや、気にしないってのは言い過ぎだけど、所詮は初対面の他人が殺されただけ――他人の感覚としては、探偵がすぐに元気なる程度のケガをしただけ。悲しみや怒りなんてないに等しい。ミステリであれば招かれた探偵は事件を解決するために存在しているが、私は殺されるだけ。探偵が被害者なんて普通ならお話にならない。
くだくだと愚痴ってしまったが、それでも、もうちょっと興味を持ってくれてもいいのに、と心底思う。私は苦労してるんだ。惨殺された挙句に、必死こいて犯人を探してるんだから。誰にもわかってもらえない陰ながらの努力だけど、頑張ってることに変わりはない。はずだ。
……ま、仕方ない。こんな体質とも仲良く付き合っていかなきゃならないわけだし。
頑張れ、私。