第7話 全て虚しく思える程の激しい痛みに侵されて‥
俺があの時、校長室で決断した事は今でも間違っているとは思わない。
だが正直、もう覚悟が揺らぎそうになっている自分がいる事も事実だ。
覚悟は決めただの、俺が犠牲になるしかないだの、自己犠牲の精神で口で言うのがどれほど簡単な事だったのかと今心の底から実感する。
目の前で実際に家族皆の泣き顔を見た。実際に家族の絆が壊れていく様をこの目で見た。
今もうすでに俺の心のヒビはいつ張り裂けてもおかしくないくらいには深刻だ。このままこのような日々が続けば替えがいくつあっても足りないくらいの傷を負い続けるだろう。
あの後、姉さんと妹と会話は一切していない。いつもは2人と一緒にテレビを見たり、ゲームをしたりする時間も、これから俺は与えられないのだろうか?
俺のせいで母さんまでもが2人から非難され、ずっと肩身の狭い想いをするのだろうか。
本当にこのままで‥、俺がここに居ていいんだろうか。
ありとあらゆる事に自信を失い、考えれば考えるだけ思考はネガティブな方向に進んでいく。
気分がどんどん落ち込んで行った時、手元からLINEが届く音がした。
『大丈夫!?無事!?スマフォ返してもらったんだよね?あおいちゃんから色々聞いたよ!!何か大変な状況にいるみたいだね‥。でも先生もお前の言う通り大河の事は信じてもいいだろうって言ってたよ。‥ごめんね。あの時すぐに庇ってあげられなくて。こんな私だけど、これから何があっても大河の事信じてるから!味方だから!!これだけは絶対信じていてね!!心配だから絶対返事はしてね!!絶対だよ?」
『ねえ、お願いだから返事をして大河!!心配で眠れないよ‥』
『たいがあ‥‥』
色々考えていて携帯を見る事を忘れていたが、かなりの回数美桜はメッセージを送ってくれていたようだ。
彼女の優しさが溢れた文面を見た瞬間、今日何度目かわからない涙がとめどなく溢れてきて、俺は恥ずかしげもなくスマフォを抱きしめてしまう。
謝るのは俺の方だよ‥。本当にありがとう‥。美桜がいるから俺はまだ頑張れる。この上なく愛おしく、今すぐに会いに行きたくなる。
が、深夜なのでグッと抑えありったけの美桜に対する気持ちを込めて返事を書いた。するとメッセージを送った瞬間
驚く程速い速度で既読が付き、可愛い猫キャラが喜ぶスタンプが送られてきた。
ずっと待っててくれたんだろうな‥ごめんな‥美桜。
こんな状況なのに関わらず、美桜とのほっこりとしたやりとりに少しだけ救われた気がした。美桜という大きな心の拠り所に安心したのか、俺はそのまま死んだように眠りに落ちた。
翌日の朝、まだ重々しい身体を無理やり起こす。登校したいとは微塵も思えないが、ずっと寝ている訳にはいかない。
楽しかった筈の家族みんなとの朝食の時間も失われた。一応同じテーブルにかけてはいるが、母さんは終始気まずそうに家族に気を遣い、姉さんと紬は俺と目を合わせようともしない。
俺も頑張って話しかけようとするが、やはりそう簡単にはいかないらしい。今はまだ2人と話すのは無理だと諦め黙々と箸を動かす。
いつもは紬が一番最初に元気よく家を出るのだが、今日はあまり元気がなく、俺にだけ挨拶してくれなかった。
姉さんとは一緒に登校する事もあるのだが、当然のように俺に何も言わないで2人とも先に出ていく。
朝から最悪の気分だが、俺もそろそろ出ないと間に合わないので気が全く進まない中玄関に出る。
「い、いってらっしゃい!あっ‥大河。ちょっと待って。何か辛いことがあったらすぐに帰ってくるのよ。いいわね?結城先生の事もちゃんと頼るのよ」
俺は母さんの言葉にありがとう、とだけ伝えた。心配してくれて嬉しいが、これから先嫌な事なんて冤罪を晴らさない限りずっと続く事は明らかだ。その度にいちいち帰ってなんかいられない。
家のドアを開けると、今一番会いたかった人を発見する。闇に呑まれそうな俺の心を癒してくれる人だ。
「美桜!!」
たまらず俺は、人目も憚らず彼女を抱きしめる。
「たたた大河!?!?流石にこんな所じゃ恥ずかしいよ‥」
「ごめん‥。でも、会いたかったんだ。本当に‥」
美桜は恥ずかしがりながらも、しばらくハグされたままでいてくれた。俺はそれに甘えて、彼女からしか得られない成分を遠慮なく補給させてもらう。
2人で登校しながら昨日何があったのかお互いに話し合った。
もちろん校長室で話した事はそのまま伝えていない。一番大事な人を危険な事に巻き込みたくない。
それはつまり昨日姉さんに言った「やってません。でも警察には行けません」という犯罪者の理屈を伝えた訳だが、美桜はそれでも無条件で俺の冤罪を信じてくれた。
「ありがとう‥何で美桜はあっさりとそんなに信じてくれるんだ?」
『だって大河だもん!大河だから何があっても私は信じて、絶対離れないんだよ!』
彼女のその言葉を聞いた時、狂おしい程愛おしい、小説でしか聞いた事のないそんな感情が生まれた。
とびっきりの笑顔で、少しはにかみながら言ってくれた言葉を一生忘れない。そう心に誓った。
学校についたら、案の定好奇の視線にさらされた。よく顔も知らない奴らですら、ヒソヒソと話しているのが分かる。
大方内容は「あれが、例の性犯罪者よ。よく学校にこれたわね」ってとこだろう。
初めからこうなる事は予想出来たし、隣には美桜がいてくれるからかそこまでダメージはない。
一呼吸入れて、教室に入る。入った瞬間既に登校していたクラスメイト達からの視線が一斉に俺に集まった。その中には憎い斎藤麗奈と親友の凛人の姿もある。
「おいおい、何登校してきてんだよ犯罪者様よお。お前が来るべき所はここじゃ無くてムショだろ?」
「そうよ!女の敵っ!アンタなんか早く学校辞めちゃえば!?」
かつてそれなりに仲が良かったもの、そこまで面識がなかったもの問わずとめど無く罵声が俺に浴びせられる。
「やめてよ皆!大河は何もしてないんだから!!」
「おいおい美桜ちゃん。まだそんな奴庇うなんて本当におかしくなってしまったのか?」
「美桜‥あんたが大河を庇うって事は、麗奈がもっと傷つく事になるんだよ?」
美桜が俺を庇ってくれるが、俺への野次が止まる事はない。それよりもこのまま美桜に庇ってもらっていると、彼女にも迷惑がかかるな。後でどうするか考えないと。
この先毎日ここに登校するんだ。こんな事でいちいち怖気づいちゃいられない。俺は敢えて顔を伏せずに、堂々と前を向いて歩く事に決めた。
俺をこんな状況にした張本人の斎藤麗奈は知らん顔を決め込んでいる。どこまでも面の皮の厚い奴だ。
席に着こうとした時、誰かから足をかけられ俺は転んでしまう。俺が転んだ様子を見るのがよほど面白かったのかクラスから一斉に笑い声が起きる。
そんな俺に誰かが手を伸ばしてくる。それはよく見知った顔、凛人だった。
(ありがとう凛人‥。お前なら話せば分かってくれると信じてる。後でちゃんと話をするから聞いてくれ。ずっと親友だったもんな。)
手を差し伸べてくれた事が嬉しくて、俺は心の中でお礼を言い、少しだけ笑顔で手を差し出す。
凛人は俺の手を引き上げ、そして耳元で俺にしか聞こえない程の小さな声でこう囁いた。
「実を言うとな‥。お前の事をライバルだと思った事はあっても、親友だと思った事は一度もないんだ」
「え?凛‥人?今‥何て‥?」
凛人は答えない。俺は親友の今言った言葉の意味をすぐに理解する事が出来ず、その場で固まってしまう。
頭が真っ白になるいうのは、こういう時の事を言うのだと思う。凛人の思いがけない言葉は、一瞬で俺を思考停止に追い込んでしまう程の破壊力があった。
「おい、お前ら!そこまでだ!仮にも俺の親友だった相手だぞ。これ以上俺の前で八神に何かする事は俺が許さない」
おい凛人!さっきのは何だったんだよ‥!
親友『だった』って何だよ。親友『だ』って言ってくれよ‥!!
八神って何だよ‥!!大河って名前でずっと呼んでくれてたじゃねーかよ‥。
俺たちの10年間の友情は全部嘘だったっていうのかよ‥ふざけんなよ‥ ふざけんな‥
その後いくら凛人に問い詰めようとしても、凛人は俺をまともに相手にする事はなかった。
まさか凛‥人‥お前なのか?正直考えなかった訳ではない。だがお前は俺の親友だから、万が一を考えないようにしていたんだ。
お前も‥やっぱり俺を嵌めたのか‥??
◇ ◇ ◇
それから約一ヶ月間、生きているのか死んでいるのか分からない日々を過ごしてきた。というより毎日が酷すぎて、脳が記憶する事を無意識の内に避けているのかもしれない。姉さんと妹、そして凛人のことを考えすぎたせいで、既にその頃にはぶっ壊れてしまう一歩手前だったんだと思う。
美桜と母さん、結城先生は気にかけてくれていたが、それでも全ての悪意から身を守る事は出来ない。
最近ではその3人と話していても、どこか俺は上の空だったようにも思う。着実に、そして確実に俺の心は闇に蝕まれていた。
あれから過ごした日々は、元々別に打たれ強い訳でもない16歳の硝子のハートには過酷すぎるものだった。
大体同じような糞みたいな毎日。家で姉さんはまだ口も聞いてくれず、紬は俺と話したそうにはしているが、いざこちらから話そうとすると逃げていってしまう。
学校では無視は当たり前で美桜や先生、凛人がいない時は暴言の嵐。俺が道を通ると、皆がまるで俺を何らかのウイルスかの如く一目散に避ける。幸い俺の学年には不良の生徒がいない為、暴力を振るわれた事はまだないがこの先もっとエスカレートしたらどうなるか分からない。
テニス部は退部する事にした。顧問がいない時は、まともに練習に参加させて貰う事すらできなかった。ダブルスを組む時も、俺とペアを組もうとする者なんて1人もいない。そんな状況で続ける理由は何一つない。
まさに地獄の日々と言っていい。俺が甘かった‥全てにおいて。
姉さんを売る気は当然今もないが、正直ここまで堪えるものだとは予想していなかったのだ。
そして今、目の前で起こっている事が、正にトドメの一撃と言わんばかりに俺の心を壊した。紙一重で俺を繋ぎ止めていたナニかが切れたのである。
『だって大河だもん!大河だから何があっても私は信じて、絶対離れないんだよ!』
一生心に残りそうな程、嬉しい言葉をあの時言ってくれた美桜‥その美桜がゴミ箱に2人の間で大事なモノだった筈の思い出のキーホルダーを捨てたのを見たのだ。
遠目からだがクラスメイトと共に笑っている事も確認できた。
分かってる。美桜はそんな事平気でする子じゃないという事くらい。事情があるのは分かる。
最近は思考が他の所にいき、美桜の話もほとんど聞いてあげられなかった自覚もある。
それでも、その衝撃的な光景は今の俺の不安定な心には重すぎたのだ。
彼女と一瞬目が遭った気がした俺は、一目散にその場を去った。
死に物狂いで走り、家に直行する。とにかく部屋に戻って1人になろうと階段を登ろうとした時、一階の部屋から啜り泣く声が聞こえてきた。
「貴方‥ごめんなさい‥。こんな事になってしまって‥私はあの子にいつも通りでいれているかしら‥。ちゃんと母親でいれているかしら‥。あの子の事は大事よ‥もちろん信じてもいるわ‥。だけどね‥ふとした瞬間にあのトラウマが蘇って‥どうしようもなく辛くなってしまう時があるの‥」
階段を駆け上がり、無我夢中で部屋のベッドに飛び込む。
留守電が届いている事に気づき、迷った末に震えた手で再生ボタンを押す。
『ごめんね‥ごめんね大河‥だけど私にはもう‥』
そこまで聞いて、その先を聞くのが怖くなり電源を急いで切った。
大河の側にはいられない
そんな言葉だったらと思うと‥どうしても最後まで聞く勇気がなかったのだ。
「は‥はは‥ははは‥何‥だよ‥それ‥」
乾いた俺の笑い声が、酷く静かな部屋で虚しく漏れた。
約束通りの本日3話投稿です!ここまで辛い展開に付き合ってくれた皆様、本当にありがとうございました!
次回からは暗い展開ばかりではなくなります。タイトル少女のお話予定。
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