第2話 何とも言えぬ虚無感。壊された脳
「大河‥っ!本当に、本当にごめんなさい!!」
「ごめんなさああい‥‥ぐす‥‥お兄ちゃん‥‥」
昨日結城先生から直接俺の無罪が証明されてからずっとこう。姉の詩音と妹の紬は、俺の顔を見る度に謝罪してくる。
その度に俺は「別にもういいよ」って言ってきたのだが‥‥。
「だから、もういいって何回も言ってるだろ?」
「でもあんた、そう言いながらずっと無表情じゃない‥‥。少しくらい笑ってほしいというか‥‥。本当にごめんなさい!!」
「ぐす‥‥ぐす‥‥お兄ちゃあああん‥‥」
「二人とも!そんなすぐに許せる訳ないでしょ!とりあえず朝ごはん冷めちゃうから早く食べなさい!!」
家族で朝食を囲んでいる時も、ずっとこの調子だ。
うっとうしいことこの上ない。笑う?どうやるんだっけ?
実際の所二人に対して本当に何の感情も湧かないのだ。特に怒りも感じない。もういいというのも事実だ。いや、もう「どうでもいい」という方が正しいのだろうか。
わからない。考えようとすると頭にモヤがかかり思考がそこで停止する。そうなるともう「まあいいか」と考える事自体を放棄してしまう。
二人に対して何らかの感情を持つ必要性すら感じない。あれ程大事だった二人が、自分にとってまるで取るに足らない矮小な存在になったかのように。
昨日全てが心の底からどうでもよくなってしまったのだ。それはあまりにも唐突で、不意な出来事だった。
俺は先日の美桜と母さんの事も何も見なかった事にして、昨日も確かに学校に行こうとした。しかし突然これまでにない程の悪寒と吐き気に襲われ、学校を休む事にして家で眠っていた。
睡眠不足だったからか結城先生が夕方家に来る直前まで眠っていたようだ。
起きてから一瞬死ぬかもと思う程の頭痛に襲われてから、ずっとこの調子である。
とはいうものの、いつもよりもずっと身体の調子は良いように思う。何かとてつもない重荷が下りたような、ずっと俺を縛り付けていた枷が外れたかのような‥‥とにかく気分は悪くない。
至った?悟った?いや‥‥それはいくら何でも自惚れすぎだろうな。それに何か人として大事な物が欠けた気がする。あくまで気がするだけなのだが、全て虚しくなった‥‥というのが一番表現では正しいだろうか。
自分がこうなった原因は流石にわかる。昨日であの日から丁度一ヶ月。地獄と思える毎日の中で、毎晩毎晩まともに眠る事も出来ず嫌という程思考を巡らせてきた。
一ヶ月という期間は特段に長い訳ではない。だが、俺にとってこの時間はあまりにも濃密すぎた。
元々精神力が強い方ではなかったという事もあるのだろう。俺にとってその時間は脳を破壊されるのに充分な期間だったようだ。
今まで人との繋がりを大事にしてきたつもりだ。友達とまで言えるかはともかく、気安く会話できる程度親しくしていた存在は数多くいる。
それでもどうだろう?冤罪だと主張して信じてくれた人はどれほどいた?
美桜と母さん、二人だけだ。他の人間はまともに俺と話そうともしない。極めて親しかった姉や妹でさえも。ずっと一緒に暮らしてきた家族さえもだ。
あれだけ大事に紡いできた絆の何と脆い事だろうか。俺はそれをこの短期間で痛いほど理解してしまった。
何というか無意味?無価値?‥‥虚無感が凄いのだ。どうしようもなく。
要は脳ががはち切れてぶっ壊れたんだと思う。でも不思議な事に元の自分に戻りたいとも全然思わない。
下手にまた誰かを許して、絆を結んで、裏切られてもがき苦しむ事になるよりずっといい。
困る事と言えば、感情表現の仕方をまるで忘れてしまったかのように、上手く表情で表せなくなったくらいだが。
幸いな事に、今の俺でも美桜と母さんの二人だけは大事な人だという認識はある。二人はずっと俺を支えてくれていた。一度何か良からぬ事を見たり聞いたりしただけで、彼女らを他の人間と同列に扱うような、救いようのない屑には成り下がらなかった事には感謝したい。
逆に言えばその二人以外、どうなろうが知ったこっちゃない。勿論姉の詩音と妹の紬も含めて。
姉さんの進路云々を考える必要は全くなくなった為、警察に行こうと思ったが母さんが悲しむのでそれは無しにしておいた。
警察と言えば俺を嵌めた事が判明した、霧島凛人と斎藤麗奈の処遇だが‥‥昨日結城先生が何か言ってたな。
結果としては正に生き地獄。在学したままだそうだ。俺なんか一ヶ月でコレだ。コイツらは卒業するまでソレを味わう事になる。
二人とも退学を希望したそうだが、まあ俺の時と同様校長に弱みでも握られたのだろう。退学で逃げて贖罪する権利すら剥奪されたという事だ。
結城先生は校長を何とかして玉座から引きずり下ろし、二人を退学させてやりたいと言っていたが今後どうなるだろうか。
まあ担任の先生としてはそうあるべきだろう。あの人は先生の鑑と言える人物だと思う。
無論俺が二人を救う義理もなければ、救いたいという気持ちもないが。どうでもいい。その一言に尽きる。
コイツらに対して殺意を抱く権利すらある筈だが、不思議と俺は先生の言葉をふーんという感じで聞いていた事を覚えている。
まあ何にせよ、美桜と母さんの前でだけは、かつての俺でいられるように努力しようと思う。‥‥難しそうだが慣れるしかなさそうだ。
そろそろ学校に行こうか。一緒に行こうとか言われると面倒なので姉と妹を完全に放置し、母さんに笑顔を作って挨拶してから家を出る。
昨日はあれほど、俺の冤罪が認められた事を喜んでくれた母さんだ。不自然な笑顔にならなかった事を祈る。
「大河‥っ!!本当によかった!!冤罪が証明されて!!」
家を出た瞬間、待ち構えていたかのように、何者かに俺は思いっきり抱きしめられた。
「うわあああああああああああああああ!!!」
よく知ってる匂いで美桜だとすぐに分かった筈なのに、俺は何故かわからないが大絶叫してしまっていた。
動悸が激しくなり、呼吸が荒くなる。
「ご、ごめん‥‥っ!!いきなりすぎたのかな?大丈夫?」
「こっちこそごめん!何でこんな声だしてんだろ俺‥。本当に驚かせてごめんな‥‥」
おかしい。美桜で身体がこんな反応になるなんて‥。
通行人の視線を浴びたので、何でもないと軽く会釈する。
家族も何事かと出てきたが何でもないから大丈夫とだけ伝え、気を取り直して美桜と一緒に歩く。
先日の事もある。俺は何を話したらいいか分からず黙ってしまっていた。美桜も何か言いたそうにしているが、お互いに黙ったまま通学路の半分を過ぎてしまった。
「あのね‥大河‥‥。一昨日の事だけど、本当にごめんね‥‥悲しませたよね‥でもね‥私‥‥」
「何か事情があるんだろ?言えない事情がさ‥‥。知ってるから。美桜の事は俺、信じてるから」
結局留守電は怖くて聴くことが出来なかった。でも今の美桜を見ていたらどんな馬鹿でも分かる。
彼女は俺を裏切った訳じゃないという事くらい。
「壊れた物の代わりくらい、いくらでも俺がまた作るからさ」
そう俺が言うと、美桜の大きな瞳に涙が滲む。
「ありがとう‥ありがとう大河‥‥」
右手をゆっくりと差し出す美桜に俺もおずおずと左手を伸ばす。
恋人になって初めて登校した日のように恋人繋ぎで歩く二人。
「大河??すっごい手が震えてる‥‥。」
心配そうに俺を見つめる美桜に、俺は「緊張しちゃって」としか返す事が出来なかった。
どうやら俺の身体の異常は思ったより厄介なのかもしれない。




