第97話 澪標
一波乱ありつつも、献慈たちはテラス付きの応接間へと通された。
磨き立てられた床の上にはロココ調の家具が整然と置かれ、シーズンオフの暖炉はエキゾチックな芳香を漂わす熱帯植物で飾られている。
「遠いぃ所からよう来ちゃったねぇ。たちまち座りんさい」
退室したハーディに代わり献慈たちをもてなすのはラリッサだ。ジオゴの娘であり、今は亡きカヲル・サナダ・マシャド――真田馨の孫娘にあたる人物である。
「早速なんですが、俺がここに来るのをどうやって知っていたんですか?」
「知ってたってゆうか、信じとった。ばぁば、『もし入山くんがトゥーラモンドに来てるなら、私のこと必ず探しに来てくれるはず』言うとったけぇ」
「信じて……」
「うん。信じとった。うちも、ばぁばも」
大きな瞳。碧緑の湖面にオレンジ色のオーロラを閉じ込めたかのような、秘密めいた色合いをしている。
(……あんまり似てないな)
そう思う一方で、はっきりと感じられるものもあった。
「お祖母さんとは仲が良かったんですね」
「ほうね……うち、こまい頃身体弱かって外にもよう出られんかったけぇ、ばぁばと一緒におること多かったんよ。そん時にようけ話聞かせてもろうてな――」
孫娘に心細い思いをさせまいと、馨は幼いラリッサに自らの体験を度々語って聞かせたのだそうだ。
烈士として活動していた頃の冒険譚。
ユードナシアで暮らしていた頃の思い出。
波乱の半生の中、出会った人々との交流――そこには献慈についての話もあった。
「そんなことが……」
「思いよったんと一緒じゃ、献慈くんのイメージ。じゃけん、さっきたまげてしもうたんよ。もしかしたら献慈くん、こっちで長いこと暮らしとって、すっかり大人なっててもおかしゅうないわけじゃん?」
献慈の胸がちくりと痛む。澪に背中を押されていなければ、ここを訪れるのがどれだけ遅れていたか想像がつかない。
加えて、献慈の意志以前の問題もある。
「……そうですね。俺がもし別の時代、別の場所に流れ着いていたら、今頃どうなっていたか――」
献慈は、自分がトゥーラモンドに来て半年足らずであることを告げた。澪の理解と協力の下、このパタグレアへとやって来られたことも。
じっと耳を傾けるラリッサの後ろで、ノックとともに部屋の扉が開く。
「お待たせいたしました」
ハーディともう一人、眼鏡をかけたメイドは立派な体格のクマびとで、何やら細長い袋を携えていた。
「まずはこちらを。馨様より入山様へ宛てられた書簡にございます」
「真田さんから……」
ハーディから封筒を受け取る。続けてメイドが袋を両手で捧げ持つ。
「大奥様の形見の品でございます」
袋の中身は、白鞘に収められた一振りの刀であった。
「馨様はここパタグレアで烈士としての半生を歩まれ、数多の民を、弱者を救うためその身を尽くされました。この刀は馨様とともに戦い抜いた愛刀、その名を――澪標天玲」
(澪標……)
袋ごと受け取った刀を、献慈は澪に預けた。
「……私が見ても?」
献慈がうなずくと、澪はゆっくりと刀を引き抜く。
「綺麗……」
ラリッサが感嘆の声を漏らす。
なるほど、見事な業物であった。やや厚く取られた重ね、荒々しくも幽玄な趣を湛えた濤乱の刃文、刀身に宿した冷涼なる霊験の光も目を奪う。
「この刀を、本当に俺たちが受け取ってしまっていいんでしょうか?」
「如何様にでもお使いくだされば。それが馨様のご遺志にございますゆえ」
ハーディはメイドとともに一礼し、再び退室していった。
霊刀を仕舞う傍ら、献慈の脳裏に浮かんだのは、
(この刀ならばヨハネスのドナーシュタールに対抗できるかもしれない)
という一つの打算と、
(真田さんが、俺の……俺たちの運命をつないでくれている……?)
それを上回る大きな感情だった。
「ラリッサさん」
「何ね?」
「実は俺たち、近いうちに大事な戦いに臨まなければならなくて、心残りがないようにとここまでやって来たんですけど」
「うん」
「その戦いに勝つため、この刀――澪標を使いたいと言ったら、お祖母さんは許してくれると思いますか?」
「ほうじゃねぇ……」
ラリッサの意を汲んだかのように、
「それは馨さんに訊いてみないと――でしょ?」
澪は献慈に小柄をそっと手渡す。
「……そうか……そうだよね」
献慈は手紙の封を切る。
(大丈夫だ。俺は、落ち着いてる)
前略
伝えたいことがあふれてきて、なかなかまとまりません。
(日本語だ……)
便箋から目を離し、左右を窺う。
澪はうつむき気味に顔を逸らし、ラリッサは体をこちら向きに視線は横を見たままでいる。
(…………)
ここへたどり着くまで、きっと苦労したよね。それともすんなり来れたのかな。
今のあなたはも――
(……あっ)
便箋の間から滑り落ちようとする何かを、咄嗟に手ですくう。
白黒の、古い写真。
(――真田さん)
年の頃は二十代前半か、写真の中の彼女はあの日と同じように微笑んでいた。
「……やっぱ……あとに、する」
写真と一緒に便箋を封筒へ戻そうとするが、なぜだか上手くいかない。
そうだ、畳むのを忘れていたのだ――そんな簡単なことに気づく前に、献慈はそばにあったキャビネットの上へ、半ば放り出すように手紙を置いた。
(俺、何してんだっけ? いや違うだろ、俺は落ち着いてるだろ……何しに来て……読めばいいだけで……だから、もう割り切ってるから大丈夫で……)
よろめく体を中庭の方へ向けた献慈の背中越しに、
「……『――たどり着くまで、きっと苦労したよね。それともすんなり来れたのかな』」
(……えっ……?)
聞こえるはずのない、あの人にとてもよく似た声が、手紙の文面を語り聞かせる。
今のあなたはもう大人? もしかすると、すっかりおじいちゃんになっていたりして。
私にはもう確かめるすべはないけれど、私の知っている入山くんが、あなたの中から失われていなければいいな。
あなたの気持ちには何となく気づいていました。……もし勘違いだったらごめんね。
想われることの幸せを知れたのは、あなたと、夫のおかげです。
あなたのくれた優しさを支えに、前に進めたからこそ、私は素敵な仲間を、家族を得ることができました。
願わくばあなたにとって私の存在が、あなたを過去に縛りつけるものではなく、未来へと背中を押してあげられる存在でありますように。
私にとっての入山くんがそうであったように。
もう会えないのは残念だけれど、私はいつでもあなたの幸せを祈っています。
かしこ
「(……違うんだよ、真田さん……俺は……)俺は……何も、してない……」
歪みかけた献慈の視界に、手紙を広げ持つラリッサの、ぐしゃぐしゃにそぼ濡れた顔が飛び込んできた。
「いいから……献、慈……」
裏返りそうな声をすすり上げながら、澪が両肩に覆いかぶさってくる。
「…………」
そう、これはただのもらい泣き。恥じる必要などどこにもないのだ。




