第96話 令嬢のターゲット
明けて翌朝。
ふたりは食堂でチーズ入りのパンとコーヒー、南国フルーツを腹八分目に詰め込んで、ホテルをあとにする。
「ちょっと献慈、キョロキョロしすぎ」
首都エイラズーはパタグレア有数の観光地でもある。行き交う人々は服装も人種も多種多様で、ゆめみかんの拡張版とでもいうべき風景にはついつい目移りしてしまう。
「ごめん。陽が昇らないうちに急がないと」
地図を頼りに、なるべく治安の良い表通りを進んで行く。
小一時間ほど歩いただろうか。
「澪姉、キョロキョロしすぎでは?」
「だってぇ……綺麗なんだもん」
淡い色彩の板石が敷かれた道の両脇を、民家の庭先に咲くランタナやブーゲンビリアの花が彩っていた。
民家とはいっても、一軒を通り過ぎるのに数十歩を要する邸宅である。ふたりが訪れたのは、いわゆる高級住宅街であった。
(番犬とか、門番とかは……いないみたいだ)
門を抜けたマシャド邸の玄関先に、献慈たちは並んで立つ。
壁掛けの呼び鈴を鳴らすと、五秒と待たずにドアが開いた。
「はい、どちら様でございましょうか」
カマーベストに蝶ネクタイを身に着けた、リコルヌの老紳士だった。
献慈は封筒を紳士に手渡す。
「突然すみません。お屋敷がこちらだとジオゴさんから伺いまして」
「旦那様のお知り合いでしたか……おぉ、イムガイからお越しで」
その場で手紙に目を通していた老紳士だったが、
「はい。自分は真田馨さんの……旧友で、入山献慈といいます」
献慈の名を耳にした途端、表情をこわばらせた。
「――失礼。今、何と……?」
「(やばい! めっちゃ警戒されてる!)いっ、イリヤマ・ケンジ――」
「お待ち申し上げておりました」
これ以上ないほどの深々としたお辞儀が返される。
「もしかしてユェンさんから連絡が?」
「申屠様ではございません。大奥様――馨様が遺された伝言でございます。入山献慈様、貴方様を丁重にお迎えするようにと」
「……俺を……?」
「申し遅れました。わたくしはバークレイ・ジェイムズ・ハーディ――当家の執事にございます。まずはお二方とも、こちらへ」
執事は献慈たちを邸内に招き入れる。
「あいにく奥様、お坊ちゃま、ともに留守でいらっしゃいますゆえ……」
「そうです……か…………ァッ!?」
献慈は我が目を疑った。屋敷のど真ん中で、両手に斧を持った褐色ギャルが悠然と待ち構えていた。
「うちおるんけど?」
「これはお嬢様。ちょうどよいところに」
(お嬢様――――ッ!?)
サイドに結ったストロベリーブロンドの髪を揺らしながら、ギャル令嬢がまっしぐらに駆け寄って来た。
「今聞こえよったんけど、あんたが……あんたが献慈くんなんね!?」
「お嬢様、まずは斧をお片付けください」
「あ、ごめんな。トレーニングしよったけぇ」
令嬢は執事に斧を渡し、献慈に両手で握手を求める。
(手、ひんやりしてる……)
「ほいで、あんたが……」
「は、はい。たしかに俺が入山献慈ですけど……」
「うわぁ~、ほんまに会えたぁ! ぶち嬉しいっ!」
(ヒェッ……!?)
電光石火の抱擁が献慈を急襲する。だが、その動きを見逃さず間に割り込んで来た者があった。
「待ってッ! 私もここいるんですけど!?」
「ん? お客さん?」
令嬢のターゲットが澪へと移る。その結果、
「大曽根澪と申しますッ!」
「ラリッサ・アルモニア・マシャドと申します! よろしく!」
献慈の代わりに、澪自らが熱烈なハグの餌食となるのであった。
「ひょえ~」
「う~ん、澪ちゃんええ匂いしとってじゃ~」
「ほっほっほ……お連れ様はすっかり気に入られたようですな」
「は、はぁ。そのようで……」
柔和なハーディの表情がラリッサ嬢の常態を物語っていた。
★ジオゴ / ラリッサ / ユェン イメージ画像
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