第95話 客人の多い一日
打って変わって和やかな空気がパティオを包んでいた。
兄弟たちと囲むテーブルにはお茶と点心が並べられ、食欲を誘う湯気を立ち昇らせている。
「客人たちには悪いことをしたね。年寄りの戯れに付き合ってくれた礼だ。さ、好きなだけお食べ」
ユェンの勧めに従い、澪はホクホクの笑顔で胡麻団子にパクつく。
「いただきま~す……もぁぐ」
「(許された……)それで、翡翠兵の件は貴方が依頼人だったんですね」
「ああ。弟子どもの修行の一環さ。イムガイじゃアンタたちと行き違いがあったらしいが、その後は平気かい?」
殊のほか親身な対応に、献慈はつい相手の身分も忘れ気を許してしまう。
「はい。仲間の探していた剣は結局別物でしたから。ただ……」
「遠慮せず話しな。海まで渡って来るからには訳ありなんだろう?」
献慈はユェンに事のあらましを述べた。混乱を避けるため、マレビトやユードナシアについては伏せたうえで、馨のことも昔の恩人であるとだけ伝える。
「……なるほどね。お目当てのホテルなら海沿いの区画だ。すぐに馬車を用意してやるよ」
「あ、いえ、そこまでしていただかなくても」
「そうはいかないよ。マシャド家――というか、美名子とはビジネスパートナーなんだ。その客人なら丁重にもてなさないとね」
「ビジネスパートナー……」
「〝警備関連〟さ」
「……あ、はい」
献慈は相手の職業を思い出し、無理矢理自分を納得させた。
黒塗りの馬車は街道を進む。
御者を務めるユェンの部下を除いた乗客は三人――献慈と澪は隣り合わせに、そしてもう一人が対面に座っていた。
「何であなたまでついて来るの?」
毒づく澪の視線を、永年が軽く受け流す。
「べつにええやん。ワシも近くに用があんねん」
「現地妻に会いに行くねやろ」――出発前、永和が呆れたようにつぶやいていたのを、献慈は聞かなかったふりをする。
(沈黙は金なり……だな)
「……私たちをユェンさんに会わせたのは、妹の仕返しのためってわけじゃないんでしょ?」
「それもあるで」
永年はきっぱりと言い放ったうえで言葉を継いだ。
「こっからはワシの独り言やさかい、聞き流してくれ。老師はむかぁし旦那さん亡くされたはってな、生まれたばっかしの娘も行方知れずで……今生きとったら澪ちゃんと同い年やったはずやねん」
「……そうだったんだ」
澪が見やるのを、永年はばつが悪そうに顔を逸らす。
「……ちぃと喋りすぎたな」
「べつに。今さらでしょ?」
「ほいじゃ話ついでにもういっこ……キミら、これからも烈士続けていくつもりやんな?」
「もちろん」
「この先つるむ機会あったら、妹と弟とは仲良うしたってや」
レンガ造りの建物が並ぶ裏通りに、馬車が緩やかに停止した。人通りはないが、標識を見る限り滞在先のホテルとは目と鼻の先のはずだ。
「着きましたよ」と、御者の声。
外からドアが開き、先に永年が馬車を降りる。
次に澪が――刀の柄に手をかけた。
「その必要はあらへん」
永年が言い終えると同時、路地からふらふらと迷い出て来た男が地面にへたり込む。
歩み寄って行く永年を、男の目が恨みがましく見据えていた。
「ぐ……ユ、ァンの、弟子……か……」
「まだ喋れるんか。永和みたいに上手くはいかんなぁ」
男の胸には髪の毛ほどの極細い針が突き刺さり揺れていた。その手から永年は遠眼鏡を奪い取り、素早く猿ぐつわを噛ませる。
「いえ、見事なお手並みですよ」御者は男を軽々と担ぎ上げる。「あとは我々一家にお任せを……フフッ、今日は何かと客人の多い一日ですね」
何事もなかったように走り去る馬車を、献慈は呆然と見送った。
「今連れてかれた人は……一体……?」
「近いうち新聞載るんちゃうかな。記事の内容は――」
「やっぱ言わなくていいです」
〝知らぬが仏〟が、別の意味での仏にならないことを祈るばかりであった。




