第93話 受け継がれるもの
ジオゴが戻ったのはその日の午後だった。
「あとでお話があります」
「すぐにでも構わんが」
ラウンジへ移動する。献慈と澪、ジオゴが円卓に着くのと前後して、ジェスロが手際よく人数分のお茶と生八ツ橋を用意してくれた。
「ど、どうぞ……」
「うわぁ~、美味しそう!」
澪が歓喜の声を上げた瞬間、
「ひぇ……っ!」
ジェスロがびくりと肩を震わせ、遠ざかっていく。まるで捕食者に狙われた小動物のようだ。
「(かわいそう……)大丈夫、怖くないよ。このお姉さん、ちょっと食いしんぼうなだけだから」
「えっ?」
澪の鋭い眼光が一転、献慈に向けられる。
「ごめん! 今は抑えて」小声でたしなめ、「ジェスロくんもおいでよ。一緒にお菓子食べよう」
献慈は少年をテーブルへ呼ばわった。
「いいん……ですか……?」
ピンと張っていた狐の尻尾が次第に垂れてゆくのを見て、献慈は初めて自分の人畜無害ぶりに感謝をした。
「わしも構わんけ、こっち来んちゃい」
「し、失礼……します」
ジオゴが置いた椅子へジェスロがちょこんと座る。
気を利かせた澪がお茶を淹れ、ふうふうと冷ましてジェスロに寄越した。献慈も手持ちのチョコレートを二つ三つ分け与える。
(怖がってたのは……俺のほうかもな)
遠慮がちにチョコを口にしたジェスロが目を輝かせる様を見て、献慈はわずかながら気が晴れた思いがした。
「ところで」ジオゴが口を開く。「組合で聞いたんじゃが、カデノコウジさんの娘ゆうなぁ澪さん、あんたのことかいの?」
その名前を耳にした途端、澪の顔色が変わった。
勘解由小路とは澪の母親・美法の旧姓、現役の烈士だった頃の名だ。
「母のこと知っているんですか?」
「その昔、一度だけ同じ仕事での。地方貴族の護衛じゃった。不正の片棒担がされかけて大暴れしちょったん、ほんま忘れられんわい」
「あー……」
澪が、納得とも諦めともつかぬ嘆息を漏らす。
ジオゴの話はそこで終わりではなかった。
「実はその場にヨハネスもおっての。あれがきっかけで仲良うなったんかは知らんが、まさか二人ともこがぁな道をたどるとは思いもせんかった」
一度きりの仕事仲間。その名を聞いたのは実に二十五年ぶりだという。
「それじゃ……討伐の相手がヨハネスだと知ったのも……」
「ほうよ。わしゃあパタグレアから別件で『眷属』を追って来たんじゃが、どうやらヨハネスに〝消された〟らしい。この落とし前はつけんにゃいけん」
「…………」
「……と言いたいところじゃが、先鋒はあんたらに任すんが筋じゃろうの。そん時までしっかり準備しときんさい」
「格別のご配慮、痛み入ります」
澪はジオゴに深々と一礼した。つられて献慈も頭を下げるが、本来切り出すべき話題を忘れたわけではない。
「その……準備というか、心の準備の話になるんですが……」
「気兼ねせんと言いんさい」
「ジオゴさん、マレビトについてはどの程度ご存知でしょうか?」
献慈は自身の身の上とこれまでの道のりを、馨との関係を含めてジオゴへ語った。
「真田さんからすれば俺は知人の一人にすぎないのかもしれません。でも俺にとっては大切な友人ですから、有耶無耶なままではいられなくて……」
「カヲル・サナダ・マシャド――嫁の母親の名前に違いなぁです」
この時点で馨にまつわる諸々の事実は確定的となった。
「それから献慈さん、剣道言うちゃったでしょう? パタグレアの巳九尼流にゃ馨さんが伝えた剣道の技術が取り入れられようてですよ」
イムガイ剣術の二大流派。
一つは、対人戦闘に特化した緻密な剣捌きを旨とする、新月流。
もう一つは、対魔物に特化した荒々しい太刀筋を持つ、巳九尼流だ。
「私、聞いたことがある。巳九尼流が海の向こうで形を変えて伝わってる話。それに馨さんも関わってたなんて……」
「わしも娘婿としてえっとしごかれましたけぇ、あん人の魂は今でもしっかりと息づいちょる思うてます」
澪は胸元で揺れるつくしの根付に視線を落とす。知っているのだ。想いや教えはその人が去った後も残り続け、受け継がれるものだということを。
「(澪姉……)貴重なお話ありがとうございました」
謝辞を述べ、腰を上げようとする献慈をとどめたのは、
「ジオゴさん」澪だった。「奥さんなら馨さんのこと詳しく知ってらっしゃるんですよね?」
「ほうじゃのぅ、美名子さんは実の娘じゃけ。あんたがたさえよけりゃあ、いっぺんうちかた来てみるんがええよ。ちぃと遠いぃかもしれんが、歓迎するけぇ」
「そうですね。事が落ち着いたらそのうち――」
言いかけた献慈を、またしても澪が不意討ちする。
「行こ。今から」
「うん、今か――らぇっ!? 今からぁっ!?」
「ダメなの?」
「いや、ダメというか……大事な戦いが控えてるのに……」
言い訳だ。その重要な戦いを無事に終えられる保証などどこにもないのだ。
むしろ、敵の居場所が判明していない今こそ絶好の機会とさえ言える。
「献慈は今、馨さんがどんな人生を歩んだのか知らないまま、モヤモヤした気持ちでいるんでしょ? 私はそんな献慈を、自分の復讐のために連れて行くなんてできない」
「気持ちは嬉しいよ。けど、外国に行くには準備とか手続きだって必要――」
献慈の声は、ドアを開け放つ音にかき消された。
「話は聞かせてもらったァ――ッ!」
突入して来た騒音の主はほかでもない。
「カミーユ!? 『聞かせてもらった』って……まさか!」
「床下からお邪魔いたします」
緑風と化したシルフィードが床板の隙間から滑り出る。
向き直れば、カミーユの後ろにはライナーや天狗たちまでもが揃い踏みであった。
「行き先はパタグレアでしたね? 渡航券ならば福引きの景品がここに」
「港まではわたしたちの翼でひとっ飛び運んで差し上げますが?」
「某も入れて二人乗り、おあつらえ向きでござるな」
外堀は知らぬ間に埋まっていた。
次話へのつなぎ
【番外編】第93.5話 揺れるブランコ
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