第91話 マレビトの子
グ・フォザラは保守的な都である。かつて貴族文化を築き上げたヒトと、宮中の警護を担ってきた鬼人族とが上流階級で、それ以外の種族は二等市民であるという意識がいまだ根強い。
新市街建設の労働力として流入したさまざまな民族は、計画の安定に伴い次第に居場所を無くしていった。中には職を追われ、故郷へ帰る手立てを失った者も数多い。
「両児はなぁ、お人好しすぎるんや。やっとの思いで開いた宿やろに、誰彼構わずホイホイ住まわせよるさかい、付いたあだ名が妖怪屋敷っちゅうわけや」
「そんないきさつがあったんですね」
「ま、ワシら兄妹も人のこと言われへんけど」
「兄妹?」
聞き返しながらも献慈は薄々とその意味を察していた。
「そやで。ウスクーブの〝文兎楼〟で働いとったやろ? 兄貴ともども両児には世話んなってなぁ……あの頃はフツーの宿泊客もまだおってん。今や下宿屋みたいなってもうてんけど」
しみじみと語る若蘭の横で、ピロ子は複雑な表情を浮かべている。
「笑い事じゃないヨ。これも全部リョージのせい。ウワサ聞きつけて、次から次へと住み込みやって来る。完全にタマリ場になってる」
「そんなん言いつつ、きっちりお世話するんよなぁピロ子は」
「当たり前ネ。ワタシ、みんなのお母サン!」
得意げに胸を張る女将と、その頭を優しく撫でる料理長。献慈は二人を眺めながら、箸が止まっている自分に気づいた。
(おっと、思わず和んでしまった)
「何や、献慈ちゃんもピロ子にフーフーしてもらいたいんか?」
「い、いえ……そういうわけでは」
澪のいる横でそれはちと問題がある。献慈は冷やかされる前に急いでラーメンをすすった。
「美味そうに食いよるわ。実際美味いんやけどな。っちゅうか美味いやろ?」
「はい。ラーメン、すごく美味しいです」
「ほうかー……あれ? ワシ『ラーメン』て名前言うたやろか?」
「(……あっ!)たっ……たまたま、知ってまして」
今さら素性をごまかす意味があるとも思えなかったが、献慈は反射的に答えてしまっていた。
「そない有名なっとったんか。ゆうても再現したん十年以上前やしなぁ。広まっとってもおかしないわな」
「再現? ですか」
「昔の知り合い――えらい遠いとこから来はった人でな、故郷の味やゆうん教えてもろてん。先日亡くならはったんけどな」
若蘭は天井を見上げつつ、往時に思いを馳せているかのようだった。
(仮にその人がマレビトだったとして、俺がここにいるってことは……)
マレビトは同時に二人以上存在できない――キルロイの言葉が真実ならば、献慈はその人物と直接出会えた可能性は皆無だ。
だが、この一杯のどんぶりを通じて間接的につながれたことの意義は大きい。
「……感謝しないとですね。その方に」
「そやなぁ。ちょうどその人の息子さんが訪ねて来るさかい、迎えのモン行かしたとこや。いっぺん会うてみたらどないやろか?」
「俺たちとですか?」
「キミら今度の『眷属』討伐に参戦するんやろ? 実はその息子さんも名乗り上げとるんよ」
「ってことは、その人――」
どんぶりを置く音が献慈の声を遮る。
「烈士なんだよね? 私、会ってみたい」
ラーメンをスープまで平らげた澪が、清々しくも闘志を漲らせていた。
(マレビトの子ども……か)
*
来客があったのは翌日の午前中だった。
「ん。おはようさん」
ラウンジに顔を出した献慈を若蘭の元気な声が出迎える。彼女のほか、すでに二人の人物がテーブルに着いていた。
一人はドレッドヘアを後ろで束ねた男性で、褐色の肌に筋骨隆々の体格をしている。
もう一人は女性で、プラチナブロンドのふんわり髪の間から純白の猫耳を生やしていた。
「あ……どうも」
献慈はすぐに思い出した。数日前、崖の上から見かけた巳九尼流の剣豪と水虎の女性だ。
(この人だったのか、昨日言ってたマレビトの息子って)
男は椅子に掛けたまま、ヘビー級の体躯を屈めて会釈する。献慈より大分年上には違いないが、溌剌とした物腰をみるに五十には届いていないだろう。
「旦那ぁ、いけませんよぉ。そんなコワい顔で睨んだりしちゃぁ」
眠たげな目をした水虎の女が、横から猫撫で声で諭す。丈の短い着物の裾から小麦色の太ももを覗かせ、尻尾を艶かしくクネクネと動かしている。
「そがぁなつもりはないんじゃがの。若蘭、こんなの言うとった烈士のお客ゆうんは、そちらのお人かいの?」
男の問いかけに若蘭は「もう三人おるんやけどな」と答えつつ、双方を引き合わせる。
「献慈ちゃんもこっち来ぃな。このデッカイおっちゃんが昨夜話した知り合いの息子さんや」
「パタグレアの一等烈士、ジオゴ・マシャド・ドゥアルテいいます。息子ゆうても義理の息子じゃがの」
直接の子どもではない事実に肩透かしを食らいつつ、本人を前にあれこれ思索するのも失礼と、献慈は気持ちを切り替えた。
(一等烈士か。強そう……なんてレベルじゃないな)
ジオゴの身の丈は明らかにシグヴァルドや無憂を超えている。加えて、服の上からでもわかる分厚い胸板が、丸太のような腕が、献慈を圧倒する。
「こっちの年増猫は、ジオゴはん迎えに行かしたウチの従業員な」
続けて水虎の女が進み出る。
「瀞江でぇす。歳はヒミツねぇ」
「三十四や」
すかさず若蘭が暴露するも、本人は歯牙にもかけない。
「会ったばかりで悪いんだけどぉ、朝早くに出発だったからアタシ疲れちゃったぁ。美容のためにお昼寝するわねぇ……覗いてもいけど起こしちゃダメよぉ」
瀞江は献慈の耳元で囁いた後、扇情的なキャットウォークを見せつけながらラウンジを後にした。
ハイヒールの音が聞こえなくなったのを確認して、
「……いや、覗きになんて行きませんからね?」
献慈は誰にともなく弁明する。
「それがええ。ちょうちょが蜘蛛の巣かかり行くようなもんや」
(ひぇっ……)
「ジオゴはんは……瀞江につまみ食いとかされてへんよね?」
若蘭の下衆な物言いに、ジオゴは露骨に顔をしかめた。
「滅多なこと言いんさんなや。わしが美名子さん一筋なん知っちょろうが」
「冗談や。アンタの嫁はん、気ぃ強うて怖いねん」
「ハハハ。美名子さんは気性も器量も天下の真田馨譲りですけぇの」
あまりにも唐突だった。
(え――?)
言葉が出て来なかった。
その可能性を、なぜ今まで疑いもしなかったのだろう。発想さえあれば、心の準備さえできていたならば、その場で問いただすことだってできたのに。
咄嗟には、何もできない。
「たしかに変なとこオカンそっくりやもんなぁ……それはともかくジオゴはん、この後どうするん?」
「わしゃあ組合に顔出さにゃいけんけぇ、帰るなぁ夕方なるかもしれんの」
それから二、三の応答があった気がするが、意識がぷっつりと途絶えたかのように、正確な場面を思い出すことができない。
献慈は戻り際、若蘭から声を掛けられた。
「大丈夫かいな、献慈ちゃん。何やフラついてへんか?」
「平気です。何でもありません」
かすかに記憶として残っていたのは、その受け答えだけだった。
今話の裏側
【番外編】第91.5話 青春は一度きり
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