第89話 妖怪屋敷
洛外へ出ると、一帯を覆う黄金色のススキが献慈たちを出迎える。
大きな湖のほとりに、廃寺を増改築したとおぼしき建物が佇んでいた。
「ここが例の妖怪屋敷? 意外とフツーじゃん」
敷地を囲む柵には手作り感満載の看板が掲げられ、カラフルなペンキで〝ゆめみかん〟の文字が書きなぐってある。
「中に入ってみましょ」
澪が建物へ足を進めようとした時、献慈の〝眼〟が遠く後方に奇妙な出来事を捉える。
「待ってくれ、あれは……何か来る!」
ススキ野原のはるか向こうから、飛び飛びに瞬間移動して来た小さな人影が、あっという間に目の前まで迫って来ていた。
「何や珍し。お客さんかいな」
背負いカゴに野菜を積んだ鬼人族の少女が、丸眼鏡の向こうでつぶらな眼をぱちくりとさせる。
(子ども!? ……いや、こう見えて四十歳とかなんだろ? 俺知ってるもんね!)
「はわぁ~っ!? ちっちゃくてカワイイ~っ!!」
案の定というべきか、新たな獲物を見つけた澪は欲望剥き出しで少女に抱擁を迫る。
ところが、である。
「おわっ!? いきなり何してけつかんねん!」
「――え?」
澪の両腕は空を切る。少女の体が瞬時に後退していたのだ。
「びっくりさすなや。気色の悪い姉ちゃんやのォ~」
「きっ……気色悪いって言われたぁ……」
「(ショック受けんのそっち!?)いやいや! 全然そんなことないよ? 澪姉、今日も美人だし、可愛いよ!」
献慈は澪のご機嫌を取って事無きを得る。代わりに少女からは呆れられるというおまけが付いた。
「何やねんな、このバカップルは……」
「申し遅れました。僕たちは依頼を受けて参りました烈士なのですが、貴方は〝ゆめみかん〟の関係者の方でらっしゃいますか?」
ライナーが尋ねると少女は一転、態度を軟化させた。
「そやで。料理長や。しっかし兄やんは落ち着いとんなぁ。ワシの〈縮地〉にも驚きよらへんし」
「いえ、その若さでこれほどの高度な道術を使いこなすとは、相当な修練を積んでこられたとお見受けいたします」
「またまたぁ、こないなオバチャンつかまえて若いとかよう言うわ~。アンタも罪な男やでぇ。アメちゃんあげよか~?」
「それはどうも。いただきます」
脱線しつつある話をカミーユが軌道修正にかかるが、
「お~い。どうでもいいけど早く行こうよ、妖怪屋敷さぁ」
「誰が妖怪ババアやねん!」
「いや、アンタのこと言ってねーし!」
「ん~……自分ツッコミいまいちやな。まぁええ。ついて来」
「……何だよこの敗北感……」
逆に手玉に取られるのであった。
献慈たちを引き連れ、料理長を自称する少女は元気よく入り口を跨いだ。
「ただいま~。帰ったで~」
煤けた色合いが年季を感じさせる、落ち着いた宿であった。
ふと見渡すと、柱の陰からふわふわとした何かが覗いていた。
「こらぁ、ちゃんと出て来て挨拶しぃや。お客さんやで」
料理長に見咎められ、おずおずと姿を現したのは洋装の少年。それもキツネのような耳と尻尾を持つ、少数種族のフォクストロットであった。
「い、いらっしゃぃや、らっせぇ……」
消え入りそうな声。獣耳は横向きに伏せ、瞳は定まらず泳ぎ回っている。
「ベルボーイ見習いのジェスロや。ちぃと人見知りやさかい、堪忍な」
「ボ、ボクぅ、ジジェッ、スロって、ててゅ……」
「かっ……可愛すぎるッッ――!!」
熱情を滾らせる澪の反応は予想の範疇として、
「これまたイジり甲斐のあるガキんちょじゃのォ~! うっひゃっひゃ……」
カミーユまでもが嗜虐心を剥き出しにしていた。
両極端に怖いお姉さんたちの魔の手がいたいけな少年に迫る。
「あ、あぅ……ボ、ボクぅ……」
(こいつぁやべぇえ――っ! ジェスロきゅん早く逃げてぇ――っ!)
献慈は身を乗り出しかけるも足を止める。宿の奥から小走りに近づく足音に気がついたからだ。
程なくして、足音の主は廊下の角からひょっこりと顔を出す。
「若蘭? 帰って来たノー?」
たすき掛けの和服にエプロンを着けた、金髪碧眼のうら若き女性。少女と言っても差し支えない年齢に見えるが、長く尖った両耳の形は、彼女が妖精から進化した長命の森人であることを明示していた。
(エルフ……?)
「女将さぁん、た、助けて……くださいぃ」
怯えきったジェスロがエルフの少女に駆け寄る。
「ンー? 一体ナニがあったカ?」
ゆめみかん女将・スピロギュリアとの慌ただしい出会いであった。




