第83話 げに芳しや、太刀の花
『天狗渡』を抜けた先は山の向こう側だ。
鬱蒼と茂る木々、苔むした倒木は、そこが長らく人の訪れぬ土地であると告げていた。
「全員到着でござるな」
「ええ。では玄関掃除と参りましょう」
翼を広げた無憂と絵馬が飛び出していく――外に待ち構えていた魔物の集団に向かって。
「私たちもお手伝いしないとね」
鯉口を切るリーダーに出遅れまいと、献慈たちもそれぞれの得物を手に前進を始めた。
「開けた場所があちらに」
「息つく暇もねーなっ!」
カミーユ・シルフィード組がオンモラキの群れの下を走り抜ける。その間を滑空する黒翼の主は、絵馬。
「ざっと十数匹ですか。ここはわたしが」
両手の戦輪が、向かい来る怪鳥たちをすれ違いざまに斬り裂いてゆく。三匹、四匹と亡骸が地に叩きつけられていく様に恐れをなしたか、オンモラキの群れが動きを止めた。
それを好機と、絵馬は一息のもとに陀羅尼を吐き出した。
「Yur Khenebe Gebka Fir――〈飛龍圏〉」
怪光灯りし双輪は絵馬の両手を離れ、天翔ける龍のごとく宙を舞い踊った。あわれオンモラキの群れは逃げ惑うそばから次々と屠られ、瞬く間に全滅する。
「お見事でした、絵馬さん」
「うぇっ!? ら、ライナーさんの援護のおかげ、です……」
「そうですか。では引き続き支援に注力するとしましょう」
呪楽の調べが味方を鼓舞する。立ち向かう先はツチグモが二体――
(……いや、三体だ)
献慈の足裏が地面の揺れを察知した。ライナーを護衛しつつ、木々のある方へ後退する。
一方で二体のツチグモは朽ち木をなぎ倒しながら迫り来る。以前に遭遇した個体より一回り大きく見えるのは、ここが彼ら本来の住処である証明だろうか。
「賢明にござる。〝遅番〟は貴殿らにお任せ致そう」
独鈷杵を手にした無憂が先陣を切った。槍状になった両端が大きく伸び広がるや、魔物の硬い殻に覆われた脚を続けざまに斬り落としてゆく。あれよという間に一体が十文字に引き裂かれていた。
(早っ……! 絵馬さんといい、無憂さんといい――)
残る一体の連撃を難なくかいくぐり、無憂は両刃槍を斬り上げる。分断された鎌脚が地面に落ちるより先に、大天狗の体は天へ向かい飛翔していった。
「〈金剛伐折羅〉」
稲妻と化した独鈷杵が空を断ち割り、眼下に見据えたツチグモの巨躯を爆風の中で塵へと変えた。
(圧倒的じゃないか……!)
「献慈、動かないで!」
澪が走り込んで来る。地表へと這い上がって来た〝遅番〟のツチグモが、献慈に襲いかかろうとしていた。
「させないッ――!」
抜き打ちざまの〈一風〉で鎌脚を斬り飛ばし、返す刀でもう片方を狙うが、辛くも刃先を弾かれた。
「クッ……!」
「俺が行く――〈彪鞭崩嶺嶄〉っ!!」
ひねりを加えた飛躍とともに打ち掛かる。わずかに的を外しはしたものの、献慈の杖先は中脚の関節近くに命中した。
「(手応えあっ――)ぅぐぁっ!」
攻めばかりに意識を集中させたツケである。フリーになった後ろ脚が献慈を強かに蹴り飛ばす。
「献慈!」
「――Yur Ekuze Khodele Fir Femi!」
不意に飛来した何本もの綱が献慈の体を絡め取り、下に待機した無憂の両腕へと軟着陸させていた。
「無事でござるか?」
「は、はい……どうも」
戸惑う献慈の手足からするすると綱がほどけ、絵馬の袖口へ吸い込まれていく。
「〈不空羂索〉が間に合いましたね」
「おかげさまで……」
咄嗟に展開した〈霊甲〉と呪楽の効果で献慈のダメージは抑えられていた。
ともかくも、敵はまだ戦意を失っていない。
「時間稼ぎご苦労……疾く行け、シルフィード!」
「〈凶嵐撃〉でございます」
カミーユの号令でシルフィードは荒れ狂う緑風と化す。撃ち出された無数の衝撃波は四方八方からツチグモを滅多打ちにした。
とどめに待ち受けるは、真打による一大演目。
「新月流――〈芙蓉花〉」
古式に則った脇構えからの一太刀が閃くと、凝縮された剣気が一気に開放された。幾重もの太刀筋が虹色の花弁となって狂い咲く中、細切れとなった魔物の残骸が舞い散る。
「げに芳しや、太刀の花――天晴にござる」
無憂の称賛に応えるかのように鍔鳴りの音が響いた。
その直後。
「おつかれ、澪姉……ぇ……っ!?」
「ごめん……なさい、もう……限界」
糸が切れたようにうずくまる澪を、皆が騒然となって取り囲んだ。
ウスクーブへ続く街道へはもうすぐだ。
送還されたシルフィードを除く六人の足取りは前途洋々、実に軽やかである。
「あぐっ……もぐもぐ……はっぐ、むぐんぐ」
「……そんな急いで食べたら喉に詰まらせるよ?」
鼻筋にしわを寄せ、一心不乱に栗羊羹にかじりつく澪。献慈は水筒を片手に寄り添って歩く。
後ろからは無憂とカミーユの会話が聞こえてくる。
「ハハ……澪殿は食べっぷりがよいな」
「ミオ姉、献慈が早く目を覚ますよう願かけしてたんですよ? 甘いものは我慢するって」
これは献慈も初耳であった。
「俺のためにそこまで……でもこうして生き返ったんだし、もう好きに食べたらいいと思うけど」
「そ、それはぁっ……そのっ……」
言い渋る澪に忍び寄る小さな影はほかでもない。
「そりゃあもう、来たるべき時に備えて体型に磨きをかけないと――」
「カミーユぅ!! 内緒だって言ってたのにぃ!!」
「ウヒャヒャヒャ! 恋する乙女は健気じゃのォ~!」
不毛な追いかけっこが開幕するや、
「そぉら捕まえたぁ~! ワッショイワッショイ!」
「やっ! やめれっ! ムウさんの前れっ! ハズカシィー!」
あっさりと閉幕した。澪にバーベルよろしく上げ下げされるカミーユを、無憂は愉快そうに見守る。
「ハハハ、子どもは元気が一番でござるな~」
「まったくあの娘は……しかし、体型といえば我々も気をつけねばなりませんね」
絵馬の発言にライナーが怪訝な眼差しを向ける。
「失礼ながら、お二人とも減量が必要にはお見受けしませんが……」
「いやいや、それが必要なのでござるよ」
一目瞭然、天狗たちの背中にあった翼が煙のごとく消え失せる。
「この姿なら人里にも溶け込めるでしょう」
絵馬が得意げに胸を張る。物質を霊質に変換し、霊体の内側へ仕舞い込んだのだ。先ほどの戦闘で武器を取り出したのも同じカラクリによるものであった。
「へぇ~。ミオ姉もお腹の肉とか自由に出し入れできたら便利なのにねぇ?」
「ちょっとぉ! 引っ込めるのはともかく出すのは勘弁なんですけど!?」
カミーユを担ぎ上げたまま、澪は大股で街道を突き進んで行く。
南天に太陽を頂く秋空はどこまでも青く澄み切っていた。




