第82話 年長者の立場
見上げた空も立ち並ぶ木々も、踏みしめる地面さえ現実のものという気がしない。まるで、精巧に描かれた書割の中を突き進む感覚だった。
古の天狗たちが造り上げた抜け道、『天狗渡』。
「これは……収納袋などと同じ、位相空間でございますね」
シルフィードが興味深げに辺りを飛び回るその下で、澪は今にもスキップを踏み出しそうである。
「昔話では聞いたことあったけど、実際通れるなんてワクワクしちゃう」
「かの一〇八星に名を連ねる大天狗〝悪策魔坊〟の奇策はこれらの抜け道を利用したものと言われています」
絵馬の説明にライナーも関心を向けていた。
「何とも大掛かりな発想です。これと同じものがイムガイにはあと二ヵ所あるのですね」
「当初は国中に道を張り巡らす案もあったそうだが、手間がかかりすぎるゆえ規模を縮小せざるをえなかったのでござるよ」
そう語る無憂の面持ちはどこか淋しげだ。
「天狗がいかに長命といえど、個体数が少ないことにはどうにもなりませんから」
「なぁるほど~。そんでアンタが頑張って天狗人口を増やすつもり、と……」
「むむむ……先ほどからあなたという人は! とことん品性下劣で! どこまでも破廉恥な考えの持ち主なのですねっ!!」
隙あらば勃発するカミーユと絵馬の口ゲンカ。今度こそ澪たちの手を煩わすまいと、献慈は仲裁に乗り出す。
「カミーユは何でも茶化したがる癖をどうにかしなよ。……すいません、絵馬さん。こんなヤツなのでどうか話半分に相手してやってください」
「こんなヤツの分際でこんなヤツとは何だコラァ~!」
「たしかに献慈さんのおっしゃるとおりですね。わたしも年長者の立場を忘れて熱くなりすぎました」
(年長者……)
どう目を凝らそうとも女子中学生にしか見えないが、千年にも及ぶという天狗の寿命を考えれば納得するしかない。
「……あまりジロジロ見ないでください。あなた方より年上とは言っても、生まれてからまだ七菩須敦ほどです」
「ぼすとん……?」
「一菩須敦は人間の八年分に相当します」
「ごじゅう……ろくさい? ウチのばあちゃんと同い年じゃん」
カミーユが言わずもがなの一言を放つ。これでまたも争いが再燃するかと思いきや、
「んだでハァ! バッパ扱いすんでねっ!」
「べ、べつに年寄り扱いしたわけじゃないんだけど……でもなぁ……」
「何です? まだ文句があるのですか?」
「いや、アンタ元は悪くないんだし、眉とか髪の毛整えるだけでもかなり垢抜けると思うんだけどなー」
「……っ!? そ、その話、詳しく聞かせてもらえますかっ!?」
絵馬の食いつきが予想外の流れを生み出す。
「もっちろん! ウスクーブ着いたらこのファッションリーダー様がみっちり指導してやっから、楽しみにしとけ!」
「約束ですよ!? フフッ……これでわたしも憧れの〝もだんがーる〟に一歩近づけますね!」
図らずも意気投合する少女たちを見て、献慈は拍子抜けと安堵を同時に味わっていた。
(俺が出るまでもなかったかな……)
「各々方、出口はすぐそこにござる」
無憂が虚空に向けて両手で印を結ぶ。
「Yur Khedne Nemre Yur Bhev Dheve.」
真言を唱え終えると、境界の膜が水面のように揺らめきだした。絵馬が先頭、無憂が殿となって一行は抜け道の外へと出て行く。




