第78話 予行演習
「な……何?」
カミーユが気味悪そうに眉をひそめる。彼女ならずとも、この状況には違和感を抱かずにはおれない頃合いだ。
シグヴァルドほか一名を除いては。
「そうだな……そろそろ芝居を続けるのも疲れたところだ」
大曽根は先に渡された書類のうち二枚をテーブルの上へ置いた。紙というよりは半透明のフィルムのように見える。
それが何であるのか、カミーユが知っていた。
「烈士の誓約書!」
「どういうこと……?」と、澪。
「こういうことだ」
大曽根は二枚ある誓約書の保証人欄に、万年筆で自分の名を立て続けに記す。薄々とその意図が飲み込めつつあった献慈だが、言葉が出て来ない。
「どうした、ふたりとも。烈士になるとか約束していたんじゃないのか?」
「そ、そうですけど……申請には一ヵ月ぐらいかかるって、受付で……」
戸惑う献慈にシグヴァルドのウインクが飛んだ。
「最初にオレんとこ来てから一ヵ月だろうよ。また世話なるっつーから、こうして用意しといてやったんだぜ?」
「そっ……ま、まさかお父さんもその時から……?」
これには大曽根も首を横に振る。
「それはさすがにまさかだよ。だが先日献慈君を治し終えた後、そこの彼と話をしてね。こうなることを見越して諸々仕込ませてもらった」
「……んもおぉぉぉ~っ! お父さああぁん!!」
娘のゲンコツをぽかぽかと叩き込まれる父親の顔は満更でもなさそうだ。
「はっはっは……澪がこんなにも早く元気を取り戻すとは、実のところ期待以上だった。しかも反対したわたしを置いて行くどころか、意地でも連れて行くと来た。……ありがとう、献慈君」
「それでは、一緒に来てくれるんですね?」
「ああ。ただわたしも村では責任ある立場だ。要件を片づけた後、君たちとは現地で必ず合流すると約束しよう。よろしく頼む――ライナー君、カミーユ君も」
二人は出し抜かれたことも水に流し快く応じる。
「こちらこそ」
「ホント食えないオッサンだわ。そうと決まれば早いとこアレ、済ませちゃってくんない?」
カミーユはテーブルに置かれた二枚の誓約書を指差した。
言われたとおり献慈たちは自分の名を記し、次の段階へと移る。
「ここに血判を押すのね?」
澪は薬指の爪付近に小柄で切り目を入れ、すくった血で判を押した。途端、誓約書は淡い光とともに変形と収縮を始める。
現れたのは『星辰戒指』――カミーユやライナーの指にあるのと同じ烈士の証であった。
「こいつは血判を押した本人しか身に着けられねぇから注意しな。さて、可愛い子ちゃんにはオレのほうから手ほどきしてやろうか?」
「でっ!?」
躊躇する間にシグヴァルドがにじり寄って来たが、
「ま、間に合ってますから!」
素早くそれを阻止した澪は、献慈の左手を包み込んで囁くのだった。
「……ちょっとだけ、我慢できるよね?」
「う、うん…………うッ」
「…………。このまま……私に着けさせて」
「……わかった。頼むよ」
現れた戒指が、澪の手で献慈の中指に嵌められる。瞬間、まるで持ち主の体温や肌の弾力までをも写し取ったかのようにそれは皮膚へ、肉へ、そして身体そのものへと馴染んでいった。
「今度は献慈の番」
「……いいの? 澪姉」
「お願い……します」
皆が見守る中、何らかの「予行演習」は滞りなく済まされた。
名残惜しげにふたりが手を離す最中、大曽根が帰り支度を再開させる。
「さて、成り行きも無事見届けたことだ。わたしはそろそろ出発する。献慈君、娘のことは任せたよ」
「はい(娘さんを……任されてしまった……)」
「澪も……最早わたしからは何も言うまい。お前がしっかりとこの先の人生を歩んでいけるよう、父親として全力で協力するつもりだから、安心しなさい」
「お父さん……でもね、それは私の台詞でもあるから」
澪は晴れ晴れとした面持ちで、父親に宣言する。
「お父さんだって、人生まだまだこれからでしょ? いつまでも立ち止まったままになんかさせておかないから。ちゃんと区切りをつけて、前に進ませてみせる。それが私と――お母さんの願いだもの」
「これは……ふふ、参ったな」
大曽根は目頭を押さえ顔を背けるも、程なく立ち直る。
「礼を言うのはこの一件を終わらせてからだな。それでは皆、むこうで会おう」
一同に見送られ、大曽根は階下へ、そして宿酒場の外へと去ってゆく。
献慈と澪、何気なくかち合わせた指輪に揺らめいた仄赤い光は、さながらふたりの新たな旅立ちを祝福する門火のようであった。




