第76話 ずっと、ずっと……
沈黙が流れていく。お互いに、お互いが発言するのを待ち、それを察し合っているかのような沈黙が。
「……ごめん、澪姉」
「……な、何が?」
澪らしからぬ、素っ気ない返答だった。
だがその口元を通り過ぎた微笑みは、密かに匂わせていた。先に言葉を発したのが自分ではなく、献慈であったという安堵を。
「俺が眠ってる間のこと、今まで黙ってたから。……正直言うと怖かったんだ。俺がユードナシアからコピーされた人間だって、そんな得体の知れない存在だって知られて、澪姉に拒絶されるんじゃないかって」
「私がそんなことするわけない!」
澪はいきり立ち、献慈へ迫った。
この顔は本気だ。はっきりとわかる。半年近くもの間ずっと同じ時を過ごしてきたのだから。
「……だよね。リヴァーサイドでキルロイさんと出会って、いろいろ話して、俺は自分の心をしっかりと定めたつもりでいたのに……今になってまたこんなつまらないことで悩んだりして、本当バカみたいだ」
「そ、そんなこと言ったら……私はもっと……バカみたいじゃない」
「澪姉……」
合わせようとした視線がついと逸らされる。
「キ、キルロイさん? っていうのは、その……」
「むこうで俺を助けてくれた人だよ。俺が澪姉の所まで戻って来られるよう力を貸してくれて……だから、澪姉が心配するようなことは何もないよ」
「そっかぁ……あ、べつに心配とか! そういうのは……」
「……俺が心に決めた人は澪姉だけだよ。これからもずっと、それは変わらない」
身体が、心が、熱に浮かされているかのようだ。自分を止められない。今まで生きてきた短い時間、ぜんぶ使って、はるか未来の永遠の果てまで、愛しい人の心の奥まで届くよう、全力でこの想いをぶつけたい。
「献慈……それって……」
「御子封じの旅が終わったっていうなら、もう守部とか役割とか関係ないはずだろ? だから……一人の男として言わせてもらうよ」
今、伝えたい。
「俺は澪姉が好きだ」
「……ぇ…………」
「……好きだ」
「…………」
「…………」
「……ぅ…………わあああぁぁぁァァァ――――ッ!!」
鏡獅子よろしく振り乱した澪の髪の毛が、献慈の顔にぴしゃりとぶち当たる。
「いで……っ!?(歌舞伎でよく見るやつ!)」
へたり込んだ澪の後ろ髪全部が前方へ垂れ下がり、顔を覆い隠してしまっていた。
「だっ、大丈夫!? 澪姉、どうしたの?」
「……だ、だ、だだだっ、だってぇ……こ、こ、ここここ、こんなの、はっ、恥ずかしくて! かっ、顔とか、みみ、見れないしひぃ!!」
「そっか……ごめん、びっくりさせて。澪姉が嫌なら……」
「嫌じゃない!!」
澪は、屈み込んだ献慈の両手首を掴んで押しとどめる。
「(い、痛い……)えっと……」
「嬉しいから! 嬉しいの!! 嬉しくて……し、死にそう」
「わ、わかったよ……でも死なないでね」
「……うん。死ななぁい…………すぅっ……ふ――ぅ……」
澪は大きく深呼吸した後、献慈を解放しゆっくりと立ち上がった。ふらふらと後ずさりして、ベッドに大きなお尻でドスンと着地する。
わしゃわしゃとかき分ける髪の向こうから、耳まで真っ赤になった顔が覗いていた。
「みっ、見ないで! 恥ずかしいからっ!」
「でも、可愛いよ。澪姉」
「そういうのっ! 今、ほん……っとダメだから!」
「わかった、見ないようにするよ……なるべく」
答えつつ、献慈はさり気なく澪の隣へ腰を下ろす。
「うぅ………………はっ!?」
「なっ、何?」
「嘘じゃ……ないよね? 今、献慈が言ったこと」
「えっ? 俺……俺、好きだよ。澪姉のこと」
「ん……んん~……?」
「好きなんだ。最初に会った時から、ずっと。素敵な女性だと思ってた。綺麗で、格好良くて、それで時々可愛いらしくて……」
「……え、えへへへ~……」
澪は顔の下半分を両手で覆うも、全身でニヤついてる感を醸し出していたため、あまり意味を成していなかった。
「(可愛い……)全部……憶えてる。行き場を失った俺にずっと寄り添ってくれたこと、いつも優しく接してくれたこと。澪姉が今までしてくれたことがどれだけ俺の力になったか、とても言い尽くせないよ。だから今度は俺が澪姉をしっかり支えてあげたい、力になってあげたいって、心から思ってる」
「……は……はい……」
「それでさ……俺、これでも結構勇気振り絞って告白したんだけど……できれば、改めて澪姉の返事が聞きたいっていうか……」
「へっ……返事……?」
「そう。正直に答えてほしいんだ」
「……私……」
「澪姉は、どうしたいの?」
「私…………したい。献慈と」
「……えっ?」
「えっ?」
「あ……あの、ごめん。言い方が悪かった。討伐隊に志願するかどうかってのを確認したくて……」
「はっ――あ、あーっ! とと討伐ぅい、い、行くって話ねっ! も、もちろん!! 私、行くぅ!」
「…………」
「わ、わかってたから! 最初からそのつもりで言ったからぁ!!」
澪の動転ぶりを受けて、献慈は話の流れが独りよがりすぎたことを反省した。
「(さっきのは聞かなかったことにしよう……)えっと……それじゃ俺、二人に知らせに行って来ようかな」
献慈が腰を上げた直後、
「待って! 私も……一緒に、行く」
「……わかった。行こう」
上目遣いに見つめる澪の手を取って立ち上がらせる。あわや抱き寄せんばかりの距離感、献慈は確実に気が大きくなっていた。
にわか仕立てな男の威厳など実に儚きもの。
「なぁんてね……えいっ!」
「ふあぁっ!?」
気がつけば澪に抱え上げられる献慈がそこにいた。
「そう簡単にリードなんてさせないもんっ」
悪戯っぽく笑う澪の頬には――油断大敵――と書かれている気がした。
「ごめんね。怒った?」
「ううん……(おかえり、澪姉)」
献慈の微笑み返しは決して強がりなどではなかった。
「よかった。私……これからも献慈の好きな澪姉でいたいから、だから――」
ドアを開けたふたりの姿を、橙色の夕陽が染め上げる。
「――ずっと、ずっと……よろしくね」




