第72話 宿題
明くる日も、また明くる日も、献慈は澪と一緒の時間を同じ宿の部屋で過ごしていた。
「……でね、あさってお父さん迎えに来るじゃない?」
「ああ。ちゃんとお礼言わないと」
「目を覚ましてから初めてだもんね。……あ、出来上がりそう」
誕生日プレゼントの組紐ペンダントだ。激戦でほつれてしまった紐を、澪は指編みで補修していた。
「不格好だけど許してね。村に帰ったらちゃんと作り直してあげる」
「そこまでしなくても。手作りってだけで充分嬉しいよ」
「そうもいかないよ……はいっ、完成」
澪は読書中の献慈に忍び寄り、その首にペンダントを装着する。
「ん、ありがとう」
「さーて、献慈は何の本読んでるのかなぁ……やらしい本だったりして」
「そうだね」
「……へっ?」
「…………。……ごめん、何の話だっけ?」
顔を上げると、ふくれっ面の澪がじっと見つめていた。
「……私……邪魔かな……?」
「そんなことないけど……」
口とは裏腹に、献慈は本のページが長らく進んでいないことに気がついた。数日前の澪とのやり取りが尾を引いているのだ。
「でも……ちょっと元気ないよ?」
澪の力になりたい、支えたいとずっと思ってきた。
ただ、思い返せばその選択のどれもが澪の行いに便乗していただけだった。
献慈はいまだ己の意志を真に示せてはいない。
「(俺自身の宿題……)ずいぶん溜まってたみたいだ」
「溜まって……ぇ……っ……!?」
「澪姉」
「……ッ! な、なぁに?」
「独りにしてくれないかな? 少しの間だけでいいから」
「そ、それは……そういう、意味だ、よね……?」
澪は口元をもにょもにょさせながら、うつむき加減に後ずさりしていく。
「(しまった……強く言いすぎたかな)その……澪姉のこと考えて、スッキリさせておきたいっていうか……」
「わっ、私のッ!? だ、だったらこの……ううん! 一緒にいたんじゃ気まずいもんね……献慈がそう言うなら自重するねっ。いっ……に、二時間ぐらい? お出かけでもして来ようかな? それじゃ、ま……またあとでねっ!」
忙しく部屋を出て行く澪の狼狽ぶりに気が咎める。
だがもう決めたのだ。後には退けない。
意気揚々と階下へ赴いたのも束の間、
(一ヵ月待ちだって……? しかも保証人とか……)
献慈は烈士組合の受付からトボトボと引き返して来る。
(勢いだけで何とかなるとは思ってなかったけど……幸先悪いな、これは)
「おい、邪魔だぞ。小僧」
不意の呼びかけに献慈は振り返るが、
「あ、すいませ……何だ。やっぱカミーユか」
案の定、リコルヌの悪戯娘が待ち構えていた。
「何だ、とは失敬な。こんな所で何してんのさ?」
「何って…………就職活動」
「……はぁ?」
猜疑と嘲笑と挑発の入り混じった顔つきは、相談する気を失わせるに充分だった。
「じゃ、そゆことで」
「待てェ、コラァ! 説明しろォー!」
食い下がるカミーユに、献慈は渋々言葉を返す。
「説明も何も、生きていかなきゃならないだろ……この世界で」
「…………。……こっち来い。どーせヒマなんだろ?」
体格に似合わぬ力強さで、カミーユは献慈を酒場の方へズルズルと引きずって行く。
「ど、どこに…………あっ」
フロアの一角、優雅にサンドイッチを摘むライナーと目が合った。献慈が目礼すると、むこうもにっこり笑って応じる。
「一応連れて来た」
献慈を放り出し、さっさと席に座るカミーユ。代わりにライナーが着座を促す。
「さ、お掛けになってください」
「どうも。お二人とも今日はどこかにお出かけですか?」
「僕は修理に預けた楽器を確認に。今朝部品が届いたとのことで、来週には出発できそうです」
先の戦闘で破損したライナーの愛器・ローターヒンメルの件である。
「元はと言えば俺のせいです。俺が出しゃばらなければ、あの場でヨハネスを倒せたかもしれないのに」
「いえ、準備不足のあの時点でそれは無理だったとわかりました。相手は元勇者ヨハネス・ローゼンバッハですから」
「……聞いたんですね。澪姉から」
献慈に向けられた二人の目元は、無言のうちに肯定していた。
「まさかヨハネスが遠くイムガイの地に『なりそこない』の姿で現れるとは、まったくの想定外でした」
「『なりそこない』……?」
「所謂レッサーヴァンピール――適性を持たなかったか、あるいは服従に激しく抵抗した反動で不完全な『眷属』化を遂げてしまった者の末路です」
ヨハネスの、あのどこか痛々しい異形の姿の理由を知る。献慈は感傷的になりかけた己を現実へ引き戻した。
「ヨハネスは……魔王に負けてあのような……?」
「勇者一行は全員が上級烈士だったのですが、それをも凌ぐ力が魔王にはあったようです」
献慈の疑問をカミーユが先回りする。
「上級烈士ってのは、悪魔とかドラゴンみたいな災害級の魔物と渡り合える連中だから。あたしら一般烈士とは別格と思っといて」
ヨハネスの戦いぶりを目の当たりにすれば疑いはない。そんな相手であっても、霊剣ドナーシュタールを持ち歩いている以上は奪還に向かわねばならないのがライナーたちの立場だ。
「現在、幕府や組合でもヨハネスの行方を探しています。討伐部隊の編成はイムガイ国内の烈士が中心となるでしょうね。彼らにも縄張り意識がありますから」
「外国人のあたしらが表立って参加するのは厳しいだろうけど、せめて事後処理に食い込めないかどうか模索中ってとこ」
そこまで言うとカミーユは立ち上がり、献慈を椅子から引き剥がそうとする。
「ってわけで、ケンジはミオ姉と一緒におとなしく村まで帰りなよ。せっかく命拾いしたんだし、これ以上危険に首を突っ込むこともないっしょ?」
「……カミーユまでそんなこと言うんだな」
「あ? 文句あんの?」
「ライナーさんも同じ意見ですか?」
尋ねられたライナーの視線は献慈ではなくカミーユに向いていた。
そのカミーユもライナーを睨みつけるように見据えている。
「(二人とも……何か変だ)俺を呼んだのは――」
問いただすより早く、見開かれたカミーユの目が真横へと逸れる。そこにはちょうど入店して来た、献慈にも見憶えのある男がいた。
以前に路地裏で争った不良集団のヘッド、
「あんたら……!」
「どうした、お兄ちゃん。場所はここで合ってるぜ?」
さらにはその後ろからシグヴァルドがひょいと顔を出す。
「いや……その……」
「……何やら訳ありみてぇだな」




