第71話 今だけは
ややあって、部屋にはふたり。
匙を手にした澪が、期待するような目を注いでいた。
「……どう?」
柔らかく煮炊きされた米の甘みが口いっぱいに広がり、裏ごしされた梅肉の爽やかな酸味が溶け合う。
「こりゃいい。食欲が湧いてきた」
「よかったぁ。次はどれがいいかなー……これとか? 鶏そぼろもあるよ。厨房で少し分けてもらったの。献慈はどれ食べたい?」
小皿に装われた真っ白な粥に、澪はせっせと付け合せを載せていく。
「そうだな……」
「ふーっ、ふーっ」
「…………」
「はい、あ~ん」
「あ、あー…………ん」
てらいなくやってのける澪も澪だが、受け入れてしまっている自分も大概だ。
「どうかした?」
「いや……べつに」
「嘘。何か別のこと考えてるでしょ」
鋭い。献慈は早々に観念し、だが慎重に、澪に告げる。
「澪姉、さっきからテンション高いなって思っただけだよ」
「だって嬉しいんだもん。献慈は……やっぱりおかしいって思う? 私、浮かれてるって」
「ううん、そういうんじゃなくて、ただの感想。俺だって澪姉とこうしていられることに関しては、すごく……幸せだって感じてる」
澪は表情を綻ばせかけたが、それも一瞬であった。
「じゃあ、それ以外が気になってるんだ?」
「そう……だよ」
献慈は逡巡を振り払い、問い返す。
「御子封じ、どうなったの?」
一旦下がりかけた澪の視線が、舞い戻るようにして献慈を真正面から見据えた。
「御子封じは……もうおしまい」
「それは――」
献慈の言葉はすぐさま遮られる。
「先に言っとくけど、献慈が自分のせいだって思ってるならそうじゃないから。これは私が決めたことなの。御子封じは終わり。仇討ちも終わり。旅はもう終わったの。だから……献慈の身体が良くなったら、一緒に村に帰ろ? ね?」
澪が納得しているのならばそれでいい――認めてしまいそうになるお利口な自分に献慈は待ったをかけた。
「この場所で……この下で交わした約束は? ふたりで烈士になるって……」
このまま納得させてしまったら、澪はもう二度と前に進めないかもしれない。
そう思ったから。
「あんなの、ただの思いつきで言ったことだし」
嘘だ。
「……! 『あんなの』って……!」
「ごめんね。私いろいろ甘かった。お母さんから受け継いだ教えとか剣術とかで大抵のことは何とかできるって過信してた。それで結局、また大切な……献慈を危険な目に遭わせて……本当、何やってるんだろ、って……」
過信なんてしていない。澪は自分にできる限りのことを精いっぱいこなそうとしていただけだ。
ただ巡り合わせが悪かっただけだよと、そう言ったところで気休めにしかならないことは献慈にもわかりきっていた。
そして、何よりも――
(俺が……澪姉の力になるなんて言っておきながら、澪姉の目的の邪魔した俺なんかが、これ以上何か言う資格なんて――)
「ユードナシアの手がかりね、誰かに頼んでみるよ。私なんかよりもっとふさわしい人、きっとほかにいるはずだもの」
(私『なんか』だって? ……澪姉の口から聞きたくなかった)
「そんな顔しないで。私ももう十九なんだし、そろそろ落ち着かないとね。お父さんにも心配かけられないし……さ、お粥ちゃんと食べて」
(何だよそれ……全然似合わないよ……)
「食べて、元気になって、それから……」
(せっかく……せっかく戻って来たのに)
「一緒に銭湯行って、帰りに冷やし飴買って、お散歩して……」
(俺の会いたかった澪姉は……)
「ねえ、献慈……」
(澪姉は――)
「ねえ…………お願い」
「…………」
「お願い、献慈……今だけは……今日だけは、お互い笑顔で過ごさせて」
「…………わかったよ。ごめん、澪姉。意固地になったりして」
――何よりも、無力だ。




