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マレビト来たりてヘヴィメタる!〈鋼鉄レトロモダン活劇〉  作者: 真野魚尾
第五章 しるし

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第69話 マレビト来たりて

(……! そうか……俺はもう……)


 激しい水音で我に返る。手足の自由を確認し、慎重に身を起こす。

 (けん)()は丸木舟に乗せられ、見渡す限りの黒水に囲まれていた。


(まさに――♪~ウォーターウォーターエブリウェア――だな)


 『冥河(ステュクス)』の行く水は現世へと至る傾斜を駆け上がり、舟を上流へと運び去っていく。その最果てへと到達した瞬間、流れに身を投じるのだ。危険な時間は短ければ短いほどいい。




 舟に乗せられる前、キルロイから言われていた。


「お前さんの成長を少しだけ前借りさせてやった。小物相手ならばもはや後れを取ることもあるまいが、くれぐれも過信はするでないぞ」


 そしてもう一つ。


「想い人への慕情は現世へ向かう確かな指針となろう。だが黒水のうねりの中、己の形を保ち続けるにはそれだけでは事足りぬ」




 自分が自分であること。その証明を、心に強く持たねばならない。


(俺が俺である証……そんなもの決まってる)


 献慈は櫂を手に立ち上がる。




「渡り川、マレビト来たりて……何とする?」




「ヘヴィメタル――!」


 メロイックサインを頭上に掲げ、献慈は灰色の空へと吸い込まれていった。


 虹色に煌めく脈動が複雑に絡み合いながら暴走する。

 流れは螺旋を描きながら無数の糸へと分かたれ、また元の、あるいは別の束へと収斂(しゅうれん)()り合わさってゆく。


 マレビト・入山(いりやま)献慈は再び『世界』へと顕現しつつあった。

 あるべき場所へ導けブリング・ミー・ホーム――復活の産声(レザレクション)に呼応して、一つの声が誘い導くように語りかけてくる。


「お待ちしておりました。さあ、参りましょう。あなた様の故郷へ」


 差し出された手をそっと掴む。木漏れ日の降り注ぐ並木道を連れ立って歩いた先に、帰るべき『世界』があった。




  *




 (たちばな)の香りがする。どうやら布団か何かの上に寝かせられているらしい。

 次第にはっきりしていく五感に、まだ意識のほうが追いつかない。


(俺……何してたんだっけ……?)


 香りのする方へ顔を傾け、ゆっくりと目を開く。

 青色の枕。

 白いベッドシーツ。

 丸くて大きなお尻。


(し……り……? ……え、えぇえええぇ――――え?)


 迅電(じんでん)目を(めい)するに及ばず。誰かが眼前に腰を下ろしていた。


 和服の生地を内側から突き破らんばかりに押し上げる、むっちりとした、まんまるで肉厚の、奥ゆかしくも扇情的で、どこかコミカルでありながらもシリアスさを失うことなく、隣人のような親しみを示す一方で崇高な神性に満ちあふれており、地母神が持つ大らかさと豊穣神がもたらす実りの豊かさを余す所なく体現した極上のフォルムを問わず語りに突きつける反面、見る者をその蠱惑的な姿で闇深き魔境へと(いざ)なう妖しげでミステリアスな色香を悠然と(くゆ)らせつつも、ただ(たお)やかに(あで)やかに、どこまでも自然体で、無上の慈しみをもってありのまま迎え入れてくれる絶対愛の化身、人生という果てなき闘争に疲れ傷つき行き場さえ失いかけたすべての孤独な魂の故郷としてのお尻がそこにあった。


「……(みお)姉……?」


 思わず献慈の喉から掠れた声が発せられていた。

 それに反応し、迅臀(じんでん)の主も吐息混じりの声を漏らす。


「嘘……」

「ううん。本当」


 献慈が答えると、澪は転がり落ちる勢いでベッドサイドに身を屈めてきた。

 斜め上から覗き込む、懐かしい顔があった。


「……起きた……献慈……」


 口走るそばから、見開かれた両の眼をいっぱいの白露が満たしている。顔じゅうに広がる微笑みに反して唇はわななき、はらはらとこぼれ落ちる大粒の雫は見る間に枕の端を濡らしていく。


「会いたかったよ、澪姉」


 胸を埋め尽くす、心からの想いを、献慈は口にする。

 途端、澪の様相が一変した。


「何……言ってるの……?」


 澪は眉を逆立て、献慈を睨みつけたかと思うと、ひらりベッドの上へ身を躍らせた。


「え!? いや、あの……俺……」


 献慈に馬乗りとなった澪は、その両肩を掴んで揺すり起こすや、堰を切ったように涙声でまくし立てる。


「このバカ!! それ、私の台詞だから!! 私のほうがぁ! ずっとぉ! ずっと、ずっと、ずっとずっとずぅ…………っと!! どっ……に、わ……っし、ぐ、げ、献慈にぃ! 会ぁだだっだかぁ!! ち……っ、ちっとも、しぁ、知らないでぇ!! いっ、言わ……ぃうぐっ……ぅぶ……うえぇ…………ふぅえええぇぇ――――ん!!」

(あぁ……泣いちゃった)


 涙と鼻水を滝のように流しながら、澪は何をはばかることもなく、献慈の胸の上で泣きじゃくっている。


(まったく、しょうがな――――あれ?)


 余裕ぶって見つめていたはずの澪の姿が、じんわりと滲んでいく。

 この段になってようやく献慈は気づいた。自分の顔もまた澪と大差ない、酷い有り様をしていることに。


「ぅグッ…………澪……ねぇ……っ……」


 止めどなく溢れ出す涙が愛しい人の髪を濡らすことがないよう、献慈は帷子(かたびら)の袖で自らの顔を覆う。声を押し殺し、ただひたすらに(むせ)び泣いた。

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