第66話 リヴァーサイド
輪の上から顔を出すと、そこにはまったく別の景色が待ち受けていた。
「――おぁっ!?」
驚いて取り落とした輪の中を、献慈の全身がするりとくぐり抜ける。
地面に落ちたはずの輪はどこにも見当たらない。献慈が立っているのはプールサイドのコンクリートではなく土の上だ。
「ちと座標がズレてしもうたか。まぁ、誤差の範囲内よ」
「キルロイさん……ここは……?」
太陽の見えない薄曇りの空。周囲には草木もまばらで、穏やかながら物淋しい空気が広がっていた。
「トゥーラモンドの〝裏側〟。儂はリヴァーサイドと呼んでおる」
「リヴァーサイド……何か、死後の世界みたいな……」
「ヌハハ、儂と同じことを考えよる。あれを見てみるがよい」
キルロイが指差す先には、夥しい黒水を湛えた大きな川が横たわっていた。
「とんでもなく大きい川ですね」
「ただの川ではないぞ。周りの地形と見比べて何か気づかぬか?」
「…………!? 逆だ……川が、下流の方から上がって来てる」
遠くに見える、これまた途方もなく大きな山に向かって、川は傾斜に逆らい流れ続けていた。まさに〝裏側〟に相応しき奇景であった。
「何とも常識外れよの。儂は死後やって来たこの地であれを目にし、『冥河』と名付けた。それがすべての始まりでな」
キルロイが木の幹に触れると、樹皮がまるで鉋がけのようにするすると剥がれていく。表面に文字らしきものが隙間なく記されたそれは、さながら巻き物である。
「『冥河』の水を吸い上げし樹木らを、儂は長き時をかけて読み解き、そして知ったのだ。トゥーラモンドの仕組みや本質をな」
「その書物……というか、そもそもあの黒い水の正体って……」
「世界を形作る原料のようなもの……情報と言い換えてもよいかもしれぬ。その流れは『冥河』となって〝表側〟すなわち現世へと絶えず注がれ続けておる」
情報の流れ――そう聞いて献慈に思い当たるものがあった。
「似ている……霊脈と」
「まさしく。『冥河』とは現世における霊脈が裏返った姿にほかならぬ」
「それじゃあの川を遡って行けば、現世までたどり着ける――」
踏み出すが早いか、献慈はキルロイに真正面へと回り込まれる。
「これ、先ほど儂が止めたのを忘れたか。下手に飛び込んでは情報の波にさらわれ、お前さんの存在ごと散り散りになってしまいかねぬぞ」
「わ、わかってます。ただ、みんなが……澪姉が待ってると思うと……」
「急いては事を仕損ずる。どれ、気持ちが落ち着くまでマレビト同士身の上話でもしようではないか」
キルロイはサイコロ大の小片を二つ、地面に放る。それらは植物が枝を伸ばすように膨れ上がりながら、一組の椅子へと早変わりした。
「キルロイさんがそう言われるなら……」
焦っている自覚はあった。献慈は「先輩」の勧めに従い、大人しく席に着いた。




