第63話 二重契約
マレビト。
特別な力を持った、特別な存在。
そんな驕りが心のどこかにあったのだとしたら。
きっと、あったのだ。
誰かが言ってくれたように、偶然手に入れた異能など圧倒的な暴力の前には無力に等しかった。
それでも、力になりたかった。
「澪姉……」
誰よりも大切な――大好きな人。愛しいその名を呼ぶ度に、抱えきれないほどたくさんの想いが尽きることなく溢れ出てくる。
「ごめん……」
今頃あの人は、自分を死なせてしまった罪の意識に苦しんでいるに違いない。
「……でも」
この想いを伝えずにおいてよかった。これ以上余計なものを背負わせずに済んだことだけは幸いだった。
どうか自分のことはもう忘れて――
「幸せに生きてくれ……」
「本当にそうお思いでらっしゃるのですか?」
「…………え?」
耳元で問いただす声に、献慈ははっと目を見開いた。
天も地も、方角すらも判別不能な空間の真っ只中に、献慈は浮遊していた。
「献慈様。こちらでございます」
親しげな女性の声。心安らぐ匂いが背中伝いに尾を引いて、献慈の正面へと回り込んできた。
「……貴方は……」
薄絹のドレス、淡く透き通るペリドットグリーンの体。彼女こそは常にカミーユとともにいた風の精霊にほかならない。
「シルフィードさん……?」
ラベンダー色の瞳がゆっくりとまばたきを返す。
「こうして直接言葉を交わすのは初めてでございますね」
「話して……え? 日本語……!?」
時間差で押し寄せる驚きに、献慈の思考は右往左往する。
「ただ今わたくし、献慈様とは結合状態にございますゆえ、日本語での会話が可能となっております」
「結合……?」
答えは一目瞭然、二人の頭頂部から伸びた髪の毛同士が、継ぎ目なくつながっていた。
「いつの間に……というか、この状況は一体……!?」
「……献慈様はご自分の身に何が起きたのか、憶えておいででしょうか」
「俺は……」
あの凄惨な出来事、あれは夢だったのだ――元どおりになった衣服とペンダントが主張している。
だが――
「……死んだんですね」
献慈の胸に残る生々しい傷痕は、そんな甘い嘘を見抜いていた。
「お労しゅうございます。ですがご安心ください。精霊であるわたくしが献慈様の霊体と結びつくことで、今は命脈を保っておりますゆえ」
「今は……か。それはもしかして、カミーユの判断で?」
「左様でございます。そして献慈様はわたくしとのつながりそのものを、この空間として認識しておられるのです」
召喚士と精霊が交感を行う方法、それを献慈は身をもって体験しているのだ。
「俺のことはわかりました。それより澪姉は……みんなは無事なんでしょうか?」
シルフィードは微笑を浮かべたままうなずいた。
ヨハネスが去った後、ライナーは壊れた愛器の代わりに献慈のギターを使い、治癒の呪楽――〈救済の慈雨〉――を奏でた。
あの場に放出された光と水の元素、そして天候はその高度な呪法の成立条件を満たしていた。
「みな一命を取り留めております。献慈様も肉体のほうはご無事ですが、回復しきる前に身罷られてしまったため、わたくしが瀬戸際でつなぎとめているのが現状でございます」
「……そうですか……」
「…………。今一度お尋ね申します。先ほどの言葉、献慈様の本心ではないのでございましょう?」
あたたかな波動が寄せられるのを感じる。きっと献慈の心の奥底も少なからず伝わっているのだろう。
「……教えてください。みんなの、澪姉のところへ戻る方法を」
シルフィードはそっと献慈の手を取った。
「結論から申します。現世に残る献慈様の肉体へと、あなた様ご自身を召喚なさるのです」
「召喚……? そんなことが俺にできるんでしょうか……?」
「可能かと存じます。わたくしとつながりを持った今の状態ならば」
人が時間と空間に生きるのと同様、精霊は連綿と続く原因と結果の連続に沿ってのみ存在している。
人の意識を介在し、因果に住まう存在を時空の上へと表出させる――それこそが召喚の本質なのだ。
「そうか……何となく糸口が掴めた気がします」
「因果を遡るための道はすでにあなた様もご存知のはず。トゥーラモンドにあまねく張り巡らされた無数の経路――」
「霊脈ですね」
現世へ戻るには、献慈がトゥーラモンドへ渡って来た手順を召喚という形で再現する必要がある。
「はい。つきましては献慈様、わたくしと『契約』くださいませ」
「『契約』……いや、待ってください。シルフィードさんはカミーユとすでに『契約』を結んでいるのでは?」
「二重契約ということになりましょう。しかしカミーユも想定済みのはずです。わたくしも若輩とはいえ、二人ほどであれば同時契約の負担も耐えられましょう」
シルフィードの覚悟に、こちらも生半可な気持ちで応えるようであってはならない。
「その言葉、俺は信じますから」
シルフィードは晴れやかな面持ちでうなずいた。
「ありがとうございます。『契約』にあたっては、わたくしを定義する名前が必要となります。カミーユからはすでに『真名』を与えられておりますゆえ、献慈様からは仮の……そう、『仮名』を賜りたく存じます」
「急にそう言われると…………んー、何だろうな……名前……」
「あと十秒でお願いします。十、九、八……」
「えぇっ!? ちょっ、待っ……貴方の、あ、えー……な、汝の名は――――」




