第61話 戦場(いくさば)に負け犬の居場所はない
ヨハネスはおそらく全力を出していない。理由は不確かだが、そこに付け入る隙があるはずだ。
「……ヨハネス!」
あらん限りの勇気を、献慈は声とともに振り絞った。
「提案があるんだけど……ここは一旦見逃してくれないか?」
「献慈……」
案の定、澪以外から向けられる目は厳しい。だがそれは承知の上だ。
「また貴様か。先ほどといい、興を削ぐ真似をしてくれる」
ヨハネスの意識がこちらに向いたことこそ重要だった。楽観的に考えるならば、対話の余地はまだあると示されている。
「仕方ないだろ。こんな馬鹿みたいな役回り、俺にしかできないんだから。それよりも……退いてくれる気はあるのか?」
「……ないな」
「どうして?」
「このまたとない巡り合わせを、見す見す捨てて去れというのか?」
「あんたが本当は何をしたいのか、俺にはわからないけど……何だかちぐはぐだよ。人さらいの件とか、さっきの――」
話の半ば、怒気を含んだ声が割り込んできた。
「ケンジ」カミーユだった。「もう下がっててくんないかな? アンタのそういうとこ、まじイライラする」
「お、俺は……」
「あたしらの決意を揺らがさないで。勝てるもんも勝てなくなるわ」
擁護の声はない。その時澪がどんな顔をしていたのか、献慈には確かめる勇気がなかった。
ややあって掛けられた声は味方からのものではなかった。
「よくわかっただろう、お前がこの場で最も邪魔な存在だということが!」
血溜まりを思わせる二つの紅玉が、歪み青ざめた少年の顔を映しだす。明確な害意がそっくり自分へ注がれていることを、献慈の全感覚が告げていた。
「ッ……!!」
「やめろぉ――!!」
刀を振り被った澪が、背後からヨハネスに挑みかかる。
「――ごぼ……っ」
ヨハネスの後ろ蹴りが、澪を山なりに大きく吹き飛ばす。
献慈は我を忘れ駆け出していた。
「澪姉ぇっ!!」
「――このバカぁっ!!」
カミーユが苦渋に満ちた面持ちで祭印を振り上げる。
「何――?」
足下に潜伏させていたシルフィードが、竜巻を纏い地表へと噴出する。ヨハネスの体が空高く浮き上がり、両手首と両足首を緑風の枷が大の字に捕縛した。
「〈四極転輪〉――もう、やるしかない!!」カミーユ。
「やむを得ません――〈光過敏促進〉」ライナー。
「Ena riguit: fymeny-ri mepo-'i ezeaing!」
そして安珠が〈魔力付与〉を空へと疾らせた。光の軌跡は屋上を跳ぶ珠実の鉄扇に宿り、金色のオーラを灯らせる。
「金行の極み――〈娥娜太平〉ッ!!」
広げられた扇が珠実自身を上回る大きさにまで巨大化し、磔にされたヨハネスを打ち据えた。
「クッ……もう、限……界……」
祭印を掲げたカミーユの手が、激しい霊力の消耗に耐えかね降下していく。
ヨハネスの拘束が解ける直前、再装填を完了させた安珠の〈聖浄光〉が発動する。
「...entu-'i zuneka!」
ありったけの魔力が注がれた全四十八条、目標へ残らず着弾。爆裂する光の奔流は南の空に十字の星を煌めかせた。
煙を上げ落下してゆく怨敵――ところが、
「やはり……あと一撃……」
嘆息するライナーを嘲笑うかのごとく、ヨハネスは身を翻し着地する。
「皮肉だな……この呪わしい肉体のせいで生き長らえるとは」
元々の耐久力に加え、ヴァンピールの持つ〈再生能力〉――今こうしている間にもヨハネスの傷口は、ぶつぶつと泡を立てながら塞がりつつあった。
万事休す。
「〈瞬突雷閃〉――」
電光石火の剣突が珠実の体を刺し貫き、
「――再来」
返す刃が反対側にいた安珠をも貫通する。二人は声を上げる間もなくその場に崩れ落ちる。
残るはもう二人。
「マジかよ……畜生」
「カミーユ、こんなことを頼むのは非常に心苦しいのですが……」
言い渋るライナーに、カミーユはかぶりを振って応える。
「今の天候ならイケそうなんだろ? ここはアンタに懸けるから」
「成功させてみせます……必ず!」
爪弾く呪楽が転調へ向かう中、精霊の祭印が再び掲げられようとしていた。
「シルフィ――」
「二度は喰わん」
背後へと凝縮した緑風を、ヨハネスは振り向きざまに〝霊剣〟ドナーシュタールで薙ぎ払う。
「Eeh...!」「どぅへぁっ……!」
直撃を受けたシルフィードと同時に、カミーユがフィードバックしたダメージで跳ね飛ばされる。さらにはその先にいたライナーと衝突。
「ウグッ……!」
辺りを騒がす不協和音とともに演奏が中断された。
気を失ったカミーユと、破損した愛器を茫然と見下ろしながら、ライナーは選択しなければならなかった。
「……もはや……僕にできるのは……」
撤退。ライナーは生い茂る葦をかき分け戦線から離脱する。ヨハネスはそちらを一瞥するも、距離が遠すぎると悟ったのだろう。
「いずれも……成すべきを成すのみ」
執行者の爪先は残るふたりへと定められた。
「戦場に負け犬の居場所はない」




