第60話 降りかかる火の粉
舟小屋の戸が大きく開け放たれた。
「うへぇ!?」
戸口から現れた人物が献慈たちを見て頓狂な声を上げる。雨合羽を羽織った中年の男性だ。
「な~んだべオメらぁ。いぎなすぇこっだトコさいだんだ、たまげんでねぇべが」
「すいません! 今ちょっと抜き差しならない状況が続いてまして……」
献慈の弁解に男性は目を丸くする。
「ぬ……抜ぎ差すぇ……!?」
「そうなんです! 私たち、今から一戦交えるかもしれなくて……」
澪も切迫した現状を訴えかける。
「い、一戦交えるあぁ!? まったぐ最近の若ぇもんは、真っ昼間からこっだらトコで……しょうがねぇだなぁ」
男性はたじろぎつつも納得してくれたようだ。
「はい。ですから今すぐに――あっ!」澪が小さく声を上げる。
「気ぬすねでゆっぐりすてげ。オラぁしばらぐ外ほっつぎ歩いて来んべがらよ」
「ん――!?」献慈も遅れて異変に気がつく。「いや、ダメです!」
立ち去ろうとした男性の背後に、忍び寄る仇敵の影を発見する。
「献慈、おじさんから先に!」
「わかった! ……さぁ、こっちです!」
戸口へ向かう澪と入れ違いに、献慈は男性を裏口まで引っ張って行く。勢い余って壁際に押しつける体勢になってしまったが、気にしている余裕はない。
「後ろから行きますよ!」
「な、なぬ~っ!? オメぇ、まさが両方……」
こちらへ尻を向けた男性の肩越しに、献慈は引き戸の取っ手に手をかける。
「クッ……これは固そうな……」
「ま、待づだ! オラぁまだ心の準備が……」
「ふんっ! ふんっ!」
「はうぅっ!」
力を込めて戸を揺らすも、建てつけの悪さからか、引っ掛かりが邪魔をする。
「クソッ……力ずくでもこじ開けないと!」
「もっと優しぐしてほしいだよ……」
男性が献慈にしなだれかかろうとしたその時、引き戸が向こう側から力いっぱいに開け放たれる。
「さぁ、こっちへ急ぎな!」
凄みを持った声の主は、先ほど橋のたもとで澪と話していた中年女性であった。貫禄ある佇まいはそのままに面立ち鋭く、手には鉄扇を携えている。
「ひえぇっ! 今度はオバサンのおしおきだか!?」
「誰がオバサンだい! 〝鉄火蝶〟の珠実たぁその昔……まあいい。そんなことよりアンタはとっとと向こうまで逃げるんだよ!」
「は、はいぃっ!」
走り去る男性を見送りつつ、献慈は事の次第を問う。
「貴方は……一体どうしてここに?」
「話は後だよ。一緒にいたお嬢さんは……あっちかい?」
珠実と名乗る女性とともに献慈は表側の戸口へ回り込む。
早速、澪がこちらを見て驚きの表情を浮かべた。
「珠実さん!? ……そっか。カミーユたちが……」
「あぁ。精霊を使って一人ずつ橋の上から降下させてるところさ。みんなすぐに駆けつけて来るはずだよ」
「姪っ子さんも?」
「……キホダトに早馬を遣ってある。救援が来るまでアタシらがやり過ごすから、お嬢さんたちは下がってな」
身のこなしを見るに、珠実がひとかどの実力者であるのは献慈にも窺い知れた。
「ここは任せるべきなのかな……?」
「……献慈は隠れてて」
「澪姉は!?」
居合腰を取る澪に先駆け、言葉を発した者があった。
「『救援が来る』――と言ったか?」
ヨハネス。互いの顔を確認できる距離にまで迫って来ていた。
鉄扇を構えた珠実の額にうっすらと汗が滲む。
「ああ」
「烈士……いや、幕府の隠密だな」
「答える義理はないね」
「そうか。降りかかる火の粉は払わねばなるまい――」
徒手空拳のヨハネス、無構えから順突きを繰り出す。
後の先で迎えるは珠実。
「う――っ」
急加速したヨハネスの拳は防御をすり抜け喉元を打ち抜く。珠実の上半身があっけなく爆ぜた。
乾いた音とともに破片が飛び散る中、背後から澪の抜刀が襲う。
「いい太刀筋だ」
空を切った刃の上をヨハネスの体が逆さまに躍っていた。仇敵同士の目線が上下互い違いに交差する、一刹那の奇景。
そこへ怒涛のごとく迫るのは、鮮緑の突風。
「――〈疾風追奏〉ッ!!」
瞬間、ヨハネスは澪を掴んで放り投げ、入れ替わりに着地、襲い来る猛風の刃を躱し切る。
辛くも受け身を取った澪が風上に目を向ける。
「みんな!」
「ミオ姉! ケンジも無事!?」
カミーユの後ろには呪楽を奏でるライナー、そしてロザリオを手に詠唱をする珠実の姪までもが揃っていた。
「俺は無事だ! けど――」
木屑の薄ら甘い匂いが鼻をつく。その出どころに献慈が思い当たるより早く、ヨハネスは剣の柄に手を掛け、澪の方へ踏み出そうとしていた。
(――澪姉が……!)
「待ちなッ!!」
珠実の声だった。舟小屋の屋上から鉄扇が飛来し、澪とヨハネスとの間に割って入る。
「今だよ、安珠!」
「Ena riguit: kawquiing-reno fymeny-ing, endu-'i sunega!」
〈聖浄光〉――何十本もの光線がヨハネスめがけて一斉に撃ち出された。
「〈屠光迅剣〉」
ヨハネスの周囲を恐るべき迅さで薄紫の光芒が閃く。直後、雨霰と浴びせられた光束は、ことごとく打ち払われ霧散してしまっていた。
流木の残骸を踏みしだくヨハネスの手にあったのは、淡い雷光を宿す霊剣――
「ドナーシュタール!」
「あの剣筋は……オクタヴァリウス剣術」
カミーユとライナーが相次いで反応を見せる。
澪は構えを正眼に取り、睨みを利かせながら問いただした。
「お前の名はヨハネス・ローゼンバッハ――間違いない?」
「いかにも」
カミーユ・ライナー両名が表情を固くする。珠実と安珠は彼らの因縁など知る由もないが、それとなく察したらしい。
「事情はともかく、こいつを倒すことに変わりはないんだろう? 協力して当たろうじゃないか。生憎助けを待つ余裕はなさそうだからね」
珠実の提案に異を唱える者はいない。一連のめまぐるしい攻防を目にした献慈、そして実際にヨハネスと相対した澪も同様だ。
「この場で決着をつける。それ以外ない」
「今のお前に可能だと思うか? 〝太刀花〟が娘よ」
ヨハネスは焚きつけるように、澪に問うた。
「…………」
「先刻オレに向けた並ならぬ憎悪、見込みがあると踏んだのだが……早くも腑抜けたか」
ヨハネスのその嘆きは、皆を混乱させるための罠なのか。
(そうじゃない……気がする)
★珠実 / 安珠 イメージ画像
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