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第6話 分岐点

 冷却スプレーを手に女子生徒が悪戯っぽく微笑んでいた。サラサラのショートヘアとハーフパンツから伸びるしなやかな脚は、いかにもスポーツ少女といった風だ。


(さな)()さん……」


 剣道部二年の有力選手・真田(かおる)とは元同級生であった。(けん)()が中学一年の頃、同じクラスに転校して来て以来の「知り合い」。


宇野(うの)(みや)くん見かけて走って来たんだけど、間に合わなかったから」

(俺は「宇野宮くん」の代わりかぁ……)

「二人とも仲いいよね。羨ましいなぁ」

「ん……まぁね」


 同意する――自分は碧郎(へきろう)が心底羨ましい。


 ずっと片想いをしていた。ワンランク上の本校をダメ元で受験したのも、馨を追いかけてのことだ。

 そんな無理な背伸びが、授業に置いていかれるツケとして回って来るとは、当時の献慈は考えもしなかったのだが。


「二人とも楽しそうにしてたけど……それ、何持ってるの?」


 馨は目ざとく発見する。献慈が左手に持つ直方体を。


「き、救急箱ォ!」残念ながらそっちは右手だ。「保健室に、と、届けよぅ――あっ」


 献慈の手から滑り落ちたビデオテープは馨の足元へ、ラベルを上向きに着地する。


「……ま、えーけつ、でん……?」

(うわあああァ――ッ!! 『ホンマええケツでんな』あああァ――ッ!! ってのはビデオのタイトルであって、セクハラではございませんことをご理解くださあああァ――いッ!!)


 ラベルの偽装工作ぐらいはしておくべきだったが、後悔先に立たず。献慈の青春は最低最悪の形で終わりを告げようとしていたかに思われた。


「あー、これ面白いよね。私もこないだ観たよー」

「…………へ?」


 耳を疑った。差し出されたテープを受け取りながら、献慈はラベルに目をやる。


(『(ごう)()英傑伝(えいけつでん)』――って、碧郎に返したばっかりの!!)


 即座に理解した。碧郎はテープを取り違えて渡してきたのだ。


「そっか、入山くんもカンフー映画とか好きなんだ? 意外かも」

「そ……そうかもね! 思いっきりイぅ、インドラ派だし」

「それ言うならインドア派でしょ。インドラって何だよ! 雷神かよっ!」


 可愛らしいツッコミが献慈の緊張をいくらか解きほぐす。


「あはは、か、噛んじゃった……でも真田さんこそ意外だね。神話とか詳しいの?」

「んー、私がってゆうか、お兄ちゃんがいろいろゲームとかやってて――」


 興が乗ったのか、馨は自分や家族のことを生き生きと語り出した。

 ほんの数分の雑談。取り越し苦労で疲弊した献慈の心が立ち直るに従って、ふとした疑問が湧き起こる。


「そういえば真田さん、今から部活じゃないの?」

「ん? 行くよ……これから」


 何気ない質問に対する、思いのほか微妙な反応。


「ケガしてる、とか?」冷却スプレーの缶を見つつ。

「あっ、違うよ?」

「どこか調子悪い?」顔色は悪くない気がするが。

「んー……正直たいぎい……」

「えっ?」

「あ、うそうそ。気にせ……しないでいいから」


 見過ごせとは無理な相談だ。


「何か……あった?」

「……剣道、このまま続けてていいのかな、とか考えちゃって」

「……それは……」

「あっ、べつに今すぐどうこうって話じゃないんだけど。進路だってまだ全然だし……ごめんね、急に愚痴っちゃって。こんなの、みんなの前じゃ言えないよー、あははー」


 取って付けたような作り笑いが痛々しい。

 だが同時に献慈は嬉しくもあった。友だちや部活の仲間に言えないことを、馨は自分だけに話してくれているのだ。


「……いや、いいよ。俺は気にしないから」

「たまーに……さ。これを続けた先に何があるんだろ、とか。いろいろ」

「もしかして……悩んでる?」

「んー……ん。今だけ」

「そっか。すぐには結論が出せないぐらい、真田さんにとって大切なことだもんね」

「……そう……なのかも。うん、そうだね。きっとそう」


 心なしかつやの戻った声で、馨は献慈に尋ね返す。


「入山くんは復学する時、悩んだり迷ったりした?」

「俺? 俺は……正直言うと留年してまで残ってる理由って、高卒資格ぐらい取っておこう程度の気持ちだったりもするんだけど……でも復学したおかげでこうして真田さんとも会えるし、悪くないかなって」


 本当は――学校を去り、馨との接点が無くなってしまうのが嫌だった。

 けれど、それを伝える勇気など献慈にはありもしない。

 精一杯の強がりに自嘲を浮かべたその時。


「それってもしかして、告白?」


 馨からの不意打ちに献慈の頭は真っ白になる。

 もしこの時――馨の茶目っ気に乗っかって想いを肯定していたら。


「あ!? ……あ、ま、まさかぁ! そ……そんな、わけ、ないし! う、うん!」


 それは、あらゆる意味での分岐点だったのかもしれない。


「……はー、やっぱリアクション下手すぎ。それじゃジョークになんないじゃん」

「あ、あはは……ご、ごめん。碧郎だったらもっと上手く返せたんだろうけど」

「フフッ……そんなん言えるわけないし」


 言えるわけがない。


「でもさ、考えてみれば私たち中学から一緒なのに、こんな長く話したこと今までなかった気がするね」

「そう……かもね」


 吹奏楽部の練習の音もいつしか止んでいた。思いがけず長い立ち話になっていたのを実感する。


「……それじゃ、私そろそろ行くね」

「うん……俺も」


 どちらからともなく――献慈は保健室へ、馨は体育館へ――同じ下り階段に足を踏み出す。

 触れ合いそうになる肩から香檸檬(ベルガモット)の香りがかすかに漂っていた。


「私、こっち……」

「……俺も」

「…………」

「…………」

「……一緒行こっか」

「…………うん」

(かおる) / 碧郎(へきろう) イメージ画像

https://kakuyomu.jp/users/mano_uwowo/news/16817330666633524794

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