第54話 ドナーシュタール
「事件も一段落したし、そろそろあたしらも別行動かなぁ」
誘拐事件は幕を閉じ、一両日中には街道の行き来も自由になる見通しだった。
鉱山町キホダトへ戻り、それぞれの旅を再開することとなるのだろうか。献慈たちは御子封じ、カミーユたちは霊剣の捜索へと。
「とりあえず町までは一緒行こうぜ」
「そうですね。改めて調べたいこともありますから」
このタイミングでライナーが言い出した「調べたいこと」が何なのか、大方の予想は立つ。
彼らが探す霊剣と此度の事件との間に何らかの接点があるのだ。
「おーい、早く来なってー」
土砂降りの中、カミーユが手招きしていた。
「ごめん、今行く」
荷物の上から羽織った魔導具の雨合羽は、献慈と澪を濡れから守っていた。
一方、前を行く烈士組は呪楽の防護フィールドの中を歩いている。献慈たちも入るよう勧められたが、遠慮しておいた。範囲を広げれば、わずかとはいえライナーの負担も増すからだ。
程なくして街道脇の休憩小屋に身を寄せる。魔除けの道祖神――男女をかたどった像が向き合う形をしている――が、そばに祀られた東屋だ。
「うわっ、泥跳ねたぁ……」
段差前でつまづいたカミーユが、献慈の真向かいに座る。
「災難だね。ケガとかない?」
「うん、だいじょぅ……ぶへぇっくしょぉい!!」
顔面に思い切り飛沫を浴びせられ、献慈は閉口するほかない。
「…………。これ、何かの仕返し?」
「グスッ……美少女の唾と鼻水、有難く貰っておけ」
「はいはい、いつものやつね」
カミーユがしきりに美少女を安売りする理由も、献慈には何となくわかってきた。見た目で判断されがちだからこそ、素の自分を知ってもらいたい、そんな欲求の表れなのだろう。
一方で、内面を知れば知るほど魅力的に見えてくる相手もいる。
(澪姉……雨靄にしっとり潤う姿はまるで白百合の花弁のようにたおやかで――)
「どぅえぁっひょいぃっ!! ……はあぁ……くしゃみ伝染っちゃった」
(…………。あるいは……暴れ象のごとく猛々しい……)
献慈はそっと澪に鼻紙を手渡した。
向こうでも同じように、ライナーがハンケチをカミーユへ差し出している。
「おやおや……二人ともお大事に。急な雨で気温が下がったせいでしょうか」
「ええ。まだ止みそうにないですね」
皆それぞれに携帯食を口にしながら、降り続く雨をしばらく眺めていた。天候にかかわらず今日中に町へは行き着くつもりだが、晴れるに越したことはない。
「ところで……突入班を奇襲した犯人は行方不明なんですよね」
「心配ですか? ケンジ君」
「そりゃ、危険が放置されてるわけですし」
そこへ異論を挟んだのはカミーユだ。
「いや~、今頃は大人しくしてるんじゃないかな。あんま派手に暴れると組合が総力挙げて抹殺しに来るから」
「抹殺って……そう言うからには犯人の正体に見当がついてるんだよね」
「んー……」
くりくりと動く瞳がライナーにお伺いを立てる。
許可はあっさりと下りた。
「実は盗掘者たちのアジト――これはそもそも占拠された遺跡だったわけですが、その奥で誘拐の被害者たち全員の遺体が発見されまして。襲われた二等烈士と死因が同じなのです」
失血死。全員が体内の血を抜かれ殺されていた。
「犯人はおそらく吸血鬼です。僕たちは『眷属』という言い方をしますが」
「『眷属』……」
「純種から血を分け与えられた血族という意味です。純種は極めて稀少な存在ですが、僕らには一人だけ心当たりのある人物がいます」
そこまで言うと、ライナーは楽器をかき鳴らす。雨音がぴたりと止んだ。
〈喨々たる閑寂〉――呪楽の効果が音の出入りを遮断したのだ。
「彼の者の名は魔王ヴェルーリ。その魔王討伐のため、勇者が皇帝より下賜された剣こそがドナーシュタールなのです」
「勇者……ヨハネス……」
澪がぽつりとつぶやいた。
「憶えておいででしたか。しかしヨハネス・ローゼンバッハは魔王討伐の旅から戻って来ることはなかった。その一方でドナーシュタールとおぼしき剣が近年、世界各地で目撃されてもいるのです」
二つの可能性が考えられた。
一つは勇者が魔王へ挑むことなく霊剣を闇ルートに横流しし、それを資金に国外逃亡した可能性だ。
「ウチらが孟兄弟と争ったのがこっちの線。生憎と剣違いだったわけだけど」
もう一つの線は勇者が魔王に敗れた可能性だ。霊剣が魔王の手に渡り、『眷属』によって外へ持ち出されているとすれば筋は通る。
「此度の件に『眷属』が関わっている以上、無視しては進めません。霊剣の奪還こそが僕たちの任務ですから」
「そうそう……って、ちゃんと聞いてる?」
「俺? 聞いてるよ」
「いや、ケンジじゃなくて」
カミーユは献慈の隣へつんつんと指先を向ける。
食べかけの茅巻きを手にした澪は見るからに上の空であった。
「……あ、ごめんね。ちょっと考え事してて」
「(前にもこんなことあったような……)どうかした?」
「最初の誘拐事件が起こったのっていつぐらいだった?」
澪の問いにライナーが応ずる。
「事件として認知される前、最初の失踪でしたら三週間ほど前でしょうか」
「なら私たちが初めて会ったのと同じ頃、『眷属』はすでにこの辺りに潜伏してたことになるよね」
「確かにそうなりますが……」
――さっきのツチグモ、この辺りには生息しない魔物だとか。
――ウスクーブ近くに出る魔物で。
――もっと強力で恐ろしい魔物から逃げ出して来たとかじゃないの?
「……そうか。俺たちが戦ったツチグモ、『眷属』に恐れをなして逃げて来た可能性がある」
「うん。しかもこれから私たちが向かう方角と一致してる」
澪の言わんとしていることを悟って、カミーユが感嘆の声を上げる。
「うへぇ~、ミオ姉って意外と頭も回るタイプ?」
「失礼ですよ、カミーユ。しかしなるほど――」
ライナーがパチンと指を鳴らすと、屋根の上から小鳥のさんざめく声が聞こえ始めた。
外の雨は上がり、晴れ間も覗いている。
「――僕たちにもウスクーブ方面を調べる必要性が出てきました。もうしばらくおふたりにお供するといたしましょう」
「だってさ。ホラホラ、喜べ舎弟」
カミーユは笑顔を滲ませ、献慈の二の腕をぺしぺしと叩く。
「え、まぁ……よろしく」
「ンだよぉ、つれないな~」
愛想の悪い子分に見切りをつけたカミーユは澪の所へ行ってじゃれついている。
(……嬉しくないわけじゃないんだけどな)
秋空に架かる虹を見つめながら、献慈は言い知れぬ違和感を拭えずにいた。




