第50話 宝石のような思い出
腕組みをして立つカミーユの視線が痛い。隣に並ぶ澪もまた、渋い表情でこちらを見ている。
「それで、二人とも朝まで楽しくお喋りしてたわけだ?」
旅館の広間。精気に満ち満ちた女たちとは正反対に、萎びた男たちが目をしょぼつかせ佇んでいた。
「ごめんなさい……」
力なく詫びる献慈に、カミーユの容赦ない叱咤が飛ぶ。
「あれほど言っといたのに……捜索隊に志願しに行くからきちんと寝とけってぇ!」
「面目ない……音楽談義が盛り上がってしまったもので、僕もつい……」
「『ブォクもついィ』じゃねぇよ!! 年長者ぁ、コラァ~ッ! ポンコツがぁ!」
「……うぐぅ……」
ライナーは脇腹を貫手で突かれるが、眠気のためか反応が鈍い。二度三度と攻撃を繰り返すも、カミーユは早々に興味を失っていた。
「つまんねー飽きたー。……で、コイツらどうする? このまま連れてっても役に立たなそうだけど」
「……置いてこ」
「そっすね~」
女子たちは一旦背中を向けた後、ため息交じりにこちらへ顔を向ける。
「ってわけにもいかないし……二人とも、お昼まで寝てていいから。全員で出かけるのは午後からにしましょ」
「しゃーねーなー。んじゃ、あたしらは買い物でも行って来よ。化粧水うっかり切らしそうでさー、ミオ姉いいの知らない?」
「んー、春芳堂とか麗院房あたりが手に入りやすくておすすめだけどー……」
遠ざかっていくお喋りの声が完全に聞こえなくなった頃、献慈はぼそりとつぶやくように言った。
「……寝ましょう」
「ええ……」
朝の失態から数時間後。
身支度を済ませた男たちは再び広間で落ち合っていた。
「ケンジ君もどうぞ」
「ありがとう、ライナーさん」
朝風呂ならぬ昼風呂上がりのお茶を一服する。
「はぁ……澪姉、怒ってるだろうなぁ……」
「ふふっ……」
「……どうしました?」
「いえ、二言めにはいつもミオさんの名前を口になさるものですから」
「それは何というか……いいじゃないですか」
冷やかしでないのは承知だが、どうにもむず痒い。
「仲の良いおふたりを見ていると、つい思い出してしまうのです。一時同じ家で暮らしていた姉のことを」
「ライナーさんの家というと、子爵家の……――あっ」
「カミーユに聞いたのですね。先日の仕返しでしょうか」
本音ではあるまい。とはいえ、カミーユだけのせいにするのも気が引けた。
「俺がきっかけなんです。ライナーさんってどことなく物腰に気品があるなぁって話の流れで……」
「家督とは無縁の三男坊ですよ。今は実家との縁も切れていますし。この楽器――ローターヒンメルも実は父親からの餞別代わりでして」
「そこまでは知りませんでした。それじゃ今言ったお姉さんとも……?」
ライナーはうつむき加減に首を横に振った。
「姉は平民の母親が病死したのを機に屋敷へ迎えられた異腹の子でした。いずれ大貴族に輿入れさせるため、うちで作法を身につけさせることにしたのです。僕が十二歳の時でした」
五つ年上の異母姉。お仕着せのドレスや宝石で着飾った姿はぎこちなく、垢抜けてもいなかったが、一目でそれとわかる器量良しだった。
「兄たちは跡継ぎや宮仕えに向けて忙しくしていましたので、姉の話し相手となれるのは僕だけでした」
たくさん話をした。庶民の生活、街での出来事、二人がそれぞれに嗜んでいた音楽についても。
「姉が歌う民謡、恋の歌や英雄譚――中でも悲劇の勇者ヨハネスの冒険譚は僕のお気に入りで、何度もせがんで聴かせてもらったのを憶えています」
そして――その日は突然訪れた。
「四年足らずの間でしたが、僕にとっては何物にも代え難い、宝石のような思い出です。片や侯爵夫人、片やしがない吟遊詩人と、歩む道は大きく分かたれてしまいましたが」
語り終えたこと知らせるかのように、ライナーは湯呑みの中身を飲み干した。
「いつか、また会えるといいですね」
「……ふふっ、怖いですねぇ」
「……?」
「貴方のような人には、つい何でも喋ってしまいそうになります」
ライナーが滲ませた、先ほどとは少し違った微笑の意味を、献慈は知るには至らない。
入り口から、聞き慣れた二つの足音が近づいて来た。女性陣のご帰還である。
「ただいま~……ん? 何か微妙に元気なくね? ちゃんと寝た?」
「お腹すいてるんでしょ」
実に澪らしい発想だが、今回に限っては的外れとも言えない。
「そういやまだ何も食べてなかったな」
「えへへ……そんなこともあろうかと!」
これ見よがしに澪が掲げて見せたのは、寿司折が二人前。
「買って来てあげたよー」
「あ、ありがとう。でも、いいの?」
「うん。私たちはもう外で済ませて来たから」
「それもあるけど、その……」ライナーと目を見合わせる。「怒ってない……?」
「なぁに? それで二人ともしょげ返ってたの? 大丈夫だってば」
「そっか……じゃ、お言葉に甘えて」
「有難く頂くとしましょう」
安堵の表情でヅケの握りを頬張る男たちを、澪はにこにこと見守る。カミーユのほうは若干不満げだが。
「ったく、呑気な男どもめ。仕事取られたのも知らずに」
「仕事って……誘拐犯捜索の件!?」
「そうだよ。組合寄ったら、二等烈士のパーティが突入班に決まったって。代わりにウチらで別の依頼引き受けて来た」
犯人の潜伏場所近くで大型の魔獣が目撃されているらしい。作戦の邪魔にならないよう引き離して討伐してほしいとのことだ。
「そっちも割と大変そうだけど……二人だけで許可貰えたの?」
「『オレたちに回せ』って突っかかってきた奴らが五人ぐらいいたけど、ミオ姉がブッ飛ばしたら譲ってくれた」
「あぁ……そう」
献慈は納得するも、澪の目が泳いでいるのを見て一抹の不安を感じずにはいられない。
「ケ、ケガはさせてないよ? 今度はちゃんと手加減したし」
「そそ。痛みでビビらせたり、テーブルとか床板ちょっと破壊しただけだもんね」
「…………。まぁ、避けられる争いばっかじゃないのは俺もわかってるから。澪姉さえ無事ならそっちのがずっといいよ」
その言葉に偽りはない。ちらちらと物欲しそうに寿司を見つめる澪の顔を二度と曇らせまいと、献慈は心に誓うのであった。




