第119話 忘れない
ライナーは実家を出て吟遊詩人となり、放浪の末ある人物に音楽の才を見出だされる。
そのリコルヌの老紳士は呪楽の大家であり、亡き娘に代わる後継者を探していた。ライナーは彼の養子となり、一子相伝の業を受け継ぐ決意をする。
「世間知らずゆえの大胆な決断でした。当初は彼の素性に疑問を抱くことすらなかった」
老紳士の名はディーツ・フォン・タンネンハイム。皇家の密使として、烈士組合に太いパイプを持つ男だった。
「その事実を知ったのは弟子入りから一年足らず、流行り病をきっかけに師を失う直前のことでした」
心ならずもライナーは師から呪楽の業のみならず、遺言により宮中伯の称号までをも継承する。
ライナーは師のツテを頼り、表向きは烈士として活動しながら、諜報員としての経験と見識を積み上げていったのだ。
「表の稼業ではそれなりの人脈を得ましたが、僕の素性を知っているのはカミーユだけです。今回の捜索に同行してもらったのもカミーユ、貴方が――」
「信頼できる〝同志〟だから、だろ?」
カミーユが言葉を遮るも、ライナーはすぐに切り返す。
「ええ。貴方がケンジ君を信頼しているのと同じようにね」
「そ、そういうのとは、違っ――」
「違いませんよ。心を許した相手に隠し事を続けるのは苦痛を伴いますからね」
「……っ……」
カミーユが口ごもるのを見計らって、ライナーは話を再開させる。
「剣の捜索に当たっては、烈士に偽装した部下を各地に派遣してあります。残念ながら僕自身は優秀な諜報員とは言えませんので、あえて遠方の、最も重要度の低い行き先を選ばせてもらったのです」
「それがここ、イムガイだったんですね」
献慈が言うと、ライナーは自嘲めいた笑みを覗かせた。
「ところが……僕はどうもクジ運に恵まれているらしい。任務を口実に物見遊山するつもりが、とんだ大冒険になってしまいました」
「俺たち……澪姉と出会ってしまったから……」
「結果的に利用する形になってしまったこと、申し訳なく思います。ですからケンジ君、僕はこれ以上貴方たちをこちらの事情に関わらせたくはないのです」
ライナーが言い切った途端、カミーユが食ってかかる。
「はぁ? ここまで巻き込んどいて、今さらどの口が言うんだよ!」
「貴方こそ。以前はお二人ともおとなしく村まで帰るべきとまでおっしゃっていましたよね?」
「あん時とは事情が……っつか、オマエこそ言ってること真逆じゃねーのかよ!?」
献慈を置いてけぼりに口論は激しさを増す。
「それこそ事情が違いますよ。これまでは対等な取引でしたが、魔王本体の討伐に関しては完全にこちら主導です。部外者を引き入れた責任は誰が取るとお思いですか?」
「ぐぬぅ……まったく口ばっか達者な野郎だな! 計画性グダグタの三流スパイのくせしやがってよぉ!」
「一流の音楽家はアドリブの余地を残しておくものですよ」
「一流はそんな屁理屈言わねえェーっ!」
「むっ……もういいじゃありませんか。結果的にドナーシュタールは手に入ったのですし」
「そーゆートコを言ってんだよおぉ!!」
このままでは埒が明かないと見た献慈は、
「二人とも」
意を決して間に分け入った。
「そこまでにしよう。カミーユは俺のこと、頼りにしてくれたんだよな? その気持ちは素直に嬉しいよ」
「ん、まぁ……どっちかっつーとミオ姉がメインでケンジはついで、みたいな……」
「ライナーさんも。俺たちを危険に巻き込まないよう、遠ざけようとしてくれてるんですよね?」
「…………」
「たしかに、ヴェルーリの存在は澪姉がお母さんを失う発端だ。けど俺はもう充分区切りはついたと思ってる。本音を言うなら、澪姉には進んで危ない目に遭ってほしくないんだ」
献慈がそこまで言うと、カミーユは椅子に体を預け天井を仰いだ。
「あ~あ、ケンジならそう言うと思ったよ。いつだってミオ姉第一だもんな~」
「ああ。だから、もし澪姉が行くと言うなら俺は止めない。全力で支える覚悟だ」
「それじゃあ……」
「澪姉を呼んで来る。俺たちだけで決めるのはフェアじゃないだろ?」
献慈が出口へ向かおうとした矢先、横から声がかかる。
「そう急ぐこともないでしょう。一曲……聴いて行ってはいかがですか?」
献慈が返事をするよりも早く、ローターヒンメルの弦が掻き鳴らされていた。
「〈忘却されし挿話〉」
「何やって――、ラィ――、――、……!」
カミーユの声が弦の音色と混じり合い、反響を繰り返しながらフェイドアウトしてゆく。
(ここは、たしか……誰の部屋……俺は……)
混濁する意識の中、献慈がかろうじて把握できたのは、言い争うライナーとカミーユの姿だけであった。
「この部屋に入って以降の記憶を消去させてもらいます」
「オマエ……何もかも、最初からこうするつもりでしゃべったのか……!?」
「あいにく僕は三流ですので。このような強引な手段しか思いつきませんでした」
弾んだ声とは裏腹にライナーが表情を沈ませる理由が、献慈にはわからない。
瞳を震わせたカミーユが、献慈の服を掴んで離そうとしない、その意味さえも。
「ごめん……あたしが余計なことしたから……!」
「カミーユ……?」
「ケンジたちと旅するの、楽しかったんだ……もっと続けられたらいいのにって……でも、そんなのあたしのわがままだから……だから、やっぱり…………ここでお別れ」
「…………」
「あはは……言ってること無茶苦茶だけど、何度も……何度も、振り回してごめんね」
「……気にすること……ないよ」
なぜここにいるのかはわからなくても。
「俺は……カミーユのこと、忘れない――」




