第115話 最後の異能(ちから)
明るさも温度もない、真っ白な空間に立ち尽くしていた。
懐かしい顔が、献慈の目の前にあった。
「碧郎!? ……じゃない、キルロイさん……?」
「また会ったな、献慈どの」
親友の姿を借りたその人物は、裏世界リヴァーサイドの住人・キルロイ。
「……そうだ! それよりも澪姉が…………いや、ここで騒いでもどうにもなりませんよね」
直観的に理解する。ここが時間の流れとは切り離された場所であることを。
「察しの良いお前さんのこと、状況は把握しておろう。先に言っておくが質問には答えられん。〝これ〟は儂が事前に仕込んだ伝言だからな」
いつ仕込まれたものかは見当がつく。理由はともあれ、悪意はないと信じられる。
「貴方は……俺がこうなると見越して……?」
「今の献慈どのは身体も思うように動かせず、意識を保つことすらままならぬのやもしれん。傷口から入り込んだヴァンピールの因子が暴れておるせいでな」
――贄となれ。
献慈を亡き者とし、澪の憎しみを煽るのが目的だとばかり思っていた。
今日再び、ヨハネスと対峙するまでは。
「ヨハネス……俺が生きて現れたことに驚いた様子はなかった」
あるいはどちらに転んだとしても、ヨハネスにとって不都合はなかったのだろう。
「……気に入らないな」
身勝手だ。その裏にいかなる想いが隠されていたのだとしても。
「因子を取り除くのは容易いが、そうしなかったのには訳がある。いずれお前さんに降りかかるやもしれぬ脅威に対抗できるよう、あえて温存したのだ」
その脅威と現に直面しているのだから是非もない。
「お前さんの体内で、励起状態となった『祖』との共鳴が起こっておるはずだ。暴走する力の奔流がお前さんを苦しめておる。これを克服し逆に利用するのだよ、災いを退ける力としてな」
「利用……あんな恐ろしい力を……?」
献慈の口をついて出た不安を、キルロイはとっくに見抜いていた。
「思うに、献慈どのは大きな力を振るうのにためらいがあるようだ。良く言えば優しい、悪く言えば臆病な心持ちが、お前さんの内に眠る可能性や成長を妨げていると儂は見ておる」
「俺がここで躊躇していたら……澪姉が、みんなが……無事じゃいられない」
「道はただ一つ。あとはお前さんが踏み出すか否か、それだけだ」
「……だったら、俺は――」
いつだってそうだった。
立ち止まったり、振り返ったり。
それでも最後には、そうしてきた。
「前に、突き進む」
「今一度問おう。献慈どの――マレビト来たりて、何とする?」
*
「――ヘヴィメタル!!」
無我夢中、力任せに、全身でぶち当たる。
顔を上げた献慈の前方には、転倒し膝をつくヴェルーリの姿があった。
「……く……小童が…………!?」
憎々しげな眼差しが、一転して驚愕の色に染まる。
「その姿……何をした?」
両手の輪郭が陽炎のごとく揺らめている。垂れ下がった前髪も、ヴェルーリと同じ銀光を帯びていた。
「〈励起〉」
それこそは新たな、そしておそらくは最後の異能。
献慈は得心するも、その急激な変貌が味方の注目を浴びぬはずがない。
「ケンジ!? ア、アンタそれ、どうやって……?」
カミーユが、こちらを覗き込むように窺っている。
「いや、何かその……気合いで!」
「気合い! 相っ変わらずデタラメな身体してんなー」
「ほっといてくれよ……っとその前に――お父さん! 澪姉を!」
澪に応急処置を施し、大曽根へと託す。
「任せたまえ! この身に代えても完治させる! だから……」
「はい。それまで俺が食い止めます――この身に代えても!」
この難局を乗り越えようとする仲間たちの意志が、自ずと新たな陣形を組み上げていた。
後衛の守りはカミーユとシルフィードに一任する。
進み出る前衛は、献慈ただひとり。
「猿真似にしては上等だ。察するに忍術の類いか」
(異能とか、マレビトだとか……そんな発想はさすがにないみたいだな)
不敵な笑みを滲ませたヴェルーリが、歩一歩とこちらへ向かって来る。
背中越しにライナーの声が届く。
「ケンジ君、魔王は宿主の能力を完全に使いこなします! くれぐれもご用心を!」
「フハハ……辺境に飛び地を築くも一興。さて、小僧――」
降って湧いた魔王の企みや目的など、献慈には知りようもないことだ。たとえそれが何であろうと、戦わずしてこの場をやり過ごそうという考えは浮かばなかった。
(もう〝あの時〟とは違うんだ)
「一度のまぐれで思い上がらぬことだ」
言い捨てる間に剣閃が三往復。その迅さ、正確さ、ともにヨハネス本人をいささかも下回ってはいない。
威力もまた確殺であろうがゆえに。
「あれがまぐれ当たりだって思うか?」
返事があるとは思っていなかったのだろう。わずかに見開かれたヴェルーリの目を、献慈は斜め一歩前から観察していた。
(タックルが当たったのは偶然なんかじゃない。その証拠に……奴は最初、俺の変化に気づいていなかった)
「逃げだけは一流か。それとも――」
(――次が来る!)
電光石火の突き。献慈は側面から捌くまま杖を回転させ、ヴェルーリの顎を打ち上げにかかる。躱されはしたが、再び間合いを離すことには成功した。
「……解せぬ」
ヴェルーリと献慈、いずれも潜在能力を限界まで引き出した励起状態にあるが、敵は双方の〝違い〟をいまだ掴みかねている。
(思ったとおりだ)
献慈は気づいていた。一見互いに同調しているようで、ヴェルーリ側は信号を一方的に発信してるにすぎないのだ。
つまり――
(俺は一方的に奴の信号を傍受できる)
「弱者と侮ったが、もはや手加減はせぬ」
ヴェルーリの攻勢。縦横無尽に疾る剣の通り道を、先回りした杖がことごとく抑え込む。
気の起こりを察知し先手を打つ、達人の領域における戦いを、献慈は図らずも体感していた。
ところが、である。
「〈屠光迅剣〉」
(その技は何度も……見……!?)
淀みなく連なる八本の剣筋――そこまでは見通せる。問題はそれに続く、空いた片手の動きだった。
「(あの腕の振りは何だ? この距離で拳が届くはず……)がは……っ!」
剣撃を捌ききった直後、献慈の胸部を不意の投石が襲った。
(床の破片……最初に転ばせた時に……!)
「フハハ! 化けの皮が剥がれたな」
ヴェルーリの動作に含まれた意味までを理解するには、献慈の戦闘経験はあまりにも不足していた。
「まがい物めが。細切れにしてくれる」
手の内を読まれている前提で、ヴェルーリは剣技の合間に突きを、蹴りを、投擲を、巧みに織り交ぜてくる。
(まだだ……持ち堪えないと……)
献慈の全身に次々と傷が刻まれていく。護法陣と呪楽、常在させた〈ペインキル〉がなければ、敵の言葉どおり、治る間もなく細切れにされていたことだろう。
「フン。よほど苦しみを長引かせたいとみえる」
(軽率だったのか……素人が達人の土俵に踏み入るなんて――)




