第110話 紫雷の閃き
イツマデの亡骸から素材を回収しようとするカミーユを引き剥がし、目的地へたどり着く頃には禍々しい気配も薄らいでいた。
「魔法陣の内側に入った。外の魔物はもう手出しできないよ……はぁ」
ふてくされるカミーユだが、その言葉におそらく偽りはない。眼前にそびえる大墳墓こそ、間違いなく災禍の中心部だ。
最後の身支度を終え、入口の前へ集う五人。
中心にはリーダーの澪が立つ。
「カミーユ。私が落ち込んでた時、励ましてくれたこと、一生忘れないから」
「なっ、どしたの? 急に」
「ライナー。あなたが何を抱えてるのか私にはわからないけど、その夢叶うといいね」
「…………」
「お父さん。いろいろあったけど、ここまで一緒に来てくれてありがとう」
「ああ……ずいぶん回り道をしてしまったがな」
「……うん……。それから……献慈。舟小屋でした約束、憶えてる?」
――ふたりとも生き延びられたら、お互いの言うこと何でも一つずつ聞くの。
「もちろん憶えてるよ。結局あの後、俺は……」
「私は、献慈にこの先も『生き延びて』ほしい」
「……わかった。それが澪姉の願いなら」
「献慈は? 私に、何かしてほしいことない?」
遠慮は要らない――澪の目はそう言っている。
「俺は、澪姉に次もまた同じ約束をしてほしい」
*
〈発光する精霊〉が照らし出す横穴は、数人が並んで歩くに充分な広さがある。ここを根城としていた者たちの手が加わっているのだろう。
開け放たれた鉄扉の向こうから差す明かりが、まるで誘蛾灯のように、一行を招き入れようとしている。
「待ちかねたぞ」
地の底から響く声が胸腔を震わせた。それまであったはずの平常心が、ただの思い込みでしかなかったのだと思い知らされる。
(……俺は――――)
あたたかな手がそっと触れてくるまでは。
(――――この人を守るために来たんだ)
「ごめんなさいね。邪魔が入らなければもっと早く来られたんだけど」
玄室の内装に墳墓の名残りはない。円形に掘り広げられた室内は直径五十メートルほど。背丈の数倍はある天井には小さな魔導灯が、プラネタリウム然と張り巡らされていた。
「なるほど。外の騒ぎはこの連中の置き土産か」
赤黒い何かで難解な図形が描かれた床のあちこちに、塵灰まみれの引き裂かれた僧服が散らばっていた。
それらを踏みしだき進み出るのは、霊剣を背負いし死せる兵――かつて勇者と讃えられた、その男の名をヨハネス・ローゼンバッハといった。
「これは……あなたがやったの?」
「邪神復活の儀式だとか抜かしていたな。目障りなのでぶち壊してやった」
周りの惨状を見れば、それが偽りではないのは自ずと知れた。
「行き場を失った魔力が暴発したってところかな、さっきの魔物――」
「そんな無駄話をしに来たわけではなかろう」
ヨハネスはにべもなくカミーユの口を遮る。
真紅に染まった両眼が見据えるのはただ一人の剣士のみ。
「一つだけ聞かせて。あなたは、お母さんを――」
「ミノリであれば」またしてもヨハネスが言葉を阻んだ。「この期に及んで問答を続けはしなかっただろうな」
「……そう。よくわかった」
武人たる者、剣にて語るべし――霊剣・ドナーシュタールと霊刀・澪標天玲――互いの利き手が、それぞれの持つ剣の柄に触れようとしていた。
(……カミーユ)
献慈が目配せを送ると、むこうも唇をすぼめて応える。
ほんのわずかな油断だった。
(よし、あとは作戦どおりに――)
「まずは面倒を取り除くとしよう」
紫雷の閃きが献慈の横を掠め、後ろに控えたライナーを刺し貫く。
(――しまっ……た……!?)
「……小癪な真似を」
ヨハネスが吐き捨てる。霊剣の切っ先には一枚の呪符が引っかかっていた。
当のライナーは呪符に封じられた〈縮地〉の効果によって安全な位置まで後退している。
「〈早叢〉!」
抜き打ちざまの澪標天玲がヨハネスの利き腕を両断する。
続いて大曽根の矢が飛んだ。ヨハネスはそれを難なく躱すや、斬られた腕を剣ごと掴み取り澪の二の太刀を防ぐと、地面を蹴って間合いから離脱する。
「〝切り札〟は今ので最後だな?」
ヨハネスの読みどおりだった。若蘭から渡された呪符は、互いに干渉し合わないよう複数枚を同じ場所に置いてはおけない。
だからこそ「最も倒されてはならない者」が「一枚だけ」を持たされていたのだ。




