第109話 颯爽と立ち現れたる
――アンタたちの背中は〝みんな〟が守ってくれるよ!
珠実の言った答えは、百歩も進まぬうちにむこうからやって来た。
だがひとまずはその手前である。
「みんなストップ! ヤバい気配がする!」
カミーユが警告を発する。
目の前へと幻出したのは、巨大な白骨の化け物・ガシャドクロ――自重によって崩潰した下半身を引きずる姿は、まるで地中から這い出て来たかのようにおどろおどろしい。
「迂回するんだ!」「二手に分かれて!」
左右から、大曽根父娘が呼びかける。
献慈は咄嗟に、距離の近い大曽根とライナーのいる側へ逃れようとするが、
(これで相手も的を絞れな…………くない!)
例によって魔物の狙いは一人の弱者に集中していた。
振り上げられた前腕骨の影が献慈を覆う。仮に自分ひとり逃れたとて、ほか二人に被害が及ぶのは必至だ。
(受け止めるしか……ないのか――)
覚悟を決めようとした献慈の真横を、ガシャドクロの豪腕が不自然な弧を描いて通過する。
頑強な拳骨が地をしたたかに打ちつけたが、範囲を外れていた三人ともに無事だ。
(何が起こって……?)
「〈空間歪曲〉!」ライナーが看破する。「ということは――」
「やはり貴方たちか」
大曽根とともに空を仰ぎ見る。献慈の目に映ったのは、武装した魔人の男女二人組だ。
「苦境にある友人らを見過ごせるものか。なぁ、シグヴァルド」
「おうよ。飛ばしてくれ、ノーラ――〈驚襲爆渦山〉ォオオッ!!」
山なりの軌道を描いて飛来したシグヴァルドは、灼熱渦巻く矛槍でガシャドクロの肩甲骨を打ち砕くや、献慈たちのもとへ鮮やかな着地を決める。
「ボーイズの危機に有給取って参上つかまつったぜ!」
「そ、そうですか……ありがとうございます」
「ここはオレたちが食い止め……おっと」
ガシャドクロの反撃を難なく防御するも、質量の差は如何ともし難く。シグヴァルドは後退を余儀なくされる。
「チッ……ホネだらけのくせして大した重量だぜ。おい、ノーラぁ! きっちり援護しろよ~!」
「言われずとも――〈突破孔〉!」
崩れかけの片腕がねじれ飛び、支えを失ったガシャドクロの上半身が横転した。
進むならば今だ。
「よぉし! 進めー、者どもー!」
ちゃっかり号令を下すカミーユに続き、四人も速やかに戦場を離脱した。
目的地まで目と鼻の先というところで、またしても邪魔立てが入る。
「このまま突っ切る?」
「間に合わない。隠れながら進みましょ」
カミーユと澪が取り交わす向こうに、翼を広げたイツマデが具現化を終えようとしていた。
見つからぬうちにと林へ退避するが、怪鳥のくぐもった鳴き声は不穏な気配を感じさせる。
(詠唱……まさか、な)
「……まずい」カミーユが声を漏らす。「こっちが風上だ」
「そうか! 匂い――皆さん、散ってください!」
知らせは届かない。すでに献慈と澪のふたりは術の効果範囲に囚われてしまっていた。
(ライナーさんが何か言っている……?)
異常に気づくのは容易かった。仲間たちの挙動、木の葉のざわめき、周囲のものすべてが、目まぐるしい速度で動いている。
耳に入る音もまた然り。
(速すぎる……というより、相対的に俺たちが〝遅くなっている〟――)
原因は明らかだ。魔力で作られた透明の膜が、付近を球状に覆っているのだ。
「(この術はピロ子さんが使ってた……)〈停滞〉だ!」
「早く範囲外へ!」
並んで駆け出すふたりの前方に、弓を引き絞る大曽根の立ち姿があった。
矢尻の向く先――鋭い鉤爪が、嘴の内側に並んだノコギリ状の歯が、はっきりと見える距離まで迫っていた。
(もう追いついて――)
ふたりが構えを取る――よりも早く、両翼を射抜かれたイツマデが急停止する。
(――ん? 両翼……?)
術が解け、反動でスローモーションになった世界に差し込むのは、一条の――
「〈真木柱〉」
落雷のごとく急降下する十字槍が、巨鳥を脳天から串刺しに葬り去る。
颯爽と立ち現れたる若き偉丈夫こそ誰あろう、柏木権左衛門之丞であった。
「まずは一体か」
「か、柏木さん……だけじゃない――」
次第に元のスピードを取り戻す景色の向こうに、献慈たちはいま一人の懐かしい顔を見る。
「ホラホラ、アンタの相手はここだよ!」
紅梅色の肌をあらわに、弩を構えた鬼人の女傑が、もう一体のイツマデを迎え撃っていた。
澪が歓喜の声を上げる。
「カガ姐さんも来てたの!?」
「あいよ。今片付けるからね……っと」
常人であれば全身の力を要するクロスボウの固い弦を、カガ璃は腕力だけで引き戻し、箭を装填している。その連射速度は敵に詠唱の隙を与えぬほどだった。
だったのだが。
「あれま」突如クロスボウが音を立て、真っ二つに破損する。「ちょいと力を入れすぎたかねぇ」
あっさりと武器を捨て去るカガ璃。その隙を突いて、イツマデがここぞと突進を開始していた。
「か、カガ璃さん、前!」
「姐さんなら大丈夫」
澪が言った意味を、献慈は間もなく思い知るのだった。
衝突間際、
「どりゃあぁああぁ!!」
カガ璃の突き出した掌底が、イツマデの頭部を跡形もなく粉砕していた。
「え? …………え!?」
宙に取り残された胴体がびくりと跳ね上がり、地響きを立てて地面に落下する。
柏木が言い添えた一言が全てだった。
「心配するだけ無駄だ。カガ璃はオレの数倍強い」
「……そういうの……もっと早く言っといてくれません……?」
村を旅立って二ヵ月後に知る真実であった。
そうこうするうち、カガ璃がのしのしと大股で歩み寄って来る。
「いや~、こんな時に邪魔が入るたぁ災難だったねぇ」
「助けてくれたのは嬉しいけど……姐さんたち、どうやってここまで来たの?」
澪の疑問に答えたのは柏木だ。
「あのノーラという女だ。正確には、奴が実験と称して設置した転移ゲートを使った」
「面白そうだから、風呂屋の中庭に取り付けてもらったのさ。試してみない手はないだろう?」
楽しげなカガ璃とは対照的に柏木は、
「……こんな調子でな。オレはこの危険人物の見張り役だ」
呆れ顔ならぬ諦め顔を見せる。
ともあれ、敵は片付いた。大曽根が助っ人たちにねぎらいの言葉をかける。
「二人ともよく来てくれた。あとは我々に任せてくれたまえ」
「皆様方もご武運を。オレたちは……あちらへ助勢に入りましょう」
遠くではまだシグヴァルドたちが戦っている。いつしかガシャドクロも二体に増え、牽制を引き受けるノーラも忙しそうだ。
「頼みます」
献慈が言うと、
「それはこちらの台詞だ」柏木は囁くように言葉を託した。「今こそ先生の無念を晴らしてくれ」




