第106話 決戦当日は目の前に
ゆめみかんの裏庭。先日までは石ころがわずかに転がっているだけの、味気ない風景が広がっていたはずだ。
(何か置いてある……?)
中央付近に設置された物体が献慈の目を引いた。畳二畳分ほどの石版の表面に、オカルトじみた魔法円のような紋様が描かれている。
「ふむ……するとやはり……が、鍵となるか……」
話し声のする方を見やると、そこに絵馬と無憂がいた。さらにもう一人、背を向けて立っていたのは、見憶えある長身スーツ姿の女性である、
「ノーラさん!? ってことは、貴方がお父さんを連れて来てくれたんですね」
「少年か。確かに宮司どのは我が転移術にて……」
ノーラが歩み寄るのと前後して、絵馬と無憂が、
「では献慈さん、あとはよろしく」
「某も失礼する」
開放感に満ちた面持ちでそそくさと立ち去ってゆく。
「元はと言えば無憂が見境なく女性を口説いたりするから……うっかり天狗渡のことまで口を滑らせてしまうなんて……」
「誠にかたじけない……」
背中越しに聞こえる絵馬の小言が何事かを匂わせていたが、ひとまずは目の前のノーラである。
「ノーラさんはほかにもまだ用事が?」
「うむ。まずはおぬしにこれを返そう」
献慈に封筒が手渡された。
「あぁ、あの時の」
ナコイの海岸から転移させてもらった直後、財布を忘れたノーラに金を貸したのを思い出す。
「そんな急ぐこともなかったんですが」
「そうもゆかぬ。友人同士、金銭の貸し借りが常態化するのは不味かろう」
(そういや友だちとして認識されてたっけ……)
「それに……万が一『カラダで返してくれ』などとせがまれたら、我とてちょっぴり困ってしまうのでな」
「い、言いませんってば! そんなこと」
つい頭に浮かんでしまった想像図を、献慈は慌てて振り払う。
「仮にそうなったらシグヴァルドのカラダで肩代わりしてもらうつもりだが」
「それあんまり肩代われてないです……」
想像図は速攻で上書きされた。
噂をすれば影が差す、とはよくいったもので、
「オレがどうしたって? ――お、誰かと思や可愛い子ちゃんじゃねぇか! 久しぶりだなァ」
前開きのシャツから逞しい大胸筋を覗かせ、シグヴァルド・ユングベリが登場する。
「どうも。シグヴァルドさんまでこんな場所で何してるんですか?」
「何だァ、ノーラから聞いてねぇのか。転移ゲートだよ」
その言葉だけを取れば唐突だが、
「ゲート? ……あー、何となくわかりました」
先ほどから目に留まる不審な石版を合わせ見れば、おおよその見当はつく。
「察しが良いな、少年。双方向転移ゲート――我が長年の研究がようやく形になりそうなので、急遽この場へ運び込ませてもらったのだ。その発端となる出来事は二日前、我がこの宿を訪れた日に溯るのだが……」
(あっ、これ長くなるやつだ)
ここに至って献慈は、去り際の絵馬たちが見せた表情の意味を理解する。
だが幸い、今はストッパーとなる人物が居合わせているのが救いだ。
「要約するとだ、天狗兄ちゃんの話がゲート完成のヒントになったらしくてよ、オレも巻き込まれてアレコレやらされてる最中ってわけだ」
先んじて説明を終えたシグヴァルドを、ノーラが鋭くねめつける。
「むぅ……それでは言葉足らずにも程がある。今重要なのは自動補正シークエンス確立に向けた術式の精査であり……相対座標の即時的な割り出しの必要性を鑑みて……然るに個体認識の煩雑さを回避しうる方法論の構築を……」
問わず語りを続けるノーラを捨て置くように、
「しっかしオレを差し置いてノーラを口説きにかかるたぁ、天狗兄ちゃんも物好きな男だぜ。オレのほうがこのトンチキよりかトークも上手ぇし、諸々のテクニックだって断然……」
シグヴァルドまでもが愚痴り始めたのは一層たちが悪い。
(俺は何を聞かされているんだろう……)
地獄のステレオ強制視聴から献慈を救ったのは、裏庭への新たな来訪者であった。
つかつかと歩み寄る、狐耳の少年。
「献慈さん……お、おかえりなさい」
「ただいま、ジェスロくん」
大事そうに抱えた木刀には干字で〝影羅図烏〟と刻まれている。澪から贈られた土産物であろう。早速とシグヴァルドが反応を示した。
「おぅ、どうしたボウズ。立派なモン持ってんじゃねぇか」
「ひぁっ!? あ、あぅ……」
大男の襲来に怯えるジェスロを見て、ノーラは相方に侮蔑の眼差しを送った。
「シグヴァルド、貴様……こんな幼気な少年まで毒牙にかけようと……」
「いやいや、木刀のことに決まってんだろうがっ! 人聞きの悪いこと言うんじゃねぇって!」
(この人たち……教育に悪そう)
献慈は不甲斐ない大人たちよりも子どもの対応を優先した。
「大丈夫だよ、(変わってるけど)怖い人たちじゃないから」
「は、はい……」
「ところでジェスロくんはお庭まで遊びに来たのかな?」
献慈が優しく尋ねると、ジェスロはおずおずと口を開いた。
「え、えと……よ、呼んで来るよう言われたので……」
「呼んで……俺を?」
コクリとうなずくジェスロ。
そこへ猛スピードで駆けつけて来た者がまた二人。
「まだこないなトコおったんか」
〈縮地〉の使い手にして小さな鬼人の料理長・葉若蘭と、
「オマエタチぐ……ずぐーずーしてーるダーカラー、さーがーしにーきーたー」
エルフの女将・ピロ子ことスピロギュリア。時間操作による急加速の反動につき、ただ今スローモーション中である。
「料理長に女将さんまで……急用ですか?」
献慈の問いかけに両名はせかせかと応答する。
「おう、三時のおやつの時間や!」
「若蘭! ボケてる場合じゃないヨ! あ、でもおやつタイムは本当ネ」
(どっちなんだ……)
「烈士組合から連絡が来よった。例の『眷属』の居場所が特定されたそうや」
「……ヨハネスが…………!?」
*
翌日、ライナーから改めて作戦の詳細が告げられた。
「……以上、予定どおり討伐作戦は決行されます」
ヨハネス・ローゼンバッハ討伐の先遣隊――メンバーは以下五名。
大曽根澪。リーダー、五等烈士。
入山献慈。同じく五等烈士。
カミーユ・シャルパンティエ。四等烈士。
ライナー・フォンターネ。三等烈士。
大曽根臣幸。ワツリ神社宮司、元・三等烈士。
「ってかオジサン、烈士の資格持ってたんだね」
客観的に見て戦力不足は否めない。寄せ集めの強者より、気心知れた仲での連携が有効だと考えるにしてもだ。
「その昔、妻の付き添いでね。とっくに更新は切れているんだが」
先遣隊とあるとおり、名目上の役割は斥候である。
後方に陣を敷く本隊へ敵の情報を持ち帰ること――それが作戦本部から言い渡された最優先事項だ。
「いろんな巡り合わせが、私たちをこの機会に導いてくれたんだって思う」
とはいえ、任務中〝不慮の事態〟に遭遇し、対象に接触・交戦に至る可能性は充分にある。
その結果〝万が一〟討伐そのものを完遂させたとしても問題はないはずだ。
「俺たちがすべきことは変わらないよ。みんなで生きて帰って来る。それだけだ」
瞬く間に一週間が過ぎていった。
やるべきことには事欠かない。五人での戦術を練るのはもちろん、ゆめみかんに集った面々の力や知恵を借りて、技や魔法の最終調整へも入念に取り組む。
そうして――気がつけば、決戦当日は目の前にあった。




