第105話 あの日誓った約束
所変わって、ゆめみかんのサロン。
(どちら様でらっしゃいますか……?)
喉から出かかった言葉を、献慈はすんでのところで飲み込む。
部屋に荷物を置いて階下へ戻った時、そこには見知らぬ中年男性が待ち構えていた。
「おかえり。どうやら入れ違いになってしまったようだね」
こざっぱりとした短髪、袴姿の体格はがっしりとしているが物腰は柔らかで、武人という感じはしない。
(いや、マジで…………誰!?)
返答に迷う間に、澪が身を乗り出して来た。
「お父さんっ!?」
(なぬ――――っ!?)
男性の正体は澪の父親・大曽根臣幸であった。整えられた髪は黒々と染められ、特徴的だった口ひげまでが剃り落とされている。
「どうしちゃったの!? その格好」
「いやぁ、決戦も近いわけだし、ちょっとした禊のつもりでね……」
「えー、ウソ。都会に出るから張り切ってカッコつけてみたとかでしょ? 何ちょっと色気づいちゃってんの? 気持ち悪ーい」
「うぐっ……手厳しいのは本当に母親似だな……」
娘からの無慈悲な口撃に、大曽根は力なくうなだれた。
「年頃の娘ぁどこも同じじゃけぇ、気にしんさんな」
ジオゴのフォローにカミーユも追随する。
「そうそう、落ち込むことないよ。シ○○○○ド(あやふや)もオジサンのことカッコイイって言ってたし」
「シゥ……ド? あぁ、昨日君が引き合わせてくれた! そうかい、そりゃあ嬉しいなぁ……はっはっは」
大曽根は能天気にも照れ笑いするが、献慈は気づいていた――該当する人物が二名ほどいることに。
(それってシルフィ……じゃなくてシグヴァ……うん。大人の恋愛に口出しするのは無粋だよな!)
献慈が傍観を決め込む一方で、男やもめ争奪戦に立候補する人物も新たにいた。
主張の激しい尻尾と猫耳の持ち主。
「アタシのことも忘れないでくださいねぇ、オジサマぁ」
ついこの前までジオゴに媚を売っていた瀞江が、今は身を擦りつけんばかりに大曽根に迫っていた。
「幌村瀞江さん、だったね。もちろん憶えているとも」
「そういうことじゃなくてぇ……んもぅ、オジサマったらとぼけ上手なんだからぁ」
「いやはや、すまない。独り身が板についたせいか、女性の気持ちに疎くなってしまったようだ」
「お年のわりに純情なのねぇ。かぁわいい~」
「こりゃまいったなぁ、はっはっは……」
甘ったるい猫なで声が瀞江の口から発せられるたび、色香に抗えずデレデレと脂下がる父親の顔を見るたび、澪の表情筋が活動停止してゆく。
「お父さんさぁ……外で遊ぶ分にはうるさく言うつもりないけど、相手はちゃんと選んだほうがいいと思うよ……?」
「ミオ姉、もうやめたげなよ。娘にそんな悪しざまに言われたらオジサンかわいそーじゃん」
カミーユがなだめに入るも、
「そのオジサン焚きつけて面白がってる人に言われたくないんですけど?」
「ぐはぁー、ごもっともォー」
返り討ちに遭い、あえなく撃沈した。
「(澪姉もカミーユの扱い上手くなってきたな……)俺はいいんじゃないかと思うよ。こういう他愛のないことで親子ゲンカできるのってさ」
――澪とはケンカばかりだったよ。君がやって来るあの日まで。
「……憶えていたのかい」
「ええ」
「まぁ……何だ、遅くなってしまったが、あの日誓った約束はちゃんと果たすよ。だから……安心しなさい」
「……うん」
澪は言葉少なにうなずいた。
「いいお父さんじゃない」
瀞江の声づかいから、おふざけの色が抜けている。それに気づいているのかいないのか、
「あなたに言われなくても……娘だし、知ってるから。お父さんが格好いいってことぐらい」
心なしか澪の頑なさも薄らいでいた。
「よかったの、大曽根さん。わしんとこと同じで、娘さんにゃあちゃんと好かれちょってじゃ」
ジオゴの言葉に大曽根は相好を崩す。
「そうですねぇ。でも、できれば面と向かって言ってほしかったかなぁ」
「もぉー、調子に乗らないで」
父親同盟の増長に、澪は釘を刺しておくことも忘れなかった。
他方、蚊帳の外へ追いやられていたカミーユだが、あまり懲りている様子は見受けられない。
「ふぉふぉふぉ……どうやら我々の出る幕はなかったようですのぉ、イリヤマ氏」
「それって何ポジションなの? 無憂さんにフラレておかしくなった?」
「フラレてねーわ! 恋愛対象として見られてねーだけだわ!」
「似たようなもんじゃ……そういや二人ともどこ行ったんだろ」
とっくに戻って来ているはずの天狗衆の姿が見当たらない。
「あの二人だったら裏庭じゃねーの?」
「裏庭?」
「そもそもオジサン、どうしてこんな早く来れたと思う?」
この場で答えを考えるより、現場に向かうが手っ取り早い。




