第10話 風変わりながらも愛らしい
錦牛節――フォズ・イムガイでの五月にあたる――初旬。
昼食を終えた入山献慈は自室の窓際で本をめくっていた。
「献慈君、入るよ」
「はい、どうぞ」
ふすま越しに答えると、洗濯物を持った大曽根が入って来た。
「あっ、すいません。部屋までわざわざ」
「家事は持ち回りなんだし、気にしないでおくれ」
姿勢を正そうとする献慈を制し、大曽根は折り畳まれた服を傍らへ置いた。着物に不慣れな現代っ子のため用意してくれた作務衣や肌着の類いだ。
「それとついでに――おや? 献慈君は今日も熱心に読書かな?」
「ええ、村の文化について勉強を」
「それは感心だね。気になったことがあれば訊いてくれて構わないよ」
献慈はページに目を走らせる。
「神社とか温泉はもちろんですけど……村の行事、夏祭りとかも楽しそうです。あと、み……ミコホウジ? とか」
「…………」
(……あれ? 違った?)
「……うん、祭りの初日はちょうど娘の誕生日なんだ。よければ君も一緒に見て回ったらどうだろう?」
「はい。それはぜひとも」
澪は献慈より二つ年上で、三ヵ月後の八月十五日には満十九歳になるそうだ。
「しかしもうそんな歳になるか……いやはや、月日の経つのは早いものだ」
誰にともなくつぶやいて、大曽根は部屋を出て行く。
献慈は文机に本を置き、洗濯物を手早くタンスへと仕舞う。
(ずっと作務衣ばかりってのも何だし、そのうち着物にも挑戦してみよっかな……そういえばお父さん、ついでにとか言っ――)
妙な引っ掛かりが献慈の手を止まらせる。
違和感の出どころはまさに自分の手の中にあった。
「…………」
その形状から、実姉と同様「胸部の量的主張が奥ゆかしい女性」向けに作られた下着であることを、献慈は一目で理解できた。
(ふむ、これは……慎ましやかな胸元に優しくフィットする機能性、上質な生地を使っていて肌触りも良く通気性も備えている。それでいてデザインへの気配りも忘れていない。イムガイ女性の進歩的な美意識が窺えますなぁ、ハッハッハ……)
「――献慈君、言い忘れたんだが」
(どぅおえええ――――っ!!)
引き返して来た大曽根とばったり目が合う。
献慈の両手には女性用下着が堂々と広げられており。
「こ……これはどうも、洗濯物、混じってたみたいですねー、い、今ちょうど見て、あれぇ~? って思って……お、思いまして」
「あぁ、それは悪かったね。ところで……」
(スルーされたぁ! 逆に怖ぁい!)
「ついでに用があったんだ。面倒でなければお使いを頼まれてくれるかな」
向かった先は村社の裏手に広がる林だった。
午後の優しい木漏れ日に誘われるのは小鳥のさえずり――
「♪~ヨーレネィンジョウィチ! ヨーウェン エィンジョゥ ウィチ!」
ではなく、献慈のさえずりであった。
さほど進まぬうち、開けた場所へ出る。積み石の上に建てられた小さな祠と、澄んだ泉とが記憶に新しい。手前にある草地こそ、あの日献慈が目を覚ました場所だった。
(多分その辺りに…………いた)
道着に袴、長い髪をローポニーに結った澪がそこにいた。
木刀の切っ先を後ろ、柄頭を正面に向けた鳥居の型は、河原でカッパに相対した構えと同じ。
「〈荒鴉〉――!」
振り抜かれた木刀が唸りを上げると、引き絞られた弓から放たれる矢のごとく、燐光を帯びた太刀風が水柱を上げながら疾走してゆく。
(この技だったのか、カッパたちを薙ぎ倒したのは)
武器や拳脚を通じて霊気を放つ技能を〈投射〉と呼ぶ。たった今澪が披露した技もその一種である。
「黙って覗くだなんて、感心しないなぁ」
「そんな人聞きの悪い。澪さんこそこんな場所で秘密特訓とか?」
「まさか。ここにはしょっちゅう来てるし、気分転換みたいな? 今日も何となく来てみただけで……」
答えつつ、澪は袋へ仕舞った木刀を木へ立て掛ける。
「何となく?」
「そ。何となく。でも、その何となくに感謝かな。おかげで献慈ともここで会えたわけだし」
(ここで……か)
「あ、えっと、あの時は……ごめんね、いきなりお顔の上にしゃがみ込んじゃったりして。びっくりしたよね?」
「そんな。あれは事故みたいなもので……俺こそ申し訳ない。あんな見苦しい格好……」
「わ、私は気にしてないから! それより献慈、何か用があって来たんじゃないの?」
「そうだった。これを……届けに」
献慈は作務衣の衣嚢に忍ばせた懐紙を広げ、その中身を澪に見せる。
「これ……」
着物の帯を飾る根付であった。紐先にぶら下がった木彫りはつくしをかたどったもので、風変わりながらも愛らしい意匠となっている。
「洗濯桶の下で拾ったって。澪さん、こっちまで探しに来たのかもしれないから、渡しに行ってあげてって。お父さんが」
「そっか、洗濯物にまぎれて……ありがと。あとでお父さんにもお礼言っとく。取り出すの久しぶりだったから、失くしてたの気づかなかった」
渡された根付を見つめながら、澪は力なげにつぶやいた。
「……大切なものなのに、ね」
憂いを帯びた面差しが何事かを窺わせる。
献慈は問うべきか躊躇するも、それは思いがけず本人の側から打ち明けられた。
「この飾りね、お母さんの形見なんだ。前に二人で旅をしてた時期があって……その時に私がねだって買ってもらったの。『お前がそれを付けたら澪標になるな』とか言って……あれが最後の冗談になるなんて、あの時は思ってもみなかったなぁ……」
それ以上詳しくは語られなかったが、訥々と語る澪の様子からは故人の人柄が垣間見えた気がした。
「って、よく考えたら形見っていうよりただのプレゼントだよね」
「……澪さんにとって大切なものには違いないよ」
気休めとわかっていても、言わずにはいられなかった。
「うん…………あのね、献慈」
「何?」
澪は切り株に腰を下ろし、手振りで献慈を誘う。
(座る……のか? この距離に……!? いや、でも……うん)
覚悟を決める。隣り合わせとも背中合わせともならない場所へ献慈が腰を下ろすと、澪は再び語り始めた。




