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大厄災(メギド)

 慌ててトランクの蓋を閉め、フリーデの後を追った。

 部屋を出てみて分かったが、病院というよりは高級なホテルという方がしっくりくる。


 全体は重厚な石造り、廊下はぴかぴかに磨かれた木で、ゆるやかにらせんを描く階段は、どこぞのおしゃれな映画に出てきそうだ。天井は高く、窓には豪華なカーテンが飾られている。


「すごい、立派な病院ですね」


「貴族や政府の偉い人たちが入る病院だもの。設備も最新式のがそろっている。魔導士も……。お前も検査の時、会っているでしょう」


「はい」


 両目に金属盤をはめこんだ異形のもの。中心で光る水晶の玉が、実に禍々しかった。いま思い出しても背筋のあたりが寒くなる。


「フリーデさま、お帰りですか」


「公爵さまによろしくお伝えください」


「いつ見てもお美しいですな。ブレスナハン邸での晩餐以来だ、お母さまはお元気ですかな」


 ロビーにいた医師や看護師たちが、フリーデに声を掛け、うやうやしく頭を下げる。そんな彼らの敬意を、彼女は堂々と受け止めていた。人にかしずかれることに慣れていなければ、出来ない芸当だ。


 フランク医師がいっていた。彼女はこの国でも一番の名門、アッシェンバッハ公爵の一人娘だと。

 トーマとは生まれも育ちもまったく違う。おまけに近寄りがたいほどの美人。こうしてすぐ傍に居るのに、空に高く光る月を眺めている気分だ。


「お前、なにをぼーっと立っている」


 背後からクラリスに話しかけられた。慌てて振り向くと、虫を見るような目でトーマを見つめている。


「エントランスに迎えの車が待っている。お前はトランクを車に積んで、扉を開けてそこで待機していろ」


「分かった、いま行く」


 扉(なんとドアボーイまでいる)をくぐって外へ出ると、クラリスが行ったとおり一台の車が停まっていた。

 黒塗りの、禁酒法時代にギャングが乗っていたみたいな古めかしいデザインだ。それでもトーマの父親が通勤に使っているセダンよりはるかに大きい。


 マフラーが見当たらないことからガソリンが燃料でないことは分かる。これももしかして、魔導の力で動くのだろうか。


 扉を開けようとすると、運転席から若いお兄ちゃんが出てきた。

 背がとても高く、がっしりした体つき。トーマと同じ黒のスーツだが、前につばの付いた帽子を被っている。


「お前、トーマだろ?」


 屈託のない表情で言うと


「トランク貸せよ」


 手袋をはめた手を差し出した。言われたままにトランクを渡すとバックドアを開け、積み込んだ。


東方人(イシュト)じゃ車を見るのは初めてだろ、後部座席の開け方はこうさ」


 ドアハンドルに手を掛け、うやうやしく開いてみせた。どうやらトーマの世界の車と、基本は変らないらしい。後部座席は六人乗りで、シートが向かい合わせに設置されている。


「最新式の魔導エンジン、《V三〇〇型》だぜ。見たことないだろ」

「はい……」


 その時ようやく病院からフリーデとクラリスが出てきた。トーマは直立不動の姿勢を取り、フリーデが車に乗るのを見届ける。

 運転手がドアを閉めようとすると、


「カート、トーマには今日だけ、後ろに乗ってもらうわ。話さなくてはいけないことがあるから」


「承知いたしました」


 カートと呼ばれた兄ちゃんに促され、トーマはフリーデの向かいに腰を下ろす。

 ちらりとクラリスの方を見たが、不愉快な表情で窓の外を眺めていた。視界に入れるのも我慢ならない――とでも言いたげに。


 シューッという蒸気が噴き出す音に似たエンジン音がかかる。

 やがて車が滑るように走り出すと、フリーデはトーマを見据えて口を開いた。


「トーマ、先生の仰る話だと、お前は記憶をなくしている。自分の名前以外は。間違いないわね」


「はい」


「この世界のことについても何も知らない。でもそれだと私も困るのよ。だから屋敷につくまで、おおまかなところを教えてあげる。一回しか説明しないから、ちゃんと聞いてなさい」


「分かりました」


 俺も真面目に答え、背筋を伸ばした。


「およそ百年前……」


 紫色の瞳が俺を真っ直ぐ見つめる。


「この大陸西部(ウェスティア)は、一度壊れかけたの。《大厄災(メギド)》よって」


 そしてエルフリーデは語り始めた。

 ウェスティアとこの国、《神聖カルタリア王国》のことを。



 * * *


 

 《神聖カルタリア皇国》


 ウェスティアと呼ばれる、大陸の西側諸国で最大の領土を誇り、世界で魔導兵器を有する唯一の国家。


 二百五十年前、《アシリング王国》の皇子カルタゴス・アシリングと、《神聖カロリング帝国》の王女アリア・フォン・カロリーナの婚姻によって生まれた大国だ。

 両国は長きにわたった争っていたが、皇子と王女のロマンスによって、奇しくもその争いに終止符を打つこととなる。


 賢王カルタゴスは戦争で疲弊した国を立て直すため、魔術研究を奨励した。

 その一方、他国との軋轢を避けるため、魔術を戦争の道具にすることを禁じ、平和のために使う勅令を発布した。


 それに賛同した魔術師たちが大陸のあちこちから集まり、魔術による国の再建を王に誓う。彼らは魔術が人殺しの道具にされることにうんざりしていたし、なにより恒久的な平和を望んでいたからだ。


 やがて、王都ロマネスクに王立の魔術師養成学校が創立され、多くの魔術師がここから巣立って国の発展に貢献した。


 農業を発展させた土と水の魔法。

 人々を癒やした治癒魔法。

 蒸気で動く機械を生み出した、火と風と水の魔法。


 そして新王国暦九十二年。

 賢王カルタゴスの孫、フェリックスの治世でカルタリアは魔法国家として繁栄を謳歌していた。その王都ロマネスクで一人の天才が生を受ける。


「彼の名前はヨハン・フリードリヒ・ベドガー。彼はまだ学生だった頃、発展途上だった機械を研究して、魔力で機械を動かすことは出来ないかと考えたの。

 それまでは火と風の水の魔法で蒸気を発生させ、その蒸気で機械を動かしていた。だから機械も大がかりなものばかりで、汎用性は低かった」


 機械を使いやすいようにすれば、世の中はもっと便利になる。

 そんな夢を抱き、青年ベドガーは研究を重ねた。その甲斐あって《魔導理論》を生み出したとき、彼は六十を過ぎた老賢者となっていた。


「ベドガーは王宮の信頼も篤かった。《魔導理論》はさっそく王が気に掛けて、国家事業として推進する約束をしたの。もし……」


 エルフリーデはそこで言葉を切り、窓の外へと視線をやった。


「それが実現していたら、いまの世界はもっと違っていたでしょうね。多くの人たちがこんな車に乗って、馬車など過去のものになっていたはず。でも、そうはならなかったの」


 新王国暦一五三年六月。

 のちに《大厄災(メギド)》と呼ばれるそれが、王都より北の地、シュトゥルプに現れた。



 * * *

 


 生き残った目撃者たちの証言では、それは闇の力に覆われた巨大な渦で、中心にいたのは猿だとも、あるいはひからびた人間だとも言われている。


 スカートのように広がった渦の裾からは無数の長い手がのびて、周囲にいた人々を絡め取り、渦へとのみ込んでいった。


 魔術師たちはあらゆる魔法で対抗しようとしたが、とうてい敵わず、多くのものが命を落とす。


 闇色の渦は、生命をのみ込んで成長し続けた。

 そして裾野を広げながら南へと移動し、王都を壊滅させたあと、西へ西へと進み、カルタリアだけではなくウェスティア全域を貪ったのだ。


「まさに悪夢としか言えない光景だったみたい。生き残った魔術師たちは海を越えた島国、メロヴェ共和国へと逃れて、そこで知恵を絞ったの。

 その中心人物が大賢者ベドガー。もちろん、そこには私のご先祖さまもいたわ。彼らの戦いによって、十月にそれはこの世から姿を消した」


 エルフリーデはため息をひとつつき、悼むような表情で言葉を継いだ。


「わずか四ヶ月だったけど、ウェスティアの人口は八百万人から三百万人に減ったと言われている」


 ひええ、すげーな。

 ――って、あれ? なんかずいぶんと端折られた気がするけど。


「質問です」


 トーマはおそるおそる手を挙げる。


「なに?」


「どうやって、その、それを倒したんですか。どんな強力な魔法も効かなかったのに」


「それが、いまだに分からないの」


「分からない?」


「ええ、どんな魔法で、どういう手段でそれを倒したのか。生き残った魔法使いたちは、口をつぐんで語らなかった」


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