魔導士
フリーデと入れ替わりで医者と看護師が来る。初老の医師は見るからに優しそうな紳士で、ロベルト・フランクと名乗った。
フランク医師はトーマの頭を抱え、目をのぞき込み、口と舌を検める。聴診器を胸と背中にあてたのち、両手のひらをじっくりと観察した。
「信じられないことだが、どこにも異常はないようだね。呼吸も脈も申し分ない。みぞおちの火傷もすぐに良くなるだろう。ところで」
丸い眼鏡を指先であげて医者が訊ねる。
「エルフリーデさまによれば、君は銃で撃たれ瀕死の状態だったらしいが、それは本当かね?」
「はい、そうです」
「ふうむ……。しかし君の身体には銃弾による傷が見当たらないのだよ。たしかに運ばれてきたときは血まみれだったが、傷といえばみぞおちの火傷くらいだった。どれ、失礼」
病院着の裾をまくって、みぞおちに顔を寄せた。
赤く丸い傷跡はたしかに銃に撃たれたあとに見えるが、普通ならまず助からない距離だ。こうして生きて喋っているわけがない。
しかしエルフリーデ(医師は彼女を幼い頃から知っていた)が嘘をついているとも思えず、さすがに老成した医師でも頭をひねらざるを得なかった。
おまけに……。
「なんでも君は、自分の名前以外のことは、全て忘れているそうだね。言葉は不自由なさそうだが」
「はい、分かっているのは、俺の名前くらいであとのことはさっぱり」
トーマは正直に話した。
目が覚めたらいきなり檻の中に閉じ込められていたこと。売られかけていたところをなんとか逃げ出し、轢かれかけた馬車がフリーデのものだったこと。
あの誘拐現場に居合わせたのは偶然だが、なんとかフリーデを助けたかったことを。
嘘は言っていない。ただ、自分が別世界に住んでいた高校生ということは伏せた。打ち明けたところで正気を疑われるに決まってる。
「なるほど、ところで字は書けるかな」
そう訊かれ、
「名前くらいなら」
と答えた。
医師が用意した紙とインクペンを取り、ベッド脇の小テーブルを使って
入江冬磨
こう書いて手渡す。医師はそれを一瞥し
「これは《紅蘭民》で使われている字のようだね。じゃあこれは読めるかい?」
懐から出された紙には、えらく難しい漢字がずらりと並んでいた。現代の日本では使わないような字がいくつもある。当然、意味などわかる訳もなく
「すみません、全く読めないです」
首を横にふった。
「なるほど。名前は書けるけど字は読めないんだね」
医師はうなずき、隣に立つ看護師に早口で何事かを命じる。中年の看護師が部屋を出ていくと、
「じゃあ一応、君の脳に異常がないか、調べさせてもらってもいいかな。なに、簡単な検査だからすぐに済むよ。いや、そのままでいい」
検査と聞いてベッドから降りようとしたトーマに告げた。
ほどなくノックが聞こえ、先ほどの看護師がもう一人、白衣の男を連れて部屋に入ってくる。その顔を見てトーマは思わず
「ひっ!」
短い悲鳴を上げてしまった。
無理もない。本来なら二つの目がある場所に、金属の円盤が左右にひとつずつ。
円盤には透明な球体がはめ込まれ、金属の鈍い光沢と相まって、不気味としか言いようがなかった。
「ああ、心配することは無い。彼はここの検査技師だ。この病院は貴族や政府の高官が入院する、特別な病院だ。
彼は《協会》から派遣されている正式な魔導士だよ。とは言っても……」
理解できない表情のトーマに医師は重ねて言った。
「君にはよく理解出来ていないようなので、簡単に言えば、彼は君の頭の中を見られるんだ。それで悪い所がないか確認できる。いいかね?」
ぞっとしない話だが、断れるような雰囲気ではなく、トーマは仕方なしにうなずいた。
「それじゃ始めてくれ」
医師が男に命じると、無表情でベッドに腰掛けたトーマへと近寄る。
両手にはめた白い手袋を外すと、手のひらにも目と同じ、透明な球体をはめ込んだ金属盤が埋まっているのが見えた。
その両手がトーマの頭を左右から抱える。
「そのままじっとしていてくれ」
医師に言われるまでもなく、不安と緊張で動けなかった。二三度、頭上でなにかがまばゆく光り、思わず目を閉じる。
手がはなれたのは数分後。ようやく目を開くと、男は医師に
「問題ない」
抑揚のない声で告げ、手袋をはめ直し、部屋を出ていった。口調も仕草も機械的で、人間らしさが感じられない。
「初めてで驚いただろう? あそこまで魔導化された魔導士は珍しいからね。私も君と同じだったよ。今はもう慣れたが」
「あの人は、人間……なんですか?」
「この国の魔導士は、みなああいう魔導化の手術を受けるんだ。魔術回路を肉体に埋め込むことで、簡単に高等魔術を使いこなすことが出来る。
もちろん埋め込む魔術回路が多ければ、より高度で強力な魔術が使えるのだね」
「はあ……」
おそらく、両目と手のひらについていた球体付きの金蔵盤が魔術回路とやらなのだ。魔術を発動させるのに必要な触媒と言ったところか。
「彼によれば君の頭はなにも問題ないらしい。それでもフリーデさまのご要望だ、大事を取って明日まで入院してもらうよ。ところで君にいくつか質問をしたいんだが」
付き添いのおばちゃん看護師が医師に何かを手渡す。
「これは何だと思う?」
そう言ってトーマに見せたのは絵本だった。
きれいな色づけがされてあり、表紙には小さな男の子と女の子が仲良く並んでいる。
「絵本ですか?」
「その通り。これはこの国の子どもが字を覚えるために使う絵本なんだがね」
医師の手が適当な場所を開く。
「たとえばこの果物の名前は分かるかな」
医師が指さした絵はどう見てもリンゴだった。いやこちらの世界ではなんというのか知らないが。
それでもトーマが
「リンゴです」
と答えると医師は満足そうにうなずく。
「じゃあこれは?」
「レモン」
「次」
「自転車」
他にも郵便ポストや犬、猫などの絵を見せられ、その都度答える。
どうやら異世界とはいえ、トーマの世界とそう違わない。しかし移動手段が馬車だったり、人々の古めかしい服装から察するに百年くらいのズレがあるようだ。
ただ、ここには魔法というものが存在し、医療にも応用されている。
スマホもパソコンもテレビもないが、それに代わるものがあるのかもしれない。
「どうやらものの名前などは分かるようだね。認識能力に問題はないようだ。これで私が聞きたいことは全部終わったよ。あとは、君の方で訊きたいことはあるかい」
「あの、エルフリーデさんは……俺を買ったらしいんですけど」
「そのようだね。彼女が他人に興味を持つなど珍しい。しかし、君にとっては僥倖だったな。なにしろ、彼女はアッシェンバッハ公爵家のご令嬢でね。
アッシェンバッハ公爵家はこのカルタリアきっての名家で、彼女はそこの一人娘だ」
げ! お嬢さまとは思ったが、まさかそんなすごい家だとは。
「公爵家に勤められるということはとても名誉なことだ。奴隷として売られていた東方人の君にとっては、人にうらやまれるほどの幸運だと知っておいた方がいい。
なかには妬むものもいるだろう、だがそれに負けてはいけないよ」
そう言ってフランク医師は咳払いをした。
「君にとっては余計なお世話だろうがね。まあ年寄りのお節介と思ってくれたまえ」
「いえ……ありがとうございます……」
誠意のこもった口調に、トーマは心から安堵した。人が売られたり買われたりする世界だが、殺伐としたことばかりでは無いらしい。
「その本は君にあげよう。時間があればこの国の字を覚えるといい」
トーマは絵本を受け取りパラパラとめくった。果物や花、乗り物などのページを過ぎて、おしまいは老貴族の横顔だった。
白髪の老人で眼光は鋭く、とても厳格そうに見える。
その下にあるのは彼の名前らしい。気になって医師にこれは誰かと訊ねた。
「この人は大賢者ベトガーだ。ヨハン・フリードリヒ・ベトガー。魔導工学の祖と呼ばれ、今のカルタリアの礎を築いた人だよ」




