護衛任務
《王立ローゼンクロイツ学院》。
初代学長は賢者ローゼンクロイツ伯。五百年を越える歴史を誇り、かつては魔術を志すものたちが志を胸に集い、日々研究を重ね、切磋琢磨した学び舎であった。
しかし《大厄災》により魔術師の数が激減したことにより、学院は閉校。
その後《王立神秘協会》によって再開するものの、カリキュラムを一新し、王侯貴族や財力のある家の子女たちの学びの場となった。
石造りの建物は頑健にして重厚。三階建てなのだが、天井が高い造りのせいでもっとあるように見える。
古さを感じさせる石壁には、羽の生えた化け物や天使の彫像が飾られ、ところどころにびっしりとツタが這っていた。
今の時刻は午前八時。
正門をくぐった女生徒たちが前庭を歩きながら談笑している。低い階段をあがり、正面玄関の前でたたずむエルフリーデに気がつくと、にこやかに微笑みを浮かべた。
「おはようございます、エルフリーデさま」
「今朝もいちだんとお美しいですわ」
「あら、今朝はいつもよりお早いのですね、どなたかお待ちなのですか」
すれ違いざま、フリーデの背後に控えたトーマに好奇心一杯の視線を送る。
表向きは非合法な売買故に、買われた東方人は、ほとんどが屋敷の外に出されることはない。こうしておおっぴらに連れ歩くのはかなり大胆な行動と言えた。
――東方人を連れ歩くなど、お嬢さまの評判にも関わることです。
そう言って執事のメイソンとクラリスは反対したが、聞くようなエルフリーデではない。
買ったものを好きにして何が悪いのと取り合わず、護衛としてクラリスと一緒に学校に連れてきた。
誘拐事件があったため、エルフリーデだけは護衛をつけて登校することが許されている。彼女が授業を受けている間は、学園を隅々まで見回り、怪しいところがないか点検するのだ。
(ほうほう、ここが学校とやらか。なんとも賑々しいところよのお)
トーマの耳元で莫耶が感心する。
本体の剣は彼の背に負われているのだが、姿はなくとも声はしっかりと聞こえた。とうぜん、聞こえるのはトーマだけだ。
校門の手前で、次々に生徒たちが車から降りてくる。全校生徒を合わせても二百人ほどの小規模校だが、生徒たちは自動車を所有する特権階級の子女ばかり。
着ている制服は仕立てが良く、カバンや靴も手入れが行き届いてぴかぴかに光っていた。
「おはようございます」
「エルフリーデさま、あとでお話があるのですが」
「お昼、ご一緒してよろしくて?」
女生徒たちはみな可憐な花のようだ。
憧れの公爵令嬢に話しかけたくて仕方がないらしく、わずかばかり言葉を交わしたあとは、頬を紅潮させて去って行く。
一方、男子生徒はフリーデを見かけると一様に視線を逸らし、そそくさと逃げるように通り過ぎた。
最初は高嶺の花がまぶしすぎて、声を掛けられないのかと思っていたのだが、どうやら原因は隣のクラリスにあるらしい。
彼女の視界に男子生徒が現れると、とたんに目つきが鋭くなり剣呑なものになる。
――男はお嬢さまに近寄るな。
全身から発するオーラは殺意すら帯びて、隣で立っているトーマですら萎縮してしまう。莫耶などは面白がって
(これはずいぶんと効果のある虫除けじゃのお、公爵殿はよい護衛を見つけたものじゃ。
ほれ、あそこの少年、あわてて駆け出し、転びそうになっておる。まるで猫に追いかけられるネズミではないか)
と剣身を震わせた。どうやら笑っているらしい。
トーマは男子生徒たちに同情を禁じ得なかった。こんな美少女が目の前にいるのに、眺めることすら許されないとは。
(そんなことより莫耶、そろそろだぞ)
トーマは一番近い時計を見上げた。
時刻は八時五分。予定が狂わなければ、あの方が登校してくるはずだ。
「来たわ」
フリーデが簡潔に告げる。校門前に一段と頑丈そうな黒塗りの自動車が停まり、周囲にいた女生徒たちが集まってきた。
「フェリックスさまよ」
「今日はいつもよりお早いのね」
「タイミングが同じなんて、なんて幸運な。素敵ですわ」
「皇太子さまーっ」
「ああっ……今日もなんて麗しい……」
群れる女子たちを両脇に従え、長身の金髪男子がこちらに向かってさっそうと歩いてくる。
さらさらの髪と切れ長の瞳、澄んだ宝石のような緑色の瞳。この超絶美男子こそ、皇太子フェリックス・ゲオルギウス・クリストファー・フォン・カルタリアである。
エルフリーデとは母親どうしが又従兄弟で、幼なじみという間柄。互いに一人っ子ということもあり、兄弟のように育った仲だった。
その隣にいる赤毛の美男子はリチャード・ブレスナハン。
ブレスナハン伯爵の次男坊で、母親は皇帝ヒメナスの妹であり、フェリックスとは従兄弟同士にあたる。
二人が前庭に登場したとたん、見えるはずのないバラの花びらが舞い散り、かぐわしい香りが漂って、あたり一面が形容しがたい高貴さに満ちあふれた。
「おはよう、フリーデ。今日はいつもより早いんだな」
フェリックスが口元に微笑みを浮かべ、それだけで女生徒たちが恍惚となる。クラリスが膝をおり頭を垂れ、トーマも慌ててそれに続いた。
「まあね、ちょっとした気まぐれ。それに護衛を一人増やしたから、あなたに紹介しようと思って。トーマ、皇太子殿下にご挨拶なさい」
「そんな、堅苦しい呼び方はよしてくれ。そうか、君がトーマか。新しく護衛として雇われた東方人だね」
フェリックスはトーマの背負った莫耶を眺め、一瞬、フリーデと視線を合わせた。
「はい……どうぞ、お見知りおきを……」
「顔を上げてくれないか。本当だ、目が青いんだね。君はフリーデを誘拐犯から助けてくれたと聞いている。そのことにお礼を言わせてくれ」
「あ……ありがとうございます。身に余る……こ、光栄でございます」
言葉につまるたび、隣のクラリスがじろりと睨む。そのせいでよけい緊張してしまい、教えてもらったはずの定型文が出てこない。
おまけに、フェリックスが男も惚れぼれするほどのイケメンだ。元々容姿にコンプレックスがあるトーマにとって、まぶしいことこの上なかった。
「ほれ、フェリックスそろそろ行くぞ、じゃあなトーマ、クラリスと一緒に頑張れよ」
リチャードが手を挙げ、二人は校内へと消えていく。
「信じられない」
クラリスがぼそりと言った。それはトーマも同じである。
東方人に偏見をもつものはこの学校にも多いと聞いていた。でもあの二人は、トーマを対等な存在として扱ってくれたように思う。
(なるほど、あれが皇太子か。たしかにギュンターが言うとおり、皇帝にふさわしい人格者のようじゃの)
莫耶の言うとおりだ。
眉目秀麗、頭脳明晰、文武両道。おまけに人格も申し分ないとは、いわゆるなろう小説の《チートガン積み》状態ではないか。
エルフリーデは類いまれなる美少女で頭もいいが、性格がアレなのでまだバランスが取れている。しかしフェリックスのようなどこにも欠点がない人物だと、かえってどこか現実味がない。
フリーデが軽くため息をつき、トーマとクラリスへ向き直った。
「とりあえず顔見せは済んだわね。じゃあクラリス、トーマをお願い」
「かしこまりました」
「莫耶はぜったい外に出ちゃダメ。分かったわね」
「分かっておるわ、妾をもっと信用せい……じゃなくて分かりました、お嬢さま」
誰にも聞かれなかったとは思うが、トーマはそっと周囲を伺う。事情を知らない人間が聞いたらまるで変人だ。
「トーマ、ここは広いから一人だとぜったい迷う。クラリスから離れないでね」
「なに心配ない、妾がついておるゆえ」
(おい、勝手にしゃべるな)
(ふーむ、お主の声を使うと、ちょっと気持ち悪いの)
(うるせーよ、おとなしくしてろ)
フリーデは苦笑し、
「ここはともかく、校内では莫耶の力は効かないの。クラリスと一緒にいてくれた方が、私も安心だし。じゃあね」
軽やかな足取りで他の生徒たちに紛れ、扉をくぐり、やがて姿が見えなくなる。残された花の香りに、トーマは少しだけ胸の奥が痛くなった。
「ではトーマ、我々は校内の見回りだ。屋敷で言った通りにすればいい」
クラリスに促され、裏側にまわって通用口からなかへと入った。エルフリーデにあのような事件があってから、学校側は特別に護衛の立ち入りを許可している。
公爵邸と同様、この学院にも強力な結界がはられており、なかでは魔法を使うことが出来ないようになっていた。莫耶のような人工精霊にも作用は及ぶようで、校内に入ってからめっきり大人しくなっている。
主に調べるのは無人の教室やロッカールーム、そしてトイレ。
「今日はトーマがいるから、男子トイレはトーマが調べて」
「分かった」
トーマはそこで二・三秒考えた。
「昨日はどうしてたんだ」
「当然、私が見てた」
「で、でもさ、授業中とはいえ、ときどき使っている生徒とかいない?」
「もちろん居た。でも関係ない、興味ないし」
「お、おう……」
なかに入ると生徒が一人いて、用を足している最中だった。トーマを見るとビクリと身体を震わせ、彼一人だと分かるとほっとした表情になる。
「き、昨日の女の子じゃないんだね」
その顔で何があったかを察してしまい、トーマは彼に心の底から同情した。
* * *
空いている講義室、会議室などをまわり、裏庭も点検する。しかし広い、広すぎる。
公爵邸も広大だが、この学院はそれ以上だ。元は魔法学院との事だが、当時はたいそうな賑わいだったに違いない。
一時限が終わり、二時限も過ぎた。二階と三階をまわり終わると、クラリスが珍しく
「少し休憩する」
と言って廊下隅のベンチに腰掛けた。トーマも隣に腰を下ろす。クラリスは少しだけ嫌そうな顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。
「にしても広いよなあ、ここ。昨日は一人でまわったんだろ? 大変だったよな」
トーマがそう言っても答えは返ってこず、冷たい沈黙が二人の間に漂う。
(こんなに可愛いのになあ、おっかねーの)
トーマは先ほどの男子生徒のことを考えた。用を足している時に乱入され、己のブツに冷たい視線を送られる――考えただけで心臓が痛くなりそうだ。
しかし――である。
一部には、そういうのを喜ぶ男もいて、彼らにとっては、ご褒美であります的な状況ではないか。
そんなくだらないことを考えていると、クラリスがおもむろに立ち上がった。
「そろそろ三時限目が終わる。その前に談話室を見ないと」
「あ、ああ」
慌ててトーマも後に続いた。
談話室は一階の南側にある。大きなガラス窓の向こうには花園、足が埋もれるほど毛足の長い絨毯に、豪華な造りのソファとテーブル。
これが学校の談話室と言われても、にわかには信じられないだろう。ハイクラスホテルのティーサロンという方がぴったりだ。
「ふえー、これが談話室かよ」
天井のシャンデリアを見上げ、トーマは感嘆の声をもらした。
「当たり前だ。ここは皇太子殿下も通われる学院。それなりの格式があって当然のこと。お前のような田舎者には分からないだろうが」
「じゃあここもさっさと済ませて、飯に行こうぜ。なんか腹減ったしさ」
トーマが廊下へ続く扉へ足を向けた。そのとき、勢いよく扉が開いて、入ってきたのがガラの悪そうな生徒四人。男子と女子が二人ずつ。
「いたぜパシャ、お目当てのメイドがよお」
「へー、ちゃんとパシャの言いつけを守って、ずいぶんお利口さんじゃん」
取り巻きたちがくすくすと笑い、パシャと呼ばれた男子生徒がニヤリと笑った。
長身で、金髪に濃い肌色の異国を思わせる顔立ち。クラリスと近い容姿であったが、彼女を見る視線は獲物をいたぶる獣の目だ。
「そういや今日は護衛が一人増えたんだってな? でも残念だが、こいつじゃ役にはたちそうもないな」
「クラリス?」
不穏な空気にトーマはクラリスを見た。彼女は人形のように表情を変えず、無言で立ち尽くしている。
「じゃあ言う通りにしな。ほら自分でスカートをめくって見せろよ」
パシャが命じると取り巻きたちもはやし立てる。
「ほらほら早くしないと、パシャのご機嫌損ねちゃうよ」
「それとも、この護衛くんに遠慮してるのかな」
「ほらよお、減るもんじゃねーし」
クラリスが無言でスカートの裾に手をかけた。おい、まさか冗談だろ?
トーマの困惑をよそに裾が高く引き上げられ、太ももに隠していた短剣とストッキング、白いドロワーズが露になる。
「おい、クラリス、なんだって」
「トーマ、静かにして。別にこれくらい、なんてことない」
「そうだよ。パシャは名誉貴族の親王さまだもの。逆らったりしたら、どうなるか分かってるよね。シルヴァ族のお嬢さん」
「ってか、こいつ、東方人のクセに目が青いの、めっちゃ生意気じゃね」
そうか、クラリスは――。
トーマはクラリスの固い横顔を見て納得した。昨日もこんな嫌がらせをされたのだ。でも誰にも言わなかった。
なにしろ相手は名誉貴族とやらだ。自分が騒けば、エルフリーデに迷惑が及ぶ――そう考えて屈辱にじっと耐えた。
でもそれでいいのかよ、クラリス。こんなことされて、我慢できるようなお前じゃないだろ。俺にはあんなに殺気立って噛み付いてくるのに。
クラリスの顔からは一切の感情が消えている。そうすることで、なにも感じなくなると考えているのか。
「ちっ、なんだ今日は黒にしろって言っただろ、覚えてなかったのかよ」
「あーらら、パシャの言いつけ守れてなーい」
「お仕置だね」
「いいぜパシャ、やりなよ」
パシャの手がクラリスの太ももに伸び、短剣を引き抜いた。
「俺の言うことを聞かなかったんだ、罰を与えないとな。シルヴァ族風情が、立場ってものを勘違いしないように」
切っ先がドロワーズの裾に潜り込み、柔らかな布地を裂く。
「おい、やめろ!」
トーマが叫んだ。
「いくらなんでも、やっちゃいけないことがあるだろ」
「なんだてめえ」
取り巻きの男がトーマの横面を思い切り張った。勢いでよろめき、目眩を起こして床に膝をつく。痛い、めちゃくちゃ痛い。
「ぷっ、こいつ本当に護衛なの? 弱すぎ、ダッさ」
嘲笑がトーマの背中に突き刺さる。本当にダサすぎだ、俺。だけど……。
顔を上げ、クラリスを見た。唇が微かに震え、まるで泣くのをじっと我慢しているみたいだ。
――助けて。
そんな声が聞こえたような気がして……。
腹の底から猛烈な怒りが湧く。
ふざけるな!
こぶしを握りしめた時にはすでに足は床を蹴って、パシャの顔面に猛烈な右ストレートを放っていた。
「!?」
飛ばされたパシャがテーブルに直撃し、派手な音を立てて床に崩れ落ちる。
「うそ」
「ヤバ、まじ?」
一同が唖然とするなか、トーマは口元をぬぐう。先ほど頬をはられた時にどこかを切ったらしく、血がにじんでいた。
「き、貴様、こんなことして……」
パシャが起き上がり、両拳を握って臨戦態勢をとる。慣れた構えから、拳闘の心得があるらしい。
それを見てクラリスがすかさず
「トーマ、バカ、よせ!」
と叫んだ。
「私のことなら気にするな」
「うるせえ! すっこんでろ!」
トーマの怒声にクラリスがひるむ。パシャを指さし、別人のような形相で啖呵をきった。
「俺はこのクソ野郎を、絶対にぶっつぶす!」