蒼眼の忌皇子(いみこ)
「干将と莫耶、妾たちは俗に名剣と知られておるが、もともとは《蒼眼の忌皇子》のために作られた魔道具であった」
書斎の長椅子に座り、優雅にグラスを傾けながら莫耶は説明をはじめる。
彼女の前にはトーマ、公爵、エルフリーデとクラリス、そしてなぜかカートライトとリーゼロッテも同席していた。
長椅子の傍らにはワインボトルが数本と生ハムにチーズ、燻製肉。ほかには焼きたてのパンケーキやスコーンとクッキー、ベリーのジャムやクリームが所狭しと並んでいる。
それらに舌鼓を打ち、莫耶はいたく上機嫌であった。
「さっきも言ってたけど、その《蒼眼の忌皇子》ってなんだよ」
「紅蘭民の王族には、ときおり、強い異能を持った者が現れる。
徵は蒼き双眸。しかしあまりに強い力ゆえ、制御がきかず、たびたび禍々しき災いを引き起こしたのじゃ」
その結果、青い瞳の皇子は誕生を祝されることなく、《忌皇子》として遠き地にある摩尼の寺に移され、そこで一生を過ごすことを義務づけられた。
摩尼寺の方丈には、異能を封じる強力な結界がしかれた。忌皇子はその一室に幽閉される。
衣食に関しては王族に相応しい贅沢を許されていたが、外に一歩も出られない生活は苦痛でしかない。
さらに異能を封じられたせいなのか、制御のきかない力は皇子自身を蝕んでいく。
数え年で十の頃には心身ともに弱りはじめ、ひとつの例外もなく十五という若さで早逝した。
「しかし、この状況を哀れんだ一人の喇嘛(摩尼教の高僧)が、皇子の力を制御するための方法を考えた。
そのために必要だったのが一対の剣と、それを依代に生み出した人工精霊、つまり妾たちだったのじゃ」
強すぎる異能を制御するには、太極、すなわち陰陽の力を己の意志で扱う必要がある。
双剣・干将と莫耶はそれぞれが陽と陰を司り、套路(武術の型)を行うことで、乱れていた力を正しい方向へと導いた。
同時に、人工精霊たちが力を絶えず消費することで、忌皇子自身への負担が軽くなる利点が大きい。
喇嘛は優れた魔道士であると同時に、剣の達人でもあった。皇子に剣の極意を伝え、彼を優れた剣士へと鍛え上げたのである。
「つまり、あなたは《蒼眼の忌皇子》の力を源にして顕現できる存在、ということかしら」
そこまで聞いていたエルフリーデが莫耶に訊ねた。
「トーマがこの屋敷に来たことで目覚めた。その結果の幽霊騒動ということね」
「さよう、そなた、なかなか聡明だの。妾たちの役割は二つ、忌皇子の大きすぎる力を消費すると同時に蓄える。そして、孤独な忌皇子の精神的な支えになること」
「消費すると同時に蓄える。もしかして、蓄電池のようなものかしら」
「蓄電池が良く分からぬが、おおむねその解釈で合っておろう。妾たちが力を蓄えることで、万が一、忌皇子が力を消耗してもその力を戻すことで、大事には至らぬということじゃ」
莫耶が空いたグラスをトーマへと差し出し、トーマがボトルからワインを注ぐ。
これではどっちが主人か分からぬが、誰もそれについて異論を唱えるものはいなかった。
「それで、剣士になれた忌皇子はどうしたの?」
「喇嘛はその力を世のために使うことを条件に、彼を内密に寺から解き放った。そして名もなき剣士として、苦しんでいる人々をその剣で救ったのだ」
「聞いたことがある」
初めてクラリスが口を開いた。
「《東方に剣に優れし侠客あり。決して名を名乗らず、ただ苦しむ人々を救い、去って行くのみ》。紅蘭民だけでなく、分け隔てなく人びとを救う武侠。まさか、それが紅蘭民の王族の一人だったとは」
苦々しい口調で呟く。
「そこの娘、お主は紅蘭民に何かしら恨みがあるようだが、《蒼眼の忌皇子》もまた、奴らが決めた正しさからはじき出された者たちだ」
干将・莫耶は遣い手の名声とともにその名が広まり、ついには帝の耳に入った。
そうなれば稀代の名剣を所有したいと望むのは当然のことで、血眼になって臣下たちに探させる。
ようやく剣士を見つけ出せると宮中に呼び寄せ、溢れるほどの金銀と引き替えに《干将・莫耶》を所望したという。
帝は剣士の腹違いの兄だったが、魔法で目の色を変えた彼が《蒼眼の忌皇子》だとは思い至らなかった。
彼は頑として剣を譲らぬ剣士に腹を立てたものの、最後には剣士の義侠心に心を打たれ、《剣聖》の称号を贈り敬意を表する。
やがて時が過ぎ、剣士は老いてのち江湖を去り、幽閉されていた寺へと帰った。
隠居を決め、戦友《干将・莫耶》を眠らせてまもなく、自らも帰らぬ人となる。
「それからおよそ五百年、八十年から百年ごとに《蒼眼の忌皇子》は生まれ、そのたびに妾たちは目覚めた。彼の師となりて導き、剣術を教え、旅の友となったのだ。しかし、ここにきておかしな事になっておる」
「もう一振りの干将がいないことね」
「さよう。それだけではない。前の主人のことを妾はまったく思い出せないのじゃ。おそらくそのベドガーなる爺の仕業だと思うのだが、奇妙なことはまだある。このトーマの事じゃ」
いきなり周囲の視線をあつめ、トーマは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になる。
「妾はさきほど、こやつのなかに入った。たしかに人より優れた太極の持ち主ではあったが、凄いと言うほどではない。
本来、《蒼眼の忌皇子》は己をむしばむほどの強い力を持つ。これではまるで、野生の獅子が飼い猫になったようなものじゃ。いったいどういうことなのか、さっぱり分からん」
「なら答えは簡単。こいつは《蒼眼の忌皇子》なんかじゃない。ただ眼が青い東方人ってだけ」
クラリスが吐き捨てると、公爵が口を開いた。
「それはあり得ないよ、クラリス。ベドガーが張った結界は、正統な《継承者》しか入れない。つまり、彼には剣を手にする資格があるということだ」
「そのとおりじゃ。だからこそ何もかもがおかしい。クラリスの言うとおり、こやつは本来ならただの青い眼の東方人なのかもしれん。だがこうして妾を継承している。それがいったいどういうカラクリなのか……」
「い、いや……俺は何も……」
慌てるトーマにクラリスは厳しい視線を向けた。
「そもそも、お前は記憶をなくしていることからして怪しい。奴隷として売られていたというが、それだってどこまで本当か」
「売られていたのは間違いないわ。私がこの目で見ているもの。彼を実際に買ったのはカートだけど、どうだった?」
フリーデの質問に、カートは頭をかいた。
「奴隷商人たちと話しましたが、そこら辺に転がっているチンピラでしたよ。どの伝手で彼を手に入れたのか聞いたんですが、それについては口を割りませんでした。
ああいう奴らにも掟がありましてね。商品の出所は絶対に口外しません」
「でも、おおよその推察は出来る。《翠玉楼》か、マダム・アリッサのオークションか」
そう言って父親に意味ありげな視線を送る。
「これだけは言えるわ。彼は病院で検査をしたけれど、身体をいじられた形跡もないし、何かの精神操作を受けた可能性もゼロ。
潜在魔力は平均より上だけど、とりたてて優れているほどじゃない。彼が奴隷を装ったスパイという可能性は低いと思う」
ス、スパイ……だと……?
急な展開にトーマはフリーデを凝視した。
「私も同じ意見です」
カートの隣で話を聞いていたリーゼが、初めて意見を述べた。
「彼を癒しましたが、少しでも強化されていれば分かります。彼はごく普通の人間です」
「ふむ……今の話から察するに、どうやらこの家も、なにやら訳ありらしいの。それにしてもこのトーマが奴隷だったとか。それもまたおかしな話じゃ。
もしこやつが本当に《蒼眼の忌皇子》だとしたら、腐っても王族、高貴な身分が異郷で売られているなどあり得ぬ。だがなにかしら、よほどの理由があれば……」
「あるいは、大金が必要だったとか……ね」
フリーデが立ち上がる。
「青い眼の東方人は特に珍重されるから。私も小さな家を買えるくらいのお金を払ったもの。でもそのせいで偽物も多い。黒や茶色の瞳を変えるために、違法な薬を使うの。
たしかに瞳の色は変るけど、視力がダメージを受けて、ほとんど見えなくなってしまう。それでも買うものがいるから、そうした違法行為があとを断たない」
「そんな……、どうしてそんなことが」
トーマは奴隷商人たちの会話を思い出した。
――傷物をいやがる買い手も多い。久しぶりの掘り出し物だ。青い目の東方人なんざ、早々お目にかかれねえからな。
フリーデがトーマにため息で答えた。
「いま、貴族たちの間で、密かに東方人の奴隷を所有するのがステータスになっているの。もちろん、この国は奴隷売買を禁止している。
だから表だって自慢する事は出来ないけど。特に髪や目の色が珍しいと希少度があがって、値段が跳ね上がる。それで巨万の富を築いている者たちがいるわ」
「だって、禁止されているんだろ? 王様とか、警察は……」
「無理よ。法律自体が、もう形骸化してしまっている。元老院にいるような有力貴族が、ひそかに奴隷を所有しているのだもの。警察も手を出せないでしょ」
「なるほど、だが元々は禁止されていたのであろう。そのようになったのは、いつからじゃ」
「三年前の国境戦が終わってから。もともとカルタリア領だった東の地一帯を取り返したの。もちろんあちこちでパニックが起こったわ。
そのなかでも東端の街、紗月の住人たちが難民となって紅蘭民領を目指したけど、そのほとんどが殺され、生き残った者たちは奴隷として売り払われた」
トーマは一瞬、カートの方を見た。目が合ったカートが苦い表情で首を振る。それでこの話が事実なのだと理解してしまった。
「それが始まりよ。奪還した土地の東方人たちを奴隷としてカルタリアに送り、売買するものたちが現れた。
それだけじゃないの。紅蘭民領内にまで入り込んで、見た目の良い少年少女をさらうものまでいる。国が事実上黙認しているから、やりたい放題なのよね」
「なるほど。つまりこの国の王が、それを了承していると」
「陛下……というより……」
フリーデは莫耶から父親へと視線を移した。それにつられてトーマも公爵の方を見る。
表情を引き締めた公爵が莫耶の前に進み、膝を折った。
「莫耶さま、お恥ずかしきことながら、カルタリア皇国皇帝陛下は数年前から病を得、国政から手を引かれております」
「なんと、だが、決して珍しきことではない。ではいったい、この国を動かしているのは誰ぞ」
公爵は一瞬間を置いて答える。
「宰相、レオンハルト・フォン・マールブルク。《王立神秘協会》の特級秘儀解読者で、強力な力をもつ魔術師です。
協会の創立メンバーの一人で、歳は百十を越えております。おそらくは、大賢者ベドガーを知る最後の人間でしょう」
「ふん、そこまで言えばだいたい分かる。そのレオンハルトやらが皇帝の病をよいことに、好き放題しておるのだろう」
莫耶が切り分けられたチーズに手を伸ばした。
「慧眼、恐れ入ります。そればかりではありません。今や《王立神秘協会》が国政を左右するほど、権力を肥大化させております。
元老院は協会が決定したことを承認するだけに墜ち、多くの貴族がそれを見て見ぬふりをして、自分たちの楽しみに溺れるばかり」
「読めたぞ、その東方からの奴隷売買を裏で率いておるのも、その協会とやらであろう」
なるほど。そういう仕組みだったわけだ。トーマはようやく、公爵の抱えている問題が見えてきた。
「そればかりではありません。この国で魔法は協会が独占し、主に兵器に使われています。
三年前の国境戦前から、魔導兵器による軍事の増強がはかられ、そのために多くの貧民たちが操縦士として使い捨てにされているのです。ここにいるカートライトとリーゼロッテも」
「それで、お主は妾に何を望むのじゃ」
公爵が立ち上がり、胸を手を当て、深々と頭を下げる。
「力をお貸し願いたいのです。我々はこの歪みを正すため、新しき皇帝を擁立するつもりです」
「ほ、つまりは革命か」
「そのような荒々しいものは望んでおりません。出来れば皇帝陛下に目を覚ましていただき、正統な帝位継承をしていただく」
「で、誰じゃ、お主たちの錦の御旗は」
「皇太子殿下、フェリックス・ゲオルギウス・クリストファー・フォン・カルタリア。
カルタリアの正統な第一皇位継承者であり、この状況に誰よりも心を痛めている御方です」