表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/76

幽霊騒動

「やっぱり、はじめからお前と二人きりにするべきじゃなかった。これは私の判断ミスよ。申し訳なく思ってるわ……ってなによ、そんな呆けた顔して」


 ふくれっ面のフリーデに、トーマは顔の前で手を振ってみせる。


「いや、絶対謝らないタイプだなって、思ってたから」


「自分が間違ったと思ったら、いくら私でも謝るわよ。特にクラリスのことはね」


 フリーデは小さなため息をつく。


「クラリスはシルヴァ族の出身なの。彼らはずっと紅蘭民(コランダム)に虐げられていた。

 三年前の国境戦で、自治区が解放されるまではね。だから東方人への遺恨は深い。この屋敷に勤める他の誰よりも」


 あの憎しみに満ちた視線はそういう訳だったのか。トーマはようやく腑に落ちた。


「お前を下僕に迎えるとき、彼女にも猛反対されたわ。でも私は言ったの。

 たとえお前が紅蘭民(コランダム)の人間だったとしても、奴隷として売られかけて、私のことを見て見ぬふりをして、そのまま逃げることも出来た。

 でもお前はそうしなかったし、撃たれて死にかけた。そんなお前をだまって奴隷商人たちに引き渡すような、恩知らずなマネをさせるのかって」


 東の空からゆっくりと宵闇が迫ってきていた。


「それでクラリスも、一度は納得してくれていたはずなのだけど。でも私が甘かったのね。こればかりは時間を掛けるしかなさそう。

 だけど、お前に危害を加えることは二度と許さないと、それだけははっきり言ったから。安心していいわ」


「そうか……ありがとう」


「礼にはおよばないわ。それからもう一つ、私の両親をどう思った?」


「どうって……」


 なんと言っていいのか答えに窮した。しばらく考え、


「思ったよりすごい親切で、ええと、あとは……美男美女だなって」


「たしかにそうね、でも私と母、似てないと思わなかった?」


 そう言われてトーマは公爵夫人の顔を思い浮かべた。

 髪は濃い栗色、顔は……美術の画集で見た聖母に似ていた。優しさと慈しみが溢れた美貌で、たしかにエルフリーデには似ていない。


「この屋敷で働いていれば、いつかは耳に届くと思うから、先に言っておくわね。


 私は母とは血が繋がっていないの。噂では父が舞台女優に産ませた子って言われているけど、それもどうかしら」


 まるで他人のことのように、エルフリーデはあっさり言ってのける。


 絶句したのはトーマの方だ。

 それってつまり公爵が他の女性と不倫して、子どもを産ませて、それがエルフリーデってことで……。


「もちろん、あくまでも噂。父と母には長いこと子が出来なかった。でもある日、赤ん坊の私が現れた。親類縁者も、使用人たちも、私が誰の子なのか全く知らないの」


 フリーデは首をすくめてみせた。


「でも見ず知らずの子どもを引き取るわけがない。だから噂がひとり歩きよ。舞台女優、どこかの貴族の娘、昔やめた使用人……。母にとっては大層な屈辱だったでしょうね」


 うーむ、何一つ傷のない夫婦にみえて、そんなドロドロがあったとは。


 しかし、夫人のフリーデへの態度は愛情深い母親のそれで、そこには一点の曇りもないように思えたのだが。


「お前には分からないかもしれないけど、貴族の男たちは愛人を作る自由があるの。それが高貴に生まれた者の特権だから。

 それは母も理解しているし、私も父を非難する気はないの。でも、子が出来なかった母は複雑だったと思う」


 たしかにそうだろう。もしトーマの父がそんなことになったら、母に殺されかねない。


「でも母は私を本当の娘として育ててくれた。愛情を惜しみなく注いでくれたわ。私はとても感謝してるし、母を尊敬している。

 だから父は当然のこと、母には私のように心を尽くしてほしい」


「うん、分かった……じゃなくて、はい」


「そろそろ寒くなってきたわね。戻るわよ。着替えをしなくちゃ」

 


 * * *



 トーマは晩餐の準備を手伝わされ、主人一家が書斎に引き上げてから、ようやく遅い夕食を取った。

 自室に引き上げ、ベッドに横たわったときはくたくたで、夢も見ずに眠りこける。


 翌朝、起きたときは妙に気分がすっきりしていた。

 昨日の疲れも残らず、身体がやけに軽い。窓の外はまだ暗かったが、うるさく鳴らされる起床のベルが、爽やかにすら聞こえるほどだ。


 一方カートはむっつりした表情で


「お前、朝得意なんだな。俺は昔っから寝起きが悪くて」


「そうでもないんですけどね。でも、不思議なくらい、今朝は目覚めがいいんです。今日はなんだかいいことがありそうな気がします」


 呑気に笑うトーマだったが、彼はまだ知らなかった。この屋敷で起こっていたある騒動に。


 同時刻。


 まだ暗いなか、メイドならびに下働きの娘たち数名が、寝間着のまま家政婦長のフラウ・マイヤーに泣きながら訴えていたのだった。


 彼女たちの証言はこうだ。


 一人のメイドがふと目を覚ますと、廊下から女がぶつぶつとなにごとか呟くのが聞こえた。

 誰だと思って燭台の火をともし、扉を開けてのぞき込んでみたが、廊下は無人である。


 扉を閉め、燭台の灯を消してベッドに戻ると、またつぶやき声が聞こえた。そればかりでなく、ときおりクスクスと笑い声まであげている。すっかり怯えたメイドは同室の娘たちを起こした。


 寝ているところを起こされた三人は、最初その話を信じなかった。そのメイドが、普段からちょっとした嘘をつく常習犯だったからだ。


 本当なんだって、間違いなく廊下にいる。

 つまらないことに付き合わせないでくれる? 明日も早いんだから。


 そんなやりとりは、突如ノックの音によってさえぎられた。


 コンコンコン。


 息をのみ、身体をすくませる娘たち。沈黙のあと、ふたたび扉が叩かれ、娘たちはパニックに陥った。再びの沈黙、一番年かさの娘が意を決して勇気を振り絞り、扉を開ける。


 誰もいない。そして――。


 困惑する娘の目前で扉が勢いよく閉まり、風もないのに燭台の蝋燭が消えた。


 あはは。


 あざけるような女の笑い声が闇に響く。

 一斉に悲鳴を上げた娘たちが、裸足のままフラウ・マイヤーの元へ駆け込んだのはそういう訳だった。



 * * *



「ばかばかしい、幽霊なんて」


 話をクラリスから聞いたエルフリーデは、開口一番に言った。


「そりゃあ、古い屋敷だし、死んだ人間も少なくないわ。でも昨日までなんともなかったのに、いきなり出るなんておかしな話ね。集団幻覚とやらじゃないの」


「そうであればいいのですが。話を聞いた他のメイドたちが怯えています。それに私も彼女たちから話を聞きましたが、嘘を言っているように見えませんし。幻覚ならなにか原因があるはずです」


 屋敷の朝食は毎朝七時。


 これはダイニングルームではなく、庭が見えるサンルームに席が設けられ、家族全員がそろう。

 しかしフリーデは食後の紅茶は自室でとるのが習慣で、その朝もお気に入りの長椅子に座り、クラリスが入れた茶をすすりながら話を聞いていた。


 トーマと言えば銀盆を手に、彼女の傍に立っているだけだ。


「ふうん。メイソンはなんて言っているのかしら」


「それが……たしかにおかしな事はあったそうです」


 口調にクラリスの困惑がにじんでいた。


「メイソンさんによれば、たしかにしっかりと締めたはずのメイソンさんの執務室が、朝になって開いていたそうです。ご存知の通り……」


「鍵はメイソンが持っていて、開くはずがない」


「さようです。その他にも……」


「まだ何かあるの?」


「地下のワインセラーの扉も開いていて、瓶が数本、なくなっているのだそうです。扉の鍵は……」


「メイソンが持っている」


「はい。メイソンさんが、うっかり鍵をかけ忘れていたのなら別ですが」


「メイソンに限って言えば、それはあり得ないわね」


 エルフリーデは真面目な表情になり、考え込む。

 メイドの訴えだけならまだ半信半疑だが、メイソンまでが奇妙な証言をしている。ただの集団幻覚で片づけられる話ではなさそうだ。


「お父さまもお母さまも、朝食のお席ではなにも仰ってなかったわ」


「おそらく、まだご存知ではなかったかと」


「どうされるおつもりかしら。この件」


「わかりません。それよりお嬢さま、そろそろお出かけになりませんと」


「そうね、遅刻する訳にはいかないわ。昨日おとといと休んじゃったし」


 誘拐されそうになったというのに、今日からいつも通り登校するらしい。

 大丈夫なのかと訊ねたトーマに、クラリスがいるから平気だと涼しい顔で答えた。


「それからトーマ、この幽霊騒ぎの件だけどお前に任せたいの。メイソンには私から言っておくから、屋敷のあちこちを探索して、怪しい人間がいないか確かめて欲しい。

 お前にはこの屋敷を自由に出入りする許可を与えるから、しらみつぶしに調べなさい」


 飲み終わったカップと受け皿をトーマの差し出した銀盆に置き、立ち上がる。


「お嬢さま、それには旦那さまの許可をいただきませんと。いくらなんでも新参者に、そこまで……」


「入られて困る部屋には、お父さまが厳重に鍵を掛けている。もっとも幽霊には関係ないかもしれないけど」


 クラリスから鞄を受け取り、なかば挑戦的な視線をトーマに投げかける。


「お前は幽霊を信じる?」


「いえ、そういうのは、あんまり……」


「いいわね、私もそうよ。必ずなにかトリックがあると思っているわ」


 玄関先でフリーデがクラリスと一緒に《V300型》へと乗り込み、去って行くのを見送った。


「それで、君はどうこの騒動を調べるつもりだね」


 背後からメイソンに声を掛けられる。内心、お嬢さまの気まぐれにも困ったものだ――そう考えているのは明らかだ。

 トーマは振り向き、


「とりあえず、旦那さまにいろいろ伺いたいです。お部屋を探索する許可も、もらわないと」


「ふん、礼儀知らずではないようだ。言っておくが、君が屋敷をうろつくときは私も同行する。一人にはさせんからな」


 屋敷へ戻ると、フラウ・マイヤーが珍しく厳しい顔になり、中央ホールで二人を待っていた。


「ちょっと、食糧保管庫に来て欲しいの。自分の目が、とても信じられないわ」


次回投稿は今週中を予定しております

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ