夕陽のデジャブ
「すごい! しょぼいなんてとんでもないですよ、だって本当の火なんですよね」
「ま、まあな。ってか……そうか……」
カートは帽子をとり、頭をかいて言った。
「お前、記憶をなくしているっていうより、ものすごい世間知らずなお坊ちゃんだったんじゃね?
この世界で、魔法を見てそんな反応する奴、あんまりいないぞ」
帽子を被りなおし
「俺たちはね、王国に作られた兵器なんだよ。魔法を使えるのはおまけみたいなもんで、俺もリーゼも、《ファランクス》って魔導装甲の操縦士だった。俺が操縦で、リーゼが索敵と補佐。
この魔導回路は俺のマナと《ファランクス》を同調させて、手足みたいに使えるようにする。つまり、こっちじゃ魔法は銃や大砲と同じで、一般市民からはどちらかといえば恐れられているってわけだ」
手袋をはめ直し、みぞおちのあたりを抑える。
「わりいな、ちょっと座らせてもらう」
ベッドに腰掛けた顔が青ざめていた。
「久しぶりにつかったら、やっぱキツいわ。《ファランクス》の操縦、めちゃくちゃ心臓に負担がかかって、たいていの奴は二年も持たずに死んじまう。まあ、生きてる分だけ俺はラッキーだったよ」
顔をひと撫ですると、ばつの悪い表情になった。
「俺もリーゼも三年前の国境戦で操縦士としてダメになっちまった。まっ、縁があってここの屋敷に世話になってるってことだな。
俺もリーゼもお前と同じく、普通じゃない経緯でここにいるってわけ」
ファランクス、ファビエンダー、三年前の国境戦……。
分からない言葉だらけだったが、そこに潜んだ禍々しさだけは分かる。
人を兵器にする技術。二年も持たずに死ぬ操縦士たち。どうやらこの世界は、当初考えていたよりいろいろハードらしい。
「俺、リーゼさんに傷を治してもらったんです」
トーマは傷の癒えた手の甲をカートに見せた。
「それって、リーゼさんの身体に負担を掛けたってことですよね? なんか申し訳ないです」
「ま、あいつがそれを望んでいるんだ、気にするな」
カートはそう言って遠くを見る目になった。
「あいつはあいつで、一人でもたくさんの人を癒やしたい――それを自分に課しているんだ。個人的な理由があってな」
なるほど。
「ちょっと喋りすぎたかな。そろそろ仕事に戻らないと、メイソンさんに怒られるか」
立ち上がり、トーマを見てにやりと笑った。
「あと、俺とあいつは恋人とかじゃないからな。いわゆる、腐れ縁ってやつ」
なるほど。
* * *
そのあと執事のメイソンに引き合わされた。
実直そうな老紳士はトーマを真っ直ぐ見て告げる。
「私はお嬢さまが君を買うことに反対だった。だが買ってしまわれたものは仕方ない。東方人は本来真面目な気性で、働き者だと聞いている。
それが嘘でないことを証明してくれ。まずは雑用をこなすことからだ」
そんなわけで、ちょうどお茶の時間で忙しい台所へとかり出され、夕食に使うというジャガイモの皮むきをさせられた。
料理長はこれまた気むずかしそうなおっさんだったが、アシスタントのおばちゃんがトーマを気に入ったらしい。
「あんた、器用に剥くじゃないか。お嬢さまの下僕なんざ止めて、こっちに来た方がいいんじゃないのかい」
と笑う。
両親が共働きだったし、姉は大学受験で忙しかったので、夕食をトーマが作ることは珍しくなかった。
手慣れた様子でジャガイモの皮を剥くトーマに、他の料理番の娘たちも好意的な視線を送っている。
うーむ、やはりイケメンはこういうところで得なんだな。
しみじみトーマは思った。
* * *
台所の手伝いが終わり、おばちゃんにもらった焼きたてのスコーンを頬張っていると、クラリスが現れた。思わず身構えるトーマに
「お嬢さまが呼んでいる。部屋まで案内するから一緒に来て」
と告げた。
いや、嘘だろ、絶対信じないぞ俺は――。
そんな気持ちを視線に込めると、クラリスは大きなため息をついた。
「連れてこないと、私がお嬢さまに叱られる。お願いだから、来て欲しいの」
さっきの猛々しさとはうって変わって、随分としおらしい。嘘をついているようにも思えず、席を立ってクラリスのあとに続いた。
使用人の階段を上がり、表廊下へと出る。
「お嬢さまの部屋は二階の東棟。慣れるまでは大変だろうから、しばらくは私と一緒に行動して」
トーマが呆気にとられると、クラリスはばつの悪い顔をする。
「貴様のことを信用していないし、いつか正体を暴いてやる。でも今はお嬢さまのために、やるべきことをやるだけだ」
しばらく歩いてから扉の前で止まった。
「ここがお嬢さまのお部屋。分かりにくかったら、扉のこの模様を目印にして」
分厚い木の扉には精緻な草木模様が彫られている。中央にあるのはアザミで、そこから延びたたくさんの葉が、リズミカルな弧を描いていた。
トーマが扉をノックしようとすると
「しなくていいの。黙って入って」
ひええ、プライバシーってないのかよ。俺なら絶対無理。
そんなことを思いながら把手に手を掛け、扉を開いた。
「お嬢さま、入ります」
「ようやく来たのね、待ちくたびれたわ」
長椅子に寝そべっていたフリーデが不機嫌な顔で起き上がる。
「お前、お茶の時間、台所でジャガイモを剥いていたのですって? 主人の私をほったらかして」
「で、でも……メイソンさんが」
「お前の主人はメイソンではなくて私なの。お茶の時間、下僕が主人の傍で給仕しなくてどうするのよ」
「す、すみません」
「まあ、いいわ。私の方からメイソンに言っておくから。それよりお前、屋敷はひと通り見たのかしら」
「いえ、広すぎて」
「それならこうしましょ。夕食までは時間があるから、お屋敷を案内してあげる。どお、嬉しいでしょ」
立ち上がった表情は、新しいオモチャに夢中になる少女のそれだ。答えに窮するトーマに呆れた表情をつくり、
「お前ね、もっと嬉しそうな顔をしなさいよ。私が直々に屋敷を案内してあげるのよ。身に余る光栄に打ち震えなさいな」
と詰め寄る。
「は、はい。えーと、嬉しいです」
「東方人は感情の起伏が乏しいってきいたけど、本当なのね。じゃあ、行くわよ」
それから。
エルフリーデはトーマを屋敷のあちこちに連れ回し、ガイドよろしくあれこれ説明してみせた。
屋敷が建てられたのは三百年ほど前。
エルフリーデの先祖にあたる五代目が、当時戦争中だったカロリングをマルバラの戦いで打ち破った戦功によって、建設中の宮殿が下賜されたという。
中央階段から始まって、リビング、ダイニングルーム、応接間、ホール、シガールーム。
こうしたお屋敷を舞台にしたゾンビホラーゲームをやったことがあるが、実際に歩いてみるとバーチャルとはまったく違う。
柱や天井、調度品にいたるまで、そこには重厚な歴史がしみついており、どこか峻厳な空気が漂っている。神社仏閣を歩くのにも似ていて、トーマも自然に背筋が伸びた。
それにしても、屋敷も広ければ人も多い。
メイドや下僕はもちろんのこと、下働きと呼ばれる掃除や雑用をこなす者たち。ほかには庭師、出入りの商人や業者。
白亜の宮殿のいたるところで、彼らはめまぐるしく動き回り、主人の生活を支えているのだ。
「じゃあ、次はこっち」
階段を上がって三階へとたどり着いた——と思いきや、扉を開いた先もらせん階段だった。しかも狭く暗い。
「急ぐわよ、いちばんいい景色が終わっちゃう」
軽々と上っていくフリーデのあとを、息を切らしながらついていく。階段は延々とつづき、終わりが見えなかった。唐突にフリーデが立ち止まり、扉を開ける。
「なによ、若いのにだらしないわね。私を助けたときは、あんなに俊敏に動いたのに」
トーマは扉をくぐり、言葉を失った。フリーデの憎まれ口にではない。
出た先は西側にある塔で、おりしも沈み掛けた夕陽が下界をバラ色に染めていた。白亜の宮殿も、広大な庭も、遠くに見える街も全てが鮮やかな色彩に沈んでいる。
「すげ……」
「きれいでしょ。今日は絶対、見られると思ったの」
得意げな表情は、秘密の宝物を見せびらかしているみたいだ。
「いつもはもっと風が強いの。でも珍しいわ、こんなに穏やかな夕方なんて」
しばし、二人は無言で眼下に広がる景色を眺めた。庭と遠くに見える街並み、そしてぼんやりと霞んで見えるはるかな稜線。
不思議だ――トーマは考えた。エルフリーデと会ったのはつい最近のことだ。だけど、ずっと昔、こうして二人で夕陽を眺めたような気がする。
「トーマ、お前に言っておきたいことがあるの」
フリーデが口を開き、トーマを見た。その視線にたじろぎ、トーマは心臓が波打ち、顔が赤くなる。
こ、こ、これは、もしかして、告白の流れ!?
しかし、彼女の口から出たのは期待を裏切るものだった。
「クラリスを、許してあげて」