表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ピークォドの箱庭  作者: 虚咲小夜
1/2

1.邂逅

初めまして。虚咲小夜と申します。

初投稿作品となります。温かい目で読んでくださると幸いです。


・この作品はフィクションです。現実の事象とは一切関わりはありません。

・中傷・批判意見のコメントなどはおやめください。

・無断使用は厳禁です。


何かありましたらお手数ですがTwitter【@Sayo_Urosaki】までお願いします。

 人間はどうして人間なのだろうか。それは神様が生み出したからだとか、猿が進化したからだとか、知能と感情を持ち自分の意思を持っている生物だからだとか、地球上で最も繁栄している生物だからだとか、どれもが模範解答のようでどれも模範解答ではないそれらの説を見ては鼻で笑い、人間は人間という分類にカテゴライズされているから人間なのだ、それ以上でもそれ以下でもないと頭蓋骨という箱に納まっている脳の中でそう唱える。あくまでそれは私の論であり、そんなものはどこにでもいるような、たかが齢十七の女の戯言だ。真に受ける必要はなく、そもそも口にしていないのだから賛同も否定もあるわけが無い。それでいいし、それがいい。このような率直で、しかし安直な考えを世に出すのなら何重にも化けの皮を被せて世に出すべきだ。少なくとも師匠はそう言っていた。自分の意思を無駄に伝える必要は無いのである、とそう言っていた。それが正しいと、私はそう思っていた。


 新緑が人工的な陽の光に照らされて絵画のような煌めきを放っている。食品サンプルのような光沢を放つ生命の息吹を感じない新緑は私たちの生きる世界では飾りだ。私は本物の花も植物も見たことがない。尤もそれは人類が自分たちで生み出した人工知能に滅ぼされ、生き残った僅かな人類が深海に逃げ込んだことが原因であり、陽の光など届くはずもなく、生命の源は自分たちで作り上げるしかなかったようだ。人類が滅ぼされてから四百七十三年が経ったが、未だに地上に出ることは叶わず、最近では地上に出る気がないのではないかと噂もされるほどだ。他の地区は知らないが、少なくともこの地区、紅陽ではそういう噂がまことしやかに囁かれている。

 とは言うものの、生活的には地上とさほど変わらなく、電気自動車に乗るし、食べ物を自家栽培するし、仕事をするし、学校に行く。かく言う私、神田夏目はれっきとした女学生であり、紅陽の唯一の高等学校である紅陽基礎高等学校の二年生である。大体一日五時間の授業を適当に受け、家路に着くのが日常である。現に今、五時限目の数学の授業を聞き流している。クラスメイトによってはそれは子守唄であり、講義であるらしい。私にとっては興味のない音楽のような、シャッフル再生していたら全く知らない曲が流れてきたような感覚であった。理数が苦手な私にとって、数学はそういう存在だ。早く終わらないかな、と思う。在り来りな思考は生きる世界が変わろうが、覚える科目が増えようが変わらないらしい。

 木曜日には師匠の家に寄り、小説家になるために扱かれていたりする。どこにでもいるような普通の学生であり、将来の夢がそこそこ固まっている充実した人間だと思う。この時期に将来の夢を持っている人はそんなに多くなく、ぼんやりと目先のことを考えて、やりたいことも見つからぬまま、日々を過ごしているようだ。私はそれが許せなかった。時間を無駄にしている、とそう思えてならないからだ。いつ死ぬかも分からない中で、どうしてそんなに時間を無駄にできるのか。だから私はクラスメイトが嫌いだし、もっと言うならば高校の人たちが嫌いだった。私にはあまりにも窮屈な世界だった。

 チャイムが鳴る。今日最後の授業の終業のチャイムは眠っていたクラスメイトを瞬時に起こす目覚まし時計の役割を担っている。そうやって目覚めた生徒、インターネットを開きSNSを確認する生徒、放課後の学校はどこのクラスもこんな様子で、私は別段仲のいい人も所属する部活もないので、さっさと家に帰る。月曜から土曜までそれがデフォルトである。

「ねえ、ヘクセンナハトがまた魔女狩りだって」

「ええ!? 怖いね。早く滅んでくれないかな」

 ふと聞こえた同じクラスの人たちの世間話を余所に、五時間の授業を終えた私は急ぎ足で師匠の元へ向かった。今日は木曜日だ。


 この深海都市、人はこの都市をピークォドと呼ぶ。地上に居た人間が書いたらしい小説の船から取ったその名前は紅陽の人たちには馴染みがなく、言いづらい。だから紅陽の人は難破船、とそう呼ぶ。地上から漂流してきた難破船。それがこの都市だと。

 この都市には主に六つの地区がある。難破船で初めて作られた地区、ロンディニウム。世界最大の交易地区、黄。気象システムが雪のみの地区、スヴェトラナスカヤ。最も新しく、数々の娯楽が集結している娯楽地区、メイン。そして私が住んでいる書物の地区である紅陽。そしてもう一つ、ロンディニウムの次に出来た地区、ヘクセンナハト。紅陽の人たちはこのヘクセンナハトを『魔葬地区』と呼ぶ。魔は魔女の魔、葬は葬儀の葬。つまり、魔女を葬る地区なのだ。魔女は怪物だと認定され、超常的な能力を持つ者、たとえそれが遺伝的なものであってもお構いなく火にかける。基本的に害を及ぼさない魔女はピークォドという都市内共通の分類的には怪物ではなく、人間であるのにも関わらず、ヘクセンナハトでは人間離れした能力を持つだけ怪物だと言われ、殺されるのだ。だから、紅陽を含めた他の地区もヘクセンナハトに好印象は持っていない。その証拠に黄はヘクセンナハトとは一切外交をしていない。地区のトップが変わってから外交を切ったらしい。その新聞記事を見た師匠は苦虫を噛み潰したような表情をしていた。気に入らないことがあったのか、それともただ不愉快だったのか。私には分からない。


 師匠の家は私の家から三キロほど離れた旧市街地の路地の角に位置している。古い造りの木造建築で、師匠はこの造りにこだわりを持っているようだった。二階の丸窓から本を読む姿が見えたり、一階の奥の窓からほかほかと煙が上がっていくのが見えたりする。生活感が感じられるその家が私は好きだった。両親を小さい頃に事故で亡くした私にとって師匠は母のような存在であり、数年前に死んだ祖母の味の料理を出してくれる。私にとっての第二の家であった。

「師匠、お邪魔します」

 引き戸を開けた私に師匠が遠くからお入り、と言う。いつもの仕事場でペンを握っているのだ。

 私は靴を揃えて足音をなるべく立てずに仕事場に向かう。暗い廊下と上から見下ろす暗黒の踊り場は師匠の家で唯一安心できない場所だった。この古い造りの所謂日本家屋と呼ばれるこの家はとにかく陽の光が入らない。暗く、薄気味悪いのが常であり、私を呑み込んでしまいそうな闇が蔓延っている。

 やがて仕事場にたどり着くと、師匠は顔を上げた。

「夏目、よく来たな。まあ座りなさい。今、茶を出そう」

 そうして仕事場の隅に設置されている小さな冷蔵庫に歩いていく。真っ赤な着物の裾をきちんと直し、内股に歩く師匠の姿は美しく、いつか美術の時間で見た見返り美人をグレードアップしたような姿であった。

 本に埋もれそうなこの仕事場はとにかく床に原稿用紙や本が散らばり、インクの染みが斑模様を描いている。古い紙とインクの匂いが縁側から吹く風と混ざり、辺りを着飾る。仕事場は創作のイラストレーションのようであった。ごちゃごちゃとしたその空間が大好きだった。

「今日は暑かったじゃろう? 五月というのに気象の装置は壊れでもしたのかね」

「まあ地上もこの時期は暑かったと聞きますから……意識しているのかもしれませんね」

「無意味なことをするものじゃな……」

 師匠は呆れ混じりの嘆息をした。師匠は何かと厭世的で著作の一つ読んでいてもその感情を感じるほどだ。世を儚む心と憎悪が混ざりあったその文章は鬼気迫るものがあり、本屋では『鬼才』とあちこちで称されている。

 私が弟子入りしたのはたまたまサイン会で出会い、私が文字書きをしている人間だと見抜かれてしまったのがきっかけであり、決して自分から弟子入りを頼んだわけではない。偶然の産物だったのだ。ただの一ファンの私に大作家が声をかけるなんて本来はあるわけがなかったのだから。

「お前、わっちと同じ目をしておるな」

 女性にしては少し低めの落ち着いた声、特徴的な話し方、赤紫色の毒々しさすらある鋭い瞳に私は誘われるように弟子入りしたのだった。

「して夏目よ、先週の原稿は直してきたかね」

「はい、今出しますね」

 学生鞄を開けて綺麗にファイルに入っている原稿用紙を取り出す。赤字が白を塗りつぶす勢いでびっしりと書かれたその原稿用紙は、私がまだまだ未熟者であることを決定づける証拠であり、師匠の愛でもあった。

 一通り見終わった師匠はその白く長い指で赤いペンを握った。そうして一番最後の原稿用紙、物語の終わりの余白部分にさらさらと文字を書く。思わず見蕩れてしまうほど美しい所作に私は綺麗な手だな、なんて考えながら原稿用紙が返却されるのを待っていた。

「よく出来ておったぞ」

 そう言って原稿用紙の束をパチンとクリップで留め、私に返却した。師匠は甘味でも出そう、と席を立つ。冷蔵庫のドアが開けられている最中に私はこっそりと原稿用紙の一番最後のページを見た。

『よく出来ている。上達したな』

 美しく滑るような字で書かれたそれに私は小さくガッツポーズをした。師匠の元に通い続けて四ヶ月。私はやっと師匠に褒められたのだった。


 甘味の白玉餡蜜を頂いた私はそこで本を二、三時間ほど読んで帰った。暗い帰り道は不気味で、淡いオレンジ色の街灯が等間隔にちらちらと光っている。その帰り道がひどく不安げで、私は心細くなった。

(怪物が出てきたらどうしたもんか……)

 この世の中には『怪物』と称される者たちが居る。しかし私はよく知らない。当たり前だ、地区のお偉いさんすら知らないことの多い怪物のことを一庶民の私が知るはずがない。知ってることといえば、魔女は怪物ではないこと。そして、怪物は話せないこと。人間を襲うこと。それだけだ。そんな恐ろしい話に慄くのは無理もなく、大概の人達は夕方から夜にかけては出歩かない。死人が出たら怪物のせいだ、と翌日にニュースで出回る。そして世の中はそんな被害者に同情したりはしない。出歩いたのが悪いのだ、とそう言うのだ。無論私もそう思う。だから私はこうやって暗い帰り道を歩くのが嫌だった。今日は何かと師匠が本を次々と出してきて、帰りたくても帰れない状況だったのだ。楽しそうに語る師匠を無下にすることなどできる訳もなく、なあなあと流されるがまま――時間をチラチラ気にしてはいたが――話を聞いていたのだった。

 やがて玄関の前に着くとほっと安堵した。無事に帰ってこれたことが嬉しく、強ばっていた心臓がすっと解れる感覚があった。深い嘆息をすると私は手を玄関の前にかざそうとした。

 しかし、手が玄関の前に運ばれることは無かった。鍵は開けられることなく、家は沈黙を続けた。何故ならば庭に誰か倒れているのを私は見つけてしまったからだ。

 金色の短い髪に茶色いローブと黒い軍靴。うつ伏せに倒れているからか、遠目で見て分かったのはそれだけだった。一体家の庭で誰かが倒れているなんて誰が想像つくだろうか。私は小走りで倒れている人物に近づく。そうして私はまじまじと倒れている人物を見ると戦慄した。金色の美しい髪の上、おそらく正面から見て頭部の右側に赤黒い大きな口があったからだ。それは気持ちの悪い赤黒い舌を庭の人工芝の上に垂らし、ギザギザの歯を剥き出しにしていた。

 私はひっ、と小さく悲鳴を上げた。しかし、倒れている人物――否、怪物であろう者は一向に動く気配がない。私は怖いながらもそうっとブカブカなローブの袖に包まれた右腕辺りをつついてみた。反応がない。死んでいるのかどうかも分からないまま私は当惑した。もしも死体だったとして、放っておくわけにもいかない。腐敗臭が家からするとなれば私はおろか、近隣住民から鼻をつままれるのは想像にかたくない。そんなのはごめんである。

 段々苛立ちを覚えた私はうつ伏せ状態の怪物の面を一目見てやろうと肩を掴み、思いっきりひっくり返した。その時、折れそうなほど華奢な肩に若干不安を覚えた。そうしてひっくり返し、私は目を見開いた。陶器のような白い肌に金縁の細い丸眼鏡を掛けた美少年だったのだ。ところどころに傷があり、口の色と変わらない赤黒い液体がその白い肌を汚していた。ローブはフードに金の蔦模様があり、胸元には紫色の石を中心に真っ白で大きなリボンがあった。軍隊に居たのか、その足には軍服と軍靴を履いている。そして、第二の口とも言うべきなのか、人間のように配置された口からは微かな呼吸があった。

「生きてる……」

 私はどうするべきか迷った。しかし、この怪物であろう少年がこのまま死なれるのは気分が悪い。だからといってもしも助けた後襲ってきたりしたら? 洒落にならない話だ。もしも夜が明けて朝になったら、私は家の庭で無惨に引き裂かれているかもしれない。私は目が回りそうになった。

 時間にして何分経ったのかは分からない。体感的には二分ほどだったように感じる。突然家の近くの路地で大きな爆発音がした。ドゴン、という地響きのような音が腹の奥を穿つ。私は庭の格子に手を付き、身を乗り出して路地を見た。その先に居た者を見た時、気持ちの悪い汗が背中を伝った。数にしておよそ二十人の人間の白骨が鋭い槍を持ってこちらを見ていた。それはまるで生物の教科書で見たような人間の骨格図が立体になり、動いているようだった。

 私は咄嗟に身をかがめた。

「なんなのあれ……!」

 近づいてくるカラカラという足音が得体の知れない生物が確かにいることを示す。こっちに来ている。何が目的なのか分からないまま、困惑する私は息を殺した。ぐるぐると目が回る。頭も鈍器で殴られたように痛む。心臓が石化する。恐怖が身体中を蝕み、思うように動かない。ここから離れなければ、という考えはあるのに動けない。ぐるぐる回る視界がやがて涙でぼやけてきた。怖い。逃げたい。死にたくない。

 しばらく回らない頭で思考し、逃げようとそう決めた時には足音が三メートル先まで迫っていた。大分距離を縮めてきていたことに私はどっと汗をかいた。このままでは確実に死ぬ。槍を持っているということは何かを仕留めるためであることは明白だ。それが何なのかは分からないが――いや、もしかして。私はそう思い、後ろに倒れている怪物であろう少年を見やった。

(狙いはもしかしてこの少年なのか……?)

 予想できる目的の中で最も信憑性のあるものだった。やけに傷だらけな少年の体は刺傷が多かったようにも感じる。槍の刺傷である可能性は十分にあった。

 置いていくことだって出来た。私の身だけを考えて、私が生き残ることを最優先にすることだって出来た。寧ろそれが最善であっただろう。それでも――。

 私は少年を半ば無理やり上体を起こさせ、背負った。安定感のない華奢な体は油断したらズルズルと背から落ちてしまいそうだ。だらんと垂れた袖が邪魔くさい。しかしそんな些細なことを気にしている余裕はない。私は少年を背負った後、学生鞄を肩にかける。そうして庭の格子の扉を足で蹴破る。ガンッという音が響くと、それまでキョロキョロと辺りを警戒していた骸骨は一斉にこちらを見た。私は乾いた口の中で生産される唾液を飲み込んだ。骸骨は槍を上に上げて追いかけてきた。私は追ってくる骸をひと睨みすると履きなれたローファーで駆け出した。どこへ行くのか足を止めぬまま考える。後ろの少年の物であろうベルの音が背からリンリン、と鳴る。その音を頼りに骸骨の忙しない足音が追ってくる。いちいちその音を気にしている余裕を私は持っていなかった。今はとにかくどこかに逃げることを最優先に考えていた。私は酸素の回らない脳で考える。学校は誰かに見つかったら面倒だ。警察はこの少年を抱えている以上行くのは好ましくない。他に、他に場所は――。

(そうだ、師匠の家は……)

 私は師匠の家なら迎えてくれるかもしれない、と考えた。寛容な師匠ならきっと少年を見ても迎えてくれるはず。しかしその考えはすぐに消えた。どういう訳か今、師匠の家に行ってはならないような気がしたのだ。直感が私を操作する。何故だかは分からない。ただ、今絶対に師匠の元に行ってはいけないという警鐘だけが響いていた。師匠の家に向かおうとしていた私はつい数時間前に訪れた路地を曲がり、師匠の家とは反対方向に駆け出した。


 どこまで走ったか分からない。私は見知らぬ路地でその足を止めた。狭くて暗いその路地はゴミの匂いがする。ロボット烏が腐った油に塗れた鼠の死骸を食っていた。不衛生極まりない路地だったが、足音が聞こえなくなっただけで安堵感があり、私はズルズルとしゃがみこんだ。

「何だったのあれ……」

 整わない息の合間に言葉が漏れる。安心して身体の力が抜けたからか、少年が落ちそうになる。さすがに怪我人をこんな不衛生な場所に下ろす訳にもいかないので、私はよいしょ、と小さく呟きながら背負い直す。少年の小さな呼吸が首に当たる。

(身体自体は温かいし、呼吸もしてる……。やっぱり生きてる命なんだ……)

 私は背中の生温い温かさに涙が出そうになった。

 しばらく涙を堪えながら路地裏でしゃがみこんでいると、車のクラクションの音が聞こえた。一回だけではなく何回も、まるで迷惑車のようにけたたましい音を連呼する。私は耳が痛くなりかけていた。私は思わず背を向けていた路地の方を振り返った。するとそこに暗い緑の車体が見える。台形の形をしたレトロなバスのようだった。路地裏の長方形の入口にバスの乗車口がぴったりと収まっている。

 私は立ち上がり、もう一度少年を背負い直すとバスの方に向かった。乗車口から2メートルほど間を開けて立ち止まる。もしも、このバスが乗っ取られていて、あの骸の大群がなだれ込んできたら……。

 乗車口のドアがプシュー、と音を立てて横にスライドする。

「いやー、やっと見つけたッスよ。手間かけすぎッス」

 車内の光であろう黄色い光に照らされたその人物は軽い話し方でそう言った。どうやら青年のようだった。青年は乗車口の段差をひょいと下りて地面に着地する。きっちりとした車掌服の肩から腰にかけて裁断式の切符鋏が吊るされている。白手袋をした手がその切符鋏を撫でている。車掌帽の下から見える銀色の前髪が右目を隠している。ただ、隠されていない左目はまるで大蛇の目のような鋭く大きな黄色い目をしていた。男の口が三日月型に歪む。

「おーおー、随分派手にやられたんスねー。知らせてくれたのが幸いっスかね」

 青年は飄々とした表情で言いながら私の目の前で止まった。見た目こそ青年なのにその姿にそぐわない低めの声にギャップを感じ、アンバランスさすら感じる。

「知らせたって何時?」

 私は怪訝そうに青年を見ながらそう言った。

「あんたマジで何も知らないんスね。その怪物クンのローブの中からベルの音しなかったッスか?」

「そういえば……」

「それが俺たちを呼んだんスよ。越境バスはその音を頼りにいつでもどこでも参上! なんで」

 どうやらベルの音は呼び鈴らしい。少年はこの越境バスの常連客のようで、走っている際に意図せずこのバスを呼んでしまったらしい。私は思わず考え込んでしまった。小さな唸り声が私の口から漏れる。

「無駄話してる時間もあんまないんで、早く乗ってもらえます?」

 青年はいつの間に乗車口まで移動していた。私が考え込んでいる間に瞬間移動でもしたのか、先程まで私の目の前にいたはずの青年が知らぬ間に移動していることに私は驚いて目を見開いた。

「乗ってどこに行くんだ……?」

「野暮な事聞かないでもらえます? 追われてる奴は四の五の言わずに逃げるしかないっスよ」

 車掌の青年はそうやって車内に戻ってしまった。

 私は何かを諦めて一つ大きな溜息をつくと、小走りでバスに乗り込んだ。


 車内に入ってすぐの席に座っていた青年に私は少し慌てた様子で言った。

「私、切符持ってないぞ。料金はいくらだ?」

 学生の財布で払える料金であることを祈っていた私に車掌は声を上げて笑った。

「金は取んねぇッスよ。知り合いも居るし、サービスってことで」

 そう言ってウインクする青年に若干不安を覚えた。胡散臭い雰囲気がダダ漏れである。青年はまあ座った方がいいッスよ、と言うと運転席に向かっていった。

 私はとりあえず一番近い席に少年を下ろした。深い緑のソファ席に横たわる少年はまるで人形のようだった。背負っていても百科事典を背負っているほどの重さしかない彼が一体何者なのか、私は目が覚めるのをいつの間にか心待ちにしていた。

「出発するッスよ」

 青年が声を上げるとバスは荒い運転と猛スピードで駆け出した。反動で椅子の手すりに身体をぶつけた私は痛みに右腕を擦りながら、車内に設置された時計を見た。時刻は夜の九時丁度だった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ