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一編 2 (5)

 リアンは深く長い溜め息を吐く。

「まさか本気になさってはいないでしょう?」

「あら、でももしあなたが駆け落ちなんてことしていたら、私はようやくあなたの人間らしい欠点を見せていただけることになりますわね。もっともあなたは下級の商人の出なのだから多少の恥知らずにも、私は目を瞑らなくてはいけないのかしら?」

 口の端に笑みを浮かべるエリザベスは上手く切り返せたことで快感を味わっているに違いない。

「それに本当にあんなに美しい貴族の少女と旅人が駆け落ちなんてしているなら、それこそ吟遊詩人にでも歌ってもらうにふさわしいと思いません?」

 噂なんて全く信じてはいないくせに、リアンをからかうために噂が本当だと思いたがるエリザベス。

「ロス様は皆まで言わずとも私を信じてくださいましたがね」

 またしても彼の話題が出されてエリザベスはムッとする。

「あの方はお優しいですからね!……まあいいわ。それではやっぱり現実は現実でしか無いということですね?」

 エリザベスもリアンを不快にさせたいわけではないのであっという間に切りかえる。

「当たりまえでしょう。しかし意外でしたよ。あなたにも駆け落ちなんてものに憧れる少女心があったのですね」

 失礼な言い草にリアンをにらみつけるが、当人は単に思ったことを口にしただけで悪意はない。

「女性は皆一度は憧れるのですよ。どれだけ恥知らずなことか分かっていても。恋したい愛されたいって。不可能だと分かっていても。いや、分かっているからこそでしょうか。だからあなたの噂もあっという間に広まったのでしょう」

「はた迷惑な話です」

「仕方がないですよ。皆素直に言えないんです、『羨ましい』とは。代わりに口にするのは人の痴態や悪口ばかりだけど、やっぱり仕方のないことです。だから安心してください。皆本気で信じているわけではないでしょうから、ちゃんと話せば分かってくれますよ」

 誰を悪役にすることもなくリアンを慰めるエリザベスは本当に人ができているとリアンは思う。

「まさかこの流れで慰められるとは思いませんでしたよ」

 困ったように笑うリアンにエリザベスも顔をほころばせる。

「私は噂が本当ならあなたとは絶交する積もりでしたよ」


 エリザベスは服の汚れるのも気にせず木のせり上がった大きな根の上に座り、マーシャがふらふらしているのを呼び寄せて隣に座らせる。新芽の出始めた木立は薄暗いが日のこぼれる隙間も多い。

「おかしなものですね。私たちの幸せって。だって駆け落ちなんて恥知らずできるはずもないのに、そうして愛されるのが何よりも幸せなんですから」

 マーシャがエリザベスの顔を無邪気そうに見る。

「婚約したあとでも相手を好きになることもあるでしょう。それに(リアンはエリザベスの婚約していない身の上を考慮して話している)親の同意さえ得れば問題ないでしょう」

 女の身からすると婚約はするものではなくさせられるものであるがエリザベスはそこは触れない。

「それが難しいんじゃありませんか。ではあなたは今のままでも十分に女性は幸せだと?」

「……幸せとは金のある男と結婚することですよ」

 この言い草にはエリザベスも苦笑する。

「確かに。モーリス婦人なんて婚約当時は仲むつまじかったのに今では夫の悪口ばっかり、でも自由にできるお金がいっぱいあるから幸せだ、って本人が言ってらして……」

「駆け落ちにしても、その時は愛がいっぱいで幸せかもしれませんが……結婚前に愛し合っていた二人が結婚後も幸せで居続けられる確率は神のみぞ知る、というところでしょうね」

「でもそれではあの方は駄目ということね?侯爵家とは言え三男ですもの」

「いいえ。あなたは特別なのですよ、エリザベス王女様」

「私が?そんなことありませんわ」

「何度でも申し上げましょう。あなたは特別なのです。人を愛し人に愛されるあなたはこの世界の誰よりも幸せになる権利を持っているのです。この程度の一般論があなたの幸せを犯すことなどありませんよ」

 リアンは珍しく熱を込めて言った。実際思ってもいた。


 リアンは、エリザベスほど、優しく、優雅で、おおらかで、気品があり、それで居て活発で、教養があり、聡明で、全ての人を愛している人間を知らない。そして彼女は多くの人に愛された。父王が最大の例であるが、もちろん肉親に限った話ではない。

 唯一欠点を挙げるとすれば、彼女の悪戯っぽい活発さと、そこらの男とは比にならない知性は、嫌がられる場合があることだが、普段の彼女はこのどちらも巧妙に隠していた。

 なにより彼女は王に溺愛されている王女なのだ。相手の多少の金銭的ステータスなど、そこらの民草とは違い問題にもならない。


 エリザベスは初めこそリアンの熱っぽい様子に困惑していたが、やがて喜びと嬉しさを抑えようと必死になっていた。

「よかったですね、エリザベス様」

「マーシャ……(感動したようにエリザベスは言う。マーシャは普段は決して人の会話には口を挟まない)は黙ってて!」

「やっぱり私、駄目です!だって姉様にもナタリーにも悪いじゃない!私だけそんな……自由にだなんて!」

 エリザベスの姉も妹もエリアス二世の決めた相手と婚約、結婚している。

 リアンは、エリザベスが自分で恋の相手を引き合いに出しておきながらこんなことを言い出すのがおかしかった。自身がその直前に言ったことも忘れてエリザベスとロスがお似合いだと言う。

 エリザベスは否定した。よりにもよって王族が自由結婚など許されないと自戒のように繰り返したが、表情は全く別のことを語っていた。


 エリザベス王女にクラーツ侯爵家三男、ロス=ディックが恋していることは誰もが認めるところであった。多くはない機会を最大限活用して彼はエリザベス王女にアプローチした。エリザベスの反応は落ち着いたものであったが、本当のところは彼の熱に当てられていて、彼の話題になる度に自分の顔が真っ赤になっていないか心配する始末であった。それでもこれまでうまくいかなかったのは、エリザベスが自分の義務や立場を忘れることができなかったからである。

 これに関しては、

「女性の強がりも見抜けないようではろくでもない女を捕まえることになりますよ」

 と強気の発言を以前リアンにしたが、結局は、義務にしばられている彼女からはロスに特別な態度を見せられないのである。現状は、ロスがあと一押ししてエリアス二世にでも直談判すれば、一も二もなく決まるはずの話であった。

「強がりが過ぎると良い男を取り逃がすことになりますよ」

 リアンがそう言ったのは今朝のロスの発言も考慮してのことだった。


 ロス=ディックはやや浮ついた感じがあるものの好青年である。他の侯爵家の子息たちはリアンを嫌っていたが彼はそうではない人物のひとりだった。エリザベス王女に釣り合う才覚のあるほどではないが、彼女を相当に愛しているという点でロスはエリザベスにとっていい男に相当すると、リアンは考えている。



 その後は少し落ち着いて、脱線したリアンとアンナの事情を説明した。

「どうせそんな話だとは思っていましたけど」


 やがて今朝の話に話題が及んだとき珍しくエリザベスが毒を吐いた。

「まさかとは思いましたけどあの男に勝ってしまうとは!私本当に愉快でしたの」

「相変わらずですね。あなたから聞いていたほどヘクター殿はいやな感じではありませんでしたが」

「私だって別に嫌いたくて嫌っているわけでありませんよ!でも見たでしょう?今朝のあの方はろくな挨拶もせずその後も礼を失した傲慢な態度!いつもああなんですよ。きっと私を女だからって侮っているんです。あのような武人の考えそうなことです」

 言われてみればヘクターはエリザベスとまともに会話していなかったし、あんな調子では弁護しようのないように思えた。


「それにしてもお強いですね、あの方をああもあっさり」

「あれは……、シュタイアー侯爵はあくまでも武将であって私のような武術家では無いのですよ」

「なにが違いますの?」

「彼はまさに現状のような戦争全体で力を発揮し、私は今朝のような純粋な戦闘で力を発揮するということです」

「……じゃあ互いに兵を率いて戦えば彼のほうが強いと?」

「もちろん」

「そう……あなた本当はどうして旅をしているの?」

「え?」

 突然の問いに怯むリアン。

「いえ……下級商人の生まれなのはともかく、あなたやっぱり何か旅にでるためのちゃんとした理由がなくちゃおかしいわ。だって下級商人の生まれなら嫡子でなくともそのまま商人を目指すんじゃない?今後の商売のために旅をしているにしてはどうも……いや、なんでもかんでも関連づけて考えるのはあまり良くないかもしれないけれど」

「……残念ながら、私が旅するのに()()()()()()理由なんてものはありませんよ。ただ生来の性格が幸いして今のようになっただけです」

「そうですか……」

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