一編 2 (3)
リアンはエリザベスを探して王宮内を歩き回っていた。彼女が居そうな場所となると、当然婦人方のよく集まっている所であり、現に彼は二、三の婦人のグループを回って彼女について尋ねたのだが、これが例の噂によって非常にいやな思いをしなければならなかった。悪いものでは、まさにリアンについて話していたところに本人が現れ、しかもエリザベスのことを尋ねたために、ある夫人が訳知り顔でものの道理をとくとくと説き、リアンが何とかして誤解だと認めさせた後もエリザベスを探す理由を根ほり葉ほり問いただそうとしてきたのだった。
エリザベス様が待っていますので、と言ってようやく逃れることができたときにはここ最近で一番の溜め息がでた。とまあこんな調子だったのでほとほと弱り果てて、エリザベスの自室を訪ねて、居なければ今日はもう諦めることに決めてしまった。
ガラスのはまっていない廊下の窓を右手に、まだようやく高くなってきたばかりの日差しを浴びながら歩いていると、正面から司祭の姿をした男がやってきた。リアンは自然と左に寄り、二人は軽い会釈をして通り過ぎた。これだけでもリアンは自分が何か悪いことをしている気分になったので、決して教皇の下になど参るまいと改めて意志を固めた。
いっそ居ないでくれと神に願ったのも虚しくエリザベス嬢はにこやかに部屋で迎えてくれた。
「あら。いらっしゃい。女性を待たせるなんてひどい紳士ですね」
クスクス笑うエリザベス。
これにはリアンもほとほと呆れ果てる。
「せめて居場所のヒントでも頂ければもう少しは早かったでしょうがね。おかげでとんだ災難でしたよ」
「あら、どんな災難でしたの?」
「いや……まあともかくこの部屋を最後にまわしたのが間違いだったわけですね。どうしてここに?」
自ら嫌な話題を持ち出すこともあるまい。彼女なら見当はついているだろうが。
「分かりきったことでしょう?ここでないと水入らずでお話しができないじゃありませんか」
部屋には侍女が一人居るが、エリザベスにとっては人生の九割を共に過ごした仲である。
これに関してはとある理由でリアンも納得してしまったために、これ以上この話題については追及ができなくなった。
「ほら。わざわざ包帯までちゃんと用意したのですよ?」
「建前上はそれが主目的だったでしょう」
「そうですね。はい、左手をだして……あらこんなに血が滲んで……でも包帯を巻くほどじゃありませんね……もう血は止まっていますし。ま、念のため巻いておきましょうか」
ゆったりと優しく言う様子は聖女のようだが、
「そんな様子ならばこの部屋を選ぶ必要は無かったでしょうに」
とリアンが言う。
「久しぶりだからまだちょっと慣れないのです」
「猫もかぶり続ければその身の一部となるわけですね」
人間、体が疲れると汗が出るのだが、心が疲れると毒が出るらしい。
彼はエリザベスの内面が、外面と同じく優しい……だけではないということを知っていた。これこそが、エリザベスがリアンを待つ場所に自分の部屋を選んだ理由である。皆はエリザベス王女を聖母の生き写しだと噂しているし、当人もその評判と期待を裏切るまいとしていた。
「そんなに私と親しくなりたいわけですね?」
嫌味たっぷりに言う。ついさっきまでの聖女のようなおおらかさと気品はどこへ行ってしまったというのか。
「いえ。でも見え透いた嘘は浅ましく見えるでしょう?」
無感動に言うリアンには人の神経を逆撫でする才能がある。
「包帯、巻いて、あげませんよ!」
侍女が楽しそうに笑っていた。
包帯は存外綺麗に巻かれていた。曰くあなたのために練習したのだそうだが、前回のリアンの姿を見て思いついたことは分かっても特別リアンのためではないことは明々白々だった。
リアンとエリザベスは窓際に向かい合って座っていた。天に小さなシャンデリアが有るのは流石だと以前来たときにも思ったが、窓ガラスはやや小さく(それでも初めて見たときは驚いた)昼前でも部屋には陰陽がくっきりしていた。部屋全体は薄暗く、窓から差す光がきらきらと輝くのだ。白い光は、それでいて、見ているだけで温かみがあった。侍女のマーシャは広い部屋の隅のベッドに座って針仕事をしている。
マーシャとエリザベスは乳姉妹である。当然、マーシャがエリザベスの乳母の実子なのであり、彼女は下級の生まれである。しかし二人は非常に仲が良かったので、特別にマーシャをプリンセス・エリザベスの侍女にしたのだ。※
マーシャは幼い頃からエリザベスのそばに居たこともあって、下級の生まれにしては上々であった。しかしその生まれからしてやはりドジでバカなのである。
「黙っていればバレないくらいには躾たから」
とはエリザベスの言だが、それでも主人が侍女の世話を焼いている光景には苦笑を禁じ得なかった。もっともマーシャは人前ではほとんど口を開かずに微笑んでいたから、気品があるように見えるのがまた面白かった。
初めにリアンとエリザベスの間を取り持ったのもマーシャである。本人にはそんな積もりはさらさら無かっただろうが。
リアンがエリザベスの私室に入るのは二度目であったのだが、またしてもばつが悪く感じたために、とっとと用事を済ませて去ってしまいたかった。バレなければ構わない、とか、マーシャも居るから、とかエリザベスは言うものの、リアンのこのある種不快な感じを打ち消せようはずもなかった。
今回エリザベスが恩着せがましくリアンを呼び出した理由とは、正に、気心の知れたリアンとおしゃべりすることで時間を面白おかしくつぶすためであった。リアンも別の用事を持ってきていたし、例の一件については長話にならざるを得ないことが分かり切っていたので、リアンは場所を変えることを提案して、明日の言われ無き難を逃れることにした。
※侍女は女性使用人の中でも別格であり、身分の高い女性の役職なので、特に王女の侍女としてはマーシャは異例中の異例である。また、侍女の役割からして、これが下級の生まれであることは主人にとって致命的であり、この場合はエリザベスが相当なしっかり者であるということになる。
日本と違って中世ヨーロッパでは乳兄弟が主従関係を結ぶことは基本的には無かったそうです。




