29話 宿ですわよ
[マグマ蜘蛛討伐]のクエストを受注するだけしておいてキープしておく。どうやらキープできるのは5日以内でそれ以降は無効となり後から報告しても報酬は得られないのだとか。ですが期日以内であればいつ出発しても倒してもいいというかなり優しいシステムだそうよ。
「さてと、冒険者組合でやることはこれくらいね。じゃあ次は……」
「宿を探すのです!」
ユリアンが元気よく答える。うん、可愛いわよ。
「そうね。じゃあ街へ出ましょうか」
4人揃って冒険者組合を後にする。時刻はおそらく14時頃。そういえば……
「この世界に時計はありませんの?」
「ありますよ?」
ロマンが即答する。普通そういう時は見せてくれるものだけれど見せてくれないということは持ってはいないのね。
「時計がないと不便よね。宿を探す前に買いましょうか?」
「時計は高いので買えないと思うのです!」
「えっ そ、そうなの……?」
時計が高い……? そういえばここは異世界でしたわね。日本で安値で買えるものもここではどうなるか一つ一つわからないんだったわ。
「ならまとまったお金が集まったら買いましょうか。じゃあ宿を……」
「宿をお探しかい? それならアタシのところへ寄ってきな!」
後ろから威勢のいい声が。振り返って見ると【アイン】のマジックアイテムの店の女店主と同じ系統の方に声をかけられる。……というか瓜二つですわね。
「すみませーん。もしかして【アイン】でマジックアイテムのお店を開いてる人の姉妹さんですか?」
ナイスよ柚子。気になって仕方なかったわ!
「あぁ!? んだよ! ライカの客だったか!」
あら。ということは……
「アタシはあいつの姉だよ。あいつがライカ。アタシがリョウだ。歳は26、血液型はB型、誕生日は8月7日で宿屋をやってる。ちなみに恋人はいないから、募集中だぜ! それから……」
「も、もういいですわ。案内してくださる?」
姉妹揃って商売人……まぁ向いていそうな性格ですわね。それにしてもよくこうも自分のことをペラペラと話しますわね……。
「ん? もういいのか? まぁ宿探してんだろ? ウチなら空いてるぜ。ライカの客だ。安くしてやるよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
勝手に柚子が話を進めているのだけれど……。まぁいいわ。あの子が直感で決めたことってなぜか良いことに進むことが多いのよね。
ライカさんと同じくボサッとした髪をしたリョウさんに連れて行かれた宿はこの街にしては少し古びた様子の宿。
「まぁ年季は入ってるが老舗ってことで勘弁してくれや」
とても老舗という感じではない。どちらかというとずさんな管理から生まれた傷みや埃に見えるのだけれど……。
「今空いてるのはこの部屋だ。3人部屋だがまぁ4人でもギリなんとかなんだろ! 一泊2万。どうだ?」
一泊で2万円……それなら例え10日【イリス】の街にいたとしてもそこまで大きくお財布を苦しめることはないわね。
「じゃあここで契約させていただくわ」
「おっしゃ! んじゃ後で契約書持ってくるから先に荷物でも片しときな!」
リョウさんはそう言って小走りで部屋を後にする。
契約した部屋を見渡すと4人では少し狭いかもしれない。でもまぁわたくしと柚子は無人島通いでもいいですし、問題なさそうね。
家具類はお世辞にも充実しているとはいえない。最低限のお布団とキッチンと机と座布団のようなもの。かなり質素ね。
「ロマン! これを見るのです!」
「どうしたの?……きゃっ!」
ロマンが悲鳴をあげ、ユリアンが小さく笑う。ユリアンが手に取ったのは……ゴキブリですわね……。
「よ、よく掴めるわね」
「余裕なのです!」
「あ、私も掴めますよ!」
謎のドヤ顔を見せる柚子。そんなところで胸を張ってどうするのよ。胸が際立ってわたくしの煩悩をくすぐるだけじゃない!
そんなやりとりをしているとドタドタと足音が聞こえてきた。
「よっ! お待たせ。契約書にサインを頼むぜ!」
「何日契約できますの?」
「別に何日でも構わないぜ? 100日契約して50日目で出て行くってんなら50日分の金は返すしな。まぁ手数料は貰うが……」
手数料についていくらかは言及しないところを見るにそこそこ取られそうね。なら……
「まずは10日で契約させていただくわ」
「おう! なら20万円だな!」
お支払いを、と思ったけれどそういえば今手持ちのお金ほとんどないじゃない!
「ごめんなさいね。今お金を持ち合わせていないの。少し待ってくださる? 柚子、50万下ろしてきて頂戴」
「はい! 了解しました!」
柚子は元気よく応えて走っていった。すれ違いざまの柚子の香りがまたわたくしの煩悩を……静まりなさい。まったく。
数分で柚子がキラキラした汗を額に浮かべながら現金を持ってきた。現金を生で持ってくるなんて……。【アイン】なら襲われていたかもしれないわね。そんなことがあっても撃退できるから柚子を選んだのだけれどね。
「リョウさんお待たせいたしましたわ。こちら、20万円です」
「おう! これで10日間の契約完了だな」
これで10日間はこの部屋はわたくしたちのもの。といってもこの部屋は3人用ですからわたくしと柚子は【アトロン島】へ帰るのだけれどね。
「さーーて! マジックアイテムのお店ですよ!」
柚子待望のマジックアイテムのお店に行く時間に。ただもう遅いわよ?
「柚子さん、きっともうマジックアイテムのお店、閉まっちゃってますよ」
ロマンが諭すようにゆっくりとした口調で柚子に説明する。
「え、ええ!?」
それとは真逆に大声で驚く柚子。それを見てユリアンはケラケラと笑う。
「まぁいいじゃない。また明日があるわ」
「そ、そうですね……」
ふぅ。駄々っ子のように行きたがったらどうしようかと思いましたけど流石にそこまでではなかったわね。よかったわ。
「では今日はここで活動は終わりとしましょう。夜ご飯は……『ストレージボックス!』」
「「うひゃっ!?」」
ユリアンとロマンが驚きの声をあげる。こんなに目の前で出したのはそういえば初めてですわね。
「う〜〜ん……柚子、鶏肉を煮てくれるかしら」
「はい! お任せください!」
「ありがとう。わたくしはサラダを用意しておくわね」
テキパキとわたくしと柚子で夜ご飯の準備を進める。途中ユリアンとロマンが手伝おうとしたけれど狭いキッチンに4人も集まったら身動きとれなくなるからと追い返す。本当の理由は柚子と新婚さんのようなキッチンでお料理シチュエーションを味わいたかっただけなのは内緒の話よ?
「ほら、召し上がれ」
出来上がったのは鳥のさっぱり煮とサラダ。簡素な夜ご飯だけれど、みんなで食べると美味しい理論にあやからせてもらうわ。
「お、美味しいのです!」
「アリス様と柚子さん……強いだけでなくお料理まで……」
ロマンが自信を無くしたように俯く。
「わ、私はロマンの料理も好きなのですよ!?」
なるほど。まぁなんとなくわかりますけど普段はロマンの方がお料理担当だったのね。
「あなたたちはまだ12歳。焦ることはないわ。お料理も、レベルも、これから上げていけばいいのよ」
「は、はい……ありがとうございます」
わたくしの言葉で暖かな笑顔を取り戻したロマン。やっぱり女の子は笑顔が一番ね。
「「ごちそうさまでした」」
「「お粗末様でした」」
さてと、寝ましょうかね。用意されていたお布団を3つ敷けばまぁ4人でも寝れるでしょう。
「……き、キツくないですか?」
みんな思っていたことをすぐに口に出す柚子。言ったら負けだと思ったから言わなかったのにこの子は……。
「はぁ。やっぱり明日からわたくしと柚子は【アトロン島】暮らしに戻りましょうか。そうすればロマンの料理も上達するんじゃないかしら?」
「は、はい! 頑張ります!」
いい返事ね。
まぁ本音を言えば柚子と2人きりの空間が欲しかったから個人的には願ったり叶ったり……だというのは内緒の話よ?




