四月九日日曜日④
そこには、銀縁の眼鏡をかけて、まじめそうな女性の顔。
おそるおそる、視線を下へ移す。
高校の制服。どうやら、俺と同じ伊賀谷高校の女子生徒のようだ。
良かった。警察じゃない。とりあえず補導ということはなさそうだ。
「喧嘩ね。とび膝蹴りをしているところから、ずっと見ていたわけ。情状酌量の余地なしだなっ」
ピンで長い茶髪を後ろに束ねたインテリ風眼鏡の女子高生は、状況確認をしながら早口でまくしたてる。
何故、ことの顛末を最初から見ない? 跳び蹴りから見るなんて、タイミング悪すぎだろ。
「いや、これは、喧嘩じゃなくて……人助けを……」
「人助け? とび膝蹴りと踵落としが?」
「いや、本当に、俺は、女子生徒を助けたんですよ」
「そんな女子生徒はここにいないんだなっ」
「俺が囮になって、逃がしましたから」
「あ、はい、そうですか……って言って、あたしが、あなたを許すと思うのかなっ?」
思わないけど……。
ちょっと待てよ……。
この三人組の目的は俺の足止めだったよな?
……ということは。
「あんたも、こいつらの仲間か?」
女なら、力よりは、話術で足止めをしてもおかしくはない。むしろ、自然。
「いきなり何を言っているのかなっ?」
「とぼけるなよ。俺を入学式に行かせないために、嘘をついているんだろ。お前が、伊賀谷高校の生徒だって証明してみろ」
「これで、いいかなっ?」
女子生徒はこともなげに、胸ポケットから生徒手帳を取り出し、見せつけてくる。
「そ、それも、どうせ、偽造なんだろ?」
身分証が偽造とかって、ミステリー小説とかによくあるやつ。
「はー、どこまで、人間不信なのかなっ? 私のことを知らないってことは、一年生だなっ?」
誰も、信じるな。すべてを疑え。それが我が家の家訓ですから。
「あなた、伊賀谷高校の新入生パンフレット持ってきているかなっ?」
「それなら持っているぜ」
確か、カバンに入っていたはず……。
「じゃあ、2ページ目見るわけ。私のプロフィールが載っているんだなっ」
2ページ目?
俺は、自分のカバンから取り出し、パンフレットを見てみる。
『伊賀谷高校、第百五十代風紀委員長を務めることになりました、三年、――――』
カラー写真とともに、目の前にいる女子生徒の自己紹介が載っていた。
「ふ、風紀委員長ーーー」
「そう、私は風紀委員長なんだなっ」
赤い腕章をみせつけながらさらりと言い直す風紀委員長。
「パンフレットは持ってるなら、当然中身も読んだんだなっ?」
「当然」
読んでないです。
「それなら、話が早いなっ。うちの学校、校則違反に関しては、全て風紀委員が扱うことになっているのは知っているんだなっ?」
知りません。言おうとすると、
「まあ、あんたが校則を知っていようが、知っていまいが問題じゃないんだなっ。現行犯なわけだからなっ」
「俺は、何もしていない」
「倒れている他校の生徒を前にして、どの口がほざくんだなっ?」
そ、それは……。
「現行犯だから、校内裁判なしで、風紀委員長の権限で、あんたに罰を与えるんだなっ」
「なんだよ? 校内裁判って?」
「校内裁判っていうのは、伊賀谷高校内で何か理不尽な言いがかりや不正な取引があった時に、校内で裁判をして、罪の程度をきめるシステムなんだなっ。そして、現行犯のあんたには必要のない言葉なんだなっ」
早口で説明しながら、俺の胸ポケットから、分厚い生徒手帳を抜き取った。
あっ。
「一年生の国近君か。人は見かけによらないんだなっ。中性的な顔立ちで、痩せ型で、人畜無害なタイプにしか見えないんだけどなっ」
褒めているのか、けなしているのかはっきりしてほしい。
「それでは、改めて、罪状の確認なんだなっ。校則第百廿壱条、他校との喧嘩は禁止する。これを破ったものは、……イガクとする」
ポンポンと俺の方を叩きながら、冷淡に校則を述べる眼鏡の女子高生。
え? 今、何て言った?
……イガク?
たいがく?
退学?
なにー
退学=死なんだぞ。
やばい、やばい、やばい、やばい。状況打破しなくては。
「いやいや、そこを何とか。入学式出たいんですよ」
「無理だなっ」
「これでなんとかなりませんか?」
ポケットにあった百円玉を取り出す。
「買収なんて、もっての他だなっ」
「お金が足りないって言うなら、すぐに銀行から引き出しにいくんで」
「金額の問題じゃないんだなっ」
「誠意を見せれば許していただけますか?」
土下座とか。
「そんなの必要ないんだなっ」
「退学だけは勘弁してほしいんですけど」
「退学? 何言ってるんだなっ? 喧嘩をしたら、停学なんだなっ」
ん?
「今、停学って言いました?」
「そうだなっ。一週間停学だなっ。家で謹慎して、反省するんだなっ。先生にはあたしから話しておくんだなっ」
「停学でよかった」
退学じゃなくてよかったと思わず口に出してしまった。
「一週間も停学になって何が良かったんだなっ? 変な一年生だなっ」
「そうだよ、よくないよ。俺は、女子高生を助けたんだぞ?」
「本当にそれ、うちの生徒だったんだなっ? 証拠はあるんだなっ? 風紀委員でも調べてもいいけど、もし、誰も名乗りがなかったら、あなた、虚言癖ってことが、学校中に伝わることになるんだなっ? 最悪、三年間」
ま、まさか、助けた女子高生も、この通せんぼ三人組のグルってことか?
可能性が0ではない。
「ここは、ぐっと我慢して、一週間の停学だけ受け入れるというのも生き残る手段なんだなっ。どうするんだなっ?」
俺は、助けた女子高生の顔も覚えていない。どうやら、停学を受け入れるしかなさそうだ。
「悔しいけど、証拠がない。受け入れるよ」
「十二時五十八分二十六秒、現行犯で、停学。はい。じゃ、これを受け取るんだなっ」
委員長は、時刻を確認し、赤い紙を胸ポケットへとねじ込む。
「現行犯を犯した人へは、そのカードを渡すことが伊賀谷高校の校則なんだなっ。通称、赤紙。一週間のうち何回か学校から電話をするんだなっ。詳しい時間は言えないけど、学校が開いている九時から十九時の間なんだなっ。もし、二回出ることができなければ、謹慎していないとみなされて、退学になるからそのつもりでいるんだなっ」
え、退学?
「ちょっと、待ってよ。病気にかかって、病院へ行っていたらどうするのさ?」
「病気が理由の時は、診断書があればその時はカウントされないんだなっ」
「ちょっと、待ってよ。トイレとかで出れないかもしれないじゃないか」
「学校側もそれなりに長くコールするんだなっ。それに、家には、誰か、家族がいるでしょ? すぐに家に帰って、事情を説明するのが賢明なんだなっ」
そりゃそうだ。家に家族がいるのが普通の家庭。うちだって、今、親が……
いないじゃないかーーーー
「いや、今、家には俺一人しか……」
言おうとした瞬間、風紀委員長は、自転車にまたがり、もの凄いスピードで去って行った。
あっ……と思った時には、遅かりし由良野助。
一枚の葉っぱが強風にあおられながら、俺の目の前を横切った。
あれ? おかしいな。俺は、正しいことをしたはずなのに……
初日から、風紀委員長に目をつけられちゃった挙げ句、入学式に出ることができないわけね。
なんだろう? このやり場の無い気持ち。
急に風向きがかわった強風が、俺の帰路を後押しした。