四月九日日曜日②
「あたいの後輩の言葉をそのまま借りると、『伊賀谷高校は、めちゃんこヤバイ学校』らしい」
後輩の言葉を何故、そのまま借りたっ? 何が言いたいか全然わからない。
「めちゃんこヤバイ学校? どういうこと?」
今の時代、そんな言葉をチョイスする人間いるのか?
「わかんねーのかよ? だから、一人っ子の甘ちゃんは……」
一人っ子関係ないよね? 仮に俺が八人兄弟の末っ子でも、理解不能だよね?
「めちゃんこヤバイってことは、つまり、勉学や運動以外にも、校則守んなかったり、世渡りが上手だったりしないと、即、退学という学校ってことだよ」
「なるほど」
それが、『めちゃんこヤバイ学校』の意味ね。
いわゆる、ブラック校則が多い学校ってやつか。
最初から、そう教えて欲しかったな……という意味を込めて、こくりと頷いた。
もちろん、そう教えて欲しかったなんてこと口に出しちゃダメだ。絶対。
隣でぐったりとしている父を見て、確信する。
「大丈夫だよ。俺、世渡りもそこそこできるから、退学なんてあり得ないよ」
乾いた笑顔で、父さんよりは……とは付け足さずに答える。
「退学とか、まじ、ありえねえから。退学になったら、ご近所に顔向けできねえから。その時は、けじめ取らねえといけないから」
「けじめって? 折柱家? うわ、こわー」
まあ、折柱家なら、ギリギリ生きていられるから大丈夫かな……
父さんがくらっても、生きているみたいだし。
ばんっ。
空気が爆発したかのような音がしたかと思ったとたん、風圧が俺は二・三歩後ずさる。
背中から冷や汗がだらだらと流れ落ちた。
「今、怖くもないのに、こわーって言ったでしょ? 必殺奥義・折拿に変更」
折拿って、あの折拿ですか?
一秒間に繰り出すパンチ、その数七十五回。七十五回全てが人体の急所を貫き、肉体的にも精神的にも再起不能にさせる必殺技。
初めて見た。いや、目で追えてはいなかったけど。
「ええと、要約すると、万が一、俺が退学したら必殺奥義・折拿を覚えればいいのかな?」
「大河の体に覚えこませる」
「冗談ですよね?」
自然と敬語になってしまった。
「確実に、全ての拳を、正確無比に、大河に当てる」
冷酷に言い放つ母。表情を伺うと、目は据わっていた。
あ、これ、マジのやつだ。
もし、退学になったら、これをくらって、本当に死んでしまう。
「大河、何、だんまりをきめこんでんのよ?」
「母さん、大丈夫だよ。俺は退学なんてしないから」
「本当?」
「もちろんさ」
「世界旅行出発日と大河の入学式が、同じ日で、式典に出られないから、心配してんだよ。それに高校一年生に一人暮らしさせるのも心配だしな」
子どものことを本当に思うなら、時期ずらせよ……とは言わずに、
「心配しないで。入学式もその後の一人暮らしも大丈夫だって」
……と、自信たっぷりにアピールする。根拠はどこにもないけど。
「そうか。そこまで言うなら、信じてみるか」
「大船に乗った気でいてよ」
「大船が泥船でなければ良いけどねー。大河は昔から肝心のところでぬけてるからな。ちなみに、入学式の受付は、何時からか覚えているのだろうな?」
「もちろん」
わからない。
「じゃあ、何時から?」
「もちろん、わかってるよ」
「何時からかって、訊いてんだよ? なんだよ? 『もちろん、わかってるよ』って? 答えになってねーんだよ」
「大丈夫さ。俺には、入学祝いに、父さんから買ってもらったこの腕時計があるんだから」
買ってもらったばかりのデジタル式腕時計を見ると、午後十二時三十七分。
「どういうことだよ? 新品の腕時計がなんだってんだよ? その時計が、入学式の受付時間を教えてくれるのかよ?」
「あー、もう、こんな時間だ。俺、そろそろ、行かないとー。父さんも、母さんも、世界旅行、気をつけていってらっしゃーい」
入学式の受付時間を答えずに、曖昧な言葉でその場を立ち去る。
廊下にでると、すぐさま制服のポケットに小さく折りたたんでいた入学式のプログラムを地図のように広げ、受付時間を確認。
受付、午後一時じゃん。時間だけ確認して、すぐにポケットにねじ込ませた。
やべー、自転車を全力で立ちこぎして、なんとか間に合うかどうかの時間じゃないか。
まー、入学式の受付だし、本当の式は、午後一時三十分からだから、少しくらい遅刻しても問題ないでしょ。
「そうそう、入学式の受付時間に間に合わなくて、退学になった生徒がいたんですって……。ああ、くわばら、くわばら」
うぉっ、ビックリした。
心臓に悪い。母よ、俺の背後で気配を殺して囁くなよな。
まったく、しかも、入学式の受付に間に合わなかったら退学って、たいした情報じゃ……ん……
……やばいじゃん。
問題おおありじゃん!
俺は、母を振り返らずに、ゆっくりと歩きだす。
「気をつけなさい。特に、今日は」
背後から怖い話をするかのように囁き続ける母。
「まあ、今、十二時三十七分だし、余裕で入学式には間に合うっしょ」
自分に言い聞かせるように、ひとりごちる、俺。
一秒でも早く、この場を立ち去らなければならないという焦りを隠しながら、にこにこのポーカーフェイスで、余裕綽綽の態度でピカピカの靴を履いて外へと出た。
「本当に気を付けて、いってらっしゃい」
呪詛をかけるかのように、母は、玄関の扉からこちらをじっと覗き見ながら、扉をゆっくりと閉める。
本能が、今は急いではダメだと語りかけていた。
母さんの前で慌てた態度をとれば、説教されることは目に見えている。
母さんの目の届く範囲では、落ち着いた行動を取らなければ。
玄関の扉よ、早く閉まれ。
扉が閉まる数秒が、まるで数分かのように感じる。
カチャリ。
玄関の扉が閉まる音。
同時に、相棒のママチャリに慌てて飛び乗り、全力でペダルをこぐ。
ぬおーーー。
周りからみたらすごい顔してるんだろうな。でも、そんなこと気にしていられない。
入学式間に合わなかったら、退学? ふざけんなよ。
必死にペダルをこぎまくる。遅刻すれば、必ず死に至るのだ。
退学という名の、死に至る病に侵された俺は、超人になるしかない。
心を集中させて、こげ、こげ、こげ、こげ。
カンカン照りで、雲一つなく、四月にしては、温度が高めだったが、追い風のスピードアシストもあってか、今のところ、順調。
脚を動かし続け、息をはぁはぁ切らせながら、腕時計を見やると、十二時四十三分四十三秒。
よし、このペースなら、ギリギリ間に合う。
高校に入ることが決まって、父さんから新しく買ってもらった、デジタル型腕時計。
黒くてシックなところが気にいっているが、こんなにも頻繁にみるとは思わなかった。
カンカンカンカン……
ん? カンカンカンカン? 非常時に、だんだんと大きくなる非情な音が耳に入ってきた。