第132話
田中が見ていたことはすぐ気づいた。だからこそあんな大胆な行動を取る必要があったのだ。何度もそう自分に言い聞かせても傍に寄った時の真央の体臭は今も鼻について離れない。本来の体臭と安っぽいコロンのにおいが混ざり合い異様なにおいだった。思い出すだけで吐き気がしてきそうだった。車の中で田中に話しかけられたときも全神経を集中していたのでろくな返事もできなかった。幸か不幸か、そのおかげで田中はあらぬ方向に勘違いしてくれたのだが。
「やめてくれ!」思わず叫び声をあげ、両手で耳をふさいだ。
ガシャン!!ガラスの割れる音がした。恐る恐る目を開けると沙織が棒立ちになっていた。
「ご、ごめんなさい!」
匠の視線に我に返った沙織は急いで割れたコップを拾い上げた。それをじっと見つめていた匠だったが、実際は見てはいなかった。真央の臭いと共にあの家全体が目の前にチラついてどうしても離れてくれないのだ。
「匠さん、匠さん。 どうしたの、何かあったの?」
コップを片付け終えた沙織に身体を揺すられようやく現実に戻った。
「ああ・・・なんでもない。・・おまえこそなにかあったのか。」
その声には全く生気がない。セリフを棒読みしてるようだ。
「お食事を持ってきたの・・食べる?」心配そうに覗き込む。
ゆっくりベッドから起き上がり匠は眉間をギュッと押した。フワッといい香りがする。沙織の清潔感溢れる体臭が匠の鼻腔をくすぐった。フッと息を吐くと匠は沙織の手を取りその身体を引き寄せた。突然のことに驚いた沙織も匠の力強い腕の中でしっとりと落ち着いている。匠は沙織の髪に顔をうずめた。沙織は匠の身体が微かに震えているのを感じ顔を上げた。
「泣いてるの?」
次の瞬間、匠は沙織の華奢な身体が折れそうなほど強く抱きしめ、怒りと苦悶の入り混じった荒々しいキスをした。
「・・・こらえてくれ・・」
「え? なんて言ったの? 匠・・さん?」
しかし匠は何も言わず、ただ沙織を抱きしめたまま苦渋の涙を流した。