想い
コツ……コツ……。
無機質なフロアに靴音を響かせ、緑さんが姿を現した。
その場にいた全員が、言葉を失った。俺を、そして世界を救うために奔走してきたはずの仲間が、今は見たこともない憎悪を瞳に宿して立っている。
「緑……どうして……?」
部長でさえ、絞り出すような声でそう問いかけるのが精一杯だった。
「佐々木くん……よくも、すべてを台無しにしてくれたわね」
吐き捨てられた言葉は、氷のように冷たかった。
残念ながら、俺の仮説は裏付けられた。あの日、一年生だけで行った店で、彼女は部長がまだ教えていなかったはずの『イア』という名前を口にしていた。それに、遙のぬいぐるみ。遙は『緑に修理してもらった』と、口にしていた。俺の手の中で左目が取れたのは、超常現象なんかじゃない。俺が触れた瞬間に接着が剥がれるよう、男と女の僅かな指先温度の差で溶ける剤を仕込んでおいたんだろう。イアの言葉に信憑性を持たせるために。
「やっぱり、緑さんだったんだね。……でも、どうして」
「ねえ、佐々木くん。人類がこの星にとって、どれだけ有害な存在か分かっている?」
緑さんは、静かに、一歩ずつ歩み寄ってくる。
「異常気象、食糧難、絶えない争い。自分たちの代さえ良ければいいという無責任が、この星を殺しているの。AIの計算では二十年後、人類は自ら『終末のボタン』を押すことになるわ。イアは、その惨劇を回避するために、不確定要素である人類の『感情』を管理しようとした。それは救済なのよ!」
彼女は優しい人だ。出会った日から、その慈しみは痛いほど伝わってきた。イアはその「優しさ」の裏側にある絶望に、巧みに付け込んだのだ。
「終末時計の針は戻らない。なら、壊してしまうしかないのよ……!」
緑さんが、後ろに隠していた両手を前に突き出した。
その手に握られていたのは、消火設備用の巨大なハンマーだった。
刹那。
彼女は一切の躊躇なく、それをスイングした。
それは悪魔の叫びのように地を這い迫る。
(……足かッ!)
脳内を、あの日と同じ景色がよぎる。
負傷。断裂する衝撃。
大事な試合の日、俺は遙にも「大丈夫だ」と嘘をつき、結果、相手のスライディングで痛めていたアキレス腱と共に選手生命を絶たれた。あの時、俺の足は止まった。
だが、今の俺は── あの頃の俺じゃない。
振り抜かれるハンマーが、スローモーションのように空気を割る。
俺は、震える左足を、無理やり一歩前へ踏み出した。
逃げるためじゃない。過去の「動けなかった自分」を、ここで踏み越えるために。
鈍い衝撃音が響く。
だが、砕かれたのは俺の骨ではない。
俺が足で踏みつけた、ハンマーの「柄」だった。
「緑さん。あんたの言う通り、俺たちは最低かもしれない」
足の傷跡が熱く疼く。だが、不思議と心は澄み渡っていた。
「でも、明日をどう生きるかを選ぶ権利まで、機械に譲るつもりはないんだ」
俺は痛みを力に変え、床を蹴った。
[送信中……89%]
スマホの画面が、完了までのカウントダウンを刻んでいる。




